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    <title>川口英俊のブログ</title>
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    <description>
			川口英俊のブログ
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    <title>
			島村大心師の最新アップロード論文29「真如熏習の真意――主として法蔵による理解」を拝読
		</title>
    <link>http://hide.noblog.net/blog/10958229.html</link>
    <description>島村大心師の最新アップロード論文29「真如熏習の真意――主として法蔵による理解」を拝読させて頂きました。  誠に浅学の未熟者ですが、真如の無作用性、真如熏習、染浄二分よりなる如来蔵、自性清浄心とそれぞれの理解がある程度及んで参りまして、更に先生...</description>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2010-03-06T21:03:59+09:00</dc:date>
    <content:encoded><![CDATA[<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/~sdaisin/">島村大心師の最新アップロード論文29「真如熏習の真意――主として法蔵による理解」</a>を拝読させて頂きました。<br>
<br>
誠に浅学の未熟者ですが、真如の無作用性、真如熏習、染浄二分よりなる如来蔵、自性清浄心とそれぞれの理解がある程度及んで参りまして、更に先生が論文 29に付記なされておられます「真如の分類」の整理は、真如の内実真意の理解へ向けて非常に重要な視座であると考えております。<br>
<br>
・・<br>
<br>
<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/~sdaisin/">島村大心師の最新アップロード論文・22「中国仏教における非情成仏説の真意について」</a>を拝読させて頂きました。<br>
<br>
中国で展開された（非情仏性・非情成仏）仏性思想とインド大乗仏教における仏性思想との比較検討におきまして、先生の「空の公理・真理命題・定理」からの緻密なる考察アプローチに改めまして、敬意を表させて頂くところでございます。<br>
<br>
もちろん、まだまだでございますが、この浅学非才の未熟者にもある程度理解が及ぶところもありまして、膨大なる論難書に当たらずとも先生のご論文によってある程度の概要理解を掴めさせて頂けますことは、本当に有り難いことであると考えております。<br>
<br>
先生の長期の辛苦によりますご論考、ご考究の成果の法雨にあずかることができまして、深く感謝致しております。<br>
<br>
論文の22を拝読させて頂きまして、自身におきましては、改めまして、先生の「空の公理・真理命題・定理」の理解、「仏性と真如の関係性」の理解、「二諦」の理解を更に深めていかなければならないと猛省致しております。<br>
<br>
本当に先生の「空の公理・真理命題・定理」は、顕教としての仏教を理解していく上で非常に重要な視座であると考えております。<br>
<br>
島村大心先生の「空の公理・真理命題・定理」<br>
<br>
空（性）の公理・・「無自性・平等・無相・真如・法界・般若波羅蜜多・涅槃等、現象界が仏眼に映ずる真実のあり方」<br>
<br>
第一真理命題・・「能所識の滅、唯識説における境識倶泯に相当」<br>
第二真理命題・・「無明即明・煩悩即菩提・生死即涅槃・世俗諦即勝義諦」<br>
第二真理命題の系１・・「個物Ｘ＝個物Ｙ＝Ｚ・・・、空＝平等においては一切の個物は等同」<br>
第二真理命題の系２・・「一行者成正覚＝一切衆生成正覚」<br>
第三真理命題・・「真如の実有・無変異・常恒、唯識説における真実性の実有」<br>
第四真理命題・・「後得智」<br>
<br>
第五定理・・「離言」<br>
第六定理・・「無作用」<br>
第七定理・・「無時間」<br>
第八定理・・「因果律の不成立」<br>
第九定理・・「無空間」<br>
第十定理・・「数、量が無いこと」<br>
<br>
［引用抜粋・参照論文　島村大心「大乗仏教の発見した真理の内実 その１・その２」（ホームページ掲載日・二○○四年七月三十一日］<br>
<br>
・・<br>
<br>
島村大心師のサイト「<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/~sdaisin/">現代仏教学を再生するためのホームページ</a>」におきまして、島村大心師の2月28日付けご論文がアップロードなされております。是非、皆様におかれましてもご熟読、ご熟考の程を賜れましたらと存じております。<br>
<br>
誠に浅学非才の未熟者ではございますが、師が長年のご考究にてまとめておられます「真如の分類」・「真如の内実」につきまして、鋭意学びを進めさせて頂こうと存じております。<br>
<br>
・・<br>
<br>
下記は、平成22年・春彼岸配布の一般用しおりに添付させて頂きます私の拙文でございます。施本第六弾の発行が間に合いませんでしたので、その代わりとしての拙文となります。<br>
<br>
「インド仏教思想・中期から後期の展開について」　川口　英俊　拝<br>
<br>
　さて、昨年末までのほぼ二年間にわたりまして、浅学菲才の未熟者ではございますが、初期仏教から中期大乗仏教までの学びを私なりに進めさせて頂いて参りました。<br>
<br>
　この間、法要の際に皆様に配布させて頂きます施本を著させて頂きまして、その学びの私なりの成果をお示しさせて頂いて参りました。現在は、特に龍樹（ナーガールジュナ）論師以来の中観思想から更に展開された帰謬論証派の思想につきましての学びを進めさせて頂いております。<br>
<br>
　さて、中期大乗仏教におきましては、中観思想・唯識思想の発展に伴ってキラ星のごとくに学者・論師が輩出され、仏教論理学・認識学は大いに議論が展開されて参りました。<br>
<br>
　唯識思想から初期仏教論理学を大成したディグナーガ論師、ディグナーガ論師の論理学を中観思想の立場から方法論を確立させたバーヴィヴェーカ論師（中観自立論証派）、そのバーヴィヴェーカ論師を批判し、中観思想を更に発展させたチャンドラキールティ論師（中観帰謬論証派）、ディグナーガ論師の論理学を唯識思想の立場から発展させ、インド論理学最高峰とされるダルマキールティ論師、更にダルマキールティ論師の立場を中観思想の立場から発展させたジュニャーナガルバ論師・シャーンタラクシタ論師・カマラシーラ論師・ハリバドラ論師などが登場し、唯識思想とも統合して論理学・認識学を発展させ、瑜伽行唯識学派と共に瑜伽行中観学派も形成されました。<br>
<br>
　やがてインドにおいて仏教が衰退すると、その後はチベットにおいて仏教論理学・認識学の議論が展開されて参りますが、チベットでは、代々のダライ・ラマが所属するゲルク派（黄帽派）の開祖であるツォンカパ論師によって、チャンドラキールティ論師以来の中観帰謬論証派の思想発展が最高潮に達し、チベット仏教教学が確立されることとなりました。チベットの仏教と言いますと、どうしても「密教」というイメージが前面に出て参りますが、私はチベット密教を理解する上では、その前提として中観思想の学びは欠かすことができないものであると考えております。<br>
<br>
　とにかく、これから取り組みを目指しております後期大乗仏教の学びのためには、中観思想・唯識思想の学び、論理学・認識学の学びは非常に重要であり、難解ながらもしっかりと進めなければならないと存じております。<br>
<br>
　これまで私なりに学びまして理解して参りましたことにつきましては、これまで発行させて頂いております「施本シリーズ」をお読み下さいましたら幸いでございます。ホームページでも公開させて頂いております。また、更に最新の論考をまとめて発行できましたらと考えております。<br>
<br>
<br>
「中観帰謬論証派の学びのススメ」　川口　英俊　拝<br>
<br>
　現時点におけます、私の仏教の学びの進めの一つの整理と致しましては、現代日本仏教のあり方に疑念を生じて以降、現代日本仏教がなぜ今のような現状に陥ってしまっているのかについて、根本・初期仏教から学び直しを進め始めまして、初期大乗仏教、唯識思想・中観思想の発展と中期大乗仏教の学びを進めていく中におきまして、ある程度問題点を明確化することができて参りました。<br>
<br>
　現時点におけます結論と致しましては、大きく仏典の説く仏説の相違の扱いにおいて、インドから日本に渡ってきた仏教を解釈する際において根本的な誤りがあったためであると考えております。<br>
<br>
　インド、中国、日本と仏教が渡ってくる中、なぜ、数多くの著された仏典の中で、仏説・教義の相違があるのかを真に理解できないままに、教典にとらわれて、教典に優劣を付けて、教義に優劣を付けて、醜い争いを展開し、これが一番の教えだ、私たちの教義が最も優れていると、そのようなくだらないことで終始したところが少なからずもあるように存じております。<br>
<br>
　そのようなことでは、争い、様々な堕落と衰退もしかるべきであろうと思う次第でございます。<br>
<br>
　上記のことは、中観思想の帰謬論証派の学びを進めていけば、容易に気づくことでもございますが、残念ながら、中観帰謬論証派は中国、日本へ正確に伝わることが無く、中国・日本の仏教は大きな問題を最初から抱えざるを得なかったと考えております。<br>
<br>
　これは、もちろんやむを得なかったこともございます・・中国・日本へ仏教が伝来してくる途上、「無我」を説く教典と「我」を説く教典がほぼ同時に流入していたのですから・・大きくは般若思想と如来蔵思想となりますが、両思想が同時に流入すれば様々な混乱が生じるのは当たり前であったのだと考えます。<br>
<br>
  結果として、どちらの教えが正しいのかといつまでも論争を繰り返すことになってしまい、「無我」か、それとも「我」か、両者の統合か、と、それぞれとらわれてしまったままとなっているのが、日本現代仏教が抱える苦悩の一番の問題となっている根本であると存じております。<br>
<br>
　このことを解決するのは、龍樹（ナーガールジュナ）論師以来の中観思想にあり、特にインド・チャンドラキールティ論師からチベット・ゲルク派の開祖・ツォンカパ論師に至るまで展開された帰謬論証派の思想を正確に学ばないと解決は不可能なことであると考えております。<br>
<br>
　龍樹論師の中観思想は日本にも三論宗として伝わったものの、それから発展していった帰謬論証派の思想は残念ながら伝わらないままで、現代に至ってしまったところにおいて、日本仏教の抱えている苦難が続いてしまっているところがあるように存じております。ただ、戦後にチベット仏教哲学、ツォンカパ論師の中観思想が徐々に邦訳・注釈等でも日本にて知られることができてきたため、これからは少しずつ変わっていくようには思うところもございます。<br>
<br>
　とにかく、仏典の言語表現は全て世俗諦の方便として正しく、等しいものであり、そこに優劣など本来はありません。もちろん、あくまでも世俗諦の域で留まってのことであって、仏典の言語表現の一切は、勝義諦を指向するための渡し船に過ぎず、いちいちの仏典の表現や解釈にとらわれて上だ、下だと執着することは大きな誤りを産み出す原因となると考えております。<br>
<br>
　一つは、中論にございます「観法品」（第十八・第六偈）『もろもろの仏は「我〔が有る〕」とも仮説し、「我が無い（無我である）」とも説き、「いかなる我も無く、無我も無い」とも説いている。』〈中論の邦訳は〔中論（上・中・下）三枝充悳訳注　第三文明社・レグルス文庫〕より引用〉ということから、更に帰謬論証派の思想を深く学ぶことによって、しっかりと理解していかなければならないことがあると僭越ながらも存じております。<br>
<br>
　何とかここまでようやくに、ツォンカパ論師の中観思想の学びを本格的に進めていくための入り口付近に来ることができてきたのではないかと、もちろんまだまだの浅学非才の未熟者の身でありながらも思っております。今は学びを一歩でも前へと進めていかねばならないと考えております。<br>
<br>
施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/enginorikai.html">http://oujyouin.com/enginorikai.html</a><br>
施本・「仏教・空の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/topengi.htm">http://oujyouin.com/topengi.htm</a><br>
施本「仏教・空の理解」<br>
<a href="http://oujyouin.com/sunyatop.htm">http://oujyouin.com/sunyatop.htm</a><br>
施本「仏教　〜　一枚の紙から考える　〜」<br>
<a href="http://oujyouin.com/buddhism1p.html">http://oujyouin.com/buddhism1p.html</a><br>
施本「佛の道」<br>
<a href="http://oujyouin.com/hotokenomichi.html">http://oujyouin.com/hotokenomichi.html</a><br>
<br>
・・<br>
<br>
さて、島村大心師のサイト「<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/~sdaisin/">現代仏教学を再生するためのホームページ</a>」におけます<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/cgi-bin/ezboard/sdaisin/1/">掲示板</a>におきまして、いつも意見交換させて頂いておりますS・イマムラ先生が、「Ｃ点による仏教的宇宙論」を著されて、そのご報告がございました。<br>
<br>
「Ｃ点による仏教的宇宙論」<br>
<a href="http://www016.upp.so-net.ne.jp/jikuron/ucyuu/">http://www016.upp.so-net.ne.jp/jikuron/ucyuu/</a><br>
<br>
非常に仏教要諦の「縁起と空」を理解していく上でも重要な論考でございますので、是非、お読みになられましたらと存じております。先生の変わらない真理考究の情熱に厚く敬意を表しますと共に、すばらしい内容に、誠に感極まっております。<br>
<br>
・・<br>
<br>
現在、仏教真理の考究につきましては、「ツォンカパ 中観哲学の研究３」の論著からの学びを進めておりますが、中途で急激にペースダウンしてしまいましたものの、何とかペースを取り戻してまもなく読み終えます。誠にツォンカパ論師の中観思想を学んでゆく上で重要な論著であるかと存じております。ただ、もはや春彼岸での施本第六弾配布は間に合わない状況下でございますが、ある程度の方向性はつかめて参りましたので、鋭意に執筆に取り組み、お盆までには何とか発行したいと考えております。<br>
<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究３」・ケードゥプ・ゲルク・ペルサンポ著　深遠な空性の真実を明らかにする論書・幸いなる者の開眼（千薬大論）上。<br>
<img src="http://stat.ameba.jp/user_images/20100202/11/hidetoshi-k/98/6f/j/t02200293_0240032010398053314.jpg"><br>
<br>
いよいよツォンカパ論師の中観思想を考究する上でも重要な論書を読み進めて参ります。<br>
<br>
施本論考シリーズ第六弾の本格執筆を前に、論著の読み進めを行っております。<br>
<br>
「チベット仏教哲学」松本史朗著・大蔵出版<br>
「ツォンカパの中観思想―ことばによることばの否定」四津谷孝道著・大蔵出版<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究1」<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究2」<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究3」<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究4」<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究5」<br>
「般若経釈 現観荘厳論の研究」兵藤一夫著　文栄堂<br>
「ダライ・ラマ 般若心経入門」ダライ・ラマ14世著、宮坂宥洪翻訳・春秋社<br>
「チベット仏教成就者たちの聖典『道次第・解脱荘厳』解脱の宝飾」<br>
　ガムポパ著・ツルティム・ケサン、藤仲 孝司共訳 UNIO<br>
「心の迷妄を断つ智慧―チベット密教の真髄」<br>
　チュギャム トゥルンパ著・宮坂宥洪訳<br>
「チベット密教 修行の設計図」<br>
　斎藤保高著・春秋社<br>
「チベット密教 心の修行」<br>
　ゲシェー・ソナム・ギャルツェン ゴンタ著、藤田省吾著　法蔵館<br>
「チベット仏教 文殊菩薩(マンジュシュリ)の秘訣」<br>
　ソナム・ギャルツェン・ゴンタ著　法蔵館<br>
<br>
施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/enginorikai.html">http://oujyouin.com/enginorikai.html</a><br>
施本・「仏教・空の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/topengi.htm">http://oujyouin.com/topengi.htm</a><br>
施本「仏教・空の理解」<br>
<a href="http://oujyouin.com/sunyatop.htm">http://oujyouin.com/sunyatop.htm</a><br>
施本「仏教　〜　一枚の紙から考える　〜」<br>
<a href="http://oujyouin.com/buddhism1p.html">http://oujyouin.com/buddhism1p.html</a><br>
施本「佛の道」<br>
<a href="http://oujyouin.com/hotokenomichi.html">http://oujyouin.com/hotokenomichi.html</a><br>
<br>
<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/~sdaisin/">現代仏教学を再生するためのホームページ</a>・<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/cgi-bin/ezboard/sdaisin/1/">掲示板</a>投稿より・・<br>
<br>
mixiのコミュニティ「仏教」におけます中論・「観涅槃品」（第二十五）の最終偈についての考察からの引用抜粋でございます。<br>
<br>
以下、引用抜粋・・<br>
<br>
・・前略・・<br>
<br>
以下、中論の邦訳は〔中論（上・中・下）　三枝充悳訳注　第三文明社・レグルス文庫〕より引用致します。<br>
<br>
中論・「観涅槃品」（第二十五・第二十四偈）『〔ニルヴァーナとは、〕一切の得ること（有所得）が寂滅し、戯論（想定された論議）が寂滅して、吉祥なるものである。ブッダによって、どのような法（教え）も、どのような処でも、だれに対しても、説かれたことはない。』<br>
<br>
まず、前半について考えて参りたいと存じます。<br>
<br>
一切の得ること（有所得）が寂滅し・・縁起的・空性的あり方を理解し、あらゆる一切は実体が無く、得るための主体も、得れる対象となる客体も、いずれにも実体が無いため、何も得る実体たるところも何も得れる実体たるところも無いということであるかと存じます。<br>
<br>
般若心経における「無所得」とほぼ同意の事態のことを示しているものであると考えます。<br>
<br>
戯論（想定された論議）が寂滅・・縁起・空性の理解から、四句分別・「非有、非無、非有無、非「非有非無」（非非有非非無）」を理解し、更に言語活動・言語表現の限界を理解して、もはや一切の想定された論議も止み、「無記」への論理的道筋をしっかりと理解し、最高の真理である勝義諦・第一義諦のありようを真に了解するということであるかと存じております。<br>
<br>
もちろん、このあたりのことは、「二諦をめぐる解釈の問題」が控えておりますが、あらゆる一切における世俗諦と勝義諦のありよう（世俗諦によって勝義諦があり、勝義諦によって世俗諦があるという、縁起的・空性的あり方における勝義諦についての理解も含めて）について了解した上で、「勝義の空」の真たるが何であるかも完全に了解し、様々な虚妄分別・分別執着によって迷い・苦しんでいる者に対して、自由自在に方便を用いながら、その迷い・苦しみを解き放つことができるようになるための仏道が完全に完成し、慈悲の実践を展開していくことに繋がるものであるかと存じております。 ・・中略・・<br>
<br>
後半・・「吉祥なるものである。ブッダによって、どのような法（教え）も、どのような処でも、だれに対しても、説かれたことはない。」<br>
<br>
縁起的・空性的あり方（○によって非○があり、非○によって○があるとして、一応、○も非○もそれぞれ仮において言えるものの、○だけでは○は成り立たない、非○だけでは非○は成り立たない、○にも非○にも実体は無い」）の理解から、無所得（無実体・無自性）、言語道断・無記・戯論寂滅（四句分別の否定「非有、非無、非有無、非「非有非無」（非非有非非無）」）への論理的道筋をしっかりと理解し、最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦のありようを真に了解することは、いかなる虚妄分別・分別執着も打ち破り、いかなる迷い・苦しみもを打ち破る、無上甚深微妙の法にして真なる涅槃に至るための実にすばらしく吉祥なるものである。<br>
<br>
「ブッダによって、どのような法（教え）も、どのような処でも、だれに対しても、説かれたことはない。」・・お釈迦様・諸仏・如来によって、言語活動・言語表現を扱った世俗諦における諸々の教説は、対機説法・方便として、様々な者に対してそれぞれが色々と抱えている虚妄分別・分別執着のその一つ一つを打ち破らせるために説かれているものに過ぎず、最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦としての無上甚深微妙の法のありようは、いかなるところにおいても、誰に対しても説かれたことはない。<br>
<br>
最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦としての無上甚深微妙の法のありようは、それぞれがそれぞれにおいて真に了解すべきものであり、お釈迦様・諸仏・如来の慈悲によって、言語活動・言語表現を扱った世俗諦における諸々の教説から、それぞれが色々と抱えている虚妄分別・分別執着、迷い・苦しみのその一つ一つをそれぞれが打ち破るために、勝義の空・勝義諦・第一義諦を真に了解し、真なる涅槃に至ることが何よりも重要であると存じております。当然にその了解したる最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦は、もはや言語活動・言語表現を超えたものであって、いかなるところにおいても、誰に対しても説けるものでもないと存じております。・・後略・・<br>
<br>
・・引用抜粋ここまで。<br>
<br>
・・<br>
<br>
さて、最近は<a href="http://mixi.jp/">mixi</a>のコミュニティ・仏教のトピック「ダルマキールティ論師の刹那滅論証（瞬間的存在性論証）」におきまして仏教論考を継続させて頂いておりまして、現在は特に龍樹論師「中論」の理解も平行して鋭意進めております。<br>
<br>
そのコメント投稿におきまして、先日のオバマ米大統領・ノーベル平和賞・受賞演説の内容につきまして扱わせて頂きました。<br>
<br>
コミュニティ・仏教<br>
<br>
トピック・ダルマキールティ論師の刹那滅論証（瞬間的存在性論証）<br>
<br>
89　　2009年12月11日 21:50<br>
<br>
引き続きまして、中論・「観涅槃品」（第二十五）を扱いまして、「中論」の説く「ニルヴァーナ（涅槃）」の考察を行って参りたいと存じておりますが、<br>
<br>
少しその前に・・昨日のオバマ米大統領・ノーベル平和賞・受賞演説の内容は誠にやや残念でございました・・<br>
<br>
米大統領選の当選直後にダライ・ラマ14世師と会談した際に、ダライ・ラマ14世師から中観思想の視座によっての平和・戦争のありようについての示唆を得られておられるものであるかとご期待申し上げておりましたが・・「平和のための戦争」を肯定してしまうような受賞演説の内容には少し失望を覚えました・・<br>
<br>
最近のダライ・ラマ14世師との会談を延期したオバマ米大統領のありよう、もちろん、今回の受賞演説の内容のありようも鑑みますと、相当に何らかの圧力があってのことであろうとも存じます・・オバマ米大統領の真意の内容では無いのかもしれませんが・・<br>
<br>
「戦争によって平和がある、平和によって戦争がある」と縁起的・空性的あり方においてそれぞれは仮に言えたとしてもそれぞれは実体の無いものであり、いつまでも平和だ、戦争だと実体視して執着し続けている限り、戦争は決して無くなることはあり得ませんし、真に平和に至ることもあり得ません・・<br>
<br>
戦争利権を貪り、執着するものたちがいるかぎり、そのものたちが虚妄分別・分別執着で自作自演にて産み出し続けながら、しかも変化してゆく「平和」と「戦争」の定義に、世界の人々が実体視して執着させられてしまう限り、戦争は無くならず、真なる平和も得られないものでありますでしょう・・<br>
<br>
このことは、最近の環境利権においても同様のことが言えるかと存じますが・・<br>
<br>
誠にどこか寂しい限りでございますね・・<br>
<br>
もちろん・・<br>
<br>
以前にも引用にてコメントを述べさせて頂きましたこととなりますが、<br>
<br>
以下、引用・・<br>
<br>
国家破綻研究ブログ<br>
<a href="http://gijutsu.exblog.jp/">http://gijutsu.exblog.jp/</a><br>
<br>
リーマンショック１周年　何が明らかになり、何が変わったのか　変わらない強欲<br>
<a href="http://gijutsu.exblog.jp/8971065/">http://gijutsu.exblog.jp/8971065/</a><br>
<br>
におきましてコメント投稿させて頂いておりますように、<br>
<br>
「リーマンショックから一年を振り返ってのまさに的確な分析であると存じます。確かに、「世界経済奥の院」が現在進行形で一体何をどうしたいのかということは、なかなか読み解くことは難しくあります。ただ世の流動における歴史の厳然たる結果を見ると、遡って、ああ、そういうことを考えていたのかということは理解することはできます。しかし、その内実のほとんどはkanconsultingさんのおっしゃる通りに傲慢に利権を貪る者の「強欲さ」が反映されているものばかりであり、相変わらず浅ましく下らない愚かなことの繰り返しであります・・<br>
<br>
この負の連鎖をいい加減に断ち切らない限りは、同じことの繰り返しとなってしまいます・・私はこの繰り返し（輪廻）を断ち切るには、お釈迦様の仏法真理とその実践（慈悲）が必要であると強く考えております。特に現代社会においては、ナーガールジュナ（龍樹）論師以来の仏教・中観思想の考究とそこからの実践が重要と存じております。」<br>
<br>
と致しまして、「世界経済奥の院」の強欲・傲慢さが生み出し続ける数々の人間世界の苦しみを無くすためには、何としても「世界経済奥の院」たちに仏法真理、その一つとしての中観思想も学んで頂き、理解して頂いて、そして、そこからの慈悲の実践を行ってほしいという想いがございます。<br>
<br>
・・引用ここまで。<br>
<br>
このように述べさせて頂きましたように、中観思想の学びとそこからの実践は実に現代世界においては重要であると存じております。<br>
<br>
とにかく、あまりにも微力でありまして、浅学菲才の未熟者でございますが、少しでも中観思想の学びとそこからの実践を行っていけましたらと存じております。<br>
<br>
誠に皆様方におかれましては、ご賢察賜りまして、ご理解を賜れますよう、何卒、宜しくお願い申し上げます。 <br>
<br>
・・ここまで。<br>
<br>
とにかく中観思想の学びとその実践が、現代社会においては誠に重要であると存じております。誠に一つ一つでございます。<br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51518341.html">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第三弾</a><br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/oujyouin/archives/51552614.html">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第二弾</a><br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/2008-11.html#20081110">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第一弾</a>]]></content:encoded>
  </item>
  <item rdf:about="http://hide.noblog.net/blog/10956929.html">
    <title>
			島村大心師の最新アップロード論文・22「中国仏教における非情成仏説の真意について」を拝読
		</title>
    <link>http://hide.noblog.net/blog/10956929.html</link>
    <description>本日に、島村大心師の最新アップロード論文・22「中国仏教における非情成仏説の真意について」を拝読させて頂きました。  中国で展開された（非情仏性・非情成仏）仏性思想とインド大乗仏教における仏性思想との比較検討におきまして、先生の「空の公理・真理...</description>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2010-03-04T20:13:59+09:00</dc:date>
    <content:encoded><![CDATA[本日に、<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/~sdaisin/">島村大心師の最新アップロード論文・22「中国仏教における非情成仏説の真意について」</a>を拝読させて頂きました。<br>
<br>
中国で展開された（非情仏性・非情成仏）仏性思想とインド大乗仏教における仏性思想との比較検討におきまして、先生の「空の公理・真理命題・定理」からの緻密なる考察アプローチに改めまして、敬意を表させて頂くところでございます。<br>
<br>
もちろん、まだまだでございますが、この浅学非才の未熟者にもある程度理解が及ぶところもありまして、膨大なる論難書に当たらずとも先生のご論文によってある程度の概要理解を掴めさせて頂けますことは、本当に有り難いことであると考えております。<br>
<br>
先生の長期の辛苦によりますご論考、ご考究の成果の法雨にあずかることができまして、深く感謝致しております。<br>
<br>
論文の22を拝読させて頂きまして、自身におきましては、改めまして、先生の「空の公理・真理命題・定理」の理解、「仏性と真如の関係性」の理解、「二諦」の理解を更に深めていかなければならないと猛省致しております。<br>
<br>
本当に先生の「空の公理・真理命題・定理」は、顕教としての仏教を理解していく上で非常に重要な視座であると考えております。<br>
<br>
島村大心先生の「空の公理・真理命題・定理」<br>
<br>
空（性）の公理・・「無自性・平等・無相・真如・法界・般若波羅蜜多・涅槃等、現象界が仏眼に映ずる真実のあり方」<br>
<br>
第一真理命題・・「能所識の滅、唯識説における境識倶泯に相当」<br>
第二真理命題・・「無明即明・煩悩即菩提・生死即涅槃・世俗諦即勝義諦」<br>
第二真理命題の系１・・「個物Ｘ＝個物Ｙ＝Ｚ・・・、空＝平等においては一切の個物は等同」<br>
第二真理命題の系２・・「一行者成正覚＝一切衆生成正覚」<br>
第三真理命題・・「真如の実有・無変異・常恒、唯識説における真実性の実有」<br>
第四真理命題・・「後得智」<br>
<br>
第五定理・・「離言」<br>
第六定理・・「無作用」<br>
第七定理・・「無時間」<br>
第八定理・・「因果律の不成立」<br>
第九定理・・「無空間」<br>
第十定理・・「数、量が無いこと」<br>
<br>
［引用抜粋・参照論文　島村大心「大乗仏教の発見した真理の内実 その１・その２」（ホームページ掲載日・二○○四年七月三十一日］<br>
<br>
・・<br>
<br>
島村大心師のサイト「<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/~sdaisin/">現代仏教学を再生するためのホームページ</a>」におきまして、島村大心師の2月28日付けご論文がアップロードなされております。是非、皆様におかれましてもご熟読、ご熟考の程を賜れましたらと存じております。<br>
<br>
誠に浅学非才の未熟者ではございますが、師が長年のご考究にてまとめておられます「真如の分類」・「真如の内実」につきまして、鋭意学びを進めさせて頂こうと存じております。<br>
<br>
・・<br>
<br>
下記は、平成22年・春彼岸配布の一般用しおりに添付させて頂きます私の拙文でございます。施本第六弾の発行が間に合いませんでしたので、その代わりとしての拙文となります。<br>
<br>
「インド仏教思想・中期から後期の展開について」　川口　英俊　拝<br>
<br>
　さて、昨年末までのほぼ二年間にわたりまして、浅学菲才の未熟者ではございますが、初期仏教から中期大乗仏教までの学びを私なりに進めさせて頂いて参りました。<br>
<br>
　この間、法要の際に皆様に配布させて頂きます施本を著させて頂きまして、その学びの私なりの成果をお示しさせて頂いて参りました。現在は、特に龍樹（ナーガールジュナ）論師以来の中観思想から更に展開された帰謬論証派の思想につきましての学びを進めさせて頂いております。<br>
<br>
　さて、中期大乗仏教におきましては、中観思想・唯識思想の発展に伴ってキラ星のごとくに学者・論師が輩出され、仏教論理学・認識学は大いに議論が展開されて参りました。<br>
<br>
　唯識思想から初期仏教論理学を大成したディグナーガ論師、ディグナーガ論師の論理学を中観思想の立場から方法論を確立させたバーヴィヴェーカ論師（中観自立論証派）、そのバーヴィヴェーカ論師を批判し、中観思想を更に発展させたチャンドラキールティ論師（中観帰謬論証派）、ディグナーガ論師の論理学を唯識思想の立場から発展させ、インド論理学最高峰とされるダルマキールティ論師、更にダルマキールティ論師の立場を中観思想の立場から発展させたジュニャーナガルバ論師・シャーンタラクシタ論師・カマラシーラ論師・ハリバドラ論師などが登場し、唯識思想とも統合して論理学・認識学を発展させ、瑜伽行唯識学派と共に瑜伽行中観学派も形成されました。<br>
<br>
　やがてインドにおいて仏教が衰退すると、その後はチベットにおいて仏教論理学・認識学の議論が展開されて参りますが、チベットでは、代々のダライ・ラマが所属するゲルク派（黄帽派）の開祖であるツォンカパ論師によって、チャンドラキールティ論師以来の中観帰謬論証派の思想発展が最高潮に達し、チベット仏教教学が確立されることとなりました。チベットの仏教と言いますと、どうしても「密教」というイメージが前面に出て参りますが、私はチベット密教を理解する上では、その前提として中観思想の学びは欠かすことができないものであると考えております。<br>
<br>
　とにかく、これから取り組みを目指しております後期大乗仏教の学びのためには、中観思想・唯識思想の学び、論理学・認識学の学びは非常に重要であり、難解ながらもしっかりと進めなければならないと存じております。<br>
<br>
　これまで私なりに学びまして理解して参りましたことにつきましては、これまで発行させて頂いております「施本シリーズ」をお読み下さいましたら幸いでございます。ホームページでも公開させて頂いております。また、更に最新の論考をまとめて発行できましたらと考えております。<br>
<br>
<br>
「中観帰謬論証派の学びのススメ」　川口　英俊　拝<br>
<br>
　現時点におけます、私の仏教の学びの進めの一つの整理と致しましては、現代日本仏教のあり方に疑念を生じて以降、現代日本仏教がなぜ今のような現状に陥ってしまっているのかについて、根本・初期仏教から学び直しを進め始めまして、初期大乗仏教、唯識思想・中観思想の発展と中期大乗仏教の学びを進めていく中におきまして、ある程度問題点を明確化することができて参りました。<br>
<br>
　現時点におけます結論と致しましては、大きく仏典の説く仏説の相違の扱いにおいて、インドから日本に渡ってきた仏教を解釈する際において根本的な誤りがあったためであると考えております。<br>
<br>
　インド、中国、日本と仏教が渡ってくる中、なぜ、数多くの著された仏典の中で、仏説・教義の相違があるのかを真に理解できないままに、教典にとらわれて、教典に優劣を付けて、教義に優劣を付けて、醜い争いを展開し、これが一番の教えだ、私たちの教義が最も優れていると、そのようなくだらないことで終始したところが少なからずもあるように存じております。<br>
<br>
　そのようなことでは、争い、様々な堕落と衰退もしかるべきであろうと思う次第でございます。<br>
<br>
　上記のことは、中観思想の帰謬論証派の学びを進めていけば、容易に気づくことでもございますが、残念ながら、中観帰謬論証派は中国、日本へ正確に伝わることが無く、中国・日本の仏教は大きな問題を最初から抱えざるを得なかったと考えております。<br>
<br>
　これは、もちろんやむを得なかったこともございます・・中国・日本へ仏教が伝来してくる途上、「無我」を説く教典と「我」を説く教典がほぼ同時に流入していたのですから・・大きくは般若思想と如来蔵思想となりますが、両思想が同時に流入すれば様々な混乱が生じるのは当たり前であったのだと考えます。<br>
<br>
  結果として、どちらの教えが正しいのかといつまでも論争を繰り返すことになってしまい、「無我」か、それとも「我」か、両者の統合か、と、それぞれとらわれてしまったままとなっているのが、日本現代仏教が抱える苦悩の一番の問題となっている根本であると存じております。<br>
<br>
　このことを解決するのは、龍樹（ナーガールジュナ）論師以来の中観思想にあり、特にインド・チャンドラキールティ論師からチベット・ゲルク派の開祖・ツォンカパ論師に至るまで展開された帰謬論証派の思想を正確に学ばないと解決は不可能なことであると考えております。<br>
<br>
　龍樹論師の中観思想は日本にも三論宗として伝わったものの、それから発展していった帰謬論証派の思想は残念ながら伝わらないままで、現代に至ってしまったところにおいて、日本仏教の抱えている苦難が続いてしまっているところがあるように存じております。ただ、戦後にチベット仏教哲学、ツォンカパ論師の中観思想が徐々に邦訳・注釈等でも日本にて知られることができてきたため、これからは少しずつ変わっていくようには思うところもございます。<br>
<br>
　とにかく、仏典の言語表現は全て世俗諦の方便として正しく、等しいものであり、そこに優劣など本来はありません。もちろん、あくまでも世俗諦の域で留まってのことであって、仏典の言語表現の一切は、勝義諦を指向するための渡し船に過ぎず、いちいちの仏典の表現や解釈にとらわれて上だ、下だと執着することは大きな誤りを産み出す原因となると考えております。<br>
<br>
　一つは、中論にございます「観法品」（第十八・第六偈）『もろもろの仏は「我〔が有る〕」とも仮説し、「我が無い（無我である）」とも説き、「いかなる我も無く、無我も無い」とも説いている。』〈中論の邦訳は〔中論（上・中・下）三枝充悳訳注　第三文明社・レグルス文庫〕より引用〉ということから、更に帰謬論証派の思想を深く学ぶことによって、しっかりと理解していかなければならないことがあると僭越ながらも存じております。<br>
<br>
　何とかここまでようやくに、ツォンカパ論師の中観思想の学びを本格的に進めていくための入り口付近に来ることができてきたのではないかと、もちろんまだまだの浅学非才の未熟者の身でありながらも思っております。今は学びを一歩でも前へと進めていかねばならないと考えております。<br>
<br>
施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/enginorikai.html">http://oujyouin.com/enginorikai.html</a><br>
施本・「仏教・空の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/topengi.htm">http://oujyouin.com/topengi.htm</a><br>
施本「仏教・空の理解」<br>
<a href="http://oujyouin.com/sunyatop.htm">http://oujyouin.com/sunyatop.htm</a><br>
施本「仏教　〜　一枚の紙から考える　〜」<br>
<a href="http://oujyouin.com/buddhism1p.html">http://oujyouin.com/buddhism1p.html</a><br>
施本「佛の道」<br>
<a href="http://oujyouin.com/hotokenomichi.html">http://oujyouin.com/hotokenomichi.html</a><br>
<br>
・・<br>
<br>
さて、島村大心師のサイト「<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/~sdaisin/">現代仏教学を再生するためのホームページ</a>」におけます<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/cgi-bin/ezboard/sdaisin/1/">掲示板</a>におきまして、いつも意見交換させて頂いておりますS・イマムラ先生が、「Ｃ点による仏教的宇宙論」を著されて、そのご報告がございました。<br>
<br>
「Ｃ点による仏教的宇宙論」<br>
<a href="http://www016.upp.so-net.ne.jp/jikuron/ucyuu/">http://www016.upp.so-net.ne.jp/jikuron/ucyuu/</a><br>
<br>
非常に仏教要諦の「縁起と空」を理解していく上でも重要な論考でございますので、是非、お読みになられましたらと存じております。先生の変わらない真理考究の情熱に厚く敬意を表しますと共に、すばらしい内容に、誠に感極まっております。<br>
<br>
・・<br>
<br>
現在、仏教真理の考究につきましては、「ツォンカパ 中観哲学の研究３」の論著からの学びを進めておりますが、中途で急激にペースダウンしてしまいましたものの、何とかペースを取り戻してまもなく読み終えます。誠にツォンカパ論師の中観思想を学んでゆく上で重要な論著であるかと存じております。ただ、もはや春彼岸での施本第六弾配布は間に合わない状況下でございますが、ある程度の方向性はつかめて参りましたので、鋭意に執筆に取り組み、お盆までには何とか発行したいと考えております。<br>
<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究３」・ケードゥプ・ゲルク・ペルサンポ著　深遠な空性の真実を明らかにする論書・幸いなる者の開眼（千薬大論）上。<br>
<img src="http://stat.ameba.jp/user_images/20100202/11/hidetoshi-k/98/6f/j/t02200293_0240032010398053314.jpg"><br>
<br>
いよいよツォンカパ論師の中観思想を考究する上でも重要な論書を読み進めて参ります。<br>
<br>
施本論考シリーズ第六弾の本格執筆を前に、論著の読み進めを行っております。<br>
<br>
「チベット仏教哲学」松本史朗著・大蔵出版<br>
「ツォンカパの中観思想―ことばによることばの否定」四津谷孝道著・大蔵出版<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究1」<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究2」<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究3」<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究4」<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究5」<br>
「般若経釈 現観荘厳論の研究」兵藤一夫著　文栄堂<br>
「ダライ・ラマ 般若心経入門」ダライ・ラマ14世著、宮坂宥洪翻訳・春秋社<br>
「チベット仏教成就者たちの聖典『道次第・解脱荘厳』解脱の宝飾」<br>
　ガムポパ著・ツルティム・ケサン、藤仲 孝司共訳 UNIO<br>
「心の迷妄を断つ智慧―チベット密教の真髄」<br>
　チュギャム トゥルンパ著・宮坂宥洪訳<br>
「チベット密教 修行の設計図」<br>
　斎藤保高著・春秋社<br>
「チベット密教 心の修行」<br>
　ゲシェー・ソナム・ギャルツェン ゴンタ著、藤田省吾著　法蔵館<br>
「チベット仏教 文殊菩薩(マンジュシュリ)の秘訣」<br>
　ソナム・ギャルツェン・ゴンタ著　法蔵館<br>
<br>
施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/enginorikai.html">http://oujyouin.com/enginorikai.html</a><br>
施本・「仏教・空の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/topengi.htm">http://oujyouin.com/topengi.htm</a><br>
施本「仏教・空の理解」<br>
<a href="http://oujyouin.com/sunyatop.htm">http://oujyouin.com/sunyatop.htm</a><br>
施本「仏教　〜　一枚の紙から考える　〜」<br>
<a href="http://oujyouin.com/buddhism1p.html">http://oujyouin.com/buddhism1p.html</a><br>
施本「佛の道」<br>
<a href="http://oujyouin.com/hotokenomichi.html">http://oujyouin.com/hotokenomichi.html</a><br>
<br>
<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/~sdaisin/">現代仏教学を再生するためのホームページ</a>・<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/cgi-bin/ezboard/sdaisin/1/">掲示板</a>投稿より・・<br>
<br>
mixiのコミュニティ「仏教」におけます中論・「観涅槃品」（第二十五）の最終偈についての考察からの引用抜粋でございます。<br>
<br>
以下、引用抜粋・・<br>
<br>
・・前略・・<br>
<br>
以下、中論の邦訳は〔中論（上・中・下）　三枝充悳訳注　第三文明社・レグルス文庫〕より引用致します。<br>
<br>
中論・「観涅槃品」（第二十五・第二十四偈）『〔ニルヴァーナとは、〕一切の得ること（有所得）が寂滅し、戯論（想定された論議）が寂滅して、吉祥なるものである。ブッダによって、どのような法（教え）も、どのような処でも、だれに対しても、説かれたことはない。』<br>
<br>
まず、前半について考えて参りたいと存じます。<br>
<br>
一切の得ること（有所得）が寂滅し・・縁起的・空性的あり方を理解し、あらゆる一切は実体が無く、得るための主体も、得れる対象となる客体も、いずれにも実体が無いため、何も得る実体たるところも何も得れる実体たるところも無いということであるかと存じます。<br>
<br>
般若心経における「無所得」とほぼ同意の事態のことを示しているものであると考えます。<br>
<br>
戯論（想定された論議）が寂滅・・縁起・空性の理解から、四句分別・「非有、非無、非有無、非「非有非無」（非非有非非無）」を理解し、更に言語活動・言語表現の限界を理解して、もはや一切の想定された論議も止み、「無記」への論理的道筋をしっかりと理解し、最高の真理である勝義諦・第一義諦のありようを真に了解するということであるかと存じております。<br>
<br>
もちろん、このあたりのことは、「二諦をめぐる解釈の問題」が控えておりますが、あらゆる一切における世俗諦と勝義諦のありよう（世俗諦によって勝義諦があり、勝義諦によって世俗諦があるという、縁起的・空性的あり方における勝義諦についての理解も含めて）について了解した上で、「勝義の空」の真たるが何であるかも完全に了解し、様々な虚妄分別・分別執着によって迷い・苦しんでいる者に対して、自由自在に方便を用いながら、その迷い・苦しみを解き放つことができるようになるための仏道が完全に完成し、慈悲の実践を展開していくことに繋がるものであるかと存じております。 ・・中略・・<br>
<br>
後半・・「吉祥なるものである。ブッダによって、どのような法（教え）も、どのような処でも、だれに対しても、説かれたことはない。」<br>
<br>
縁起的・空性的あり方（○によって非○があり、非○によって○があるとして、一応、○も非○もそれぞれ仮において言えるものの、○だけでは○は成り立たない、非○だけでは非○は成り立たない、○にも非○にも実体は無い」）の理解から、無所得（無実体・無自性）、言語道断・無記・戯論寂滅（四句分別の否定「非有、非無、非有無、非「非有非無」（非非有非非無）」）への論理的道筋をしっかりと理解し、最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦のありようを真に了解することは、いかなる虚妄分別・分別執着も打ち破り、いかなる迷い・苦しみもを打ち破る、無上甚深微妙の法にして真なる涅槃に至るための実にすばらしく吉祥なるものである。<br>
<br>
「ブッダによって、どのような法（教え）も、どのような処でも、だれに対しても、説かれたことはない。」・・お釈迦様・諸仏・如来によって、言語活動・言語表現を扱った世俗諦における諸々の教説は、対機説法・方便として、様々な者に対してそれぞれが色々と抱えている虚妄分別・分別執着のその一つ一つを打ち破らせるために説かれているものに過ぎず、最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦としての無上甚深微妙の法のありようは、いかなるところにおいても、誰に対しても説かれたことはない。<br>
<br>
最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦としての無上甚深微妙の法のありようは、それぞれがそれぞれにおいて真に了解すべきものであり、お釈迦様・諸仏・如来の慈悲によって、言語活動・言語表現を扱った世俗諦における諸々の教説から、それぞれが色々と抱えている虚妄分別・分別執着、迷い・苦しみのその一つ一つをそれぞれが打ち破るために、勝義の空・勝義諦・第一義諦を真に了解し、真なる涅槃に至ることが何よりも重要であると存じております。当然にその了解したる最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦は、もはや言語活動・言語表現を超えたものであって、いかなるところにおいても、誰に対しても説けるものでもないと存じております。・・後略・・<br>
<br>
・・引用抜粋ここまで。<br>
<br>
・・<br>
<br>
さて、最近は<a href="http://mixi.jp/">mixi</a>のコミュニティ・仏教のトピック「ダルマキールティ論師の刹那滅論証（瞬間的存在性論証）」におきまして仏教論考を継続させて頂いておりまして、現在は特に龍樹論師「中論」の理解も平行して鋭意進めております。<br>
<br>
そのコメント投稿におきまして、先日のオバマ米大統領・ノーベル平和賞・受賞演説の内容につきまして扱わせて頂きました。<br>
<br>
コミュニティ・仏教<br>
<br>
トピック・ダルマキールティ論師の刹那滅論証（瞬間的存在性論証）<br>
<br>
89　　2009年12月11日 21:50<br>
<br>
引き続きまして、中論・「観涅槃品」（第二十五）を扱いまして、「中論」の説く「ニルヴァーナ（涅槃）」の考察を行って参りたいと存じておりますが、<br>
<br>
少しその前に・・昨日のオバマ米大統領・ノーベル平和賞・受賞演説の内容は誠にやや残念でございました・・<br>
<br>
米大統領選の当選直後にダライ・ラマ14世師と会談した際に、ダライ・ラマ14世師から中観思想の視座によっての平和・戦争のありようについての示唆を得られておられるものであるかとご期待申し上げておりましたが・・「平和のための戦争」を肯定してしまうような受賞演説の内容には少し失望を覚えました・・<br>
<br>
最近のダライ・ラマ14世師との会談を延期したオバマ米大統領のありよう、もちろん、今回の受賞演説の内容のありようも鑑みますと、相当に何らかの圧力があってのことであろうとも存じます・・オバマ米大統領の真意の内容では無いのかもしれませんが・・<br>
<br>
「戦争によって平和がある、平和によって戦争がある」と縁起的・空性的あり方においてそれぞれは仮に言えたとしてもそれぞれは実体の無いものであり、いつまでも平和だ、戦争だと実体視して執着し続けている限り、戦争は決して無くなることはあり得ませんし、真に平和に至ることもあり得ません・・<br>
<br>
戦争利権を貪り、執着するものたちがいるかぎり、そのものたちが虚妄分別・分別執着で自作自演にて産み出し続けながら、しかも変化してゆく「平和」と「戦争」の定義に、世界の人々が実体視して執着させられてしまう限り、戦争は無くならず、真なる平和も得られないものでありますでしょう・・<br>
<br>
このことは、最近の環境利権においても同様のことが言えるかと存じますが・・<br>
<br>
誠にどこか寂しい限りでございますね・・<br>
<br>
もちろん・・<br>
<br>
以前にも引用にてコメントを述べさせて頂きましたこととなりますが、<br>
<br>
以下、引用・・<br>
<br>
国家破綻研究ブログ<br>
<a href="http://gijutsu.exblog.jp/">http://gijutsu.exblog.jp/</a><br>
<br>
リーマンショック１周年　何が明らかになり、何が変わったのか　変わらない強欲<br>
<a href="http://gijutsu.exblog.jp/8971065/">http://gijutsu.exblog.jp/8971065/</a><br>
<br>
におきましてコメント投稿させて頂いておりますように、<br>
<br>
「リーマンショックから一年を振り返ってのまさに的確な分析であると存じます。確かに、「世界経済奥の院」が現在進行形で一体何をどうしたいのかということは、なかなか読み解くことは難しくあります。ただ世の流動における歴史の厳然たる結果を見ると、遡って、ああ、そういうことを考えていたのかということは理解することはできます。しかし、その内実のほとんどはkanconsultingさんのおっしゃる通りに傲慢に利権を貪る者の「強欲さ」が反映されているものばかりであり、相変わらず浅ましく下らない愚かなことの繰り返しであります・・<br>
<br>
この負の連鎖をいい加減に断ち切らない限りは、同じことの繰り返しとなってしまいます・・私はこの繰り返し（輪廻）を断ち切るには、お釈迦様の仏法真理とその実践（慈悲）が必要であると強く考えております。特に現代社会においては、ナーガールジュナ（龍樹）論師以来の仏教・中観思想の考究とそこからの実践が重要と存じております。」<br>
<br>
と致しまして、「世界経済奥の院」の強欲・傲慢さが生み出し続ける数々の人間世界の苦しみを無くすためには、何としても「世界経済奥の院」たちに仏法真理、その一つとしての中観思想も学んで頂き、理解して頂いて、そして、そこからの慈悲の実践を行ってほしいという想いがございます。<br>
<br>
・・引用ここまで。<br>
<br>
このように述べさせて頂きましたように、中観思想の学びとそこからの実践は実に現代世界においては重要であると存じております。<br>
<br>
とにかく、あまりにも微力でありまして、浅学菲才の未熟者でございますが、少しでも中観思想の学びとそこからの実践を行っていけましたらと存じております。<br>
<br>
誠に皆様方におかれましては、ご賢察賜りまして、ご理解を賜れますよう、何卒、宜しくお願い申し上げます。 <br>
<br>
・・ここまで。<br>
<br>
とにかく中観思想の学びとその実践が、現代社会においては誠に重要であると存じております。誠に一つ一つでございます。<br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51518341.html">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第三弾</a><br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/oujyouin/archives/51552614.html">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第二弾</a><br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/2008-11.html#20081110">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第一弾</a>]]></content:encoded>
  </item>
  <item rdf:about="http://hide.noblog.net/blog/10954882.html">
    <title>
			島村大心師　最新ご論文のアップロード案内
		</title>
    <link>http://hide.noblog.net/blog/10954882.html</link>
    <description>島村大心師のサイト「現代仏教学を再生するためのホームページ」におきまして、島村大心師の2月28日付けご論文がアップロードなされております。是非、皆様におかれましてもご熟読、ご熟考の程を賜れましたらと存じております。  誠に浅学非才の未熟者ではござ...</description>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2010-03-01T18:47:59+09:00</dc:date>
    <content:encoded><![CDATA[島村大心師のサイト「<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/~sdaisin/">現代仏教学を再生するためのホームページ</a>」におきまして、島村大心師の2月28日付けご論文がアップロードなされております。是非、皆様におかれましてもご熟読、ご熟考の程を賜れましたらと存じております。<br>
<br>
誠に浅学非才の未熟者ではございますが、師が長年のご考究にてまとめておられます「真如の分類」・「真如の内実」につきまして、鋭意学びを進めさせて頂こうと存じております。<br>
<br>
・・<br>
<br>
下記は、平成22年・春彼岸配布の一般用しおりに添付させて頂きます私の拙文でございます。施本第六弾の発行が間に合いませんでしたので、その代わりとしての拙文となります。<br>
<br>
「インド仏教思想・中期から後期の展開について」　川口　英俊　拝<br>
<br>
　さて、昨年末までのほぼ二年間にわたりまして、浅学菲才の未熟者ではございますが、初期仏教から中期大乗仏教までの学びを私なりに進めさせて頂いて参りました。<br>
<br>
　この間、法要の際に皆様に配布させて頂きます施本を著させて頂きまして、その学びの私なりの成果をお示しさせて頂いて参りました。現在は、特に龍樹（ナーガールジュナ）論師以来の中観思想から更に展開された帰謬論証派の思想につきましての学びを進めさせて頂いております。<br>
<br>
　さて、中期大乗仏教におきましては、中観思想・唯識思想の発展に伴ってキラ星のごとくに学者・論師が輩出され、仏教論理学・認識学は大いに議論が展開されて参りました。<br>
<br>
　唯識思想から初期仏教論理学を大成したディグナーガ論師、ディグナーガ論師の論理学を中観思想の立場から方法論を確立させたバーヴィヴェーカ論師（中観自立論証派）、そのバーヴィヴェーカ論師を批判し、中観思想を更に発展させたチャンドラキールティ論師（中観帰謬論証派）、ディグナーガ論師の論理学を唯識思想の立場から発展させ、インド論理学最高峰とされるダルマキールティ論師、更にダルマキールティ論師の立場を中観思想の立場から発展させたジュニャーナガルバ論師・シャーンタラクシタ論師・カマラシーラ論師・ハリバドラ論師などが登場し、唯識思想とも統合して論理学・認識学を発展させ、瑜伽行唯識学派と共に瑜伽行中観学派も形成されました。<br>
<br>
　やがてインドにおいて仏教が衰退すると、その後はチベットにおいて仏教論理学・認識学の議論が展開されて参りますが、チベットでは、代々のダライ・ラマが所属するゲルク派（黄帽派）の開祖であるツォンカパ論師によって、チャンドラキールティ論師以来の中観帰謬論証派の思想発展が最高潮に達し、チベット仏教教学が確立されることとなりました。チベットの仏教と言いますと、どうしても「密教」というイメージが前面に出て参りますが、私はチベット密教を理解する上では、その前提として中観思想の学びは欠かすことができないものであると考えております。<br>
<br>
　とにかく、これから取り組みを目指しております後期大乗仏教の学びのためには、中観思想・唯識思想の学び、論理学・認識学の学びは非常に重要であり、難解ながらもしっかりと進めなければならないと存じております。<br>
<br>
　これまで私なりに学びまして理解して参りましたことにつきましては、これまで発行させて頂いております「施本シリーズ」をお読み下さいましたら幸いでございます。ホームページでも公開させて頂いております。また、更に最新の論考をまとめて発行できましたらと考えております。<br>
<br>
<br>
「中観帰謬論証派の学びのススメ」　川口　英俊　拝<br>
<br>
　現時点におけます、私の仏教の学びの進めの一つの整理と致しましては、現代日本仏教のあり方に疑念を生じて以降、現代日本仏教がなぜ今のような現状に陥ってしまっているのかについて、根本・初期仏教から学び直しを進め始めまして、初期大乗仏教、唯識思想・中観思想の発展と中期大乗仏教の学びを進めていく中におきまして、ある程度問題点を明確化することができて参りました。<br>
<br>
　現時点におけます結論と致しましては、大きく仏典の説く仏説の相違の扱いにおいて、インドから日本に渡ってきた仏教を解釈する際において根本的な誤りがあったためであると考えております。<br>
<br>
　インド、中国、日本と仏教が渡ってくる中、なぜ、数多くの著された仏典の中で、仏説・教義の相違があるのかを真に理解できないままに、教典にとらわれて、教典に優劣を付けて、教義に優劣を付けて、醜い争いを展開し、これが一番の教えだ、私たちの教義が最も優れていると、そのようなくだらないことで終始したところが少なからずもあるように存じております。<br>
<br>
　そのようなことでは、争い、様々な堕落と衰退もしかるべきであろうと思う次第でございます。<br>
<br>
　上記のことは、中観思想の帰謬論証派の学びを進めていけば、容易に気づくことでもございますが、残念ながら、中観帰謬論証派は中国、日本へ正確に伝わることが無く、中国・日本の仏教は大きな問題を最初から抱えざるを得なかったと考えております。<br>
<br>
　これは、もちろんやむを得なかったこともございます・・中国・日本へ仏教が伝来してくる途上、「無我」を説く教典と「我」を説く教典がほぼ同時に流入していたのですから・・大きくは般若思想と如来蔵思想となりますが、両思想が同時に流入すれば様々な混乱が生じるのは当たり前であったのだと考えます。<br>
<br>
  結果として、どちらの教えが正しいのかといつまでも論争を繰り返すことになってしまい、「無我」か、それとも「我」か、両者の統合か、と、それぞれとらわれてしまったままとなっているのが、日本現代仏教が抱える苦悩の一番の問題となっている根本であると存じております。<br>
<br>
　このことを解決するのは、龍樹（ナーガールジュナ）論師以来の中観思想にあり、特にインド・チャンドラキールティ論師からチベット・ゲルク派の開祖・ツォンカパ論師に至るまで展開された帰謬論証派の思想を正確に学ばないと解決は不可能なことであると考えております。<br>
<br>
　龍樹論師の中観思想は日本にも三論宗として伝わったものの、それから発展していった帰謬論証派の思想は残念ながら伝わらないままで、現代に至ってしまったところにおいて、日本仏教の抱えている苦難が続いてしまっているところがあるように存じております。ただ、戦後にチベット仏教哲学、ツォンカパ論師の中観思想が徐々に邦訳・注釈等でも日本にて知られることができてきたため、これからは少しずつ変わっていくようには思うところもございます。<br>
<br>
　とにかく、仏典の言語表現は全て世俗諦の方便として正しく、等しいものであり、そこに優劣など本来はありません。もちろん、あくまでも世俗諦の域で留まってのことであって、仏典の言語表現の一切は、勝義諦を指向するための渡し船に過ぎず、いちいちの仏典の表現や解釈にとらわれて上だ、下だと執着することは大きな誤りを産み出す原因となると考えております。<br>
<br>
　一つは、中論にございます「観法品」（第十八・第六偈）『もろもろの仏は「我〔が有る〕」とも仮説し、「我が無い（無我である）」とも説き、「いかなる我も無く、無我も無い」とも説いている。』〈中論の邦訳は〔中論（上・中・下）三枝充悳訳注　第三文明社・レグルス文庫〕より引用〉ということから、更に帰謬論証派の思想を深く学ぶことによって、しっかりと理解していかなければならないことがあると僭越ながらも存じております。<br>
<br>
　何とかここまでようやくに、ツォンカパ論師の中観思想の学びを本格的に進めていくための入り口付近に来ることができてきたのではないかと、もちろんまだまだの浅学非才の未熟者の身でありながらも思っております。今は学びを一歩でも前へと進めていかねばならないと考えております。<br>
<br>
施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/enginorikai.html">http://oujyouin.com/enginorikai.html</a><br>
施本・「仏教・空の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/topengi.htm">http://oujyouin.com/topengi.htm</a><br>
施本「仏教・空の理解」<br>
<a href="http://oujyouin.com/sunyatop.htm">http://oujyouin.com/sunyatop.htm</a><br>
施本「仏教　〜　一枚の紙から考える　〜」<br>
<a href="http://oujyouin.com/buddhism1p.html">http://oujyouin.com/buddhism1p.html</a><br>
施本「佛の道」<br>
<a href="http://oujyouin.com/hotokenomichi.html">http://oujyouin.com/hotokenomichi.html</a><br>
<br>
・・<br>
<br>
さて、島村大心師のサイト「<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/~sdaisin/">現代仏教学を再生するためのホームページ</a>」におけます<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/cgi-bin/ezboard/sdaisin/1/">掲示板</a>におきまして、いつも意見交換させて頂いておりますS・イマムラ先生が、「Ｃ点による仏教的宇宙論」を著されて、そのご報告がございました。<br>
<br>
「Ｃ点による仏教的宇宙論」<br>
<a href="http://www016.upp.so-net.ne.jp/jikuron/ucyuu/">http://www016.upp.so-net.ne.jp/jikuron/ucyuu/</a><br>
<br>
非常に仏教要諦の「縁起と空」を理解していく上でも重要な論考でございますので、是非、お読みになられましたらと存じております。先生の変わらない真理考究の情熱に厚く敬意を表しますと共に、すばらしい内容に、誠に感極まっております。<br>
<br>
・・<br>
<br>
現在、仏教真理の考究につきましては、「ツォンカパ 中観哲学の研究３」の論著からの学びを進めておりますが、中途で急激にペースダウンしてしまいましたものの、何とかペースを取り戻してまもなく読み終えます。誠にツォンカパ論師の中観思想を学んでゆく上で重要な論著であるかと存じております。ただ、もはや春彼岸での施本第六弾配布は間に合わない状況下でございますが、ある程度の方向性はつかめて参りましたので、鋭意に執筆に取り組み、お盆までには何とか発行したいと考えております。<br>
<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究３」・ケードゥプ・ゲルク・ペルサンポ著　深遠な空性の真実を明らかにする論書・幸いなる者の開眼（千薬大論）上。<br>
<img src="http://stat.ameba.jp/user_images/20100202/11/hidetoshi-k/98/6f/j/t02200293_0240032010398053314.jpg"><br>
<br>
いよいよツォンカパ論師の中観思想を考究する上でも重要な論書を読み進めて参ります。<br>
<br>
施本論考シリーズ第六弾の本格執筆を前に、論著の読み進めを行っております。<br>
<br>
「チベット仏教哲学」松本史朗著・大蔵出版<br>
「ツォンカパの中観思想―ことばによることばの否定」四津谷孝道著・大蔵出版<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究1」<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究2」<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究3」<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究4」<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究5」<br>
「般若経釈 現観荘厳論の研究」兵藤一夫著　文栄堂<br>
「ダライ・ラマ 般若心経入門」ダライ・ラマ14世著、宮坂宥洪翻訳・春秋社<br>
「チベット仏教成就者たちの聖典『道次第・解脱荘厳』解脱の宝飾」<br>
　ガムポパ著・ツルティム・ケサン、藤仲 孝司共訳 UNIO<br>
「心の迷妄を断つ智慧―チベット密教の真髄」<br>
　チュギャム トゥルンパ著・宮坂宥洪訳<br>
「チベット密教 修行の設計図」<br>
　斎藤保高著・春秋社<br>
「チベット密教 心の修行」<br>
　ゲシェー・ソナム・ギャルツェン ゴンタ著、藤田省吾著　法蔵館<br>
「チベット仏教 文殊菩薩(マンジュシュリ)の秘訣」<br>
　ソナム・ギャルツェン・ゴンタ著　法蔵館<br>
<br>
施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/enginorikai.html">http://oujyouin.com/enginorikai.html</a><br>
施本・「仏教・空の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/topengi.htm">http://oujyouin.com/topengi.htm</a><br>
施本「仏教・空の理解」<br>
<a href="http://oujyouin.com/sunyatop.htm">http://oujyouin.com/sunyatop.htm</a><br>
施本「仏教　〜　一枚の紙から考える　〜」<br>
<a href="http://oujyouin.com/buddhism1p.html">http://oujyouin.com/buddhism1p.html</a><br>
施本「佛の道」<br>
<a href="http://oujyouin.com/hotokenomichi.html">http://oujyouin.com/hotokenomichi.html</a><br>
<br>
<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/~sdaisin/">現代仏教学を再生するためのホームページ</a>・<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/cgi-bin/ezboard/sdaisin/1/">掲示板</a>投稿より・・<br>
<br>
mixiのコミュニティ「仏教」におけます中論・「観涅槃品」（第二十五）の最終偈についての考察からの引用抜粋でございます。<br>
<br>
以下、引用抜粋・・<br>
<br>
・・前略・・<br>
<br>
以下、中論の邦訳は〔中論（上・中・下）　三枝充悳訳注　第三文明社・レグルス文庫〕より引用致します。<br>
<br>
中論・「観涅槃品」（第二十五・第二十四偈）『〔ニルヴァーナとは、〕一切の得ること（有所得）が寂滅し、戯論（想定された論議）が寂滅して、吉祥なるものである。ブッダによって、どのような法（教え）も、どのような処でも、だれに対しても、説かれたことはない。』<br>
<br>
まず、前半について考えて参りたいと存じます。<br>
<br>
一切の得ること（有所得）が寂滅し・・縁起的・空性的あり方を理解し、あらゆる一切は実体が無く、得るための主体も、得れる対象となる客体も、いずれにも実体が無いため、何も得る実体たるところも何も得れる実体たるところも無いということであるかと存じます。<br>
<br>
般若心経における「無所得」とほぼ同意の事態のことを示しているものであると考えます。<br>
<br>
戯論（想定された論議）が寂滅・・縁起・空性の理解から、四句分別・「非有、非無、非有無、非「非有非無」（非非有非非無）」を理解し、更に言語活動・言語表現の限界を理解して、もはや一切の想定された論議も止み、「無記」への論理的道筋をしっかりと理解し、最高の真理である勝義諦・第一義諦のありようを真に了解するということであるかと存じております。<br>
<br>
もちろん、このあたりのことは、「二諦をめぐる解釈の問題」が控えておりますが、あらゆる一切における世俗諦と勝義諦のありよう（世俗諦によって勝義諦があり、勝義諦によって世俗諦があるという、縁起的・空性的あり方における勝義諦についての理解も含めて）について了解した上で、「勝義の空」の真たるが何であるかも完全に了解し、様々な虚妄分別・分別執着によって迷い・苦しんでいる者に対して、自由自在に方便を用いながら、その迷い・苦しみを解き放つことができるようになるための仏道が完全に完成し、慈悲の実践を展開していくことに繋がるものであるかと存じております。 ・・中略・・<br>
<br>
後半・・「吉祥なるものである。ブッダによって、どのような法（教え）も、どのような処でも、だれに対しても、説かれたことはない。」<br>
<br>
縁起的・空性的あり方（○によって非○があり、非○によって○があるとして、一応、○も非○もそれぞれ仮において言えるものの、○だけでは○は成り立たない、非○だけでは非○は成り立たない、○にも非○にも実体は無い」）の理解から、無所得（無実体・無自性）、言語道断・無記・戯論寂滅（四句分別の否定「非有、非無、非有無、非「非有非無」（非非有非非無）」）への論理的道筋をしっかりと理解し、最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦のありようを真に了解することは、いかなる虚妄分別・分別執着も打ち破り、いかなる迷い・苦しみもを打ち破る、無上甚深微妙の法にして真なる涅槃に至るための実にすばらしく吉祥なるものである。<br>
<br>
「ブッダによって、どのような法（教え）も、どのような処でも、だれに対しても、説かれたことはない。」・・お釈迦様・諸仏・如来によって、言語活動・言語表現を扱った世俗諦における諸々の教説は、対機説法・方便として、様々な者に対してそれぞれが色々と抱えている虚妄分別・分別執着のその一つ一つを打ち破らせるために説かれているものに過ぎず、最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦としての無上甚深微妙の法のありようは、いかなるところにおいても、誰に対しても説かれたことはない。<br>
<br>
最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦としての無上甚深微妙の法のありようは、それぞれがそれぞれにおいて真に了解すべきものであり、お釈迦様・諸仏・如来の慈悲によって、言語活動・言語表現を扱った世俗諦における諸々の教説から、それぞれが色々と抱えている虚妄分別・分別執着、迷い・苦しみのその一つ一つをそれぞれが打ち破るために、勝義の空・勝義諦・第一義諦を真に了解し、真なる涅槃に至ることが何よりも重要であると存じております。当然にその了解したる最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦は、もはや言語活動・言語表現を超えたものであって、いかなるところにおいても、誰に対しても説けるものでもないと存じております。・・後略・・<br>
<br>
・・引用抜粋ここまで。<br>
<br>
・・<br>
<br>
さて、最近は<a href="http://mixi.jp/">mixi</a>のコミュニティ・仏教のトピック「ダルマキールティ論師の刹那滅論証（瞬間的存在性論証）」におきまして仏教論考を継続させて頂いておりまして、現在は特に龍樹論師「中論」の理解も平行して鋭意進めております。<br>
<br>
そのコメント投稿におきまして、先日のオバマ米大統領・ノーベル平和賞・受賞演説の内容につきまして扱わせて頂きました。<br>
<br>
コミュニティ・仏教<br>
<br>
トピック・ダルマキールティ論師の刹那滅論証（瞬間的存在性論証）<br>
<br>
89　　2009年12月11日 21:50<br>
<br>
引き続きまして、中論・「観涅槃品」（第二十五）を扱いまして、「中論」の説く「ニルヴァーナ（涅槃）」の考察を行って参りたいと存じておりますが、<br>
<br>
少しその前に・・昨日のオバマ米大統領・ノーベル平和賞・受賞演説の内容は誠にやや残念でございました・・<br>
<br>
米大統領選の当選直後にダライ・ラマ14世師と会談した際に、ダライ・ラマ14世師から中観思想の視座によっての平和・戦争のありようについての示唆を得られておられるものであるかとご期待申し上げておりましたが・・「平和のための戦争」を肯定してしまうような受賞演説の内容には少し失望を覚えました・・<br>
<br>
最近のダライ・ラマ14世師との会談を延期したオバマ米大統領のありよう、もちろん、今回の受賞演説の内容のありようも鑑みますと、相当に何らかの圧力があってのことであろうとも存じます・・オバマ米大統領の真意の内容では無いのかもしれませんが・・<br>
<br>
「戦争によって平和がある、平和によって戦争がある」と縁起的・空性的あり方においてそれぞれは仮に言えたとしてもそれぞれは実体の無いものであり、いつまでも平和だ、戦争だと実体視して執着し続けている限り、戦争は決して無くなることはあり得ませんし、真に平和に至ることもあり得ません・・<br>
<br>
戦争利権を貪り、執着するものたちがいるかぎり、そのものたちが虚妄分別・分別執着で自作自演にて産み出し続けながら、しかも変化してゆく「平和」と「戦争」の定義に、世界の人々が実体視して執着させられてしまう限り、戦争は無くならず、真なる平和も得られないものでありますでしょう・・<br>
<br>
このことは、最近の環境利権においても同様のことが言えるかと存じますが・・<br>
<br>
誠にどこか寂しい限りでございますね・・<br>
<br>
もちろん・・<br>
<br>
以前にも引用にてコメントを述べさせて頂きましたこととなりますが、<br>
<br>
以下、引用・・<br>
<br>
国家破綻研究ブログ<br>
<a href="http://gijutsu.exblog.jp/">http://gijutsu.exblog.jp/</a><br>
<br>
リーマンショック１周年　何が明らかになり、何が変わったのか　変わらない強欲<br>
<a href="http://gijutsu.exblog.jp/8971065/">http://gijutsu.exblog.jp/8971065/</a><br>
<br>
におきましてコメント投稿させて頂いておりますように、<br>
<br>
「リーマンショックから一年を振り返ってのまさに的確な分析であると存じます。確かに、「世界経済奥の院」が現在進行形で一体何をどうしたいのかということは、なかなか読み解くことは難しくあります。ただ世の流動における歴史の厳然たる結果を見ると、遡って、ああ、そういうことを考えていたのかということは理解することはできます。しかし、その内実のほとんどはkanconsultingさんのおっしゃる通りに傲慢に利権を貪る者の「強欲さ」が反映されているものばかりであり、相変わらず浅ましく下らない愚かなことの繰り返しであります・・<br>
<br>
この負の連鎖をいい加減に断ち切らない限りは、同じことの繰り返しとなってしまいます・・私はこの繰り返し（輪廻）を断ち切るには、お釈迦様の仏法真理とその実践（慈悲）が必要であると強く考えております。特に現代社会においては、ナーガールジュナ（龍樹）論師以来の仏教・中観思想の考究とそこからの実践が重要と存じております。」<br>
<br>
と致しまして、「世界経済奥の院」の強欲・傲慢さが生み出し続ける数々の人間世界の苦しみを無くすためには、何としても「世界経済奥の院」たちに仏法真理、その一つとしての中観思想も学んで頂き、理解して頂いて、そして、そこからの慈悲の実践を行ってほしいという想いがございます。<br>
<br>
・・引用ここまで。<br>
<br>
このように述べさせて頂きましたように、中観思想の学びとそこからの実践は実に現代世界においては重要であると存じております。<br>
<br>
とにかく、あまりにも微力でありまして、浅学菲才の未熟者でございますが、少しでも中観思想の学びとそこからの実践を行っていけましたらと存じております。<br>
<br>
誠に皆様方におかれましては、ご賢察賜りまして、ご理解を賜れますよう、何卒、宜しくお願い申し上げます。 <br>
<br>
・・ここまで。<br>
<br>
とにかく中観思想の学びとその実践が、現代社会においては誠に重要であると存じております。誠に一つ一つでございます。<br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51518341.html">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第三弾</a><br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/oujyouin/archives/51552614.html">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第二弾</a><br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/2008-11.html#20081110">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第一弾</a>]]></content:encoded>
  </item>
  <item rdf:about="http://hide.noblog.net/blog/10954232.html">
    <title>
			平成22年・春彼岸配布一般用しおり添付の拙文
		</title>
    <link>http://hide.noblog.net/blog/10954232.html</link>
    <description>下記は、平成22年・春彼岸配布の一般用しおりに添付させて頂きます私の拙文でございます。施本第六弾の発行が間に合いませんでしたので、その代わりとしての拙文となります。  「インド仏教思想・中期から後期の展開について」　川口　英俊　拝  　さて、昨年...</description>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2010-02-28T18:53:59+09:00</dc:date>
    <content:encoded><![CDATA[下記は、平成22年・春彼岸配布の一般用しおりに添付させて頂きます私の拙文でございます。施本第六弾の発行が間に合いませんでしたので、その代わりとしての拙文となります。<br>
<br>
「インド仏教思想・中期から後期の展開について」　川口　英俊　拝<br>
<br>
　さて、昨年末までのほぼ二年間にわたりまして、浅学菲才の未熟者ではございますが、初期仏教から中期大乗仏教までの学びを私なりに進めさせて頂いて参りました。<br>
<br>
　この間、法要の際に皆様に配布させて頂きます施本を著させて頂きまして、その学びの私なりの成果をお示しさせて頂いて参りました。現在は、特に龍樹（ナーガールジュナ）論師以来の中観思想から更に展開された帰謬論証派の思想につきましての学びを進めさせて頂いております。<br>
<br>
　さて、中期大乗仏教におきましては、中観思想・唯識思想の発展に伴ってキラ星のごとくに学者・論師が輩出され、仏教論理学・認識学は大いに議論が展開されて参りました。<br>
<br>
　唯識思想から初期仏教論理学を大成したディグナーガ論師、ディグナーガ論師の論理学を中観思想の立場から方法論を確立させたバーヴィヴェーカ論師（中観自立論証派）、そのバーヴィヴェーカ論師を批判し、中観思想を更に発展させたチャンドラキールティ論師（中観帰謬論証派）、ディグナーガ論師の論理学を唯識思想の立場から発展させ、インド論理学最高峰とされるダルマキールティ論師、更にダルマキールティ論師の立場を中観思想の立場から発展させたジュニャーナガルバ論師・シャーンタラクシタ論師・カマラシーラ論師・ハリバドラ論師などが登場し、唯識思想とも統合して論理学・認識学を発展させ、瑜伽行唯識学派と共に瑜伽行中観学派も形成されました。<br>
<br>
　やがてインドにおいて仏教が衰退すると、その後はチベットにおいて仏教論理学・認識学の議論が展開されて参りますが、チベットでは、代々のダライ・ラマが所属するゲルク派（黄帽派）の開祖であるツォンカパ論師によって、チャンドラキールティ論師以来の中観帰謬論証派の思想発展が最高潮に達し、チベット仏教教学が確立されることとなりました。チベットの仏教と言いますと、どうしても「密教」というイメージが前面に出て参りますが、私はチベット密教を理解する上では、その前提として中観思想の学びは欠かすことができないものであると考えております。<br>
<br>
　とにかく、これから取り組みを目指しております後期大乗仏教の学びのためには、中観思想・唯識思想の学び、論理学・認識学の学びは非常に重要であり、難解ながらもしっかりと進めなければならないと存じております。<br>
<br>
　これまで私なりに学びまして理解して参りましたことにつきましては、これまで発行させて頂いております「施本シリーズ」をお読み下さいましたら幸いでございます。ホームページでも公開させて頂いております。また、更に最新の論考をまとめて発行できましたらと考えております。<br>
<br>
<br>
「中観帰謬論証派の学びのススメ」　川口　英俊　拝<br>
<br>
　現時点におけます、私の仏教の学びの進めの一つの整理と致しましては、現代日本仏教のあり方に疑念を生じて以降、現代日本仏教がなぜ今のような現状に陥ってしまっているのかについて、根本・初期仏教から学び直しを進め始めまして、初期大乗仏教、唯識思想・中観思想の発展と中期大乗仏教の学びを進めていく中におきまして、ある程度問題点を明確化することができて参りました。<br>
<br>
　現時点におけます結論と致しましては、大きく仏典の説く仏説の相違の扱いにおいて、インドから日本に渡ってきた仏教を解釈する際において根本的な誤りがあったためであると考えております。<br>
<br>
　インド、中国、日本と仏教が渡ってくる中、なぜ、数多くの著された仏典の中で、仏説・教義の相違があるのかを真に理解できないままに、教典にとらわれて、教典に優劣を付けて、教義に優劣を付けて、醜い争いを展開し、これが一番の教えだ、私たちの教義が最も優れていると、そのようなくだらないことで終始したところが少なからずもあるように存じております。<br>
<br>
　そのようなことでは、争い、様々な堕落と衰退もしかるべきであろうと思う次第でございます。<br>
<br>
　上記のことは、中観思想の帰謬論証派の学びを進めていけば、容易に気づくことでもございますが、残念ながら、中観帰謬論証派は中国、日本へ正確に伝わることが無く、中国・日本の仏教は大きな問題を最初から抱えざるを得なかったと考えております。<br>
<br>
　これは、もちろんやむを得なかったこともございます・・中国・日本へ仏教が伝来してくる途上、「無我」を説く教典と「我」を説く教典がほぼ同時に流入していたのですから・・大きくは般若思想と如来蔵思想となりますが、両思想が同時に流入すれば様々な混乱が生じるのは当たり前であったのだと考えます。<br>
結果として、どちらの教えが正しいのかといつまでも論争を繰り返すことになってしまい、「無我」か、それとも「我」か、両者の統合か、と、それぞれとらわれてしまったままとなっているのが、日本現代仏教が抱える苦悩の一番の問題となっている根本であると存じております。<br>
<br>
　このことを解決するのは、龍樹（ナーガールジュナ）論師以来の中観思想にあり、特にインド・チャンドラキールティ論師からチベット・ゲルク派の開祖・ツォンカパ論師に至るまで展開された帰謬論証派の思想を正確に学ばないと解決は不可能なことであると考えております。<br>
<br>
　龍樹論師の中観思想は日本にも三論宗として伝わったものの、それから発展していった帰謬論証派の思想は残念ながら伝わらないままで、現代に至ってしまったところにおいて、日本仏教の抱えている苦難が続いてしまっているところがあるように存じております。ただ、戦後にチベット仏教哲学、ツォンカパ論師の中観思想が徐々に邦訳・注釈等でも日本にて知られることができてきたため、これからは少しずつ変わっていくようには思うところもございます。<br>
<br>
　とにかく、仏典の言語表現は全て世俗諦の方便として正しく、等しいものであり、そこに優劣など本来はありません。もちろん、あくまでも世俗諦の域で留まってのことであって、仏典の言語表現の一切は、勝義諦を指向するための渡し船に過ぎず、いちいちの仏典の表現や解釈にとらわれて上だ、下だと執着することは大きな誤りを産み出す原因となると考えております。<br>
<br>
　一つは、中論にございます「観法品」（第十八・第六偈）『もろもろの仏は「我〔が有る〕」とも仮説し、「我が無い（無我である）」とも説き、「いかなる我も無く、無我も無い」とも説いている。』〈中論の邦訳は〔中論（上・中・下）三枝充悳訳注　第三文明社・レグルス文庫〕より引用〉ということから、更に帰謬論証派の思想を深く学ぶことによって、しっかりと理解していかなければならないことがあると僭越ながらも存じております。<br>
<br>
　何とかここまでようやくに、ツォンカパ論師の中観思想の学びを本格的に進めていくための入り口付近に来ることができてきたのではないかと、もちろんまだまだの浅学非才の未熟者の身でありながらも思っております。今は学びを一歩でも前へと進めていかねばならないと考えております。<br>
<br>
施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/enginorikai.html">http://oujyouin.com/enginorikai.html</a><br>
施本・「仏教・空の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/topengi.htm">http://oujyouin.com/topengi.htm</a><br>
施本「仏教・空の理解」<br>
<a href="http://oujyouin.com/sunyatop.htm">http://oujyouin.com/sunyatop.htm</a><br>
施本「仏教　〜　一枚の紙から考える　〜」<br>
<a href="http://oujyouin.com/buddhism1p.html">http://oujyouin.com/buddhism1p.html</a><br>
施本「佛の道」<br>
<a href="http://oujyouin.com/hotokenomichi.html">http://oujyouin.com/hotokenomichi.html</a><br>
<br>
・・<br>
<br>
さて、島村大心師のサイト「<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/~sdaisin/">現代仏教学を再生するためのホームページ</a>」におけます<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/cgi-bin/ezboard/sdaisin/1/">掲示板</a>におきまして、いつも意見交換させて頂いておりますS・イマムラ先生が、「Ｃ点による仏教的宇宙論」を著されて、そのご報告がございました。<br>
<br>
「Ｃ点による仏教的宇宙論」<br>
<a href="http://www016.upp.so-net.ne.jp/jikuron/ucyuu/">http://www016.upp.so-net.ne.jp/jikuron/ucyuu/</a><br>
<br>
非常に仏教要諦の「縁起と空」を理解していく上でも重要な論考でございますので、是非、お読みになられましたらと存じております。先生の変わらない真理考究の情熱に厚く敬意を表しますと共に、すばらしい内容に、誠に感極まっております。<br>
<br>
・・<br>
<br>
現在、仏教真理の考究につきましては、「ツォンカパ 中観哲学の研究３」の論著からの学びを進めておりますが、中途で急激にペースダウンしてしまいましたものの、何とかペースを取り戻してまもなく読み終えます。誠にツォンカパ論師の中観思想を学んでゆく上で重要な論著であるかと存じております。ただ、もはや春彼岸での施本第六弾配布は間に合わない状況下でございますが、ある程度の方向性はつかめて参りましたので、鋭意に執筆に取り組み、お盆までには何とか発行したいと考えております。<br>
<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究３」・ケードゥプ・ゲルク・ペルサンポ著　深遠な空性の真実を明らかにする論書・幸いなる者の開眼（千薬大論）上。<br>
<img src="http://stat.ameba.jp/user_images/20100202/11/hidetoshi-k/98/6f/j/t02200293_0240032010398053314.jpg"><br>
<br>
いよいよツォンカパ論師の中観思想を考究する上でも重要な論書を読み進めて参ります。<br>
<br>
施本論考シリーズ第六弾の本格執筆を前に、論著の読み進めを行っております。<br>
<br>
「チベット仏教哲学」松本史朗著・大蔵出版<br>
「ツォンカパの中観思想―ことばによることばの否定」四津谷孝道著・大蔵出版<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究1」<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究2」<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究3」<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究4」<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究5」<br>
「般若経釈 現観荘厳論の研究」兵藤一夫著　文栄堂<br>
「ダライ・ラマ 般若心経入門」ダライ・ラマ14世著、宮坂宥洪翻訳・春秋社<br>
「チベット仏教成就者たちの聖典『道次第・解脱荘厳』解脱の宝飾」<br>
　ガムポパ著・ツルティム・ケサン、藤仲 孝司共訳 UNIO<br>
「心の迷妄を断つ智慧―チベット密教の真髄」<br>
　チュギャム トゥルンパ著・宮坂宥洪訳<br>
「チベット密教 修行の設計図」<br>
　斎藤保高著・春秋社<br>
「チベット密教 心の修行」<br>
　ゲシェー・ソナム・ギャルツェン ゴンタ著、藤田省吾著　法蔵館<br>
「チベット仏教 文殊菩薩(マンジュシュリ)の秘訣」<br>
　ソナム・ギャルツェン・ゴンタ著　法蔵館<br>
<br>
施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/enginorikai.html">http://oujyouin.com/enginorikai.html</a><br>
施本・「仏教・空の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/topengi.htm">http://oujyouin.com/topengi.htm</a><br>
施本「仏教・空の理解」<br>
<a href="http://oujyouin.com/sunyatop.htm">http://oujyouin.com/sunyatop.htm</a><br>
施本「仏教　〜　一枚の紙から考える　〜」<br>
<a href="http://oujyouin.com/buddhism1p.html">http://oujyouin.com/buddhism1p.html</a><br>
施本「佛の道」<br>
<a href="http://oujyouin.com/hotokenomichi.html">http://oujyouin.com/hotokenomichi.html</a><br>
<br>
<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/~sdaisin/">現代仏教学を再生するためのホームページ</a>・<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/cgi-bin/ezboard/sdaisin/1/">掲示板</a>投稿より・・<br>
<br>
mixiのコミュニティ「仏教」におけます中論・「観涅槃品」（第二十五）の最終偈についての考察からの引用抜粋でございます。<br>
<br>
以下、引用抜粋・・<br>
<br>
・・前略・・<br>
<br>
以下、中論の邦訳は〔中論（上・中・下）　三枝充悳訳注　第三文明社・レグルス文庫〕より引用致します。<br>
<br>
中論・「観涅槃品」（第二十五・第二十四偈）『〔ニルヴァーナとは、〕一切の得ること（有所得）が寂滅し、戯論（想定された論議）が寂滅して、吉祥なるものである。ブッダによって、どのような法（教え）も、どのような処でも、だれに対しても、説かれたことはない。』<br>
<br>
まず、前半について考えて参りたいと存じます。<br>
<br>
一切の得ること（有所得）が寂滅し・・縁起的・空性的あり方を理解し、あらゆる一切は実体が無く、得るための主体も、得れる対象となる客体も、いずれにも実体が無いため、何も得る実体たるところも何も得れる実体たるところも無いということであるかと存じます。<br>
<br>
般若心経における「無所得」とほぼ同意の事態のことを示しているものであると考えます。<br>
<br>
戯論（想定された論議）が寂滅・・縁起・空性の理解から、四句分別・「非有、非無、非有無、非「非有非無」（非非有非非無）」を理解し、更に言語活動・言語表現の限界を理解して、もはや一切の想定された論議も止み、「無記」への論理的道筋をしっかりと理解し、最高の真理である勝義諦・第一義諦のありようを真に了解するということであるかと存じております。<br>
<br>
もちろん、このあたりのことは、「二諦をめぐる解釈の問題」が控えておりますが、あらゆる一切における世俗諦と勝義諦のありよう（世俗諦によって勝義諦があり、勝義諦によって世俗諦があるという、縁起的・空性的あり方における勝義諦についての理解も含めて）について了解した上で、「勝義の空」の真たるが何であるかも完全に了解し、様々な虚妄分別・分別執着によって迷い・苦しんでいる者に対して、自由自在に方便を用いながら、その迷い・苦しみを解き放つことができるようになるための仏道が完全に完成し、慈悲の実践を展開していくことに繋がるものであるかと存じております。 ・・中略・・<br>
<br>
後半・・「吉祥なるものである。ブッダによって、どのような法（教え）も、どのような処でも、だれに対しても、説かれたことはない。」<br>
<br>
縁起的・空性的あり方（○によって非○があり、非○によって○があるとして、一応、○も非○もそれぞれ仮において言えるものの、○だけでは○は成り立たない、非○だけでは非○は成り立たない、○にも非○にも実体は無い」）の理解から、無所得（無実体・無自性）、言語道断・無記・戯論寂滅（四句分別の否定「非有、非無、非有無、非「非有非無」（非非有非非無）」）への論理的道筋をしっかりと理解し、最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦のありようを真に了解することは、いかなる虚妄分別・分別執着も打ち破り、いかなる迷い・苦しみもを打ち破る、無上甚深微妙の法にして真なる涅槃に至るための実にすばらしく吉祥なるものである。<br>
<br>
「ブッダによって、どのような法（教え）も、どのような処でも、だれに対しても、説かれたことはない。」・・お釈迦様・諸仏・如来によって、言語活動・言語表現を扱った世俗諦における諸々の教説は、対機説法・方便として、様々な者に対してそれぞれが色々と抱えている虚妄分別・分別執着のその一つ一つを打ち破らせるために説かれているものに過ぎず、最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦としての無上甚深微妙の法のありようは、いかなるところにおいても、誰に対しても説かれたことはない。<br>
<br>
最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦としての無上甚深微妙の法のありようは、それぞれがそれぞれにおいて真に了解すべきものであり、お釈迦様・諸仏・如来の慈悲によって、言語活動・言語表現を扱った世俗諦における諸々の教説から、それぞれが色々と抱えている虚妄分別・分別執着、迷い・苦しみのその一つ一つをそれぞれが打ち破るために、勝義の空・勝義諦・第一義諦を真に了解し、真なる涅槃に至ることが何よりも重要であると存じております。当然にその了解したる最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦は、もはや言語活動・言語表現を超えたものであって、いかなるところにおいても、誰に対しても説けるものでもないと存じております。・・後略・・<br>
<br>
・・引用抜粋ここまで。<br>
<br>
・・<br>
<br>
さて、最近は<a href="http://mixi.jp/">mixi</a>のコミュニティ・仏教のトピック「ダルマキールティ論師の刹那滅論証（瞬間的存在性論証）」におきまして仏教論考を継続させて頂いておりまして、現在は特に龍樹論師「中論」の理解も平行して鋭意進めております。<br>
<br>
そのコメント投稿におきまして、先日のオバマ米大統領・ノーベル平和賞・受賞演説の内容につきまして扱わせて頂きました。<br>
<br>
コミュニティ・仏教<br>
<br>
トピック・ダルマキールティ論師の刹那滅論証（瞬間的存在性論証）<br>
<br>
89　　2009年12月11日 21:50<br>
<br>
引き続きまして、中論・「観涅槃品」（第二十五）を扱いまして、「中論」の説く「ニルヴァーナ（涅槃）」の考察を行って参りたいと存じておりますが、<br>
<br>
少しその前に・・昨日のオバマ米大統領・ノーベル平和賞・受賞演説の内容は誠にやや残念でございました・・<br>
<br>
米大統領選の当選直後にダライ・ラマ14世師と会談した際に、ダライ・ラマ14世師から中観思想の視座によっての平和・戦争のありようについての示唆を得られておられるものであるかとご期待申し上げておりましたが・・「平和のための戦争」を肯定してしまうような受賞演説の内容には少し失望を覚えました・・<br>
<br>
最近のダライ・ラマ14世師との会談を延期したオバマ米大統領のありよう、もちろん、今回の受賞演説の内容のありようも鑑みますと、相当に何らかの圧力があってのことであろうとも存じます・・オバマ米大統領の真意の内容では無いのかもしれませんが・・<br>
<br>
「戦争によって平和がある、平和によって戦争がある」と縁起的・空性的あり方においてそれぞれは仮に言えたとしてもそれぞれは実体の無いものであり、いつまでも平和だ、戦争だと実体視して執着し続けている限り、戦争は決して無くなることはあり得ませんし、真に平和に至ることもあり得ません・・<br>
<br>
戦争利権を貪り、執着するものたちがいるかぎり、そのものたちが虚妄分別・分別執着で自作自演にて産み出し続けながら、しかも変化してゆく「平和」と「戦争」の定義に、世界の人々が実体視して執着させられてしまう限り、戦争は無くならず、真なる平和も得られないものでありますでしょう・・<br>
<br>
このことは、最近の環境利権においても同様のことが言えるかと存じますが・・<br>
<br>
誠にどこか寂しい限りでございますね・・<br>
<br>
もちろん・・<br>
<br>
以前にも引用にてコメントを述べさせて頂きましたこととなりますが、<br>
<br>
以下、引用・・<br>
<br>
国家破綻研究ブログ<br>
<a href="http://gijutsu.exblog.jp/">http://gijutsu.exblog.jp/</a><br>
<br>
リーマンショック１周年　何が明らかになり、何が変わったのか　変わらない強欲<br>
<a href="http://gijutsu.exblog.jp/8971065/">http://gijutsu.exblog.jp/8971065/</a><br>
<br>
におきましてコメント投稿させて頂いておりますように、<br>
<br>
「リーマンショックから一年を振り返ってのまさに的確な分析であると存じます。確かに、「世界経済奥の院」が現在進行形で一体何をどうしたいのかということは、なかなか読み解くことは難しくあります。ただ世の流動における歴史の厳然たる結果を見ると、遡って、ああ、そういうことを考えていたのかということは理解することはできます。しかし、その内実のほとんどはkanconsultingさんのおっしゃる通りに傲慢に利権を貪る者の「強欲さ」が反映されているものばかりであり、相変わらず浅ましく下らない愚かなことの繰り返しであります・・<br>
<br>
この負の連鎖をいい加減に断ち切らない限りは、同じことの繰り返しとなってしまいます・・私はこの繰り返し（輪廻）を断ち切るには、お釈迦様の仏法真理とその実践（慈悲）が必要であると強く考えております。特に現代社会においては、ナーガールジュナ（龍樹）論師以来の仏教・中観思想の考究とそこからの実践が重要と存じております。」<br>
<br>
と致しまして、「世界経済奥の院」の強欲・傲慢さが生み出し続ける数々の人間世界の苦しみを無くすためには、何としても「世界経済奥の院」たちに仏法真理、その一つとしての中観思想も学んで頂き、理解して頂いて、そして、そこからの慈悲の実践を行ってほしいという想いがございます。<br>
<br>
・・引用ここまで。<br>
<br>
このように述べさせて頂きましたように、中観思想の学びとそこからの実践は実に現代世界においては重要であると存じております。<br>
<br>
とにかく、あまりにも微力でありまして、浅学菲才の未熟者でございますが、少しでも中観思想の学びとそこからの実践を行っていけましたらと存じております。<br>
<br>
誠に皆様方におかれましては、ご賢察賜りまして、ご理解を賜れますよう、何卒、宜しくお願い申し上げます。 <br>
<br>
・・ここまで。<br>
<br>
とにかく中観思想の学びとその実践が、現代社会においては誠に重要であると存じております。誠に一つ一つでございます。<br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51518341.html">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第三弾</a><br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/oujyouin/archives/51552614.html">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第二弾</a><br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/2008-11.html#20081110">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第一弾</a>]]></content:encoded>
  </item>
  <item rdf:about="http://hide.noblog.net/blog/10950201.html">
    <title>
			Ｃ点による仏教的宇宙論紹介
		</title>
    <link>http://hide.noblog.net/blog/10950201.html</link>
    <description>さて、島村大心師のサイト「現代仏教学を再生するためのホームページ」におけます掲示板におきまして、いつも意見交換させて頂いておりますS・イマムラ先生が、「Ｃ点による仏教的宇宙論」を著されて、そのご報告がございました。  「Ｃ点による仏教的宇宙論」...</description>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2010-02-22T19:34:59+09:00</dc:date>
    <content:encoded><![CDATA[さて、島村大心師のサイト「<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/~sdaisin/">現代仏教学を再生するためのホームページ</a>」におけます<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/cgi-bin/ezboard/sdaisin/1/">掲示板</a>におきまして、いつも意見交換させて頂いておりますS・イマムラ先生が、「Ｃ点による仏教的宇宙論」を著されて、そのご報告がございました。<br>
<br>
「Ｃ点による仏教的宇宙論」<br>
<a href="http://www016.upp.so-net.ne.jp/jikuron/ucyuu/">http://www016.upp.so-net.ne.jp/jikuron/ucyuu/</a><br>
<br>
非常に仏教要諦の「縁起と空」を理解していく上でも重要な論考でございますので、是非、お読みになられましたらと存じております。先生の変わらない真理考究の情熱に厚く敬意を表しますと共に、すばらしい内容に、誠に感極まっております。<br>
<br>
・・<br>
<br>
現在、仏教真理の考究につきましては、「ツォンカパ 中観哲学の研究３」の論著からの学びを進めておりますが、中途で急激にペースダウンしてしまいましたものの、何とかペースを取り戻してまもなく読み終えます。誠にツォンカパ論師の中観思想を学んでゆく上で重要な論著であるかと存じております。ただ、もはや春彼岸での施本第六弾配布は間に合わない状況下でございますが、ある程度の方向性はつかめて参りましたので、鋭意に執筆に取り組み、お盆までには何とか発行したいと考えております。<br>
<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究３」・ケードゥプ・ゲルク・ペルサンポ著　深遠な空性の真実を明らかにする論書・幸いなる者の開眼（千薬大論）上。<br>
<img src="http://stat.ameba.jp/user_images/20100202/11/hidetoshi-k/98/6f/j/t02200293_0240032010398053314.jpg"><br>
<br>
いよいよツォンカパ論師の中観思想を考究する上でも重要な論書を読み進めて参ります。<br>
<br>
「中観帰謬論証派の学びのススメ」<br>
<br>
現時点におけます、私の仏教の学びの進めの一つの整理と致しましては、現代日本仏教のあり方に疑念を生じて以降、現代日本仏教がなぜ今のような現状に陥ってしまっているのかについて、根本・初期仏教から学び直しを進め始めまして、初期大乗仏教、唯識思想・中観思想の発展と中期大乗仏教の学びを進めていく中におきまして、ある程度問題点を明確化することができて参りました。<br>
<br>
現時点におけます結論と致しましては、大きく仏典の説く仏説の相違の扱いにおいて、インドから日本に渡ってきた仏教を解釈する際において根本的な誤りがあったためであると考えております。<br>
<br>
インド、中国、日本と仏教が渡ってくる中、なぜ、数多くの著された仏典の中で、仏説・教義の相違があるのかを真に理解できないままに、教典にとらわれて、教典に優劣を付けて、教義に優劣を付けて、醜い争いを展開し、これが一番の教えだ、私たちの教義が最も優れていると、そのようなくだらないことで終始したところが少なからずもあるように存じております。<br>
<br>
そのようなことでは、争い、様々な堕落と衰退もしかるべきであろうと思う次第でございます。<br>
<br>
上記のことは、中観思想の帰謬論証派の学びを進めていけば、容易に気づくことでもございますが、残念ながら、中観帰謬論証派は中国、日本へ正確に伝わることが無く、中国・日本の仏教は大きな問題を最初から抱えざるを得なかったと考えております。<br>
<br>
これは、もちろんやむを得なかったこともございます・・中国・日本へ仏教が伝来してくる途上、「無我」を説く教典と「我」を説く教典がほぼ同時に流入していたのですから・・大きくは般若思想と如来蔵思想となりますが、両思想が同時に流入すれば様々な混乱が生じるのは当たり前であったのだと考えます。<br>
<br>
結果として、どちらの教えが正しいのかといつまでも論争を繰り返すことになってしまい、「無我」か、それとも「我」か、両者の統合か、と、それぞれとらわれてしまったままとなっているのが、日本現代仏教が抱える苦悩の一番の問題となっている根本であると存じております。<br>
<br>
このことを解決するのは、龍樹論師以来の中観思想にあり、特にチャンドラキールティ論師からツォンカパ論師に至るまで展開された帰謬論証派の思想を正確に学ばないと解決は不可能なことであると考えております。<br>
<br>
龍樹論師の中観思想は日本にも三論宗として伝わったものの、それから発展していった帰謬論証派の思想は残念ながら伝わらないままで、現代に至ってしまったところにおいて、日本仏教の抱えている苦難が続いてしまっているところがあるように存じております。ただ、戦後にチベット仏教哲学、ツォンカパ論師の中観思想が徐々に邦訳・注釈等でも日本にて知られることができてきたため、これからは少しずつ変わっていくようには思うところもございます。<br>
<br>
とにかく、仏典の言語表現は全て世俗諦の方便として正しく、等しいものであり、そこに優劣など本来はありません。もちろん、あくまでも世俗諦の域で留まってのことであって、仏典の言語表現の一切は、勝義諦を指向するための渡し船に過ぎず、いちいちの仏典の表現や解釈にとらわれて上だ、下だと執着することは大きな誤りを産み出す原因となると考えております。<br>
<br>
一つは、中論にございます<br>
<br>
「観法品」（第十八・第六偈）『もろもろの仏は「我〔が有る〕」とも仮説し、「我が無い（無我である）」とも説き、「いかなる我も無く、無我も無い」とも説いている。』・・中論の邦訳は〔中論（上・中・下）　三枝充悳訳注　第三文明社・レグルス文庫〕より引用<br>
<br>
ということから、更に帰謬論証派の思想を深く学ぶことによって、しっかりと理解していかなければならないことがあると僭越ながらも存じております。<br>
<br>
何とかここまでようやくに、ツォンカパ論師の中観思想の学びを本格的に進めていくための入り口付近に来ることができてきたのではないかと、もちろんまだまだの浅学非才の未熟者の身ながらも思っております。今は学びを一歩でも前へと進めていかねばならないとも考えております。 <br>
<br>
・・<br>
<br>
本年の抱負は、施本論考シリーズ第六弾の執筆は当然ながら、前回施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」におけます縁起・空性の理解を更に深く進めていけましたらと考えております。特に中観思想の展開過程、ツォンカパ論師の中観思想についてしっかりと考究していけましたらと存じております。<br>
<br>
施本論考シリーズ第六弾の本格執筆を前に、論著の読み進めを行っております。<br>
<br>
「チベット仏教哲学」松本史朗著・大蔵出版<br>
「ツォンカパの中観思想―ことばによることばの否定」四津谷孝道著・大蔵出版<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究1」<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究2」<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究3」<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究4」<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究5」<br>
「般若経釈 現観荘厳論の研究」兵藤一夫著　文栄堂<br>
「ダライ・ラマ 般若心経入門」ダライ・ラマ14世著、宮坂宥洪翻訳・春秋社<br>
「チベット仏教成就者たちの聖典『道次第・解脱荘厳』解脱の宝飾」<br>
　ガムポパ著・ツルティム・ケサン、藤仲 孝司共訳 UNIO<br>
「心の迷妄を断つ智慧―チベット密教の真髄」<br>
　チュギャム トゥルンパ著・宮坂宥洪訳<br>
「チベット密教 修行の設計図」<br>
　斎藤保高著・春秋社<br>
「チベット密教 心の修行」<br>
　ゲシェー・ソナム・ギャルツェン ゴンタ著、藤田省吾著　法蔵館<br>
「チベット仏教 文殊菩薩(マンジュシュリ)の秘訣」<br>
　ソナム・ギャルツェン・ゴンタ著　法蔵館<br>
<br>
施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/enginorikai.html">http://oujyouin.com/enginorikai.html</a><br>
施本・「仏教・空の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/topengi.htm">http://oujyouin.com/topengi.htm</a><br>
施本「仏教・空の理解」<br>
<a href="http://oujyouin.com/sunyatop.htm">http://oujyouin.com/sunyatop.htm</a><br>
施本「仏教　〜　一枚の紙から考える　〜」<br>
<a href="http://oujyouin.com/buddhism1p.html">http://oujyouin.com/buddhism1p.html</a><br>
施本「佛の道」<br>
<a href="http://oujyouin.com/hotokenomichi.html">http://oujyouin.com/hotokenomichi.html</a><br>
<br>
<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/~sdaisin/">現代仏教学を再生するためのホームページ</a>・<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/cgi-bin/ezboard/sdaisin/1/">掲示板</a>投稿より・・<br>
<br>
mixiのコミュニティ「仏教」におけます中論・「観涅槃品」（第二十五）の最終偈についての考察からの引用抜粋でございます。<br>
<br>
以下、引用抜粋・・<br>
<br>
・・前略・・<br>
<br>
以下、中論の邦訳は〔中論（上・中・下）　三枝充悳訳注　第三文明社・レグルス文庫〕より引用致します。<br>
<br>
中論・「観涅槃品」（第二十五・第二十四偈）『〔ニルヴァーナとは、〕一切の得ること（有所得）が寂滅し、戯論（想定された論議）が寂滅して、吉祥なるものである。ブッダによって、どのような法（教え）も、どのような処でも、だれに対しても、説かれたことはない。』<br>
<br>
まず、前半について考えて参りたいと存じます。<br>
<br>
一切の得ること（有所得）が寂滅し・・縁起的・空性的あり方を理解し、あらゆる一切は実体が無く、得るための主体も、得れる対象となる客体も、いずれにも実体が無いため、何も得る実体たるところも何も得れる実体たるところも無いということであるかと存じます。<br>
<br>
般若心経における「無所得」とほぼ同意の事態のことを示しているものであると考えます。<br>
<br>
戯論（想定された論議）が寂滅・・縁起・空性の理解から、四句分別・「非有、非無、非有無、非「非有非無」（非非有非非無）」を理解し、更に言語活動・言語表現の限界を理解して、もはや一切の想定された論議も止み、「無記」への論理的道筋をしっかりと理解し、最高の真理である勝義諦・第一義諦のありようを真に了解するということであるかと存じております。<br>
<br>
もちろん、このあたりのことは、「二諦をめぐる解釈の問題」が控えておりますが、あらゆる一切における世俗諦と勝義諦のありよう（世俗諦によって勝義諦があり、勝義諦によって世俗諦があるという、縁起的・空性的あり方における勝義諦についての理解も含めて）について了解した上で、「勝義の空」の真たるが何であるかも完全に了解し、様々な虚妄分別・分別執着によって迷い・苦しんでいる者に対して、自由自在に方便を用いながら、その迷い・苦しみを解き放つことができるようになるための仏道が完全に完成し、慈悲の実践を展開していくことに繋がるものであるかと存じております。 ・・中略・・<br>
<br>
後半・・「吉祥なるものである。ブッダによって、どのような法（教え）も、どのような処でも、だれに対しても、説かれたことはない。」<br>
<br>
縁起的・空性的あり方（○によって非○があり、非○によって○があるとして、一応、○も非○もそれぞれ仮において言えるものの、○だけでは○は成り立たない、非○だけでは非○は成り立たない、○にも非○にも実体は無い」）の理解から、無所得（無実体・無自性）、言語道断・無記・戯論寂滅（四句分別の否定「非有、非無、非有無、非「非有非無」（非非有非非無）」）への論理的道筋をしっかりと理解し、最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦のありようを真に了解することは、いかなる虚妄分別・分別執着も打ち破り、いかなる迷い・苦しみもを打ち破る、無上甚深微妙の法にして真なる涅槃に至るための実にすばらしく吉祥なるものである。<br>
<br>
「ブッダによって、どのような法（教え）も、どのような処でも、だれに対しても、説かれたことはない。」・・お釈迦様・諸仏・如来によって、言語活動・言語表現を扱った世俗諦における諸々の教説は、対機説法・方便として、様々な者に対してそれぞれが色々と抱えている虚妄分別・分別執着のその一つ一つを打ち破らせるために説かれているものに過ぎず、最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦としての無上甚深微妙の法のありようは、いかなるところにおいても、誰に対しても説かれたことはない。<br>
<br>
最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦としての無上甚深微妙の法のありようは、それぞれがそれぞれにおいて真に了解すべきものであり、お釈迦様・諸仏・如来の慈悲によって、言語活動・言語表現を扱った世俗諦における諸々の教説から、それぞれが色々と抱えている虚妄分別・分別執着、迷い・苦しみのその一つ一つをそれぞれが打ち破るために、勝義の空・勝義諦・第一義諦を真に了解し、真なる涅槃に至ることが何よりも重要であると存じております。当然にその了解したる最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦は、もはや言語活動・言語表現を超えたものであって、いかなるところにおいても、誰に対しても説けるものでもないと存じております。・・後略・・<br>
<br>
・・引用抜粋ここまで。<br>
<br>
・・<br>
<br>
さて、最近は<a href="http://mixi.jp/">mixi</a>のコミュニティ・仏教のトピック「ダルマキールティ論師の刹那滅論証（瞬間的存在性論証）」におきまして仏教論考を継続させて頂いておりまして、現在は特に龍樹論師「中論」の理解も平行して鋭意進めております。<br>
<br>
そのコメント投稿におきまして、先日のオバマ米大統領・ノーベル平和賞・受賞演説の内容につきまして扱わせて頂きました。<br>
<br>
コミュニティ・仏教<br>
<br>
トピック・ダルマキールティ論師の刹那滅論証（瞬間的存在性論証）<br>
<br>
89　　2009年12月11日 21:50<br>
<br>
引き続きまして、中論・「観涅槃品」（第二十五）を扱いまして、「中論」の説く「ニルヴァーナ（涅槃）」の考察を行って参りたいと存じておりますが、<br>
<br>
少しその前に・・昨日のオバマ米大統領・ノーベル平和賞・受賞演説の内容は誠にやや残念でございました・・<br>
<br>
米大統領選の当選直後にダライ・ラマ14世師と会談した際に、ダライ・ラマ14世師から中観思想の視座によっての平和・戦争のありようについての示唆を得られておられるものであるかとご期待申し上げておりましたが・・「平和のための戦争」を肯定してしまうような受賞演説の内容には少し失望を覚えました・・<br>
<br>
最近のダライ・ラマ14世師との会談を延期したオバマ米大統領のありよう、もちろん、今回の受賞演説の内容のありようも鑑みますと、相当に何らかの圧力があってのことであろうとも存じます・・オバマ米大統領の真意の内容では無いのかもしれませんが・・<br>
<br>
「戦争によって平和がある、平和によって戦争がある」と縁起的・空性的あり方においてそれぞれは仮に言えたとしてもそれぞれは実体の無いものであり、いつまでも平和だ、戦争だと実体視して執着し続けている限り、戦争は決して無くなることはあり得ませんし、真に平和に至ることもあり得ません・・<br>
<br>
戦争利権を貪り、執着するものたちがいるかぎり、そのものたちが虚妄分別・分別執着で自作自演にて産み出し続けながら、しかも変化してゆく「平和」と「戦争」の定義に、世界の人々が実体視して執着させられてしまう限り、戦争は無くならず、真なる平和も得られないものでありますでしょう・・<br>
<br>
このことは、最近の環境利権においても同様のことが言えるかと存じますが・・<br>
<br>
誠にどこか寂しい限りでございますね・・<br>
<br>
もちろん・・<br>
<br>
以前にも引用にてコメントを述べさせて頂きましたこととなりますが、<br>
<br>
以下、引用・・<br>
<br>
国家破綻研究ブログ<br>
<a href="http://gijutsu.exblog.jp/">http://gijutsu.exblog.jp/</a><br>
<br>
リーマンショック１周年　何が明らかになり、何が変わったのか　変わらない強欲<br>
<a href="http://gijutsu.exblog.jp/8971065/">http://gijutsu.exblog.jp/8971065/</a><br>
<br>
におきましてコメント投稿させて頂いておりますように、<br>
<br>
「リーマンショックから一年を振り返ってのまさに的確な分析であると存じます。確かに、「世界経済奥の院」が現在進行形で一体何をどうしたいのかということは、なかなか読み解くことは難しくあります。ただ世の流動における歴史の厳然たる結果を見ると、遡って、ああ、そういうことを考えていたのかということは理解することはできます。しかし、その内実のほとんどはkanconsultingさんのおっしゃる通りに傲慢に利権を貪る者の「強欲さ」が反映されているものばかりであり、相変わらず浅ましく下らない愚かなことの繰り返しであります・・<br>
<br>
この負の連鎖をいい加減に断ち切らない限りは、同じことの繰り返しとなってしまいます・・私はこの繰り返し（輪廻）を断ち切るには、お釈迦様の仏法真理とその実践（慈悲）が必要であると強く考えております。特に現代社会においては、ナーガールジュナ（龍樹）論師以来の仏教・中観思想の考究とそこからの実践が重要と存じております。」<br>
<br>
と致しまして、「世界経済奥の院」の強欲・傲慢さが生み出し続ける数々の人間世界の苦しみを無くすためには、何としても「世界経済奥の院」たちに仏法真理、その一つとしての中観思想も学んで頂き、理解して頂いて、そして、そこからの慈悲の実践を行ってほしいという想いがございます。<br>
<br>
・・引用ここまで。<br>
<br>
このように述べさせて頂きましたように、中観思想の学びとそこからの実践は実に現代世界においては重要であると存じております。<br>
<br>
とにかく、あまりにも微力でありまして、浅学菲才の未熟者でございますが、少しでも中観思想の学びとそこからの実践を行っていけましたらと存じております。<br>
<br>
誠に皆様方におかれましては、ご賢察賜りまして、ご理解を賜れますよう、何卒、宜しくお願い申し上げます。 <br>
<br>
・・ここまで。<br>
<br>
とにかく中観思想の学びとその実践が、現代社会においては誠に重要であると存じております。誠に一つ一つでございます。<br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51518341.html">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第三弾</a><br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/oujyouin/archives/51552614.html">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第二弾</a><br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/2008-11.html#20081110">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第一弾</a>]]></content:encoded>
  </item>
  <item rdf:about="http://hide.noblog.net/blog/10938449.html">
    <title>
			「ツォンカパ 中観哲学の研究３」を読み進め
		</title>
    <link>http://hide.noblog.net/blog/10938449.html</link>
    <description>「ツォンカパ 中観哲学の研究1」・「菩提道次第論・中篇-観の章-・和訳、原著・ツォンカパ論師」を読み終えました。  誠に縁起・空性の理解、中観思想の展開を学ぶ上で、重要な論著であります。また何度か読み直して参りたいと考えております。  次は、「ツォ...</description>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2010-02-03T19:40:59+09:00</dc:date>
    <content:encoded><![CDATA[「ツォンカパ 中観哲学の研究1」・「菩提道次第論・中篇-観の章-・和訳、原著・ツォンカパ論師」を読み終えました。<br>
<br>
誠に縁起・空性の理解、中観思想の展開を学ぶ上で、重要な論著であります。また何度か読み直して参りたいと考えております。<br>
<br>
次は、「ツォンカパ 中観哲学の研究３」・ケードゥプ・ゲルク・ペルサンポ著　深遠な空性の真実を明らかにする論書・幸いなる者の開眼（千薬大論）上を読み進めて参ります。<br>
<img src="http://stat.ameba.jp/user_images/20100202/11/hidetoshi-k/98/6f/j/t02200293_0240032010398053314.jpg"><br>
<br>
いよいよツォンカパ論師の中観思想を考究する上でも重要な論書を読み進めて参ります。<br>
<br>
「中観帰謬論証派の学びのススメ」<br>
<br>
現時点におけます、私の仏教の学びの進めの一つの整理と致しましては、現代日本仏教のあり方に疑念を生じて以降、現代日本仏教がなぜ今のような現状に陥ってしまっているのかについて、根本・初期仏教から学び直しを進め始めまして、初期大乗仏教、唯識思想・中観思想の発展と中期大乗仏教の学びを進めていく中におきまして、ある程度問題点を明確化することができて参りました。<br>
<br>
現時点におけます結論と致しましては、大きく仏典の説く仏説の相違の扱いにおいて、インドから日本に渡ってきた仏教を解釈する際において根本的な誤りがあったためであると考えております。<br>
<br>
インド、中国、日本と仏教が渡ってくる中、なぜ、数多くの著された仏典の中で、仏説・教義の相違があるのかを真に理解できないままに、教典にとらわれて、教典に優劣を付けて、教義に優劣を付けて、醜い争いを展開し、これが一番の教えだ、私たちの教義が最も優れていると、そのようなくだらないことで終始したところが少なからずもあるように存じております。<br>
<br>
そのようなことでは、争い、様々な堕落と衰退もしかるべきであろうと思う次第でございます。<br>
<br>
上記のことは、中観思想の帰謬論証派の学びを進めていけば、容易に気づくことでもございますが、残念ながら、中観帰謬論証派は中国、日本へ正確に伝わることが無く、中国・日本の仏教は大きな問題を最初から抱えざるを得なかったと考えております。<br>
<br>
これは、もちろんやむを得なかったこともございます・・中国・日本へ仏教が伝来してくる途上、「無我」を説く教典と「我」を説く教典がほぼ同時に流入していたのですから・・大きくは般若思想と如来蔵思想となりますが、両思想が同時に流入すれば様々な混乱が生じるのは当たり前であったのだと考えます。<br>
<br>
結果として、どちらの教えが正しいのかといつまでも論争を繰り返すことになってしまい、「無我」か、それとも「我」か、両者の統合か、と、それぞれとらわれてしまったままとなっているのが、日本現代仏教が抱える苦悩の一番の問題となっている根本であると存じております。<br>
<br>
このことを解決するのは、龍樹論師以来の中観思想にあり、特にチャンドラキールティ論師からツォンカパ論師に至るまで展開された帰謬論証派の思想を正確に学ばないと解決は不可能なことであると考えております。<br>
<br>
龍樹論師の中観思想は日本にも三論宗として伝わったものの、それから発展していった帰謬論証派の思想は残念ながら伝わらないままで、現代に至ってしまったところにおいて、日本仏教の抱えている苦難が続いてしまっているところがあるように存じております。ただ、戦後にチベット仏教哲学、ツォンカパ論師の中観思想が徐々に邦訳・注釈等でも日本にて知られることができてきたため、これからは少しずつ変わっていくようには思うところもございます。<br>
<br>
とにかく、仏典の言語表現は全て世俗諦の方便として正しく、等しいものであり、そこに優劣など本来はありません。もちろん、あくまでも世俗諦の域で留まってのことであって、仏典の言語表現の一切は、勝義諦を指向するための渡し船に過ぎず、いちいちの仏典の表現や解釈にとらわれて上だ、下だと執着することは大きな誤りを産み出す原因となると考えております。<br>
<br>
一つは、中論にございます<br>
<br>
「観法品」（第十八・第六偈）『もろもろの仏は「我〔が有る〕」とも仮説し、「我が無い（無我である）」とも説き、「いかなる我も無く、無我も無い」とも説いている。』・・中論の邦訳は〔中論（上・中・下）　三枝充悳訳注　第三文明社・レグルス文庫〕より引用<br>
<br>
ということから、更に帰謬論証派の思想を深く学ぶことによって、しっかりと理解していかなければならないことがあると僭越ながらも存じております。<br>
<br>
何とかここまでようやくに、ツォンカパ論師の中観思想の学びを本格的に進めていくための入り口付近に来ることができてきたのではないかと、もちろんまだまだの浅学非才の未熟者の身ながらも思っております。今は学びを一歩でも前へと進めていかねばならないとも考えております。 <br>
<br>
・・<br>
<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究５・入中論の意趣善明の鏡」を読み終えました。<br>
<br>
意趣善明の鏡は、中観帰謬論証派のチャンドラキールティ論師の代表論著「入中論」の注釈書で、中論、中観自立論証派、中観帰謬論証派といった中観思想の展開を学ぶ上でも註の内容は非常に読み応えがありました。また、唯識思想についてもある程度学ぶことができるため、是非、機会がございましたらお読みになられると良いかと存じております。改めまして、チベット仏教哲学の精緻さ洗練さに圧倒されました次第でございます。<br>
<br>
入中論の意趣善明の鏡 <br>
<img src="http://stat.ameba.jp/user_images/20100114/08/hidetoshi-k/7b/03/j/t02200293_0240032010375441668.jpg"><br>
ダライ・ラマ十四世テンジン・ギャツォ大師による序文<br>
<br>
次は、「ツォンカパ 中観哲学の研究1」、「菩提道次第論・中篇-観の章-・和訳、原著・ツォンカパ論師」を読み進めて参ります。<br>
<br>
・・<br>
<br>
本年の抱負は、施本論考シリーズ第六弾の執筆は当然ながら、前回施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」におけます縁起・空性の理解を更に深く進めていけましたらと考えております。特に中観思想の展開過程、ツォンカパ論師の中観思想についてしっかりと考究していけましたらと存じております。<br>
<br>
施本論考シリーズ第六弾の本格執筆を前に、論著の読み進めを行っております。<br>
<br>
「チベット仏教哲学」松本史朗著・大蔵出版<br>
「ツォンカパの中観思想―ことばによることばの否定」四津谷孝道著・大蔵出版<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究1」<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究2」<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究3」<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究4」<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究5」<br>
「般若経釈 現観荘厳論の研究」兵藤一夫著　文栄堂<br>
「ダライ・ラマ 般若心経入門」ダライ・ラマ14世著、宮坂宥洪翻訳・春秋社<br>
「チベット仏教成就者たちの聖典『道次第・解脱荘厳』解脱の宝飾」<br>
　ガムポパ著・ツルティム・ケサン、藤仲 孝司共訳 UNIO<br>
「心の迷妄を断つ智慧―チベット密教の真髄」<br>
　チュギャム トゥルンパ著・宮坂宥洪訳<br>
「チベット密教 修行の設計図」<br>
　斎藤保高著・春秋社<br>
「チベット密教 心の修行」<br>
　ゲシェー・ソナム・ギャルツェン ゴンタ著、藤田省吾著　法蔵館<br>
「チベット仏教 文殊菩薩(マンジュシュリ)の秘訣」<br>
　ソナム・ギャルツェン・ゴンタ著　法蔵館<br>
<br>
施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/enginorikai.html">http://oujyouin.com/enginorikai.html</a><br>
施本・「仏教・空の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/topengi.htm">http://oujyouin.com/topengi.htm</a><br>
施本「仏教・空の理解」<br>
<a href="http://oujyouin.com/sunyatop.htm">http://oujyouin.com/sunyatop.htm</a><br>
施本「仏教　〜　一枚の紙から考える　〜」<br>
<a href="http://oujyouin.com/buddhism1p.html">http://oujyouin.com/buddhism1p.html</a><br>
施本「佛の道」<br>
<a href="http://oujyouin.com/hotokenomichi.html">http://oujyouin.com/hotokenomichi.html</a><br>
<br>
<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/~sdaisin/">現代仏教学を再生するためのホームページ</a>・<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/cgi-bin/ezboard/sdaisin/1/">掲示板</a>投稿より・・<br>
<br>
mixiのコミュニティ「仏教」におけます中論・「観涅槃品」（第二十五）の最終偈についての考察からの引用抜粋でございます。<br>
<br>
以下、引用抜粋・・<br>
<br>
・・前略・・<br>
<br>
以下、中論の邦訳は〔中論（上・中・下）　三枝充悳訳注　第三文明社・レグルス文庫〕より引用致します。<br>
<br>
中論・「観涅槃品」（第二十五・第二十四偈）『〔ニルヴァーナとは、〕一切の得ること（有所得）が寂滅し、戯論（想定された論議）が寂滅して、吉祥なるものである。ブッダによって、どのような法（教え）も、どのような処でも、だれに対しても、説かれたことはない。』<br>
<br>
まず、前半について考えて参りたいと存じます。<br>
<br>
一切の得ること（有所得）が寂滅し・・縁起的・空性的あり方を理解し、あらゆる一切は実体が無く、得るための主体も、得れる対象となる客体も、いずれにも実体が無いため、何も得る実体たるところも何も得れる実体たるところも無いということであるかと存じます。<br>
<br>
般若心経における「無所得」とほぼ同意の事態のことを示しているものであると考えます。<br>
<br>
戯論（想定された論議）が寂滅・・縁起・空性の理解から、四句分別・「非有、非無、非有無、非「非有非無」（非非有非非無）」を理解し、更に言語活動・言語表現の限界を理解して、もはや一切の想定された論議も止み、「無記」への論理的道筋をしっかりと理解し、最高の真理である勝義諦・第一義諦のありようを真に了解するということであるかと存じております。<br>
<br>
もちろん、このあたりのことは、「二諦をめぐる解釈の問題」が控えておりますが、あらゆる一切における世俗諦と勝義諦のありよう（世俗諦によって勝義諦があり、勝義諦によって世俗諦があるという、縁起的・空性的あり方における勝義諦についての理解も含めて）について了解した上で、「勝義の空」の真たるが何であるかも完全に了解し、様々な虚妄分別・分別執着によって迷い・苦しんでいる者に対して、自由自在に方便を用いながら、その迷い・苦しみを解き放つことができるようになるための仏道が完全に完成し、慈悲の実践を展開していくことに繋がるものであるかと存じております。 ・・中略・・<br>
<br>
後半・・「吉祥なるものである。ブッダによって、どのような法（教え）も、どのような処でも、だれに対しても、説かれたことはない。」<br>
<br>
縁起的・空性的あり方（○によって非○があり、非○によって○があるとして、一応、○も非○もそれぞれ仮において言えるものの、○だけでは○は成り立たない、非○だけでは非○は成り立たない、○にも非○にも実体は無い」）の理解から、無所得（無実体・無自性）、言語道断・無記・戯論寂滅（四句分別の否定「非有、非無、非有無、非「非有非無」（非非有非非無）」）への論理的道筋をしっかりと理解し、最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦のありようを真に了解することは、いかなる虚妄分別・分別執着も打ち破り、いかなる迷い・苦しみもを打ち破る、無上甚深微妙の法にして真なる涅槃に至るための実にすばらしく吉祥なるものである。<br>
<br>
「ブッダによって、どのような法（教え）も、どのような処でも、だれに対しても、説かれたことはない。」・・お釈迦様・諸仏・如来によって、言語活動・言語表現を扱った世俗諦における諸々の教説は、対機説法・方便として、様々な者に対してそれぞれが色々と抱えている虚妄分別・分別執着のその一つ一つを打ち破らせるために説かれているものに過ぎず、最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦としての無上甚深微妙の法のありようは、いかなるところにおいても、誰に対しても説かれたことはない。<br>
<br>
最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦としての無上甚深微妙の法のありようは、それぞれがそれぞれにおいて真に了解すべきものであり、お釈迦様・諸仏・如来の慈悲によって、言語活動・言語表現を扱った世俗諦における諸々の教説から、それぞれが色々と抱えている虚妄分別・分別執着、迷い・苦しみのその一つ一つをそれぞれが打ち破るために、勝義の空・勝義諦・第一義諦を真に了解し、真なる涅槃に至ることが何よりも重要であると存じております。当然にその了解したる最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦は、もはや言語活動・言語表現を超えたものであって、いかなるところにおいても、誰に対しても説けるものでもないと存じております。・・後略・・<br>
<br>
・・引用抜粋ここまで。<br>
<br>
・・<br>
<br>
さて、最近は<a href="http://mixi.jp/">mixi</a>のコミュニティ・仏教のトピック「ダルマキールティ論師の刹那滅論証（瞬間的存在性論証）」におきまして仏教論考を継続させて頂いておりまして、現在は特に龍樹論師「中論」の理解も平行して鋭意進めております。<br>
<br>
そのコメント投稿におきまして、先日のオバマ米大統領・ノーベル平和賞・受賞演説の内容につきまして扱わせて頂きました。<br>
<br>
コミュニティ・仏教<br>
<br>
トピック・ダルマキールティ論師の刹那滅論証（瞬間的存在性論証）<br>
<br>
89　　2009年12月11日 21:50<br>
<br>
引き続きまして、中論・「観涅槃品」（第二十五）を扱いまして、「中論」の説く「ニルヴァーナ（涅槃）」の考察を行って参りたいと存じておりますが、<br>
<br>
少しその前に・・昨日のオバマ米大統領・ノーベル平和賞・受賞演説の内容は誠にやや残念でございました・・<br>
<br>
米大統領選の当選直後にダライ・ラマ14世師と会談した際に、ダライ・ラマ14世師から中観思想の視座によっての平和・戦争のありようについての示唆を得られておられるものであるかとご期待申し上げておりましたが・・「平和のための戦争」を肯定してしまうような受賞演説の内容には少し失望を覚えました・・<br>
<br>
最近のダライ・ラマ14世師との会談を延期したオバマ米大統領のありよう、もちろん、今回の受賞演説の内容のありようも鑑みますと、相当に何らかの圧力があってのことであろうとも存じます・・オバマ米大統領の真意の内容では無いのかもしれませんが・・<br>
<br>
「戦争によって平和がある、平和によって戦争がある」と縁起的・空性的あり方においてそれぞれは仮に言えたとしてもそれぞれは実体の無いものであり、いつまでも平和だ、戦争だと実体視して執着し続けている限り、戦争は決して無くなることはあり得ませんし、真に平和に至ることもあり得ません・・<br>
<br>
戦争利権を貪り、執着するものたちがいるかぎり、そのものたちが虚妄分別・分別執着で自作自演にて産み出し続けながら、しかも変化してゆく「平和」と「戦争」の定義に、世界の人々が実体視して執着させられてしまう限り、戦争は無くならず、真なる平和も得られないものでありますでしょう・・<br>
<br>
このことは、最近の環境利権においても同様のことが言えるかと存じますが・・<br>
<br>
誠にどこか寂しい限りでございますね・・<br>
<br>
もちろん・・<br>
<br>
以前にも引用にてコメントを述べさせて頂きましたこととなりますが、<br>
<br>
以下、引用・・<br>
<br>
国家破綻研究ブログ<br>
<a href="http://gijutsu.exblog.jp/">http://gijutsu.exblog.jp/</a><br>
<br>
リーマンショック１周年　何が明らかになり、何が変わったのか　変わらない強欲<br>
<a href="http://gijutsu.exblog.jp/8971065/">http://gijutsu.exblog.jp/8971065/</a><br>
<br>
におきましてコメント投稿させて頂いておりますように、<br>
<br>
「リーマンショックから一年を振り返ってのまさに的確な分析であると存じます。確かに、「世界経済奥の院」が現在進行形で一体何をどうしたいのかということは、なかなか読み解くことは難しくあります。ただ世の流動における歴史の厳然たる結果を見ると、遡って、ああ、そういうことを考えていたのかということは理解することはできます。しかし、その内実のほとんどはkanconsultingさんのおっしゃる通りに傲慢に利権を貪る者の「強欲さ」が反映されているものばかりであり、相変わらず浅ましく下らない愚かなことの繰り返しであります・・<br>
<br>
この負の連鎖をいい加減に断ち切らない限りは、同じことの繰り返しとなってしまいます・・私はこの繰り返し（輪廻）を断ち切るには、お釈迦様の仏法真理とその実践（慈悲）が必要であると強く考えております。特に現代社会においては、ナーガールジュナ（龍樹）論師以来の仏教・中観思想の考究とそこからの実践が重要と存じております。」<br>
<br>
と致しまして、「世界経済奥の院」の強欲・傲慢さが生み出し続ける数々の人間世界の苦しみを無くすためには、何としても「世界経済奥の院」たちに仏法真理、その一つとしての中観思想も学んで頂き、理解して頂いて、そして、そこからの慈悲の実践を行ってほしいという想いがございます。<br>
<br>
・・引用ここまで。<br>
<br>
このように述べさせて頂きましたように、中観思想の学びとそこからの実践は実に現代世界においては重要であると存じております。<br>
<br>
とにかく、あまりにも微力でありまして、浅学菲才の未熟者でございますが、少しでも中観思想の学びとそこからの実践を行っていけましたらと存じております。<br>
<br>
誠に皆様方におかれましては、ご賢察賜りまして、ご理解を賜れますよう、何卒、宜しくお願い申し上げます。 <br>
<br>
・・ここまで。<br>
<br>
とにかく中観思想の学びとその実践が、現代社会においては誠に重要であると存じております。誠に一つ一つでございます。<br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51518341.html">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第三弾</a><br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/oujyouin/archives/51552614.html">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第二弾</a><br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/2008-11.html#20081110">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第一弾</a>]]></content:encoded>
  </item>
  <item rdf:about="http://hide.noblog.net/blog/10934170.html">
    <title>
			中観帰謬論証派の学びのススメ
		</title>
    <link>http://hide.noblog.net/blog/10934170.html</link>
    <description>現時点におけます、私の仏教の学びの進めの一つの整理と致しましては、現代日本仏教のあり方に疑念を生じて以降、現代日本仏教がなぜ今のような現状に陥ってしまっているのかについて、根本・初期仏教から学び直しを進め始めまして、初期大乗仏教、唯識思想・...</description>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2010-01-27T17:40:59+09:00</dc:date>
    <content:encoded><![CDATA[現時点におけます、私の仏教の学びの進めの一つの整理と致しましては、現代日本仏教のあり方に疑念を生じて以降、現代日本仏教がなぜ今のような現状に陥ってしまっているのかについて、根本・初期仏教から学び直しを進め始めまして、初期大乗仏教、唯識思想・中観思想の発展と中期大乗仏教の学びを進めていく中におきまして、ある程度問題点を明確化することができて参りました。<br>
<br>
現時点におけます結論と致しましては、大きく仏典の説く仏説の相違の扱いにおいて、インドから日本に渡ってきた仏教を解釈する際において根本的な誤りがあったためであると考えております。<br>
<br>
インド、中国、日本と仏教が渡ってくる中、なぜ、数多くの著された仏典の中で、仏説・教義の相違があるのかを真に理解できないままに、教典にとらわれて、教典に優劣を付けて、教義に優劣を付けて、醜い争いを展開し、これが一番の教えだ、私たちの教義が最も優れていると、そのようなくだらないことで終始したところが少なからずもあるように存じております。<br>
<br>
そのようなことでは、争い、様々な堕落と衰退もしかるべきであろうと思う次第でございます。<br>
<br>
上記のことは、中観思想の帰謬論証派の学びを進めていけば、容易に気づくことでもございますが、残念ながら、中観帰謬論証派は中国、日本へ正確に伝わることが無く、中国・日本の仏教は大きな問題を最初から抱えざるを得なかったと考えております。<br>
<br>
これは、もちろんやむを得なかったこともございます・・中国・日本へ仏教が伝来してくる途上、「無我」を説く教典と「我」を説く教典がほぼ同時に流入していたのですから・・大きくは般若思想と如来蔵思想となりますが、両思想が同時に流入すれば様々な混乱が生じるのは当たり前であったのだと考えます。<br>
<br>
結果として、どちらの教えが正しいのかといつまでも論争を繰り返すことになってしまい、「無我」か、それとも「我」か、両者の統合か、と、それぞれとらわれてしまったままとなっているのが、日本現代仏教が抱える苦悩の一番の問題となっている根本であると存じております。<br>
<br>
このことを解決するのは、龍樹論師以来の中観思想にあり、特にチャンドラキールティ論師からツォンカパ論師に至るまで展開された帰謬論証派の思想を正確に学ばないと解決は不可能なことであると考えております。<br>
<br>
龍樹論師の中観思想は日本にも三論宗として伝わったものの、それから発展していった帰謬論証派の思想は残念ながら伝わらないままで、現代に至ってしまったところにおいて、日本仏教の抱えている苦難が続いてしまっているところがあるように存じております。ただ、戦後にチベット仏教哲学、ツォンカパ論師の中観思想が徐々に邦訳・注釈等でも日本にて知られることができてきたため、これからは少しずつ変わっていくようには思うところもございます。<br>
<br>
とにかく、仏典の言語表現は全て世俗諦の方便として正しく、等しいものであり、そこに優劣など本来はありません。もちろん、あくまでも世俗諦の域で留まってのことであって、仏典の言語表現の一切は、勝義諦を指向するための渡し船に過ぎず、いちいちの仏典の表現や解釈にとらわれて上だ、下だと執着することは大きな誤りを産み出す原因となると考えております。<br>
<br>
一つは、中論にございます<br>
<br>
「観法品」（第十八・第六偈）『もろもろの仏は「我〔が有る〕」とも仮説し、「我が無い（無我である）」とも説き、「いかなる我も無く、無我も無い」とも説いている。』・・中論の邦訳は〔中論（上・中・下）　三枝充悳訳注　第三文明社・レグルス文庫〕より引用<br>
<br>
ということから、更に帰謬論証派の思想を深く学ぶことによって、しっかりと理解していかなければならないことがあると僭越ながらも存じております。<br>
<br>
何とかここまでようやくに、ツォンカパ論師の中観思想の学びを本格的に進めていくための入り口付近に来ることができてきたのではないかと、もちろんまだまだの浅学非才の未熟者の身ながらも思っております。今は学びを一歩でも前へと進めていかねばならないとも考えております。 <br>
<br>
・・<br>
<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究５・入中論の意趣善明の鏡」を読み終えました。<br>
<br>
意趣善明の鏡は、中観帰謬論証派のチャンドラキールティ論師の代表論著「入中論」の注釈書で、中論、中観自立論証派、中観帰謬論証派といった中観思想の展開を学ぶ上でも註の内容は非常に読み応えがありました。また、唯識思想についてもある程度学ぶことができるため、是非、機会がございましたらお読みになられると良いかと存じております。改めまして、チベット仏教哲学の精緻さ洗練さに圧倒されました次第でございます。<br>
<br>
入中論の意趣善明の鏡 <br>
<img src="http://stat.ameba.jp/user_images/20100114/08/hidetoshi-k/7b/03/j/t02200293_0240032010375441668.jpg"><br>
ダライ・ラマ十四世テンジン・ギャツォ大師による序文<br>
<br>
次は、「ツォンカパ 中観哲学の研究1」、「菩提道次第論・中篇-観の章-・和訳、原著・ツォンカパ論師」を読み進めて参ります。<br>
<br>
・・<br>
<br>
本年の抱負は、施本論考シリーズ第六弾の執筆は当然ながら、前回施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」におけます縁起・空性の理解を更に深く進めていけましたらと考えております。特に中観思想の展開過程、ツォンカパ論師の中観思想についてしっかりと考究していけましたらと存じております。<br>
<br>
施本論考シリーズ第六弾の本格執筆を前に、論著の読み進めを行っております。<br>
<br>
「チベット仏教哲学」松本史朗著・大蔵出版<br>
「ツォンカパの中観思想―ことばによることばの否定」四津谷孝道著・大蔵出版<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究1」<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究2」<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究3」<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究4」<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究5」<br>
「般若経釈 現観荘厳論の研究」兵藤一夫著　文栄堂<br>
「ダライ・ラマ 般若心経入門」ダライ・ラマ14世著、宮坂宥洪翻訳・春秋社<br>
「チベット仏教成就者たちの聖典『道次第・解脱荘厳』解脱の宝飾」<br>
　ガムポパ著・ツルティム・ケサン、藤仲 孝司共訳 UNIO<br>
「心の迷妄を断つ智慧―チベット密教の真髄」<br>
　チュギャム トゥルンパ著・宮坂宥洪訳<br>
「チベット密教 修行の設計図」<br>
　斎藤保高著・春秋社<br>
「チベット密教 心の修行」<br>
　ゲシェー・ソナム・ギャルツェン ゴンタ著、藤田省吾著　法蔵館<br>
「チベット仏教 文殊菩薩(マンジュシュリ)の秘訣」<br>
　ソナム・ギャルツェン・ゴンタ著　法蔵館<br>
<br>
施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/enginorikai.html">http://oujyouin.com/enginorikai.html</a><br>
施本・「仏教・空の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/topengi.htm">http://oujyouin.com/topengi.htm</a><br>
施本「仏教・空の理解」<br>
<a href="http://oujyouin.com/sunyatop.htm">http://oujyouin.com/sunyatop.htm</a><br>
施本「仏教　〜　一枚の紙から考える　〜」<br>
<a href="http://oujyouin.com/buddhism1p.html">http://oujyouin.com/buddhism1p.html</a><br>
施本「佛の道」<br>
<a href="http://oujyouin.com/hotokenomichi.html">http://oujyouin.com/hotokenomichi.html</a><br>
<br>
<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/~sdaisin/">現代仏教学を再生するためのホームページ</a>・<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/cgi-bin/ezboard/sdaisin/1/">掲示板</a>投稿より・・<br>
<br>
mixiのコミュニティ「仏教」におけます中論・「観涅槃品」（第二十五）の最終偈についての考察からの引用抜粋でございます。<br>
<br>
以下、引用抜粋・・<br>
<br>
・・前略・・<br>
<br>
以下、中論の邦訳は〔中論（上・中・下）　三枝充悳訳注　第三文明社・レグルス文庫〕より引用致します。<br>
<br>
中論・「観涅槃品」（第二十五・第二十四偈）『〔ニルヴァーナとは、〕一切の得ること（有所得）が寂滅し、戯論（想定された論議）が寂滅して、吉祥なるものである。ブッダによって、どのような法（教え）も、どのような処でも、だれに対しても、説かれたことはない。』<br>
<br>
まず、前半について考えて参りたいと存じます。<br>
<br>
一切の得ること（有所得）が寂滅し・・縁起的・空性的あり方を理解し、あらゆる一切は実体が無く、得るための主体も、得れる対象となる客体も、いずれにも実体が無いため、何も得る実体たるところも何も得れる実体たるところも無いということであるかと存じます。<br>
<br>
般若心経における「無所得」とほぼ同意の事態のことを示しているものであると考えます。<br>
<br>
戯論（想定された論議）が寂滅・・縁起・空性の理解から、四句分別・「非有、非無、非有無、非「非有非無」（非非有非非無）」を理解し、更に言語活動・言語表現の限界を理解して、もはや一切の想定された論議も止み、「無記」への論理的道筋をしっかりと理解し、最高の真理である勝義諦・第一義諦のありようを真に了解するということであるかと存じております。<br>
<br>
もちろん、このあたりのことは、「二諦をめぐる解釈の問題」が控えておりますが、あらゆる一切における世俗諦と勝義諦のありよう（世俗諦によって勝義諦があり、勝義諦によって世俗諦があるという、縁起的・空性的あり方における勝義諦についての理解も含めて）について了解した上で、「勝義の空」の真たるが何であるかも完全に了解し、様々な虚妄分別・分別執着によって迷い・苦しんでいる者に対して、自由自在に方便を用いながら、その迷い・苦しみを解き放つことができるようになるための仏道が完全に完成し、慈悲の実践を展開していくことに繋がるものであるかと存じております。 ・・中略・・<br>
<br>
後半・・「吉祥なるものである。ブッダによって、どのような法（教え）も、どのような処でも、だれに対しても、説かれたことはない。」<br>
<br>
縁起的・空性的あり方（○によって非○があり、非○によって○があるとして、一応、○も非○もそれぞれ仮において言えるものの、○だけでは○は成り立たない、非○だけでは非○は成り立たない、○にも非○にも実体は無い」）の理解から、無所得（無実体・無自性）、言語道断・無記・戯論寂滅（四句分別の否定「非有、非無、非有無、非「非有非無」（非非有非非無）」）への論理的道筋をしっかりと理解し、最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦のありようを真に了解することは、いかなる虚妄分別・分別執着も打ち破り、いかなる迷い・苦しみもを打ち破る、無上甚深微妙の法にして真なる涅槃に至るための実にすばらしく吉祥なるものである。<br>
<br>
「ブッダによって、どのような法（教え）も、どのような処でも、だれに対しても、説かれたことはない。」・・お釈迦様・諸仏・如来によって、言語活動・言語表現を扱った世俗諦における諸々の教説は、対機説法・方便として、様々な者に対してそれぞれが色々と抱えている虚妄分別・分別執着のその一つ一つを打ち破らせるために説かれているものに過ぎず、最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦としての無上甚深微妙の法のありようは、いかなるところにおいても、誰に対しても説かれたことはない。<br>
<br>
最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦としての無上甚深微妙の法のありようは、それぞれがそれぞれにおいて真に了解すべきものであり、お釈迦様・諸仏・如来の慈悲によって、言語活動・言語表現を扱った世俗諦における諸々の教説から、それぞれが色々と抱えている虚妄分別・分別執着、迷い・苦しみのその一つ一つをそれぞれが打ち破るために、勝義の空・勝義諦・第一義諦を真に了解し、真なる涅槃に至ることが何よりも重要であると存じております。当然にその了解したる最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦は、もはや言語活動・言語表現を超えたものであって、いかなるところにおいても、誰に対しても説けるものでもないと存じております。・・後略・・<br>
<br>
・・引用抜粋ここまで。<br>
<br>
・・<br>
<br>
さて、最近は<a href="http://mixi.jp/">mixi</a>のコミュニティ・仏教のトピック「ダルマキールティ論師の刹那滅論証（瞬間的存在性論証）」におきまして仏教論考を継続させて頂いておりまして、現在は特に龍樹論師「中論」の理解も平行して鋭意進めております。<br>
<br>
そのコメント投稿におきまして、先日のオバマ米大統領・ノーベル平和賞・受賞演説の内容につきまして扱わせて頂きました。<br>
<br>
コミュニティ・仏教<br>
<br>
トピック・ダルマキールティ論師の刹那滅論証（瞬間的存在性論証）<br>
<br>
89　　2009年12月11日 21:50<br>
<br>
引き続きまして、中論・「観涅槃品」（第二十五）を扱いまして、「中論」の説く「ニルヴァーナ（涅槃）」の考察を行って参りたいと存じておりますが、<br>
<br>
少しその前に・・昨日のオバマ米大統領・ノーベル平和賞・受賞演説の内容は誠にやや残念でございました・・<br>
<br>
米大統領選の当選直後にダライ・ラマ14世師と会談した際に、ダライ・ラマ14世師から中観思想の視座によっての平和・戦争のありようについての示唆を得られておられるものであるかとご期待申し上げておりましたが・・「平和のための戦争」を肯定してしまうような受賞演説の内容には少し失望を覚えました・・<br>
<br>
最近のダライ・ラマ14世師との会談を延期したオバマ米大統領のありよう、もちろん、今回の受賞演説の内容のありようも鑑みますと、相当に何らかの圧力があってのことであろうとも存じます・・オバマ米大統領の真意の内容では無いのかもしれませんが・・<br>
<br>
「戦争によって平和がある、平和によって戦争がある」と縁起的・空性的あり方においてそれぞれは仮に言えたとしてもそれぞれは実体の無いものであり、いつまでも平和だ、戦争だと実体視して執着し続けている限り、戦争は決して無くなることはあり得ませんし、真に平和に至ることもあり得ません・・<br>
<br>
戦争利権を貪り、執着するものたちがいるかぎり、そのものたちが虚妄分別・分別執着で自作自演にて産み出し続けながら、しかも変化してゆく「平和」と「戦争」の定義に、世界の人々が実体視して執着させられてしまう限り、戦争は無くならず、真なる平和も得られないものでありますでしょう・・<br>
<br>
このことは、最近の環境利権においても同様のことが言えるかと存じますが・・<br>
<br>
誠にどこか寂しい限りでございますね・・<br>
<br>
もちろん・・<br>
<br>
以前にも引用にてコメントを述べさせて頂きましたこととなりますが、<br>
<br>
以下、引用・・<br>
<br>
国家破綻研究ブログ<br>
<a href="http://gijutsu.exblog.jp/">http://gijutsu.exblog.jp/</a><br>
<br>
リーマンショック１周年　何が明らかになり、何が変わったのか　変わらない強欲<br>
<a href="http://gijutsu.exblog.jp/8971065/">http://gijutsu.exblog.jp/8971065/</a><br>
<br>
におきましてコメント投稿させて頂いておりますように、<br>
<br>
「リーマンショックから一年を振り返ってのまさに的確な分析であると存じます。確かに、「世界経済奥の院」が現在進行形で一体何をどうしたいのかということは、なかなか読み解くことは難しくあります。ただ世の流動における歴史の厳然たる結果を見ると、遡って、ああ、そういうことを考えていたのかということは理解することはできます。しかし、その内実のほとんどはkanconsultingさんのおっしゃる通りに傲慢に利権を貪る者の「強欲さ」が反映されているものばかりであり、相変わらず浅ましく下らない愚かなことの繰り返しであります・・<br>
<br>
この負の連鎖をいい加減に断ち切らない限りは、同じことの繰り返しとなってしまいます・・私はこの繰り返し（輪廻）を断ち切るには、お釈迦様の仏法真理とその実践（慈悲）が必要であると強く考えております。特に現代社会においては、ナーガールジュナ（龍樹）論師以来の仏教・中観思想の考究とそこからの実践が重要と存じております。」<br>
<br>
と致しまして、「世界経済奥の院」の強欲・傲慢さが生み出し続ける数々の人間世界の苦しみを無くすためには、何としても「世界経済奥の院」たちに仏法真理、その一つとしての中観思想も学んで頂き、理解して頂いて、そして、そこからの慈悲の実践を行ってほしいという想いがございます。<br>
<br>
・・引用ここまで。<br>
<br>
このように述べさせて頂きましたように、中観思想の学びとそこからの実践は実に現代世界においては重要であると存じております。<br>
<br>
とにかく、あまりにも微力でありまして、浅学菲才の未熟者でございますが、少しでも中観思想の学びとそこからの実践を行っていけましたらと存じております。<br>
<br>
誠に皆様方におかれましては、ご賢察賜りまして、ご理解を賜れますよう、何卒、宜しくお願い申し上げます。 <br>
<br>
・・ここまで。<br>
<br>
とにかく中観思想の学びとその実践が、現代社会においては誠に重要であると存じております。誠に一つ一つでございます。<br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51518341.html">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第三弾</a><br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/oujyouin/archives/51552614.html">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第二弾</a><br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/2008-11.html#20081110">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第一弾</a>]]></content:encoded>
  </item>
  <item rdf:about="http://hide.noblog.net/blog/10928778.html">
    <title>
			入中論の意趣善明の鏡
		</title>
    <link>http://hide.noblog.net/blog/10928778.html</link>
    <description>現在、読み進めを行っております「ツォンカパ中観哲学の研究５・入中論の意趣善明の鏡」は、実にすばらしい論著であると感嘆しながら読み進めております。いわゆる菩薩道の要説である十地論に基づいて空思想・中観思想がまとめられているものであります。改め...</description>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2010-01-18T19:30:59+09:00</dc:date>
    <content:encoded><![CDATA[現在、読み進めを行っております「ツォンカパ中観哲学の研究５・入中論の意趣善明の鏡」は、実にすばらしい論著であると感嘆しながら読み進めております。いわゆる菩薩道の要説である十地論に基づいて空思想・中観思想がまとめられているものであります。改めまして、チベット仏教哲学の精緻さ洗練さに圧倒される限りでございます。<br>
<br>
・・<br>
<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究５　ダライ・ラマ一世ゲンドゥンドゥプ著 入中論の意趣善明の鏡」を読み進め中。入中論は、中観帰謬論証派のチャンドラキールティ論師の代表論著であります。その入中論を注釈された論著が、意趣善明の鏡でございます。<br>
<br>
入中論の意趣善明の鏡 <br>
<img src="http://stat.ameba.jp/user_images/20100114/08/hidetoshi-k/7b/03/j/t02200293_0240032010375441668.jpg"><br>
ダライ・ラマ十四世テンジン・ギャツォ大師による序文<br>
<br>
内容につきましては、「ツォンカパ　中観哲学の研究２」と同様に半分ほど理解が及んでいるようには思います。おそらく１〜２年前にこの内容を読み進めていたとしても、まず途中で挫折していたことでありますでしょう。僭越ながらもある程度、仏教における縁起と空の理解が及んできているからこそ、かろうじて読み進めが可能になっているのではないかと存じております。とにかく一歩一歩でございます。 <br>
<br>
本年の抱負は、施本論考シリーズ第六弾の執筆は当然ながら、前回施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」におけます縁起・空性の理解を更に深く進めていけましたらと考えております。特に中観思想の展開過程、ツォンカパ論師の中観思想についてしっかりと考究していけましたらと存じております。<br>
<br>
施本論考シリーズ第六弾の本格執筆を前に、論著の読み進めを行っております。<br>
<br>
「チベット仏教哲学」松本史朗著・大蔵出版<br>
「ツォンカパの中観思想―ことばによることばの否定」四津谷孝道著・大蔵出版<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究1」<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究2」<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究3」<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究4」<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究5」<br>
「般若経釈 現観荘厳論の研究」兵藤一夫著　文栄堂<br>
「ダライ・ラマ 般若心経入門」ダライ・ラマ14世著、宮坂宥洪翻訳・春秋社<br>
「チベット仏教成就者たちの聖典『道次第・解脱荘厳』解脱の宝飾」<br>
　ガムポパ著・ツルティム・ケサン、藤仲 孝司共訳 UNIO<br>
「心の迷妄を断つ智慧―チベット密教の真髄」<br>
　チュギャム トゥルンパ著・宮坂宥洪訳<br>
「チベット密教 修行の設計図」<br>
　斎藤保高著・春秋社<br>
「チベット密教 心の修行」<br>
　ゲシェー・ソナム・ギャルツェン ゴンタ著、藤田省吾著　法蔵館<br>
「チベット仏教 文殊菩薩(マンジュシュリ)の秘訣」<br>
　ソナム・ギャルツェン・ゴンタ著　法蔵館<br>
<br>
施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/enginorikai.html">http://oujyouin.com/enginorikai.html</a><br>
施本・「仏教・空の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/topengi.htm">http://oujyouin.com/topengi.htm</a><br>
施本「仏教・空の理解」<br>
<a href="http://oujyouin.com/sunyatop.htm">http://oujyouin.com/sunyatop.htm</a><br>
施本「仏教　〜　一枚の紙から考える　〜」<br>
<a href="http://oujyouin.com/buddhism1p.html">http://oujyouin.com/buddhism1p.html</a><br>
施本「佛の道」<br>
<a href="http://oujyouin.com/hotokenomichi.html">http://oujyouin.com/hotokenomichi.html</a><br>
<br>
<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/~sdaisin/">現代仏教学を再生するためのホームページ</a>・<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/cgi-bin/ezboard/sdaisin/1/">掲示板</a>投稿より・・<br>
<br>
mixiのコミュニティ「仏教」におけます中論・「観涅槃品」（第二十五）の最終偈についての考察からの引用抜粋でございます。<br>
<br>
以下、引用抜粋・・<br>
<br>
・・前略・・<br>
<br>
以下、中論の邦訳は〔中論（上・中・下）　三枝充悳訳注　第三文明社・レグルス文庫〕より引用致します。<br>
<br>
中論・「観涅槃品」（第二十五・第二十四偈）『〔ニルヴァーナとは、〕一切の得ること（有所得）が寂滅し、戯論（想定された論議）が寂滅して、吉祥なるものである。ブッダによって、どのような法（教え）も、どのような処でも、だれに対しても、説かれたことはない。』<br>
<br>
まず、前半について考えて参りたいと存じます。<br>
<br>
一切の得ること（有所得）が寂滅し・・縁起的・空性的あり方を理解し、あらゆる一切は実体が無く、得るための主体も、得れる対象となる客体も、いずれにも実体が無いため、何も得る実体たるところも何も得れる実体たるところも無いということであるかと存じます。<br>
<br>
般若心経における「無所得」とほぼ同意の事態のことを示しているものであると考えます。<br>
<br>
戯論（想定された論議）が寂滅・・縁起・空性の理解から、四句分別・「非有、非無、非有無、非「非有非無」（非非有非非無）」を理解し、更に言語活動・言語表現の限界を理解して、もはや一切の想定された論議も止み、「無記」への論理的道筋をしっかりと理解し、最高の真理である勝義諦・第一義諦のありようを真に了解するということであるかと存じております。<br>
<br>
もちろん、このあたりのことは、「二諦をめぐる解釈の問題」が控えておりますが、あらゆる一切における世俗諦と勝義諦のありよう（世俗諦によって勝義諦があり、勝義諦によって世俗諦があるという、縁起的・空性的あり方における勝義諦についての理解も含めて）について了解した上で、「勝義の空」の真たるが何であるかも完全に了解し、様々な虚妄分別・分別執着によって迷い・苦しんでいる者に対して、自由自在に方便を用いながら、その迷い・苦しみを解き放つことができるようになるための仏道が完全に完成し、慈悲の実践を展開していくことに繋がるものであるかと存じております。 ・・中略・・<br>
<br>
後半・・「吉祥なるものである。ブッダによって、どのような法（教え）も、どのような処でも、だれに対しても、説かれたことはない。」<br>
<br>
縁起的・空性的あり方（○によって非○があり、非○によって○があるとして、一応、○も非○もそれぞれ仮において言えるものの、○だけでは○は成り立たない、非○だけでは非○は成り立たない、○にも非○にも実体は無い」）の理解から、無所得（無実体・無自性）、言語道断・無記・戯論寂滅（四句分別の否定「非有、非無、非有無、非「非有非無」（非非有非非無）」）への論理的道筋をしっかりと理解し、最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦のありようを真に了解することは、いかなる虚妄分別・分別執着も打ち破り、いかなる迷い・苦しみもを打ち破る、無上甚深微妙の法にして真なる涅槃に至るための実にすばらしく吉祥なるものである。<br>
<br>
「ブッダによって、どのような法（教え）も、どのような処でも、だれに対しても、説かれたことはない。」・・お釈迦様・諸仏・如来によって、言語活動・言語表現を扱った世俗諦における諸々の教説は、対機説法・方便として、様々な者に対してそれぞれが色々と抱えている虚妄分別・分別執着のその一つ一つを打ち破らせるために説かれているものに過ぎず、最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦としての無上甚深微妙の法のありようは、いかなるところにおいても、誰に対しても説かれたことはない。<br>
<br>
最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦としての無上甚深微妙の法のありようは、それぞれがそれぞれにおいて真に了解すべきものであり、お釈迦様・諸仏・如来の慈悲によって、言語活動・言語表現を扱った世俗諦における諸々の教説から、それぞれが色々と抱えている虚妄分別・分別執着、迷い・苦しみのその一つ一つをそれぞれが打ち破るために、勝義の空・勝義諦・第一義諦を真に了解し、真なる涅槃に至ることが何よりも重要であると存じております。当然にその了解したる最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦は、もはや言語活動・言語表現を超えたものであって、いかなるところにおいても、誰に対しても説けるものでもないと存じております。・・後略・・<br>
<br>
・・引用抜粋ここまで。<br>
<br>
・・<br>
<br>
さて、最近は<a href="http://mixi.jp/">mixi</a>のコミュニティ・仏教のトピック「ダルマキールティ論師の刹那滅論証（瞬間的存在性論証）」におきまして仏教論考を継続させて頂いておりまして、現在は特に龍樹論師「中論」の理解も平行して鋭意進めております。<br>
<br>
そのコメント投稿におきまして、先日のオバマ米大統領・ノーベル平和賞・受賞演説の内容につきまして扱わせて頂きました。<br>
<br>
コミュニティ・仏教<br>
<br>
トピック・ダルマキールティ論師の刹那滅論証（瞬間的存在性論証）<br>
<br>
89　　2009年12月11日 21:50<br>
<br>
引き続きまして、中論・「観涅槃品」（第二十五）を扱いまして、「中論」の説く「ニルヴァーナ（涅槃）」の考察を行って参りたいと存じておりますが、<br>
<br>
少しその前に・・昨日のオバマ米大統領・ノーベル平和賞・受賞演説の内容は誠にやや残念でございました・・<br>
<br>
米大統領選の当選直後にダライ・ラマ14世師と会談した際に、ダライ・ラマ14世師から中観思想の視座によっての平和・戦争のありようについての示唆を得られておられるものであるかとご期待申し上げておりましたが・・「平和のための戦争」を肯定してしまうような受賞演説の内容には少し失望を覚えました・・<br>
<br>
最近のダライ・ラマ14世師との会談を延期したオバマ米大統領のありよう、もちろん、今回の受賞演説の内容のありようも鑑みますと、相当に何らかの圧力があってのことであろうとも存じます・・オバマ米大統領の真意の内容では無いのかもしれませんが・・<br>
<br>
「戦争によって平和がある、平和によって戦争がある」と縁起的・空性的あり方においてそれぞれは仮に言えたとしてもそれぞれは実体の無いものであり、いつまでも平和だ、戦争だと実体視して執着し続けている限り、戦争は決して無くなることはあり得ませんし、真に平和に至ることもあり得ません・・<br>
<br>
戦争利権を貪り、執着するものたちがいるかぎり、そのものたちが虚妄分別・分別執着で自作自演にて産み出し続けながら、しかも変化してゆく「平和」と「戦争」の定義に、世界の人々が実体視して執着させられてしまう限り、戦争は無くならず、真なる平和も得られないものでありますでしょう・・<br>
<br>
このことは、最近の環境利権においても同様のことが言えるかと存じますが・・<br>
<br>
誠にどこか寂しい限りでございますね・・<br>
<br>
もちろん・・<br>
<br>
以前にも引用にてコメントを述べさせて頂きましたこととなりますが、<br>
<br>
以下、引用・・<br>
<br>
国家破綻研究ブログ<br>
<a href="http://gijutsu.exblog.jp/">http://gijutsu.exblog.jp/</a><br>
<br>
リーマンショック１周年　何が明らかになり、何が変わったのか　変わらない強欲<br>
<a href="http://gijutsu.exblog.jp/8971065/">http://gijutsu.exblog.jp/8971065/</a><br>
<br>
におきましてコメント投稿させて頂いておりますように、<br>
<br>
「リーマンショックから一年を振り返ってのまさに的確な分析であると存じます。確かに、「世界経済奥の院」が現在進行形で一体何をどうしたいのかということは、なかなか読み解くことは難しくあります。ただ世の流動における歴史の厳然たる結果を見ると、遡って、ああ、そういうことを考えていたのかということは理解することはできます。しかし、その内実のほとんどはkanconsultingさんのおっしゃる通りに傲慢に利権を貪る者の「強欲さ」が反映されているものばかりであり、相変わらず浅ましく下らない愚かなことの繰り返しであります・・<br>
<br>
この負の連鎖をいい加減に断ち切らない限りは、同じことの繰り返しとなってしまいます・・私はこの繰り返し（輪廻）を断ち切るには、お釈迦様の仏法真理とその実践（慈悲）が必要であると強く考えております。特に現代社会においては、ナーガールジュナ（龍樹）論師以来の仏教・中観思想の考究とそこからの実践が重要と存じております。」<br>
<br>
と致しまして、「世界経済奥の院」の強欲・傲慢さが生み出し続ける数々の人間世界の苦しみを無くすためには、何としても「世界経済奥の院」たちに仏法真理、その一つとしての中観思想も学んで頂き、理解して頂いて、そして、そこからの慈悲の実践を行ってほしいという想いがございます。<br>
<br>
・・引用ここまで。<br>
<br>
このように述べさせて頂きましたように、中観思想の学びとそこからの実践は実に現代世界においては重要であると存じております。<br>
<br>
とにかく、あまりにも微力でありまして、浅学菲才の未熟者でございますが、少しでも中観思想の学びとそこからの実践を行っていけましたらと存じております。<br>
<br>
誠に皆様方におかれましては、ご賢察賜りまして、ご理解を賜れますよう、何卒、宜しくお願い申し上げます。 <br>
<br>
・・ここまで。<br>
<br>
とにかく中観思想の学びとその実践が、現代社会においては誠に重要であると存じております。誠に一つ一つでございます。<br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51518341.html">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第三弾</a><br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/oujyouin/archives/51552614.html">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第二弾</a><br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/2008-11.html#20081110">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第一弾</a>]]></content:encoded>
  </item>
  <item rdf:about="http://hide.noblog.net/blog/10927212.html">
    <title>
			「ツォンカパ 中観哲学の研究５」を読み進め
		</title>
    <link>http://hide.noblog.net/blog/10927212.html</link>
    <description>「ツォンカパ　中観哲学の研究２」をまず一読終えまして、次は、「ツォンカパ 中観哲学の研究５　ダライ・ラマ一世ゲンドゥンドゥプ著 入中論の意趣善明の鏡」を読み進めて参ります。入中論は、中観帰謬論証派のチャンドラキールティ論師による龍樹論師「中論...</description>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2010-01-15T23:23:59+09:00</dc:date>
    <content:encoded><![CDATA[「ツォンカパ　中観哲学の研究２」をまず一読終えまして、次は、「ツォンカパ 中観哲学の研究５　ダライ・ラマ一世ゲンドゥンドゥプ著 入中論の意趣善明の鏡」を読み進めて参ります。入中論は、中観帰謬論証派のチャンドラキールティ論師による龍樹論師「中論」の注釈書の代表論著であります。その入中論を更に注釈した論著が、意趣善明の鏡でございます。<br>
<br>
入中論の意趣善明の鏡 <br>
<img src="http://stat.ameba.jp/user_images/20100114/08/hidetoshi-k/7b/03/j/t02200293_0240032010375441668.jpg"><br>
ダライ・ラマ十四世テンジン・ギャツォ大師による序文<br>
<br>
内容につきましては、「ツォンカパ　中観哲学の研究２」と同様に半分ほど理解が及んでいるようには思います。おそらく１〜２年前にこの内容を読み進めていたとしても、まず途中で挫折していたことでありますでしょう。僭越ながらもある程度、仏教における縁起と空の理解が及んできているからこそ、かろうじて読み進めが可能になっているのではないかと存じております。とにかく一歩一歩でございます。 <br>
<br>
本年の抱負は、施本論考シリーズ第六弾の執筆は当然ながら、前回施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」におけます縁起・空性の理解を更に深く進めていけましたらと考えております。特に中観思想の展開過程、ツォンカパ論師の中観思想についてしっかりと考究していけましたらと存じております。<br>
<br>
施本論考シリーズ第六弾の本格執筆を前に、論著の読み進めを行っております。<br>
<br>
「チベット仏教哲学」松本史朗著・大蔵出版<br>
「ツォンカパの中観思想―ことばによることばの否定」四津谷孝道著・大蔵出版<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究1」<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究2」<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究3」<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究4」<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究5」<br>
「般若経釈 現観荘厳論の研究」兵藤一夫著　文栄堂<br>
「ダライ・ラマ 般若心経入門」ダライ・ラマ14世著、宮坂宥洪翻訳・春秋社<br>
「チベット仏教成就者たちの聖典『道次第・解脱荘厳』解脱の宝飾」<br>
　ガムポパ著・ツルティム・ケサン、藤仲 孝司共訳 UNIO<br>
「心の迷妄を断つ智慧―チベット密教の真髄」<br>
　チュギャム トゥルンパ著・宮坂宥洪訳<br>
「チベット密教 修行の設計図」<br>
　斎藤保高著・春秋社<br>
「チベット密教 心の修行」<br>
　ゲシェー・ソナム・ギャルツェン ゴンタ著、藤田省吾著　法蔵館<br>
「チベット仏教 文殊菩薩(マンジュシュリ)の秘訣」<br>
　ソナム・ギャルツェン・ゴンタ著　法蔵館<br>
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施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/enginorikai.html">http://oujyouin.com/enginorikai.html</a><br>
施本・「仏教・空の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/topengi.htm">http://oujyouin.com/topengi.htm</a><br>
施本「仏教・空の理解」<br>
<a href="http://oujyouin.com/sunyatop.htm">http://oujyouin.com/sunyatop.htm</a><br>
施本「仏教　〜　一枚の紙から考える　〜」<br>
<a href="http://oujyouin.com/buddhism1p.html">http://oujyouin.com/buddhism1p.html</a><br>
施本「佛の道」<br>
<a href="http://oujyouin.com/hotokenomichi.html">http://oujyouin.com/hotokenomichi.html</a><br>
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<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/~sdaisin/">現代仏教学を再生するためのホームページ</a>・<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/cgi-bin/ezboard/sdaisin/1/">掲示板</a>投稿より・・<br>
<br>
mixiのコミュニティ「仏教」におけます中論・「観涅槃品」（第二十五）の最終偈についての考察からの引用抜粋でございます。<br>
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以下、引用抜粋・・<br>
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・・前略・・<br>
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以下、中論の邦訳は〔中論（上・中・下）　三枝充悳訳注　第三文明社・レグルス文庫〕より引用致します。<br>
<br>
中論・「観涅槃品」（第二十五・第二十四偈）『〔ニルヴァーナとは、〕一切の得ること（有所得）が寂滅し、戯論（想定された論議）が寂滅して、吉祥なるものである。ブッダによって、どのような法（教え）も、どのような処でも、だれに対しても、説かれたことはない。』<br>
<br>
まず、前半について考えて参りたいと存じます。<br>
<br>
一切の得ること（有所得）が寂滅し・・縁起的・空性的あり方を理解し、あらゆる一切は実体が無く、得るための主体も、得れる対象となる客体も、いずれにも実体が無いため、何も得る実体たるところも何も得れる実体たるところも無いということであるかと存じます。<br>
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般若心経における「無所得」とほぼ同意の事態のことを示しているものであると考えます。<br>
<br>
戯論（想定された論議）が寂滅・・縁起・空性の理解から、四句分別・「非有、非無、非有無、非「非有非無」（非非有非非無）」を理解し、更に言語活動・言語表現の限界を理解して、もはや一切の想定された論議も止み、「無記」への論理的道筋をしっかりと理解し、最高の真理である勝義諦・第一義諦のありようを真に了解するということであるかと存じております。<br>
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もちろん、このあたりのことは、「二諦をめぐる解釈の問題」が控えておりますが、あらゆる一切における世俗諦と勝義諦のありよう（世俗諦によって勝義諦があり、勝義諦によって世俗諦があるという、縁起的・空性的あり方における勝義諦についての理解も含めて）について了解した上で、「勝義の空」の真たるが何であるかも完全に了解し、様々な虚妄分別・分別執着によって迷い・苦しんでいる者に対して、自由自在に方便を用いながら、その迷い・苦しみを解き放つことができるようになるための仏道が完全に完成し、慈悲の実践を展開していくことに繋がるものであるかと存じております。 ・・中略・・<br>
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後半・・「吉祥なるものである。ブッダによって、どのような法（教え）も、どのような処でも、だれに対しても、説かれたことはない。」<br>
<br>
縁起的・空性的あり方（○によって非○があり、非○によって○があるとして、一応、○も非○もそれぞれ仮において言えるものの、○だけでは○は成り立たない、非○だけでは非○は成り立たない、○にも非○にも実体は無い」）の理解から、無所得（無実体・無自性）、言語道断・無記・戯論寂滅（四句分別の否定「非有、非無、非有無、非「非有非無」（非非有非非無）」）への論理的道筋をしっかりと理解し、最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦のありようを真に了解することは、いかなる虚妄分別・分別執着も打ち破り、いかなる迷い・苦しみもを打ち破る、無上甚深微妙の法にして真なる涅槃に至るための実にすばらしく吉祥なるものである。<br>
<br>
「ブッダによって、どのような法（教え）も、どのような処でも、だれに対しても、説かれたことはない。」・・お釈迦様・諸仏・如来によって、言語活動・言語表現を扱った世俗諦における諸々の教説は、対機説法・方便として、様々な者に対してそれぞれが色々と抱えている虚妄分別・分別執着のその一つ一つを打ち破らせるために説かれているものに過ぎず、最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦としての無上甚深微妙の法のありようは、いかなるところにおいても、誰に対しても説かれたことはない。<br>
<br>
最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦としての無上甚深微妙の法のありようは、それぞれがそれぞれにおいて真に了解すべきものであり、お釈迦様・諸仏・如来の慈悲によって、言語活動・言語表現を扱った世俗諦における諸々の教説から、それぞれが色々と抱えている虚妄分別・分別執着、迷い・苦しみのその一つ一つをそれぞれが打ち破るために、勝義の空・勝義諦・第一義諦を真に了解し、真なる涅槃に至ることが何よりも重要であると存じております。当然にその了解したる最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦は、もはや言語活動・言語表現を超えたものであって、いかなるところにおいても、誰に対しても説けるものでもないと存じております。・・後略・・<br>
<br>
・・引用抜粋ここまで。<br>
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・・<br>
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さて、最近は<a href="http://mixi.jp/">mixi</a>のコミュニティ・仏教のトピック「ダルマキールティ論師の刹那滅論証（瞬間的存在性論証）」におきまして仏教論考を継続させて頂いておりまして、現在は特に龍樹論師「中論」の理解も平行して鋭意進めております。<br>
<br>
そのコメント投稿におきまして、先日のオバマ米大統領・ノーベル平和賞・受賞演説の内容につきまして扱わせて頂きました。<br>
<br>
コミュニティ・仏教<br>
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トピック・ダルマキールティ論師の刹那滅論証（瞬間的存在性論証）<br>
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89　　2009年12月11日 21:50<br>
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引き続きまして、中論・「観涅槃品」（第二十五）を扱いまして、「中論」の説く「ニルヴァーナ（涅槃）」の考察を行って参りたいと存じておりますが、<br>
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少しその前に・・昨日のオバマ米大統領・ノーベル平和賞・受賞演説の内容は誠にやや残念でございました・・<br>
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米大統領選の当選直後にダライ・ラマ14世師と会談した際に、ダライ・ラマ14世師から中観思想の視座によっての平和・戦争のありようについての示唆を得られておられるものであるかとご期待申し上げておりましたが・・「平和のための戦争」を肯定してしまうような受賞演説の内容には少し失望を覚えました・・<br>
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最近のダライ・ラマ14世師との会談を延期したオバマ米大統領のありよう、もちろん、今回の受賞演説の内容のありようも鑑みますと、相当に何らかの圧力があってのことであろうとも存じます・・オバマ米大統領の真意の内容では無いのかもしれませんが・・<br>
<br>
「戦争によって平和がある、平和によって戦争がある」と縁起的・空性的あり方においてそれぞれは仮に言えたとしてもそれぞれは実体の無いものであり、いつまでも平和だ、戦争だと実体視して執着し続けている限り、戦争は決して無くなることはあり得ませんし、真に平和に至ることもあり得ません・・<br>
<br>
戦争利権を貪り、執着するものたちがいるかぎり、そのものたちが虚妄分別・分別執着で自作自演にて産み出し続けながら、しかも変化してゆく「平和」と「戦争」の定義に、世界の人々が実体視して執着させられてしまう限り、戦争は無くならず、真なる平和も得られないものでありますでしょう・・<br>
<br>
このことは、最近の環境利権においても同様のことが言えるかと存じますが・・<br>
<br>
誠にどこか寂しい限りでございますね・・<br>
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もちろん・・<br>
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以前にも引用にてコメントを述べさせて頂きましたこととなりますが、<br>
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以下、引用・・<br>
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国家破綻研究ブログ<br>
<a href="http://gijutsu.exblog.jp/">http://gijutsu.exblog.jp/</a><br>
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リーマンショック１周年　何が明らかになり、何が変わったのか　変わらない強欲<br>
<a href="http://gijutsu.exblog.jp/8971065/">http://gijutsu.exblog.jp/8971065/</a><br>
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におきましてコメント投稿させて頂いておりますように、<br>
<br>
「リーマンショックから一年を振り返ってのまさに的確な分析であると存じます。確かに、「世界経済奥の院」が現在進行形で一体何をどうしたいのかということは、なかなか読み解くことは難しくあります。ただ世の流動における歴史の厳然たる結果を見ると、遡って、ああ、そういうことを考えていたのかということは理解することはできます。しかし、その内実のほとんどはkanconsultingさんのおっしゃる通りに傲慢に利権を貪る者の「強欲さ」が反映されているものばかりであり、相変わらず浅ましく下らない愚かなことの繰り返しであります・・<br>
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この負の連鎖をいい加減に断ち切らない限りは、同じことの繰り返しとなってしまいます・・私はこの繰り返し（輪廻）を断ち切るには、お釈迦様の仏法真理とその実践（慈悲）が必要であると強く考えております。特に現代社会においては、ナーガールジュナ（龍樹）論師以来の仏教・中観思想の考究とそこからの実践が重要と存じております。」<br>
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と致しまして、「世界経済奥の院」の強欲・傲慢さが生み出し続ける数々の人間世界の苦しみを無くすためには、何としても「世界経済奥の院」たちに仏法真理、その一つとしての中観思想も学んで頂き、理解して頂いて、そして、そこからの慈悲の実践を行ってほしいという想いがございます。<br>
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・・引用ここまで。<br>
<br>
このように述べさせて頂きましたように、中観思想の学びとそこからの実践は実に現代世界においては重要であると存じております。<br>
<br>
とにかく、あまりにも微力でありまして、浅学菲才の未熟者でございますが、少しでも中観思想の学びとそこからの実践を行っていけましたらと存じております。<br>
<br>
誠に皆様方におかれましては、ご賢察賜りまして、ご理解を賜れますよう、何卒、宜しくお願い申し上げます。 <br>
<br>
・・ここまで。<br>
<br>
とにかく中観思想の学びとその実践が、現代社会においては誠に重要であると存じております。誠に一つ一つでございます。<br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51518341.html">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第三弾</a><br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/oujyouin/archives/51552614.html">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第二弾</a><br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/2008-11.html#20081110">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第一弾</a>]]></content:encoded>
  </item>
  <item rdf:about="http://hide.noblog.net/blog/10923961.html">
    <title>
			「ツォンカパ　中観哲学の研究２」を読み進め中
		</title>
    <link>http://hide.noblog.net/blog/10923961.html</link>
    <description>「ツォンカパ　中観哲学の研究２」を読み進め中。  レクシェーニンポ・中観章　チベット語原典と対照和訳  和訳内容につきましては半分ほど理解が及んでいるように思います。おそらく１〜２年前にこの内容を読み進めていたとしても、まず途中で挫折していたこ...</description>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2010-01-11T18:26:59+09:00</dc:date>
    <content:encoded><![CDATA[「ツォンカパ　中観哲学の研究２」を読み進め中。<br>
<img src="http://stat001.ameba.jp/user_images/20100111/16/hidetoshi-k/88/3c/j/t02200293_0240032010372262797.jpg"><br>
レクシェーニンポ・中観章　チベット語原典と対照和訳<br>
<br>
和訳内容につきましては半分ほど理解が及んでいるように思います。おそらく１〜２年前にこの内容を読み進めていたとしても、まず途中で挫折していたことでありますでしょう。僭越ながらもある程度、仏教における縁起と空の理解が及んできているからこそ、かろうじて読み進めが可能になっているのではないかと存じております。とにかく一歩一歩でございます。 <br>
<br>
本年の抱負は、施本論考シリーズ第六弾の執筆は当然ながら、前回施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」におけます縁起・空性の理解を更に深く進めていけましたらと考えております。特に中観思想の展開過程、ツォンカパ論師の中観思想についてしっかりと考究していけましたらと存じております。<br>
<br>
施本論考シリーズ第六弾の本格執筆を前に、論著の読み進めを行っております。<br>
<br>
「チベット仏教哲学」松本史朗著・大蔵出版<br>
「ツォンカパの中観思想―ことばによることばの否定」四津谷孝道著・大蔵出版<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究�T」<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究�U」<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究�V」<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究�W」<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究�X」<br>
「般若経釈 現観荘厳論の研究」兵藤一夫著　文栄堂<br>
「ダライ・ラマ 般若心経入門」ダライ・ラマ14世著、宮坂宥洪翻訳・春秋社<br>
「チベット仏教成就者たちの聖典『道次第・解脱荘厳』解脱の宝飾」<br>
　ガムポパ著・ツルティム・ケサン、藤仲 孝司共訳 UNIO<br>
「心の迷妄を断つ智慧―チベット密教の真髄」<br>
　チュギャム トゥルンパ著・宮坂宥洪訳<br>
「チベット密教 修行の設計図」<br>
　斎藤保高著・春秋社<br>
「チベット密教 心の修行」<br>
　ゲシェー・ソナム・ギャルツェン ゴンタ著、藤田省吾著　法蔵館<br>
「チベット仏教 文殊菩薩(マンジュシュリ)の秘訣」<br>
　ソナム・ギャルツェン・ゴンタ著　法蔵館<br>
<br>
施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/enginorikai.html">http://oujyouin.com/enginorikai.html</a><br>
施本・「仏教・空の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/topengi.htm">http://oujyouin.com/topengi.htm</a><br>
施本「仏教・空の理解」<br>
<a href="http://oujyouin.com/sunyatop.htm">http://oujyouin.com/sunyatop.htm</a><br>
施本「仏教　〜　一枚の紙から考える　〜」<br>
<a href="http://oujyouin.com/buddhism1p.html">http://oujyouin.com/buddhism1p.html</a><br>
施本「佛の道」<br>
<a href="http://oujyouin.com/hotokenomichi.html">http://oujyouin.com/hotokenomichi.html</a><br>
<br>
<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/~sdaisin/">現代仏教学を再生するためのホームページ</a>・<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/cgi-bin/ezboard/sdaisin/1/">掲示板</a>投稿より・・<br>
<br>
mixiのコミュニティ「仏教」におけます中論・「観涅槃品」（第二十五）の最終偈についての考察からの引用抜粋でございます。<br>
<br>
以下、引用抜粋・・<br>
<br>
・・前略・・<br>
<br>
以下、中論の邦訳は〔中論（上・中・下）　三枝充悳訳注　第三文明社・レグルス文庫〕より引用致します。<br>
<br>
中論・「観涅槃品」（第二十五・第二十四偈）『〔ニルヴァーナとは、〕一切の得ること（有所得）が寂滅し、戯論（想定された論議）が寂滅して、吉祥なるものである。ブッダによって、どのような法（教え）も、どのような処でも、だれに対しても、説かれたことはない。』<br>
<br>
まず、前半について考えて参りたいと存じます。<br>
<br>
一切の得ること（有所得）が寂滅し・・縁起的・空性的あり方を理解し、あらゆる一切は実体が無く、得るための主体も、得れる対象となる客体も、いずれにも実体が無いため、何も得る実体たるところも何も得れる実体たるところも無いということであるかと存じます。<br>
<br>
般若心経における「無所得」とほぼ同意の事態のことを示しているものであると考えます。<br>
<br>
戯論（想定された論議）が寂滅・・縁起・空性の理解から、四句分別・「非有、非無、非有無、非「非有非無」（非非有非非無）」を理解し、更に言語活動・言語表現の限界を理解して、もはや一切の想定された論議も止み、「無記」への論理的道筋をしっかりと理解し、最高の真理である勝義諦・第一義諦のありようを真に了解するということであるかと存じております。<br>
<br>
もちろん、このあたりのことは、「二諦をめぐる解釈の問題」が控えておりますが、あらゆる一切における世俗諦と勝義諦のありよう（世俗諦によって勝義諦があり、勝義諦によって世俗諦があるという、縁起的・空性的あり方における勝義諦についての理解も含めて）について了解した上で、「勝義の空」の真たるが何であるかも完全に了解し、様々な虚妄分別・分別執着によって迷い・苦しんでいる者に対して、自由自在に方便を用いながら、その迷い・苦しみを解き放つことができるようになるための仏道が完全に完成し、慈悲の実践を展開していくことに繋がるものであるかと存じております。 ・・中略・・<br>
<br>
後半・・「吉祥なるものである。ブッダによって、どのような法（教え）も、どのような処でも、だれに対しても、説かれたことはない。」<br>
<br>
縁起的・空性的あり方（○によって非○があり、非○によって○があるとして、一応、○も非○もそれぞれ仮において言えるものの、○だけでは○は成り立たない、非○だけでは非○は成り立たない、○にも非○にも実体は無い」）の理解から、無所得（無実体・無自性）、言語道断・無記・戯論寂滅（四句分別の否定「非有、非無、非有無、非「非有非無」（非非有非非無）」）への論理的道筋をしっかりと理解し、最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦のありようを真に了解することは、いかなる虚妄分別・分別執着も打ち破り、いかなる迷い・苦しみもを打ち破る、無上甚深微妙の法にして真なる涅槃に至るための実にすばらしく吉祥なるものである。<br>
<br>
「ブッダによって、どのような法（教え）も、どのような処でも、だれに対しても、説かれたことはない。」・・お釈迦様・諸仏・如来によって、言語活動・言語表現を扱った世俗諦における諸々の教説は、対機説法・方便として、様々な者に対してそれぞれが色々と抱えている虚妄分別・分別執着のその一つ一つを打ち破らせるために説かれているものに過ぎず、最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦としての無上甚深微妙の法のありようは、いかなるところにおいても、誰に対しても説かれたことはない。<br>
<br>
最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦としての無上甚深微妙の法のありようは、それぞれがそれぞれにおいて真に了解すべきものであり、お釈迦様・諸仏・如来の慈悲によって、言語活動・言語表現を扱った世俗諦における諸々の教説から、それぞれが色々と抱えている虚妄分別・分別執着、迷い・苦しみのその一つ一つをそれぞれが打ち破るために、勝義の空・勝義諦・第一義諦を真に了解し、真なる涅槃に至ることが何よりも重要であると存じております。当然にその了解したる最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦は、もはや言語活動・言語表現を超えたものであって、いかなるところにおいても、誰に対しても説けるものでもないと存じております。・・後略・・<br>
<br>
・・引用抜粋ここまで。<br>
<br>
・・<br>
<br>
さて、最近は<a href="http://mixi.jp/">mixi</a>のコミュニティ・仏教のトピック「ダルマキールティ論師の刹那滅論証（瞬間的存在性論証）」におきまして仏教論考を継続させて頂いておりまして、現在は特に龍樹論師「中論」の理解も平行して鋭意進めております。<br>
<br>
そのコメント投稿におきまして、先日のオバマ米大統領・ノーベル平和賞・受賞演説の内容につきまして扱わせて頂きました。<br>
<br>
コミュニティ・仏教<br>
<br>
トピック・ダルマキールティ論師の刹那滅論証（瞬間的存在性論証）<br>
<br>
89　　2009年12月11日 21:50<br>
<br>
引き続きまして、中論・「観涅槃品」（第二十五）を扱いまして、「中論」の説く「ニルヴァーナ（涅槃）」の考察を行って参りたいと存じておりますが、<br>
<br>
少しその前に・・昨日のオバマ米大統領・ノーベル平和賞・受賞演説の内容は誠にやや残念でございました・・<br>
<br>
米大統領選の当選直後にダライ・ラマ14世師と会談した際に、ダライ・ラマ14世師から中観思想の視座によっての平和・戦争のありようについての示唆を得られておられるものであるかとご期待申し上げておりましたが・・「平和のための戦争」を肯定してしまうような受賞演説の内容には少し失望を覚えました・・<br>
<br>
最近のダライ・ラマ14世師との会談を延期したオバマ米大統領のありよう、もちろん、今回の受賞演説の内容のありようも鑑みますと、相当に何らかの圧力があってのことであろうとも存じます・・オバマ米大統領の真意の内容では無いのかもしれませんが・・<br>
<br>
「戦争によって平和がある、平和によって戦争がある」と縁起的・空性的あり方においてそれぞれは仮に言えたとしてもそれぞれは実体の無いものであり、いつまでも平和だ、戦争だと実体視して執着し続けている限り、戦争は決して無くなることはあり得ませんし、真に平和に至ることもあり得ません・・<br>
<br>
戦争利権を貪り、執着するものたちがいるかぎり、そのものたちが虚妄分別・分別執着で自作自演にて産み出し続けながら、しかも変化してゆく「平和」と「戦争」の定義に、世界の人々が実体視して執着させられてしまう限り、戦争は無くならず、真なる平和も得られないものでありますでしょう・・<br>
<br>
このことは、最近の環境利権においても同様のことが言えるかと存じますが・・<br>
<br>
誠にどこか寂しい限りでございますね・・<br>
<br>
もちろん・・<br>
<br>
以前にも引用にてコメントを述べさせて頂きましたこととなりますが、<br>
<br>
以下、引用・・<br>
<br>
国家破綻研究ブログ<br>
<a href="http://gijutsu.exblog.jp/">http://gijutsu.exblog.jp/</a><br>
<br>
リーマンショック１周年　何が明らかになり、何が変わったのか　変わらない強欲<br>
<a href="http://gijutsu.exblog.jp/8971065/">http://gijutsu.exblog.jp/8971065/</a><br>
<br>
におきましてコメント投稿させて頂いておりますように、<br>
<br>
「リーマンショックから一年を振り返ってのまさに的確な分析であると存じます。確かに、「世界経済奥の院」が現在進行形で一体何をどうしたいのかということは、なかなか読み解くことは難しくあります。ただ世の流動における歴史の厳然たる結果を見ると、遡って、ああ、そういうことを考えていたのかということは理解することはできます。しかし、その内実のほとんどはkanconsultingさんのおっしゃる通りに傲慢に利権を貪る者の「強欲さ」が反映されているものばかりであり、相変わらず浅ましく下らない愚かなことの繰り返しであります・・<br>
<br>
この負の連鎖をいい加減に断ち切らない限りは、同じことの繰り返しとなってしまいます・・私はこの繰り返し（輪廻）を断ち切るには、お釈迦様の仏法真理とその実践（慈悲）が必要であると強く考えております。特に現代社会においては、ナーガールジュナ（龍樹）論師以来の仏教・中観思想の考究とそこからの実践が重要と存じております。」<br>
<br>
と致しまして、「世界経済奥の院」の強欲・傲慢さが生み出し続ける数々の人間世界の苦しみを無くすためには、何としても「世界経済奥の院」たちに仏法真理、その一つとしての中観思想も学んで頂き、理解して頂いて、そして、そこからの慈悲の実践を行ってほしいという想いがございます。<br>
<br>
・・引用ここまで。<br>
<br>
このように述べさせて頂きましたように、中観思想の学びとそこからの実践は実に現代世界においては重要であると存じております。<br>
<br>
とにかく、あまりにも微力でありまして、浅学菲才の未熟者でございますが、少しでも中観思想の学びとそこからの実践を行っていけましたらと存じております。<br>
<br>
誠に皆様方におかれましては、ご賢察賜りまして、ご理解を賜れますよう、何卒、宜しくお願い申し上げます。 <br>
<br>
・・ここまで。<br>
<br>
とにかく中観思想の学びとその実践が、現代社会においては誠に重要であると存じております。誠に一つ一つでございます。<br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51518341.html">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第三弾</a><br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/oujyouin/archives/51552614.html">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第二弾</a><br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/2008-11.html#20081110">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第一弾</a>]]></content:encoded>
  </item>
  <item rdf:about="http://hide.noblog.net/blog/10922290.html">
    <title>
			新たに追加した仏教参考書
		</title>
    <link>http://hide.noblog.net/blog/10922290.html</link>
    <description>新たに追加した仏教参考書  「チベット密教 心の修行」  ゲシェー・ソナム・ギャルツェン ゴンタ著、藤田省吾著　法蔵館  「チベット仏教 文殊菩薩(マンジュシュリ)の秘訣」   ソナム・ギャルツェン・ゴンタ著　法蔵館  本年の抱負は、施本論考シリーズ第六弾...</description>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2010-01-08T17:57:59+09:00</dc:date>
    <content:encoded><![CDATA[新たに追加した仏教参考書<br>
<br>
「チベット密教 心の修行」<br>
<img src="http://stat001.ameba.jp/user_images/20100108/15/hidetoshi-k/80/00/j/t02200293_0240032010368730397.jpg"><br>
ゲシェー・ソナム・ギャルツェン ゴンタ著、藤田省吾著　法蔵館<br>
<br>
「チベット仏教 文殊菩薩(マンジュシュリ)の秘訣」 <br>
<img src="http://stat001.ameba.jp/user_images/20100108/15/hidetoshi-k/e7/7d/j/t02200293_0240032010368731059.jpg"><br>
ソナム・ギャルツェン・ゴンタ著　法蔵館<br>
<br>
本年の抱負は、施本論考シリーズ第六弾の執筆は当然ながら、前回施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」におけます縁起・空性の理解を更に深く進めていけましたらと考えております。特に中観思想の展開過程、ツォンカパ論師の中観思想についてしっかりと考究していけましたらと存じております。<br>
<br>
施本論考シリーズ第六弾の本格執筆を前に、まずは「チベット仏教哲学・松本史朗著・大蔵出版」の再々読を始めました。次は「ツォンカパの中観思想―ことばによることばの否定・四津谷孝道著・大蔵出版」の再々読でございます。それから更に必要な論著の読み進めを行って参ります。<br>
<br>
→「チベット仏教哲学」松本史朗著・大蔵出版<br>
「ツォンカパの中観思想―ことばによることばの否定」四津谷孝道著・大蔵出版<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究�T」<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究�U」<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究�V」<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究�W」<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究�X」<br>
「般若経釈 現観荘厳論の研究」兵藤一夫著　文栄堂<br>
「ダライ・ラマ 般若心経入門」ダライ・ラマ14世著、宮坂宥洪翻訳・春秋社<br>
「チベット仏教成就者たちの聖典『道次第・解脱荘厳』解脱の宝飾」<br>
　ガムポパ著・ツルティム・ケサン、藤仲 孝司共訳 UNIO<br>
「心の迷妄を断つ智慧―チベット密教の真髄」<br>
　チュギャム トゥルンパ著・宮坂宥洪訳<br>
「チベット密教 修行の設計図」<br>
　斎藤保高著・春秋社<br>
<br>
施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/enginorikai.html">http://oujyouin.com/enginorikai.html</a><br>
施本・「仏教・空の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/topengi.htm">http://oujyouin.com/topengi.htm</a><br>
施本「仏教・空の理解」<br>
<a href="http://oujyouin.com/sunyatop.htm">http://oujyouin.com/sunyatop.htm</a><br>
施本「仏教　〜　一枚の紙から考える　〜」<br>
<a href="http://oujyouin.com/buddhism1p.html">http://oujyouin.com/buddhism1p.html</a><br>
施本「佛の道」<br>
<a href="http://oujyouin.com/hotokenomichi.html">http://oujyouin.com/hotokenomichi.html</a><br>
<br>
<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/~sdaisin/">現代仏教学を再生するためのホームページ</a>・<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/cgi-bin/ezboard/sdaisin/1/">掲示板</a>投稿より・・<br>
<br>
mixiのコミュニティ「仏教」におけます中論・「観涅槃品」（第二十五）の最終偈についての考察からの引用抜粋でございます。<br>
<br>
以下、引用抜粋・・<br>
<br>
・・前略・・<br>
<br>
以下、中論の邦訳は〔中論（上・中・下）　三枝充悳訳注　第三文明社・レグルス文庫〕より引用致します。<br>
<br>
中論・「観涅槃品」（第二十五・第二十四偈）『〔ニルヴァーナとは、〕一切の得ること（有所得）が寂滅し、戯論（想定された論議）が寂滅して、吉祥なるものである。ブッダによって、どのような法（教え）も、どのような処でも、だれに対しても、説かれたことはない。』<br>
<br>
まず、前半について考えて参りたいと存じます。<br>
<br>
一切の得ること（有所得）が寂滅し・・縁起的・空性的あり方を理解し、あらゆる一切は実体が無く、得るための主体も、得れる対象となる客体も、いずれにも実体が無いため、何も得る実体たるところも何も得れる実体たるところも無いということであるかと存じます。<br>
<br>
般若心経における「無所得」とほぼ同意の事態のことを示しているものであると考えます。<br>
<br>
戯論（想定された論議）が寂滅・・縁起・空性の理解から、四句分別・「非有、非無、非有無、非「非有非無」（非非有非非無）」を理解し、更に言語活動・言語表現の限界を理解して、もはや一切の想定された論議も止み、「無記」への論理的道筋をしっかりと理解し、最高の真理である勝義諦・第一義諦のありようを真に了解するということであるかと存じております。<br>
<br>
もちろん、このあたりのことは、「二諦をめぐる解釈の問題」が控えておりますが、あらゆる一切における世俗諦と勝義諦のありよう（世俗諦によって勝義諦があり、勝義諦によって世俗諦があるという、縁起的・空性的あり方における勝義諦についての理解も含めて）について了解した上で、「勝義の空」の真たるが何であるかも完全に了解し、様々な虚妄分別・分別執着によって迷い・苦しんでいる者に対して、自由自在に方便を用いながら、その迷い・苦しみを解き放つことができるようになるための仏道が完全に完成し、慈悲の実践を展開していくことに繋がるものであるかと存じております。 ・・中略・・<br>
<br>
後半・・「吉祥なるものである。ブッダによって、どのような法（教え）も、どのような処でも、だれに対しても、説かれたことはない。」<br>
<br>
縁起的・空性的あり方（○によって非○があり、非○によって○があるとして、一応、○も非○もそれぞれ仮において言えるものの、○だけでは○は成り立たない、非○だけでは非○は成り立たない、○にも非○にも実体は無い」）の理解から、無所得（無実体・無自性）、言語道断・無記・戯論寂滅（四句分別の否定「非有、非無、非有無、非「非有非無」（非非有非非無）」）への論理的道筋をしっかりと理解し、最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦のありようを真に了解することは、いかなる虚妄分別・分別執着も打ち破り、いかなる迷い・苦しみもを打ち破る、無上甚深微妙の法にして真なる涅槃に至るための実にすばらしく吉祥なるものである。<br>
<br>
「ブッダによって、どのような法（教え）も、どのような処でも、だれに対しても、説かれたことはない。」・・お釈迦様・諸仏・如来によって、言語活動・言語表現を扱った世俗諦における諸々の教説は、対機説法・方便として、様々な者に対してそれぞれが色々と抱えている虚妄分別・分別執着のその一つ一つを打ち破らせるために説かれているものに過ぎず、最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦としての無上甚深微妙の法のありようは、いかなるところにおいても、誰に対しても説かれたことはない。<br>
<br>
最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦としての無上甚深微妙の法のありようは、それぞれがそれぞれにおいて真に了解すべきものであり、お釈迦様・諸仏・如来の慈悲によって、言語活動・言語表現を扱った世俗諦における諸々の教説から、それぞれが色々と抱えている虚妄分別・分別執着、迷い・苦しみのその一つ一つをそれぞれが打ち破るために、勝義の空・勝義諦・第一義諦を真に了解し、真なる涅槃に至ることが何よりも重要であると存じております。当然にその了解したる最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦は、もはや言語活動・言語表現を超えたものであって、いかなるところにおいても、誰に対しても説けるものでもないと存じております。・・後略・・<br>
<br>
・・引用抜粋ここまで。<br>
<br>
・・<br>
<br>
さて、最近は<a href="http://mixi.jp/">mixi</a>のコミュニティ・仏教のトピック「ダルマキールティ論師の刹那滅論証（瞬間的存在性論証）」におきまして仏教論考を継続させて頂いておりまして、現在は特に龍樹論師「中論」の理解も平行して鋭意進めております。<br>
<br>
そのコメント投稿におきまして、先日のオバマ米大統領・ノーベル平和賞・受賞演説の内容につきまして扱わせて頂きました。<br>
<br>
コミュニティ・仏教<br>
<br>
トピック・ダルマキールティ論師の刹那滅論証（瞬間的存在性論証）<br>
<br>
89　　2009年12月11日 21:50<br>
<br>
引き続きまして、中論・「観涅槃品」（第二十五）を扱いまして、「中論」の説く「ニルヴァーナ（涅槃）」の考察を行って参りたいと存じておりますが、<br>
<br>
少しその前に・・昨日のオバマ米大統領・ノーベル平和賞・受賞演説の内容は誠にやや残念でございました・・<br>
<br>
米大統領選の当選直後にダライ・ラマ14世師と会談した際に、ダライ・ラマ14世師から中観思想の視座によっての平和・戦争のありようについての示唆を得られておられるものであるかとご期待申し上げておりましたが・・「平和のための戦争」を肯定してしまうような受賞演説の内容には少し失望を覚えました・・<br>
<br>
最近のダライ・ラマ14世師との会談を延期したオバマ米大統領のありよう、もちろん、今回の受賞演説の内容のありようも鑑みますと、相当に何らかの圧力があってのことであろうとも存じます・・オバマ米大統領の真意の内容では無いのかもしれませんが・・<br>
<br>
「戦争によって平和がある、平和によって戦争がある」と縁起的・空性的あり方においてそれぞれは仮に言えたとしてもそれぞれは実体の無いものであり、いつまでも平和だ、戦争だと実体視して執着し続けている限り、戦争は決して無くなることはあり得ませんし、真に平和に至ることもあり得ません・・<br>
<br>
戦争利権を貪り、執着するものたちがいるかぎり、そのものたちが虚妄分別・分別執着で自作自演にて産み出し続けながら、しかも変化してゆく「平和」と「戦争」の定義に、世界の人々が実体視して執着させられてしまう限り、戦争は無くならず、真なる平和も得られないものでありますでしょう・・<br>
<br>
このことは、最近の環境利権においても同様のことが言えるかと存じますが・・<br>
<br>
誠にどこか寂しい限りでございますね・・<br>
<br>
もちろん・・<br>
<br>
以前にも引用にてコメントを述べさせて頂きましたこととなりますが、<br>
<br>
以下、引用・・<br>
<br>
国家破綻研究ブログ<br>
<a href="http://gijutsu.exblog.jp/">http://gijutsu.exblog.jp/</a><br>
<br>
リーマンショック１周年　何が明らかになり、何が変わったのか　変わらない強欲<br>
<a href="http://gijutsu.exblog.jp/8971065/">http://gijutsu.exblog.jp/8971065/</a><br>
<br>
におきましてコメント投稿させて頂いておりますように、<br>
<br>
「リーマンショックから一年を振り返ってのまさに的確な分析であると存じます。確かに、「世界経済奥の院」が現在進行形で一体何をどうしたいのかということは、なかなか読み解くことは難しくあります。ただ世の流動における歴史の厳然たる結果を見ると、遡って、ああ、そういうことを考えていたのかということは理解することはできます。しかし、その内実のほとんどはkanconsultingさんのおっしゃる通りに傲慢に利権を貪る者の「強欲さ」が反映されているものばかりであり、相変わらず浅ましく下らない愚かなことの繰り返しであります・・<br>
<br>
この負の連鎖をいい加減に断ち切らない限りは、同じことの繰り返しとなってしまいます・・私はこの繰り返し（輪廻）を断ち切るには、お釈迦様の仏法真理とその実践（慈悲）が必要であると強く考えております。特に現代社会においては、ナーガールジュナ（龍樹）論師以来の仏教・中観思想の考究とそこからの実践が重要と存じております。」<br>
<br>
と致しまして、「世界経済奥の院」の強欲・傲慢さが生み出し続ける数々の人間世界の苦しみを無くすためには、何としても「世界経済奥の院」たちに仏法真理、その一つとしての中観思想も学んで頂き、理解して頂いて、そして、そこからの慈悲の実践を行ってほしいという想いがございます。<br>
<br>
・・引用ここまで。<br>
<br>
このように述べさせて頂きましたように、中観思想の学びとそこからの実践は実に現代世界においては重要であると存じております。<br>
<br>
とにかく、あまりにも微力でありまして、浅学菲才の未熟者でございますが、少しでも中観思想の学びとそこからの実践を行っていけましたらと存じております。<br>
<br>
誠に皆様方におかれましては、ご賢察賜りまして、ご理解を賜れますよう、何卒、宜しくお願い申し上げます。 <br>
<br>
・・ここまで。<br>
<br>
とにかく中観思想の学びとその実践が、現代社会においては誠に重要であると存じております。誠に一つ一つでございます。<br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51518341.html">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第三弾</a><br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/oujyouin/archives/51552614.html">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第二弾</a><br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/2008-11.html#20081110">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第一弾</a>]]></content:encoded>
  </item>
  <item rdf:about="http://hide.noblog.net/blog/10921668.html">
    <title>
			新たに追加した仏教参考書
		</title>
    <link>http://hide.noblog.net/blog/10921668.html</link>
    <description>新たに追加した仏教参考書  「チベット仏教成就者たちの聖典『道次第・解脱荘厳』解脱の宝飾」  ガムポパ著・ツルティム・ケサン、藤仲 孝司共訳 UNIO  「心の迷妄を断つ智慧―チベット密教の真髄」  チュギャム トゥルンパ著・宮坂宥洪訳  「チベット密教 修...</description>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2010-01-07T18:00:59+09:00</dc:date>
    <content:encoded><![CDATA[新たに追加した仏教参考書<br>
<br>
「チベット仏教成就者たちの聖典『道次第・解脱荘厳』解脱の宝飾」<br>
<img src="http://stat001.ameba.jp/user_images/20100107/08/hidetoshi-k/ef/89/j/t02200293_0240032010367317385.jpg"><br>
ガムポパ著・ツルティム・ケサン、藤仲 孝司共訳 UNIO<br>
<br>
「心の迷妄を断つ智慧―チベット密教の真髄」<br>
<img src="http://stat001.ameba.jp/user_images/20100107/08/hidetoshi-k/30/4e/j/t02200293_0240032010367316908.jpg"><br>
チュギャム トゥルンパ著・宮坂宥洪訳<br>
<br>
「チベット密教 修行の設計図」<br>
<img src="http://stat001.ameba.jp/user_images/20100107/08/hidetoshi-k/d8/ce/j/t02200293_0240032010367316264.jpg"><br>
斎藤保高著・春秋社 <br>
<br>
本年の抱負は、施本論考シリーズ第六弾の執筆は当然ながら、前回施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」におけます縁起・空性の理解を更に深く進めていけましたらと考えております。特に中観思想の展開過程、ツォンカパ論師の中観思想についてしっかりと考究していけましたらと存じております。<br>
<br>
施本論考シリーズ第六弾の本格執筆を前に、まずは「チベット仏教哲学・松本史朗著・大蔵出版」の再々読を始めました。次は「ツォンカパの中観思想―ことばによることばの否定・四津谷孝道著・大蔵出版」の再々読でございます。それから更に必要な論著の読み進めを行って参ります。<br>
<br>
→「チベット仏教哲学」松本史朗著・大蔵出版<br>
「ツォンカパの中観思想―ことばによることばの否定」四津谷孝道著・大蔵出版<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究�T」<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究�U」<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究�V」<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究�W」<br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究�X」<br>
「般若経釈 現観荘厳論の研究」兵藤一夫著　文栄堂<br>
「ダライ・ラマ 般若心経入門」ダライ・ラマ14世著、宮坂宥洪翻訳・春秋社<br>
<br>
施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/enginorikai.html">http://oujyouin.com/enginorikai.html</a><br>
施本・「仏教・空の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/topengi.htm">http://oujyouin.com/topengi.htm</a><br>
施本「仏教・空の理解」<br>
<a href="http://oujyouin.com/sunyatop.htm">http://oujyouin.com/sunyatop.htm</a><br>
施本「仏教　〜　一枚の紙から考える　〜」<br>
<a href="http://oujyouin.com/buddhism1p.html">http://oujyouin.com/buddhism1p.html</a><br>
施本「佛の道」<br>
<a href="http://oujyouin.com/hotokenomichi.html">http://oujyouin.com/hotokenomichi.html</a><br>
<br>
<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/~sdaisin/">現代仏教学を再生するためのホームページ</a>・<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/cgi-bin/ezboard/sdaisin/1/">掲示板</a>投稿より・・<br>
<br>
mixiのコミュニティ「仏教」におけます中論・「観涅槃品」（第二十五）の最終偈についての考察からの引用抜粋でございます。<br>
<br>
以下、引用抜粋・・<br>
<br>
・・前略・・<br>
<br>
以下、中論の邦訳は〔中論（上・中・下）　三枝充悳訳注　第三文明社・レグルス文庫〕より引用致します。<br>
<br>
中論・「観涅槃品」（第二十五・第二十四偈）『〔ニルヴァーナとは、〕一切の得ること（有所得）が寂滅し、戯論（想定された論議）が寂滅して、吉祥なるものである。ブッダによって、どのような法（教え）も、どのような処でも、だれに対しても、説かれたことはない。』<br>
<br>
まず、前半について考えて参りたいと存じます。<br>
<br>
一切の得ること（有所得）が寂滅し・・縁起的・空性的あり方を理解し、あらゆる一切は実体が無く、得るための主体も、得れる対象となる客体も、いずれにも実体が無いため、何も得る実体たるところも何も得れる実体たるところも無いということであるかと存じます。<br>
<br>
般若心経における「無所得」とほぼ同意の事態のことを示しているものであると考えます。<br>
<br>
戯論（想定された論議）が寂滅・・縁起・空性の理解から、四句分別・「非有、非無、非有無、非「非有非無」（非非有非非無）」を理解し、更に言語活動・言語表現の限界を理解して、もはや一切の想定された論議も止み、「無記」への論理的道筋をしっかりと理解し、最高の真理である勝義諦・第一義諦のありようを真に了解するということであるかと存じております。<br>
<br>
もちろん、このあたりのことは、「二諦をめぐる解釈の問題」が控えておりますが、あらゆる一切における世俗諦と勝義諦のありよう（世俗諦によって勝義諦があり、勝義諦によって世俗諦があるという、縁起的・空性的あり方における勝義諦についての理解も含めて）について了解した上で、「勝義の空」の真たるが何であるかも完全に了解し、様々な虚妄分別・分別執着によって迷い・苦しんでいる者に対して、自由自在に方便を用いながら、その迷い・苦しみを解き放つことができるようになるための仏道が完全に完成し、慈悲の実践を展開していくことに繋がるものであるかと存じております。 ・・中略・・<br>
<br>
後半・・「吉祥なるものである。ブッダによって、どのような法（教え）も、どのような処でも、だれに対しても、説かれたことはない。」<br>
<br>
縁起的・空性的あり方（○によって非○があり、非○によって○があるとして、一応、○も非○もそれぞれ仮において言えるものの、○だけでは○は成り立たない、非○だけでは非○は成り立たない、○にも非○にも実体は無い」）の理解から、無所得（無実体・無自性）、言語道断・無記・戯論寂滅（四句分別の否定「非有、非無、非有無、非「非有非無」（非非有非非無）」）への論理的道筋をしっかりと理解し、最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦のありようを真に了解することは、いかなる虚妄分別・分別執着も打ち破り、いかなる迷い・苦しみもを打ち破る、無上甚深微妙の法にして真なる涅槃に至るための実にすばらしく吉祥なるものである。<br>
<br>
「ブッダによって、どのような法（教え）も、どのような処でも、だれに対しても、説かれたことはない。」・・お釈迦様・諸仏・如来によって、言語活動・言語表現を扱った世俗諦における諸々の教説は、対機説法・方便として、様々な者に対してそれぞれが色々と抱えている虚妄分別・分別執着のその一つ一つを打ち破らせるために説かれているものに過ぎず、最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦としての無上甚深微妙の法のありようは、いかなるところにおいても、誰に対しても説かれたことはない。<br>
<br>
最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦としての無上甚深微妙の法のありようは、それぞれがそれぞれにおいて真に了解すべきものであり、お釈迦様・諸仏・如来の慈悲によって、言語活動・言語表現を扱った世俗諦における諸々の教説から、それぞれが色々と抱えている虚妄分別・分別執着、迷い・苦しみのその一つ一つをそれぞれが打ち破るために、勝義の空・勝義諦・第一義諦を真に了解し、真なる涅槃に至ることが何よりも重要であると存じております。当然にその了解したる最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦は、もはや言語活動・言語表現を超えたものであって、いかなるところにおいても、誰に対しても説けるものでもないと存じております。・・後略・・<br>
<br>
・・引用抜粋ここまで。<br>
<br>
・・<br>
<br>
さて、最近は<a href="http://mixi.jp/">mixi</a>のコミュニティ・仏教のトピック「ダルマキールティ論師の刹那滅論証（瞬間的存在性論証）」におきまして仏教論考を継続させて頂いておりまして、現在は特に龍樹論師「中論」の理解も平行して鋭意進めております。<br>
<br>
そのコメント投稿におきまして、先日のオバマ米大統領・ノーベル平和賞・受賞演説の内容につきまして扱わせて頂きました。<br>
<br>
コミュニティ・仏教<br>
<br>
トピック・ダルマキールティ論師の刹那滅論証（瞬間的存在性論証）<br>
<br>
89　　2009年12月11日 21:50<br>
<br>
引き続きまして、中論・「観涅槃品」（第二十五）を扱いまして、「中論」の説く「ニルヴァーナ（涅槃）」の考察を行って参りたいと存じておりますが、<br>
<br>
少しその前に・・昨日のオバマ米大統領・ノーベル平和賞・受賞演説の内容は誠にやや残念でございました・・<br>
<br>
米大統領選の当選直後にダライ・ラマ14世師と会談した際に、ダライ・ラマ14世師から中観思想の視座によっての平和・戦争のありようについての示唆を得られておられるものであるかとご期待申し上げておりましたが・・「平和のための戦争」を肯定してしまうような受賞演説の内容には少し失望を覚えました・・<br>
<br>
最近のダライ・ラマ14世師との会談を延期したオバマ米大統領のありよう、もちろん、今回の受賞演説の内容のありようも鑑みますと、相当に何らかの圧力があってのことであろうとも存じます・・オバマ米大統領の真意の内容では無いのかもしれませんが・・<br>
<br>
「戦争によって平和がある、平和によって戦争がある」と縁起的・空性的あり方においてそれぞれは仮に言えたとしてもそれぞれは実体の無いものであり、いつまでも平和だ、戦争だと実体視して執着し続けている限り、戦争は決して無くなることはあり得ませんし、真に平和に至ることもあり得ません・・<br>
<br>
戦争利権を貪り、執着するものたちがいるかぎり、そのものたちが虚妄分別・分別執着で自作自演にて産み出し続けながら、しかも変化してゆく「平和」と「戦争」の定義に、世界の人々が実体視して執着させられてしまう限り、戦争は無くならず、真なる平和も得られないものでありますでしょう・・<br>
<br>
このことは、最近の環境利権においても同様のことが言えるかと存じますが・・<br>
<br>
誠にどこか寂しい限りでございますね・・<br>
<br>
もちろん・・<br>
<br>
以前にも引用にてコメントを述べさせて頂きましたこととなりますが、<br>
<br>
以下、引用・・<br>
<br>
国家破綻研究ブログ<br>
<a href="http://gijutsu.exblog.jp/">http://gijutsu.exblog.jp/</a><br>
<br>
リーマンショック１周年　何が明らかになり、何が変わったのか　変わらない強欲<br>
<a href="http://gijutsu.exblog.jp/8971065/">http://gijutsu.exblog.jp/8971065/</a><br>
<br>
におきましてコメント投稿させて頂いておりますように、<br>
<br>
「リーマンショックから一年を振り返ってのまさに的確な分析であると存じます。確かに、「世界経済奥の院」が現在進行形で一体何をどうしたいのかということは、なかなか読み解くことは難しくあります。ただ世の流動における歴史の厳然たる結果を見ると、遡って、ああ、そういうことを考えていたのかということは理解することはできます。しかし、その内実のほとんどはkanconsultingさんのおっしゃる通りに傲慢に利権を貪る者の「強欲さ」が反映されているものばかりであり、相変わらず浅ましく下らない愚かなことの繰り返しであります・・<br>
<br>
この負の連鎖をいい加減に断ち切らない限りは、同じことの繰り返しとなってしまいます・・私はこの繰り返し（輪廻）を断ち切るには、お釈迦様の仏法真理とその実践（慈悲）が必要であると強く考えております。特に現代社会においては、ナーガールジュナ（龍樹）論師以来の仏教・中観思想の考究とそこからの実践が重要と存じております。」<br>
<br>
と致しまして、「世界経済奥の院」の強欲・傲慢さが生み出し続ける数々の人間世界の苦しみを無くすためには、何としても「世界経済奥の院」たちに仏法真理、その一つとしての中観思想も学んで頂き、理解して頂いて、そして、そこからの慈悲の実践を行ってほしいという想いがございます。<br>
<br>
・・引用ここまで。<br>
<br>
このように述べさせて頂きましたように、中観思想の学びとそこからの実践は実に現代世界においては重要であると存じております。<br>
<br>
とにかく、あまりにも微力でありまして、浅学菲才の未熟者でございますが、少しでも中観思想の学びとそこからの実践を行っていけましたらと存じております。<br>
<br>
誠に皆様方におかれましては、ご賢察賜りまして、ご理解を賜れますよう、何卒、宜しくお願い申し上げます。 <br>
<br>
・・ここまで。<br>
<br>
とにかく中観思想の学びとその実践が、現代社会においては誠に重要であると存じております。誠に一つ一つでございます。<br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51518341.html">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第三弾</a><br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/oujyouin/archives/51552614.html">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第二弾</a><br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/2008-11.html#20081110">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第一弾</a>]]></content:encoded>
  </item>
  <item rdf:about="http://hide.noblog.net/blog/10921096.html">
    <title>
			新たに追加した仏教参考書
		</title>
    <link>http://hide.noblog.net/blog/10921096.html</link>
    <description>新たに追加した仏教参考書   「ツォンカパ 中観哲学の研究�T　菩提道次第論・中篇　-観の章-」 　ツルティム・ケサン、高田順仁共訳　文栄堂   「ツォンカパ 中観哲学の研究�U レクシェーニンポ -中観章-」 　片野道雄、ツルティム・ケサン共訳　文栄堂   「ツ...</description>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2010-01-06T17:34:59+09:00</dc:date>
    <content:encoded><![CDATA[新たに追加した仏教参考書<br>
<br>
<img src="http://stat001.ameba.jp/user_images/20100106/12/hidetoshi-k/9a/d6/j/t02200293_0240032010366379220.jpg"><br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究�T　菩提道次第論・中篇　-観の章-」<br>
　ツルティム・ケサン、高田順仁共訳　文栄堂<br>
<br>
<img src="http://stat001.ameba.jp/user_images/20100106/12/hidetoshi-k/c8/c6/j/t02200293_0240032010366378199.jpg"><br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究�U レクシェーニンポ -中観章-」<br>
　片野道雄、ツルティム・ケサン共訳　文栄堂<br>
<br>
<img src="http://stat001.ameba.jp/user_images/20100106/12/hidetoshi-k/62/e0/j/t02200293_0240032010366376808.jpg"><br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究�V ケードゥプ・ゲルク・ペルサンポ著　深遠な空性の真実を明らかにする論書・幸いなる者の開眼（千薬大論）上」<br>
　ツルティム・ケサン、藤仲孝司共訳　文栄堂<br>
<br>
<img src="http://stat001.ameba.jp/user_images/20100106/12/hidetoshi-k/a6/05/j/t02200293_0240032010366375387.jpg"><br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究�W ケードゥプ・ゲルク・ペルサンポ著　深遠な空性の真実を明らかにする論書・幸いなる者の開眼（千薬大論）下」<br>
　ツルティム・ケサン、藤仲孝司共訳　文栄堂<br>
<br>
<img src="http://stat001.ameba.jp/user_images/20100106/12/hidetoshi-k/97/05/j/t02200293_0240032010366372849.jpg"><br>
「ツォンカパ 中観哲学の研究�X　ダライ・ラマ一世ゲンドゥンドゥプ著 入中論の意趣善明の鏡」<br>
　ツルティム・ケサン、藤仲孝司共訳　文栄堂<br>
<br>
<img src="http://stat001.ameba.jp/user_images/20100106/12/hidetoshi-k/46/52/j/t02200293_0240032010366370853.jpg"><br>
「般若経釈 現観荘厳論の研究」<br>
　兵藤一夫著　文栄堂<br>
<br>
上記の六冊は、アマゾン・ユーズドでも扱っていない本であります。新書で購入致しました。それぞれかなり高額な本ですが、ツォンカパ論師の中観思想を学んでいく上で欠かすことはできないと判断し、この機会に思い切って購入致しました。施本第六弾執筆に際しての読み進めは間に合わないと考えております。<br>
<br>
<img src="http://stat001.ameba.jp/user_images/20100105/19/hidetoshi-k/c4/3e/j/t02200293_0240032010365594573.jpg"><br>
「ダライ・ラマ 般若心経入門」<br>
　ダライ・ラマ14世著、宮坂宥洪翻訳・春秋社<br>
<br>
本年の抱負は、施本論考シリーズ第六弾の執筆は当然ながら、前回施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」におけます縁起・空性の理解を更に深く進めていけましたらと考えております。特に中観思想の展開過程、ツォンカパ論師の中観思想についてしっかりと考究していけましたらと存じております。<br>
<br>
施本論考シリーズ第六弾の本格執筆を前に、まずは「チベット仏教哲学・松本史朗著・大蔵出版」の再々読を始めました。次は「ツォンカパの中観思想―ことばによることばの否定・四津谷孝道著・大蔵出版」の再々読でございます。それから更に必要な論著の読み進めを行って参ります。<br>
<br>
→「チベット仏教哲学」<br>
　松本史朗著・大蔵出版<br>
「ツォンカパの中観思想―ことばによることばの否定」<br>
　四津谷孝道著・大蔵出版<br>
<br>
施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/enginorikai.html">http://oujyouin.com/enginorikai.html</a><br>
施本・「仏教・空の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/topengi.htm">http://oujyouin.com/topengi.htm</a><br>
施本「仏教・空の理解」<br>
<a href="http://oujyouin.com/sunyatop.htm">http://oujyouin.com/sunyatop.htm</a><br>
施本「仏教　〜　一枚の紙から考える　〜」<br>
<a href="http://oujyouin.com/buddhism1p.html">http://oujyouin.com/buddhism1p.html</a><br>
施本「佛の道」<br>
<a href="http://oujyouin.com/hotokenomichi.html">http://oujyouin.com/hotokenomichi.html</a><br>
<br>
<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/~sdaisin/">現代仏教学を再生するためのホームページ</a>・<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/cgi-bin/ezboard/sdaisin/1/">掲示板</a>投稿より・・<br>
<br>
mixiのコミュニティ「仏教」におけます中論・「観涅槃品」（第二十五）の最終偈についての考察からの引用抜粋でございます。<br>
<br>
以下、引用抜粋・・<br>
<br>
・・前略・・<br>
<br>
以下、中論の邦訳は〔中論（上・中・下）　三枝充悳訳注　第三文明社・レグルス文庫〕より引用致します。<br>
<br>
中論・「観涅槃品」（第二十五・第二十四偈）『〔ニルヴァーナとは、〕一切の得ること（有所得）が寂滅し、戯論（想定された論議）が寂滅して、吉祥なるものである。ブッダによって、どのような法（教え）も、どのような処でも、だれに対しても、説かれたことはない。』<br>
<br>
まず、前半について考えて参りたいと存じます。<br>
<br>
一切の得ること（有所得）が寂滅し・・縁起的・空性的あり方を理解し、あらゆる一切は実体が無く、得るための主体も、得れる対象となる客体も、いずれにも実体が無いため、何も得る実体たるところも何も得れる実体たるところも無いということであるかと存じます。<br>
<br>
般若心経における「無所得」とほぼ同意の事態のことを示しているものであると考えます。<br>
<br>
戯論（想定された論議）が寂滅・・縁起・空性の理解から、四句分別・「非有、非無、非有無、非「非有非無」（非非有非非無）」を理解し、更に言語活動・言語表現の限界を理解して、もはや一切の想定された論議も止み、「無記」への論理的道筋をしっかりと理解し、最高の真理である勝義諦・第一義諦のありようを真に了解するということであるかと存じております。<br>
<br>
もちろん、このあたりのことは、「二諦をめぐる解釈の問題」が控えておりますが、あらゆる一切における世俗諦と勝義諦のありよう（世俗諦によって勝義諦があり、勝義諦によって世俗諦があるという、縁起的・空性的あり方における勝義諦についての理解も含めて）について了解した上で、「勝義の空」の真たるが何であるかも完全に了解し、様々な虚妄分別・分別執着によって迷い・苦しんでいる者に対して、自由自在に方便を用いながら、その迷い・苦しみを解き放つことができるようになるための仏道が完全に完成し、慈悲の実践を展開していくことに繋がるものであるかと存じております。 ・・中略・・<br>
<br>
後半・・「吉祥なるものである。ブッダによって、どのような法（教え）も、どのような処でも、だれに対しても、説かれたことはない。」<br>
<br>
縁起的・空性的あり方（○によって非○があり、非○によって○があるとして、一応、○も非○もそれぞれ仮において言えるものの、○だけでは○は成り立たない、非○だけでは非○は成り立たない、○にも非○にも実体は無い」）の理解から、無所得（無実体・無自性）、言語道断・無記・戯論寂滅（四句分別の否定「非有、非無、非有無、非「非有非無」（非非有非非無）」）への論理的道筋をしっかりと理解し、最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦のありようを真に了解することは、いかなる虚妄分別・分別執着も打ち破り、いかなる迷い・苦しみもを打ち破る、無上甚深微妙の法にして真なる涅槃に至るための実にすばらしく吉祥なるものである。<br>
<br>
「ブッダによって、どのような法（教え）も、どのような処でも、だれに対しても、説かれたことはない。」・・お釈迦様・諸仏・如来によって、言語活動・言語表現を扱った世俗諦における諸々の教説は、対機説法・方便として、様々な者に対してそれぞれが色々と抱えている虚妄分別・分別執着のその一つ一つを打ち破らせるために説かれているものに過ぎず、最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦としての無上甚深微妙の法のありようは、いかなるところにおいても、誰に対しても説かれたことはない。<br>
<br>
最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦としての無上甚深微妙の法のありようは、それぞれがそれぞれにおいて真に了解すべきものであり、お釈迦様・諸仏・如来の慈悲によって、言語活動・言語表現を扱った世俗諦における諸々の教説から、それぞれが色々と抱えている虚妄分別・分別執着、迷い・苦しみのその一つ一つをそれぞれが打ち破るために、勝義の空・勝義諦・第一義諦を真に了解し、真なる涅槃に至ることが何よりも重要であると存じております。当然にその了解したる最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦は、もはや言語活動・言語表現を超えたものであって、いかなるところにおいても、誰に対しても説けるものでもないと存じております。・・後略・・<br>
<br>
・・引用抜粋ここまで。<br>
<br>
・・<br>
<br>
さて、最近は<a href="http://mixi.jp/">mixi</a>のコミュニティ・仏教のトピック「ダルマキールティ論師の刹那滅論証（瞬間的存在性論証）」におきまして仏教論考を継続させて頂いておりまして、現在は特に龍樹論師「中論」の理解も平行して鋭意進めております。<br>
<br>
そのコメント投稿におきまして、先日のオバマ米大統領・ノーベル平和賞・受賞演説の内容につきまして扱わせて頂きました。<br>
<br>
コミュニティ・仏教<br>
<br>
トピック・ダルマキールティ論師の刹那滅論証（瞬間的存在性論証）<br>
<br>
89　　2009年12月11日 21:50<br>
<br>
引き続きまして、中論・「観涅槃品」（第二十五）を扱いまして、「中論」の説く「ニルヴァーナ（涅槃）」の考察を行って参りたいと存じておりますが、<br>
<br>
少しその前に・・昨日のオバマ米大統領・ノーベル平和賞・受賞演説の内容は誠にやや残念でございました・・<br>
<br>
米大統領選の当選直後にダライ・ラマ14世師と会談した際に、ダライ・ラマ14世師から中観思想の視座によっての平和・戦争のありようについての示唆を得られておられるものであるかとご期待申し上げておりましたが・・「平和のための戦争」を肯定してしまうような受賞演説の内容には少し失望を覚えました・・<br>
<br>
最近のダライ・ラマ14世師との会談を延期したオバマ米大統領のありよう、もちろん、今回の受賞演説の内容のありようも鑑みますと、相当に何らかの圧力があってのことであろうとも存じます・・オバマ米大統領の真意の内容では無いのかもしれませんが・・<br>
<br>
「戦争によって平和がある、平和によって戦争がある」と縁起的・空性的あり方においてそれぞれは仮に言えたとしてもそれぞれは実体の無いものであり、いつまでも平和だ、戦争だと実体視して執着し続けている限り、戦争は決して無くなることはあり得ませんし、真に平和に至ることもあり得ません・・<br>
<br>
戦争利権を貪り、執着するものたちがいるかぎり、そのものたちが虚妄分別・分別執着で自作自演にて産み出し続けながら、しかも変化してゆく「平和」と「戦争」の定義に、世界の人々が実体視して執着させられてしまう限り、戦争は無くならず、真なる平和も得られないものでありますでしょう・・<br>
<br>
このことは、最近の環境利権においても同様のことが言えるかと存じますが・・<br>
<br>
誠にどこか寂しい限りでございますね・・<br>
<br>
もちろん・・<br>
<br>
以前にも引用にてコメントを述べさせて頂きましたこととなりますが、<br>
<br>
以下、引用・・<br>
<br>
国家破綻研究ブログ<br>
<a href="http://gijutsu.exblog.jp/">http://gijutsu.exblog.jp/</a><br>
<br>
リーマンショック１周年　何が明らかになり、何が変わったのか　変わらない強欲<br>
<a href="http://gijutsu.exblog.jp/8971065/">http://gijutsu.exblog.jp/8971065/</a><br>
<br>
におきましてコメント投稿させて頂いておりますように、<br>
<br>
「リーマンショックから一年を振り返ってのまさに的確な分析であると存じます。確かに、「世界経済奥の院」が現在進行形で一体何をどうしたいのかということは、なかなか読み解くことは難しくあります。ただ世の流動における歴史の厳然たる結果を見ると、遡って、ああ、そういうことを考えていたのかということは理解することはできます。しかし、その内実のほとんどはkanconsultingさんのおっしゃる通りに傲慢に利権を貪る者の「強欲さ」が反映されているものばかりであり、相変わらず浅ましく下らない愚かなことの繰り返しであります・・<br>
<br>
この負の連鎖をいい加減に断ち切らない限りは、同じことの繰り返しとなってしまいます・・私はこの繰り返し（輪廻）を断ち切るには、お釈迦様の仏法真理とその実践（慈悲）が必要であると強く考えております。特に現代社会においては、ナーガールジュナ（龍樹）論師以来の仏教・中観思想の考究とそこからの実践が重要と存じております。」<br>
<br>
と致しまして、「世界経済奥の院」の強欲・傲慢さが生み出し続ける数々の人間世界の苦しみを無くすためには、何としても「世界経済奥の院」たちに仏法真理、その一つとしての中観思想も学んで頂き、理解して頂いて、そして、そこからの慈悲の実践を行ってほしいという想いがございます。<br>
<br>
・・引用ここまで。<br>
<br>
このように述べさせて頂きましたように、中観思想の学びとそこからの実践は実に現代世界においては重要であると存じております。<br>
<br>
とにかく、あまりにも微力でありまして、浅学菲才の未熟者でございますが、少しでも中観思想の学びとそこからの実践を行っていけましたらと存じております。<br>
<br>
誠に皆様方におかれましては、ご賢察賜りまして、ご理解を賜れますよう、何卒、宜しくお願い申し上げます。 <br>
<br>
・・ここまで。<br>
<br>
とにかく中観思想の学びとその実践が、現代社会においては誠に重要であると存じております。誠に一つ一つでございます。<br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51518341.html">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第三弾</a><br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/oujyouin/archives/51552614.html">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第二弾</a><br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/2008-11.html#20081110">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第一弾</a>]]></content:encoded>
  </item>
  <item rdf:about="http://hide.noblog.net/blog/10919915.html">
    <title>
			本年の抱負
		</title>
    <link>http://hide.noblog.net/blog/10919915.html</link>
    <description>本年の抱負は、施本論考シリーズ第六弾の執筆は当然ながら、前回施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」におけます縁起・空性の理解を更に深く進めていけましたらと考えております。特に中観思想の展開過程、ツォンカパ論師の中観思想についてしっかりと考究してい...</description>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2010-01-04T17:59:59+09:00</dc:date>
    <content:encoded><![CDATA[本年の抱負は、施本論考シリーズ第六弾の執筆は当然ながら、前回施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」におけます縁起・空性の理解を更に深く進めていけましたらと考えております。特に中観思想の展開過程、ツォンカパ論師の中観思想についてしっかりと考究していけましたらと存じております。<br>
<br>
施本論考シリーズ第六弾の本格執筆を前に、まずは「チベット仏教哲学・松本史朗著・大蔵出版」の再々読を始めました。次は「ツォンカパの中観思想―ことばによることばの否定・四津谷孝道著・大蔵出版」の再々読でございます。それから更に必要な論著の読み進めを行って参ります。<br>
<br>
→「チベット仏教哲学」<br>
　松本史朗著・大蔵出版<br>
「ツォンカパの中観思想―ことばによることばの否定」<br>
　四津谷孝道著・大蔵出版<br>
<br>
施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/enginorikai.html">http://oujyouin.com/enginorikai.html</a><br>
施本・「仏教・空の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/topengi.htm">http://oujyouin.com/topengi.htm</a><br>
施本「仏教・空の理解」<br>
<a href="http://oujyouin.com/sunyatop.htm">http://oujyouin.com/sunyatop.htm</a><br>
施本「仏教　〜　一枚の紙から考える　〜」<br>
<a href="http://oujyouin.com/buddhism1p.html">http://oujyouin.com/buddhism1p.html</a><br>
施本「佛の道」<br>
<a href="http://oujyouin.com/hotokenomichi.html">http://oujyouin.com/hotokenomichi.html</a><br>
<br>
<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/~sdaisin/">現代仏教学を再生するためのホームページ</a>・<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/cgi-bin/ezboard/sdaisin/1/">掲示板</a>投稿より・・<br>
<br>
mixiのコミュニティ「仏教」におけます中論・「観涅槃品」（第二十五）の最終偈についての考察からの引用抜粋でございます。<br>
<br>
以下、引用抜粋・・<br>
<br>
・・前略・・<br>
<br>
以下、中論の邦訳は〔中論（上・中・下）　三枝充悳訳注　第三文明社・レグルス文庫〕より引用致します。<br>
<br>
中論・「観涅槃品」（第二十五・第二十四偈）『〔ニルヴァーナとは、〕一切の得ること（有所得）が寂滅し、戯論（想定された論議）が寂滅して、吉祥なるものである。ブッダによって、どのような法（教え）も、どのような処でも、だれに対しても、説かれたことはない。』<br>
<br>
まず、前半について考えて参りたいと存じます。<br>
<br>
一切の得ること（有所得）が寂滅し・・縁起的・空性的あり方を理解し、あらゆる一切は実体が無く、得るための主体も、得れる対象となる客体も、いずれにも実体が無いため、何も得る実体たるところも何も得れる実体たるところも無いということであるかと存じます。<br>
<br>
般若心経における「無所得」とほぼ同意の事態のことを示しているものであると考えます。<br>
<br>
戯論（想定された論議）が寂滅・・縁起・空性の理解から、四句分別・「非有、非無、非有無、非「非有非無」（非非有非非無）」を理解し、更に言語活動・言語表現の限界を理解して、もはや一切の想定された論議も止み、「無記」への論理的道筋をしっかりと理解し、最高の真理である勝義諦・第一義諦のありようを真に了解するということであるかと存じております。<br>
<br>
もちろん、このあたりのことは、「二諦をめぐる解釈の問題」が控えておりますが、あらゆる一切における世俗諦と勝義諦のありよう（世俗諦によって勝義諦があり、勝義諦によって世俗諦があるという、縁起的・空性的あり方における勝義諦についての理解も含めて）について了解した上で、「勝義の空」の真たるが何であるかも完全に了解し、様々な虚妄分別・分別執着によって迷い・苦しんでいる者に対して、自由自在に方便を用いながら、その迷い・苦しみを解き放つことができるようになるための仏道が完全に完成し、慈悲の実践を展開していくことに繋がるものであるかと存じております。 ・・中略・・<br>
<br>
後半・・「吉祥なるものである。ブッダによって、どのような法（教え）も、どのような処でも、だれに対しても、説かれたことはない。」<br>
<br>
縁起的・空性的あり方（○によって非○があり、非○によって○があるとして、一応、○も非○もそれぞれ仮において言えるものの、○だけでは○は成り立たない、非○だけでは非○は成り立たない、○にも非○にも実体は無い」）の理解から、無所得（無実体・無自性）、言語道断・無記・戯論寂滅（四句分別の否定「非有、非無、非有無、非「非有非無」（非非有非非無）」）への論理的道筋をしっかりと理解し、最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦のありようを真に了解することは、いかなる虚妄分別・分別執着も打ち破り、いかなる迷い・苦しみもを打ち破る、無上甚深微妙の法にして真なる涅槃に至るための実にすばらしく吉祥なるものである。<br>
<br>
「ブッダによって、どのような法（教え）も、どのような処でも、だれに対しても、説かれたことはない。」・・お釈迦様・諸仏・如来によって、言語活動・言語表現を扱った世俗諦における諸々の教説は、対機説法・方便として、様々な者に対してそれぞれが色々と抱えている虚妄分別・分別執着のその一つ一つを打ち破らせるために説かれているものに過ぎず、最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦としての無上甚深微妙の法のありようは、いかなるところにおいても、誰に対しても説かれたことはない。<br>
<br>
最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦としての無上甚深微妙の法のありようは、それぞれがそれぞれにおいて真に了解すべきものであり、お釈迦様・諸仏・如来の慈悲によって、言語活動・言語表現を扱った世俗諦における諸々の教説から、それぞれが色々と抱えている虚妄分別・分別執着、迷い・苦しみのその一つ一つをそれぞれが打ち破るために、勝義の空・勝義諦・第一義諦を真に了解し、真なる涅槃に至ることが何よりも重要であると存じております。当然にその了解したる最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦は、もはや言語活動・言語表現を超えたものであって、いかなるところにおいても、誰に対しても説けるものでもないと存じております。・・後略・・<br>
<br>
・・引用抜粋ここまで。<br>
<br>
・・<br>
<br>
さて、最近は<a href="http://mixi.jp/">mixi</a>のコミュニティ・仏教のトピック「ダルマキールティ論師の刹那滅論証（瞬間的存在性論証）」におきまして仏教論考を継続させて頂いておりまして、現在は特に龍樹論師「中論」の理解も平行して鋭意進めております。<br>
<br>
そのコメント投稿におきまして、先日のオバマ米大統領・ノーベル平和賞・受賞演説の内容につきまして扱わせて頂きました。<br>
<br>
コミュニティ・仏教<br>
<br>
トピック・ダルマキールティ論師の刹那滅論証（瞬間的存在性論証）<br>
<br>
89　　2009年12月11日 21:50<br>
<br>
引き続きまして、中論・「観涅槃品」（第二十五）を扱いまして、「中論」の説く「ニルヴァーナ（涅槃）」の考察を行って参りたいと存じておりますが、<br>
<br>
少しその前に・・昨日のオバマ米大統領・ノーベル平和賞・受賞演説の内容は誠にやや残念でございました・・<br>
<br>
米大統領選の当選直後にダライ・ラマ14世師と会談した際に、ダライ・ラマ14世師から中観思想の視座によっての平和・戦争のありようについての示唆を得られておられるものであるかとご期待申し上げておりましたが・・「平和のための戦争」を肯定してしまうような受賞演説の内容には少し失望を覚えました・・<br>
<br>
最近のダライ・ラマ14世師との会談を延期したオバマ米大統領のありよう、もちろん、今回の受賞演説の内容のありようも鑑みますと、相当に何らかの圧力があってのことであろうとも存じます・・オバマ米大統領の真意の内容では無いのかもしれませんが・・<br>
<br>
「戦争によって平和がある、平和によって戦争がある」と縁起的・空性的あり方においてそれぞれは仮に言えたとしてもそれぞれは実体の無いものであり、いつまでも平和だ、戦争だと実体視して執着し続けている限り、戦争は決して無くなることはあり得ませんし、真に平和に至ることもあり得ません・・<br>
<br>
戦争利権を貪り、執着するものたちがいるかぎり、そのものたちが虚妄分別・分別執着で自作自演にて産み出し続けながら、しかも変化してゆく「平和」と「戦争」の定義に、世界の人々が実体視して執着させられてしまう限り、戦争は無くならず、真なる平和も得られないものでありますでしょう・・<br>
<br>
このことは、最近の環境利権においても同様のことが言えるかと存じますが・・<br>
<br>
誠にどこか寂しい限りでございますね・・<br>
<br>
もちろん・・<br>
<br>
以前にも引用にてコメントを述べさせて頂きましたこととなりますが、<br>
<br>
以下、引用・・<br>
<br>
国家破綻研究ブログ<br>
<a href="http://gijutsu.exblog.jp/">http://gijutsu.exblog.jp/</a><br>
<br>
リーマンショック１周年　何が明らかになり、何が変わったのか　変わらない強欲<br>
<a href="http://gijutsu.exblog.jp/8971065/">http://gijutsu.exblog.jp/8971065/</a><br>
<br>
におきましてコメント投稿させて頂いておりますように、<br>
<br>
「リーマンショックから一年を振り返ってのまさに的確な分析であると存じます。確かに、「世界経済奥の院」が現在進行形で一体何をどうしたいのかということは、なかなか読み解くことは難しくあります。ただ世の流動における歴史の厳然たる結果を見ると、遡って、ああ、そういうことを考えていたのかということは理解することはできます。しかし、その内実のほとんどはkanconsultingさんのおっしゃる通りに傲慢に利権を貪る者の「強欲さ」が反映されているものばかりであり、相変わらず浅ましく下らない愚かなことの繰り返しであります・・<br>
<br>
この負の連鎖をいい加減に断ち切らない限りは、同じことの繰り返しとなってしまいます・・私はこの繰り返し（輪廻）を断ち切るには、お釈迦様の仏法真理とその実践（慈悲）が必要であると強く考えております。特に現代社会においては、ナーガールジュナ（龍樹）論師以来の仏教・中観思想の考究とそこからの実践が重要と存じております。」<br>
<br>
と致しまして、「世界経済奥の院」の強欲・傲慢さが生み出し続ける数々の人間世界の苦しみを無くすためには、何としても「世界経済奥の院」たちに仏法真理、その一つとしての中観思想も学んで頂き、理解して頂いて、そして、そこからの慈悲の実践を行ってほしいという想いがございます。<br>
<br>
・・引用ここまで。<br>
<br>
このように述べさせて頂きましたように、中観思想の学びとそこからの実践は実に現代世界においては重要であると存じております。<br>
<br>
とにかく、あまりにも微力でありまして、浅学菲才の未熟者でございますが、少しでも中観思想の学びとそこからの実践を行っていけましたらと存じております。<br>
<br>
誠に皆様方におかれましては、ご賢察賜りまして、ご理解を賜れますよう、何卒、宜しくお願い申し上げます。 <br>
<br>
・・ここまで。<br>
<br>
とにかく中観思想の学びとその実践が、現代社会においては誠に重要であると存じております。誠に一つ一つでございます。<br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51518341.html">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第三弾</a><br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/oujyouin/archives/51552614.html">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第二弾</a><br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/2008-11.html#20081110">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第一弾</a>]]></content:encoded>
  </item>
  <item rdf:about="http://hide.noblog.net/blog/10906334.html">
    <title>
			オバマ米大統領・ノーベル平和賞・受賞演説の内容についての感想
		</title>
    <link>http://hide.noblog.net/blog/10906334.html</link>
    <description>さて、最近はmixiのコミュニティ・仏教のトピック「ダルマキールティ論師の刹那滅論証（瞬間的存在性論証）」におきまして仏教論考を継続させて頂いておりまして、現在は特に龍樹論師「中論」の理解も平行して鋭意進めております。  そのコメント投稿におきま...</description>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2009-12-12T17:47:59+09:00</dc:date>
    <content:encoded><![CDATA[さて、最近は<a href="http://mixi.jp/">mixi</a>のコミュニティ・仏教のトピック「ダルマキールティ論師の刹那滅論証（瞬間的存在性論証）」におきまして仏教論考を継続させて頂いておりまして、現在は特に龍樹論師「中論」の理解も平行して鋭意進めております。<br>
<br>
そのコメント投稿におきまして、先日のオバマ米大統領・ノーベル平和賞・受賞演説の内容につきまして扱わせて頂きました。<br>
<br>
コミュニティ・仏教<br>
<br>
トピック・ダルマキールティ論師の刹那滅論証（瞬間的存在性論証）<br>
<br>
89　　2009年12月11日 21:50<br>
<br>
引き続きまして、中論・「観涅槃品」（第二十五）を扱いまして、「中論」の説く「ニルヴァーナ（涅槃）」の考察を行って参りたいと存じておりますが、<br>
<br>
少しその前に・・昨日のオバマ米大統領・ノーベル平和賞・受賞演説の内容は誠にやや残念でございました・・<br>
<br>
米大統領選の当選直後にダライ・ラマ14世師と会談した際に、ダライ・ラマ14世師から中観思想の視座によっての平和・戦争のありようについての示唆を得られておられるものであるかとご期待申し上げておりましたが・・「平和のための戦争」を肯定してしまうような受賞演説の内容には少し失望を覚えました・・<br>
<br>
最近のダライ・ラマ14世師との会談を延期したオバマ米大統領のありよう、もちろん、今回の受賞演説の内容のありようも鑑みますと、相当に何らかの圧力があってのことであろうとも存じます・・オバマ米大統領の真意の内容では無いのかもしれませんが・・<br>
<br>
「戦争によって平和がある、平和によって戦争がある」と縁起的・空性的あり方においてそれぞれは仮に言えたとしてもそれぞれは実体の無いものであり、いつまでも平和だ、戦争だと実体視して執着し続けている限り、戦争は決して無くなることはあり得ませんし、真に平和に至ることもあり得ません・・<br>
<br>
戦争利権を貪り、執着するものたちがいるかぎり、そのものたちが虚妄分別・分別執着で自作自演にて産み出し続けながら、しかも変化してゆく「平和」と「戦争」の定義に、世界の人々が実体視して執着させられてしまう限り、戦争は無くならず、真なる平和も得られないものでありますでしょう・・<br>
<br>
このことは、最近の環境利権においても同様のことが言えるかと存じますが・・<br>
<br>
誠にどこか寂しい限りでございますね・・<br>
<br>
もちろん・・<br>
<br>
以前にも引用にてコメントを述べさせて頂きましたこととなりますが、<br>
<br>
以下、引用・・<br>
<br>
国家破綻研究ブログ<br>
<a href="http://gijutsu.exblog.jp/">http://gijutsu.exblog.jp/</a><br>
<br>
リーマンショック１周年　何が明らかになり、何が変わったのか　変わらない強欲<br>
<a href="http://gijutsu.exblog.jp/8971065/">http://gijutsu.exblog.jp/8971065/</a><br>
<br>
におきましてコメント投稿させて頂いておりますように、<br>
<br>
「リーマンショックから一年を振り返ってのまさに的確な分析であると存じます。確かに、「世界経済奥の院」が現在進行形で一体何をどうしたいのかということは、なかなか読み解くことは難しくあります。ただ世の流動における歴史の厳然たる結果を見ると、遡って、ああ、そういうことを考えていたのかということは理解することはできます。しかし、その内実のほとんどはkanconsultingさんのおっしゃる通りに傲慢に利権を貪る者の「強欲さ」が反映されているものばかりであり、相変わらず浅ましく下らない愚かなことの繰り返しであります・・<br>
<br>
この負の連鎖をいい加減に断ち切らない限りは、同じことの繰り返しとなってしまいます・・私はこの繰り返し（輪廻）を断ち切るには、お釈迦様の仏法真理とその実践（慈悲）が必要であると強く考えております。特に現代社会においては、ナーガールジュナ（龍樹）論師以来の仏教・中観思想の考究とそこからの実践が重要と存じております。」<br>
<br>
と致しまして、「世界経済奥の院」の強欲・傲慢さが生み出し続ける数々の人間世界の苦しみを無くすためには、何としても「世界経済奥の院」たちに仏法真理、その一つとしての中観思想も学んで頂き、理解して頂いて、そして、そこからの慈悲の実践を行ってほしいという想いがございます。<br>
<br>
・・引用ここまで。<br>
<br>
このように述べさせて頂きましたように、中観思想の学びとそこからの実践は実に現代世界においては重要であると存じております。<br>
<br>
とにかく、あまりにも微力でありまして、浅学菲才の未熟者でございますが、少しでも中観思想の学びとそこからの実践を行っていけましたらと存じております。<br>
<br>
誠に皆様方におかれましては、ご賢察賜りまして、ご理解を賜れますよう、何卒、宜しくお願い申し上げます。 <br>
<br>
・・ここまで。<br>
<br>
とにかく中観思想の学びとその実践が、現代社会においては誠に重要であると存じております。誠に一つ一つでございます。<br>
<br>
施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/enginorikai.html">http://oujyouin.com/enginorikai.html</a><br>
施本「仏教・空の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/topengi.htm">http://oujyouin.com/topengi.htm</a><br>
施本「仏教・空の理解」<br>
<a href="http://oujyouin.com/sunyatop.htm">http://oujyouin.com/sunyatop.htm</a><br>
施本「仏教　〜　一枚の紙から考える　〜」<br>
<a href="http://oujyouin.com/buddhism1p.html">http://oujyouin.com/buddhism1p.html</a><br>
施本「佛の道」<br>
<a href="http://oujyouin.com/hotokenomichi.html">http://oujyouin.com/hotokenomichi.html</a><br>
<br>
これから更に仏教の学びを進めるための文献・第三弾<br>
<br>
現在、ダルマキールティ論師の瞬間的存在性論証（刹那滅論証）の論考を中心として、仏教の存在論・時間論・認識論・論理学について全般的な学びを進めております。<br>
<br>
最近はmixiに参加しまして、コミュニティも立ち上げております。<br>
<br>
<a href="http://mixi.jp/">http://mixi.jp/</a><br>
<br>
「仏教・中観思想・空思想を学ぶ」でございます。mixiに参加されておられます方は、是非、検索して頂きまして、ご興味がありましたら参加して頂ければと存じます。<br>
<br>
コミュニティ紹介文「このコミュニティでは龍樹（ナーガールジュナ）論師以来の「中観思想・空思想」の発展について全般的な学びを進めていくために、色々と論題を設けて、意見交換・討議を行って参りたいと存じます。是非、奮ってご参加下さいませ。」 <br>
<br>
「講座仏教思想〈第1巻〉存在論・時間論」・「講座仏教思想〈第2巻〉認識論・論理学」・「講座・大乗仏教　認識論と論理学」・『「無常」の哲学―ダルマキールティと刹那滅』を読み進め中。<br>
<br>
<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/~sdaisin/">「現代仏教学を再生するためのホームページ」</a>の<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/cgi-bin/ezboard/sdaisin/1/">掲示板</a>の投稿内容抜粋。<br>
<br>
「日本財政破綻の足音・・」2009年11月1日<br>
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・・しばらくの間、仏教論理学・認識論の考察を進めておりました。唯識・中観の思想発展について学ぶ上でも非常に有意義なものとなっております。以前より世俗諦と勝義諦の線引きがより明確化してきたという感じでございます。もちろんまだまだこれからでございます。<br>
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さて、日本を取り巻く状況下は、ここにきてかなり危機的であり、色々と懸念が深まっております。とにかく財政破綻はもはや時間の問題になってしまっているように思います。<br>
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あとはむしろデフォルト後を睨んで、デフォルトをソフトランディングで処理するか、もしくはハードランディングで処理するかで犠牲の度合いが桁違いとなります。もちろん、犠牲が少なく済む内に行うか、先送りに先送りを繰り返し、ギリギリいっぱいまで引き延ばすかでも犠牲の度合いははるかに違うこととなります。<br>
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最悪の場合、太平洋戦争末期並みの苦しみに陥ってしまう可能性もあります。<br>
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破綻回避はもう無理にしても、何とか政府には、犠牲が少なく済む内でソフトランディングにて処理してほしいものであると考えております。<br>
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予想通りと申しますか・・残念ながら日本の現状下は非常に厳しくなってきております・・<br>
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経済コラムマガジン<br>
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日本国財政破綻Safety Net<br>
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国家破綻研究ブログ<br>
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・・ここまで。<br>
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<a href="http://buddhism.sns.fc2.com/">仏教談話ネットワーク</a>・コミュニティ<a href="http://buddhism.sns.fc2.com/exec/community/view/community/2047/">「中観思想・学びのすすめ」</a>におきましては、管理人でもありコミュニティに参加されておられます<a href="http://kongou-koji.tea-nifty.com/blog/">金剛居士さん</a>とのやり取りが続いております。仏教哲理に深く精通されておられます金剛居士さんからはいつも色々と助けられて教えられることばかりでございます。<br>
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『「A」と主張する者は、非「A」という前提において言えていることである。「A」と主張する者は、非「A」ということを認めていることになってしまう。「A」はない。』同様に、『「非A」と主張する者は、「A」という前提において言えていることである。「非A」と主張する者は、「A」ということを認めていることになってしまう。「非A」はない。』<br>
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とにかく、「A」には、名称・言語・文章のみならず、思考・観念・論理・認識などいくらでも代入していけますし、また無限に展開していく論にもなって参ります・・<br>
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また、この論は、あくまでも「A」が固定でき、決定していてこそ言えるものであり、そもそも「A」そのものが固定・決定できるものであるのかどうかが問題であります。一応は仮に「A」というものを固定・決定してという前提が必要となります。もちろん、仮は所詮、仮に過ぎません。<br>
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また、もしも「A」というものが、止めれて、固定・決定できたとしても、結局は論そのもの自体が成り立たなくなってしまいます・・<br>
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「一秒前の私と今の（瞬間の）私は私なのか、違う私なのか」の問いも、あくまで仮に私と一瞬が止めれて、固定・決定してこそにおいて言えるものであり、また、そもそも私と一瞬が止めれて、固定・決定できるものであるのかどうかも問題であり、仮にもしも、止めれて、固定・決定できたとしても、結局は問い自体が成り立たなくなってしまいます・・<br>
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しいて述べさせて頂くならば、上記の論の「A」には、もちろん、仏教思想全般にわたるいかなる論であっても代入でき、この論自体も例外ではなく、そうなります。論自体が論そのものを否定する論ということとなります。<br>
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上記の論は、改めて言語活動の虚妄性を示すという意義はあるかとは思いますが、しかし十分ではないとも考えております。<br>
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仏教認識論理学は誠に難解でありますが、仏教思想を一から学び直す中で、しっかりと学ばねばならないと、ようやくに関係論著を読み進めている次第でございます。もちろんまだまだただ目で読み進めているだけでありますが・・<br>
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とにかく、「一秒前の私と今の（瞬間の）私は私なのか、違う私なのか」という基本的な疑問について法話にて確実に答えるために仏教認識論理学の論考は避けて通れないところでございます。<br>
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「不常不断・不一不異・非連続の連続・・刹那滅論証・・」<br>
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ダルマキールティ論師の瞬間的存在性論証（刹那滅論証）は、（あくまでも世俗諦としてではあるかと存じますが）上記の疑問に答えるための最大の論証であると考えております。<br>
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「ダルマキールティの瞬間的存在性論証（刹那滅論証）」において意図するところは、仏教認識論理学（主に唯識思想）と仏教思考論理学（主に中観思想）の統合的理解を目指したものであると存じますので、中観思想と唯識思想の論理、また中観思想における自立論証派・帰謬論証派、唯識思想における有形象唯識論、無形象唯識論の論理発展についても学ぶことができるため、非常に理解することには難解さを極めますが、「ダルマキールティの瞬間的存在性論証（刹那滅論証）」を学べば、仏教の論理学体系をほぼ学ぶことができるのではないであろうかと考えております。<br>
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中観思想の論理について改めて学び直すために、『「空」の構造」-「中論」の論理』立川武蔵著・第三文明社を急遽再読を終えました。<br>
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縁起は、時空的因果関係と即非の論理（Ａと非Ａ）により表されるものであると改めて確認できました。論理的縁起は、即非の論理（Ａと非Ａ）にてもっとしっかりと論じる必要があったと反省致しております。<br>
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「龍樹造「方便心論」の研究」を読み終えました。いわゆるインド論理学・因明学の発展を知る上で重要な書の一つであると存じます。また詳しい感想は後日に。<br>
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石飛先生は、「縁起とは、因果関係ではなく相依相関を意味している」という解釈は誤解に基づくものであると考えておられます。現在の私の「縁起」の捉え方は、時間的縁起・空間的縁起・論理的縁起として、時空的縁起は因果関係を扱って説明するものですが、最終的には論理的縁起としての相依相関性の方を重視しております。石飛先生の説かれる「縁起」とは一体どういうものであるのか・・とにかくまだまだ考察して参りたい存じます。<br>
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石飛道子先生のインド論理学・インド哲学、龍樹論師・中観思想についての論考は実にいつも興味深いものがあります。目下注目の碩学でございます。<br>
<a href="http://homepage1.nifty.com/manikana/">http://homepage1.nifty.com/manikana/</a><br>
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一つには、唯識思想における「依他起性の仮有」・「真如の実有」と、ツォンカパ・ラマの中観思想における「言説有」との相似・相違点の整理を自分なりにして参りたいと存じております。<br>
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ツォンカパ・ラマは、チベット仏教・ゲルク派（黄帽派）の開祖であります。現在のゲルク派の（観音菩薩様）化身ラマは、ダライ・ラマ14世でございます。ツォンカパ・ラマは中観帰謬論証派の論師でもあり、チベット仏教教学を大成しました。龍樹論師以来の中観思想・空の思想をどのように発展させていったのかを更に詳しく学んで参りたいと存じます。<br>
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→△△△「講座・大乗仏教　認識論と論理学」<br>
　春秋社<br>
→「講座仏教思想〈第1巻〉存在論・時間論」<br>
 三枝充悳著・理想社<br>
→「講座仏教思想〈第2巻〉認識論・論理学」<br>
　三枝充悳著・理想社<br>
→○○『「無常」の哲学―ダルマキールティと刹那滅』<br>
　谷貞志著・春秋社<br>
○「「空」の構造」-「中論」の論理」<br>
　立川武蔵著・第三文明社<br>
○「龍樹造「方便心論」の研究」<br>
　石飛道子著・山喜房仏書林<br>
○「ブッダの優しい論理学―縁起で学ぶ上手なコミュニケーション法 」<br>
　石飛道子著・サンガ<br>
△○○「ブッダと龍樹の論理学―縁起と中道」<br>
　石飛道子著・サンガ<br>
○○「ブッダ論理学五つの難問」<br>
　石飛道子著・講談社<br>
○「龍樹と、語れ!―『方便心論』の言語戦略」<br>
　石飛道子著・大法輪閣<br>
○○△「ツォンカパの中観思想―ことばによることばの否定」<br>
　四津谷孝道著・大蔵出版<br>
○○△「チャンドラキールティの中観思想」<br>
　岸根敏幸著・大東出版社<br>
△△○「中観と唯識」<br>
　長尾雅人著・岩波書店<br>
○「チベット仏教哲学」<br>
　松本史朗著・大蔵出版<br>
▽「中観と空1・梶山雄一著作集4」<br>
　梶山雄一著・御牧克己編・春秋社<br>
▽「空と中観」<br>
　江島惠教著・春秋社<br>
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いつも、<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/~sdaisin/">「現代仏教学を再生するためのホームページ」</a>の<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/cgi-bin/ezboard/sdaisin/1/">掲示板</a>にて議論させて頂いておりますＳ・イマムラ先生が<a href="http://www016.upp.so-net.ne.jp/jikuron/bukkyo/">「C点による仏教論」</a>を著されました。C点と仏教の真摯なるご論考でございますので、是非、皆様方もお読み頂けましたらと存じます。<br>
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「C点による仏教論」<br>
<a href="http://www016.upp.so-net.ne.jp/jikuron/bukkyo/">http://www016.upp.so-net.ne.jp/jikuron/bukkyo/</a><br>
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読書の進捗状況<br>
（→・進行中　○・読み終え　○の数・一通り読んだ回数　△・中途停止　▽・読み進める前　□・随時参照）<br>
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△○「中観と唯識」<br>
　長尾雅人著・岩波書店<br>
△「日本仏教の思想　受容と変容の千五百年史」(講談社現代新書)<br>
　立川武蔵著・講談社<br>
○「わかる仏教史」<br>
　宮元啓一著・春秋社<br>
▽「涅槃経―如来常住と悉有仏性」 (サーラ叢書 26)<br>
　横超慧日著・平楽寺書店<br>
▽「中観と空1・梶山雄一著作集4」<br>
　梶山雄一著・御牧克己編・春秋社<br>
▽「空と中観」<br>
　江島惠教著・春秋社<br>
▽「般若思想史」ワイド版版<br>
　山口益著・法蔵館<br>
▽「道元と仏教―十二巻本『正法眼蔵』の道元」<br>
　袴谷憲昭著・大蔵出版<br>
▽「道元思想論」<br>
　松本史朗著・大蔵出版<br>
▽「仏教への道」<br>
　松本史朗著・東京書籍<br>
▽「法然親鸞思想論」<br>
　松本史朗著・大蔵出版<br>
▽「法然と明恵―日本仏教思想史序説」<br>
　袴谷憲昭著・大蔵出版<br>
▽「仏性思想の展開」<br>
　奥野光賢著・大蔵出版<br>
▽「天台学―根本思想とその展開」<br>
　安藤俊雄著・平楽寺書店<br>
▽「台密教学の研究」<br>
　大久保良峻著・法蔵館<br>
▽「本覚思想の源流と展開」<br>
　浅井円道著・平楽寺書店<br>
▽「天台教学と本覚思想」<br>
　大久保良峻著・法蔵館<br>
▽「最澄と天台本覚思想―日本精神史序説」<br>
　栗田勇著・作品社<br>
▽「アーラヤ的世界とその神―仏教思想像の転回」<br>
　津田真一著・大蔵出版<br>
▽「反密教学」<br>
　改訂版・津田真一著・春秋社<br>
▽「禅思想の批判的研究」<br>
　松本史朗著・大蔵出版<br>
▽「インド哲学七つの難問 (講談社選書メチエ)」<br>
　 宮元啓一著・講談社<br>
▽「華厳五教章」<br>
　鎌田茂雄著・大蔵出版<br>
▽「「華厳経」を読む (仏典を読むシリーズ) 」<br>
　西本照真著・武蔵野大学編纂・角川学芸出版<br>
△「和訳 華厳経」<br>
　鎌田茂雄著・東京美術<br>
▽「華厳禅の思想史的研究」<br>
　吉津宜英著・大東出版社<br>
△「唯識説を中心とした初期華厳教学の研究―智儼・義湘から法蔵へ」<br>
　大竹晋著・大蔵出版<br>
▽「華厳思想 (講座・大乗仏教)」<br>
　平川彰編集・梶山雄一編集・春秋社<br>
▽「浄土思想 (講座・大乗仏教)」<br>
　梶山雄一編集・高崎直道編集・春秋社<br>
▽「法華経の七つの譬喩―初めて学ぶ『法華経』(レグルス文庫 (207))」<br>
　菅野博史著・第三文明社<br>
▽「図説 法華経大全―「妙法蓮華経全二十八品」現代語訳総解説 (エソテリカ・セレクション)」<br>
　大角修翻訳・学習研究社<br>
△「初期大乗と法華思想 (平川彰著作集)」<br>
　平川彰著・春秋社<br>
▽「法華経思想史から学ぶ仏教」<br>
　菅野博史著・大蔵出版<br>
▽「密教 (岩波新書)」<br>
　松長有慶著・岩波書店<br>
▽「観音経講話 (講談社学術文庫 ) 」<br>
　鎌田茂雄著・講談社<br>
▽「般若心経講話 (講談社学術文庫) 」<br>
　鎌田茂雄著・講談社<br>
▽「理趣経 (中公文庫BIBLIO)」<br>
　松長有慶著・中央公論新社<br>
▽「最澄と空海―日本仏教思想の誕生 (講談社選書メチエ) 」<br>
　立川武蔵著・講談社<br>
▽「密教概論」<br>
　高神覚昇著・大法輪閣<br>
▽「正法眼蔵随聞記講話」<br>
　鎌田茂雄著・講談社<br>
▽「古仏のまねび「道元」」<br>
　高崎直道著・梅原猛著・角川書店<br>
▽「生命の海「空海」」<br>
　宮坂宥勝著・梅原猛著・角川書店<br>
▽「絶望と歓喜「親鸞」」<br>
　増谷文雄著・梅原猛著・角川書店<br>
▽「密教の思想」<br>
　立川武蔵著・吉川弘文館<br>
▽「密教・自心の探求―『菩提心論』を読む」<br>
　生井智紹著・大法輪閣<br>
▽「『華厳経』『楞伽経』 (現代語訳大乗仏典)」<br>
　中村元著・東京書籍<br>
▽「「正法眼蔵」を読む―現代を生き抜く一二〇の知恵」<br>
　秋月龍&#33802;著・PHP研究所<br>
▽「『金剛頂経』入門―即身成仏への道 」<br>
　頼富本宏著・大法輪閣<br>
▽「『大日経』入門―慈悲のマンダラ世界」<br>
　頼富本宏著・大法輪閣<br>
▽「知の教科書 密教」<br>
　正木晃著・講談社<br>
▽「密教の哲学」<br>
　金岡秀友著・講談社<br>
▽「空海の思想的展開の研究」<br>
　藤井淳著・トランスビュー<br>
○「絶対無と場所―鈴木禅学と西田哲学」<br>
　秋月龍&#33802;著・青土社<br>
▽「西田哲学への導き―経験と自覚」<br>
　上田閑照著・岩波書店<br>
○「西田幾多郎の思想」<br>
　小坂国継著・講談社<br>
▽「西田哲学の根本問題」<br>
　滝沢克己著・小林孝吉編集・こぶし書房<br>
△「仏教的立場から西田哲学への理解」<br>
　増田鷹雄著・三崎堂<br>
○「西田幾多郎―生きることと哲学」<br>
　藤田正勝著・岩波書店<br>
▽「西田幾多郎とは誰か」<br>
　上田閑照著・岩波書店<br>
○「絶対無の哲学―西田哲学研究入門」<br>
　花岡永子著・世界思想社<br>
△「絶対無の哲学―西田哲学の継承と体系化」<br>
　根井康之著・農山漁村文化協会<br>
▽「西田哲学の世界―あるいは哲学の転回」<br>
　大橋良介著・筑摩書房<br>
▽「歴史的現実と西田哲学―絶対的論理主義とは何か」<br>
　板橋勇仁著・法政大学出版局<br>
○「西田哲学の再構築―その成立過程と比較思想」<br>
　平山洋著・ミネルヴァ書房<br>
▽「ホワイトヘッドと西田哲学の“あいだ”―仏教的キリスト教哲学の構想」<br>
　延原時行著・法蔵館<br>
○「時間幻想―西田哲学からの出発」<br>
　重久俊夫著・中央公論事業出版<br>
○「「自己」の哲学―ウィトゲンシュタイン・鈴木大拙・西田幾多郎」<br>
　黒崎宏著・春秋社<br>
△「西田哲学の論理と方法―徹底的批評主義とは何か」<br>
　板橋勇仁著・法政大学出版局<br>
○「西田幾多郎と仏教―禅と真宗の根底を究める」<br>
　竹村牧男著・大東出版社<br>
○「サクラは何色ですか?―西田幾多郎の思想」<br>
　大沢正人著・現代書館<br>
△「「自己と世界」の問題―絶対無の視点から」<br>
　花岡永子著・現代図書<br>
○「現代思想としての西田幾多郎」<br>
　藤田正勝著・講談社  <br>
▽「絶対無と神―京都学派の哲学」<br>
　小野寺功著・春風社<br>
▽「仏教とキリスト教」<br>
　滝沢克己著・法蔵館<br>
▽「場所論としての宗教哲学―仏教とキリスト教の交点に立って」<br>
　八木誠一著・法蔵館 <br>
△「時間と絶対と相対と ―運命論から何を読み取るべきか」<br>
　入不二基義著・勁草書房 <br>
▽「過程と実在〈1〉コスモロジーへの試論」<br>
　アルフレッド・ノース ホワイトヘッド (著), Alfred North Whitehead (原著), 平林 康之 (翻訳) ・みすず書房<br>
▽「過程と実在〈2〉コスモロジーへの試論」<br>
　アルフレッド・ノース ホワイトヘッド (著), Alfred North Whitehead (原著), 平林 康之 (翻訳) ・みすず書房<br>
▽「『正法眼蔵』を読む 存在するとはどういうことか」<br>
　南直哉著・講談社<br>
▽「道元入門」<br>
　秋月龍&#33802;著・講談社<br>
▽「鈴木大拙」<br>
　秋月龍&#33802;著・講談社<br>
▽「相対主義の極北」<br>
　入不二基義著・筑摩書房<br>
○「足の裏に影はあるか? ないか? 哲学随想」<br>
　入不二基義著・朝日出版社<br>
▽「時間は実在するか」<br>
　入不二基義著・講談社 <br>
○「ホワイトヘッドの哲学」<br>
　中村昇著・講談社<br>
▽「知の教科書 論理の哲学」<br>
　飯田隆編集・講談社<br>
○△「「無常」の哲学―ダルマキールティと刹那滅」<br>
　谷貞志著・春秋社<br>
▽「徳一と最澄―もう一つの正統仏教」<br>
　高橋富雄著・中央公論社<br>
▽「無の探求「中国禅」―仏教の思想〈7〉」<br>
　柳田聖山著・梅原猛著・角川書店<br>
▽「絶対の真理「天台」―仏教の思想〈5〉」<br>
　田村芳朗著・梅原猛著・角川書店<br>
▽「法然対明恵―鎌倉仏教の宗教対決」<br>
　町田宗鳳著・講談社<br>
▽「仏教講義―根本仏教と大乗仏教の会通を語る」<br>
　増谷文雄著・佼成出版社<br>
▽「中論」改訂版<br>
　ナーガールジュナ（竜樹尊者）著・西嶋（愚道）和夫訳・金沢文庫<br>
▽「根本的な中論の歌―釈尊の教えは実在論である」<br>
　ナーガールジュナ著・西嶋和夫翻訳・金沢文庫<br>
▽「大乗仏典」<br>
　長尾雅人責任編集・中央公論社<br>
▽「無心ということ」<br>
　鈴木大拙著・角川ソフィア文庫<br>
▽「禅とは何か」<br>
　鈴木大拙著・角川ソフィア文庫<br>
▽「禅」<br>
　鈴木大拙著・ちくま文庫<br>
▽「禅と唯識―悟りの構造」<br>
　竹村牧男著・大法輪閣<br>
▽「唯識思想論考」<br>
　袴谷憲昭著・大蔵出版<br>
▽「唯識とは何か―『法相二巻抄』を読む」<br>
　横山紘一著・春秋社<br>
▽「大智度論講述」<br>
　宇野順治著・永田文昌堂<br>
▽「大乗としての浄土―空・唯識から念仏へ」<br>
　山口益著・大法輪閣<br>
▽「唯識の探求 『唯識三十頌を読む』」<br>
　竹村牧男著・春秋社<br>
▽「講座・大乗仏教　大乗仏教とその周辺」<br>
　春秋社<br>
▽「門無き門より入れ―精読『無門関』」<br>
　山田史生著・大蔵出版<br>
○「唯識でよむ般若心経―空の実践」<br>
　横山紘一著・大法輪閣<br>
▽「入門 哲学としての仏教」<br>
　竹村牧男著・講談社<br>
○「僧侶と哲学者―チベット仏教をめぐる対話」<br>
　ジャン=フランソワルヴェル著、マチウリカール著・新評論<br>
○「掌の中の無限―チベット仏教と現代科学が出会う時」<br>
　マチウリカール著、チンスアン・トゥアン著・新評論<br>
▽「理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性」<br>
　高橋昌一郎著・講談社<br>
▽「ゲーデルの哲学―不完全性定理と神の存在論」<br>
　高橋昌一郎著・講談社 <br>
□大乗仏典・中公文庫　1<br>
　般若部経典・金剛般経<br>
□大乗仏典・中公文庫　2<br>
　八千頌般若経?<br>
□大乗仏典・中公文庫　3<br>
　八千頌般若経?<br>
□大乗仏典・中公文庫　7<br>
　維摩経・首楞厳経<br>
□大乗仏典・中公文庫　8<br>
　十地経<br>
□大乗仏典・中公文庫　12<br>
　如来蔵系経典<br>
□大乗仏典・中公文庫　14<br>
　龍樹論集<br>
□大乗仏典・中公文庫　15<br>
　世親論集<br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/oujyouin/archives/51552614.html">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第二弾</a><br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/2008-11.html#20081110">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第一弾</a>]]></content:encoded>
  </item>
  <item rdf:about="http://hide.noblog.net/blog/10869787.html">
    <title>
			仏教の存在論・時間論・認識論・論理学について全般的な学び
		</title>
    <link>http://hide.noblog.net/blog/10869787.html</link>
    <description>施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」 http://oujyouin.com/enginorikai.html 施本「仏教・空の理解から学ぶ」 http://oujyouin.com/topengi.htm 施本「仏教・空の理解」 http://oujyouin.com/sunyatop.htm 施本「仏教　〜　一枚の紙から考える　〜」 http://ouj...</description>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2009-11-07T17:36:59+09:00</dc:date>
    <content:encoded><![CDATA[施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/enginorikai.html">http://oujyouin.com/enginorikai.html</a><br>
施本「仏教・空の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/topengi.htm">http://oujyouin.com/topengi.htm</a><br>
施本「仏教・空の理解」<br>
<a href="http://oujyouin.com/sunyatop.htm">http://oujyouin.com/sunyatop.htm</a><br>
施本「仏教　〜　一枚の紙から考える　〜」<br>
<a href="http://oujyouin.com/buddhism1p.html">http://oujyouin.com/buddhism1p.html</a><br>
施本「佛の道」<br>
<a href="http://oujyouin.com/hotokenomichi.html">http://oujyouin.com/hotokenomichi.html</a><br>
<br>
これから更に仏教の学びを進めるための文献・第三弾<br>
<br>
現在、ダルマキールティ論師の瞬間的存在性論証（刹那滅論証）の論考を中心として、仏教の存在論・時間論・認識論・論理学について全般的な学びを進めております。<br>
<br>
最近はmixiに参加しまして、コミュニティも立ち上げております。<br>
<br>
<a href="http://mixi.jp/">http://mixi.jp/</a><br>
<br>
「仏教・中観思想・空思想を学ぶ」でございます。mixiに参加されておられます方は、是非、検索して頂きまして、ご興味がありましたら参加して頂ければと存じます。<br>
<br>
コミュニティ紹介文「このコミュニティでは龍樹（ナーガールジュナ）論師以来の「中観思想・空思想」の発展について全般的な学びを進めていくために、色々と論題を設けて、意見交換・討議を行って参りたいと存じます。是非、奮ってご参加下さいませ。」 <br>
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「講座仏教思想〈第1巻〉存在論・時間論」・「講座仏教思想〈第2巻〉認識論・論理学」・「講座・大乗仏教　認識論と論理学」・『「無常」の哲学―ダルマキールティと刹那滅』を読み進め中。<br>
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<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/~sdaisin/">「現代仏教学を再生するためのホームページ」</a>の<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/cgi-bin/ezboard/sdaisin/1/">掲示板</a>の投稿内容抜粋。<br>
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「日本財政破綻の足音・・」2009年11月1日<br>
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・・しばらくの間、仏教論理学・認識論の考察を進めておりました。唯識・中観の思想発展について学ぶ上でも非常に有意義なものとなっております。以前より世俗諦と勝義諦の線引きがより明確化してきたという感じでございます。もちろんまだまだこれからでございます。<br>
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さて、日本を取り巻く状況下は、ここにきてかなり危機的であり、色々と懸念が深まっております。とにかく財政破綻はもはや時間の問題になってしまっているように思います。<br>
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あとはむしろデフォルト後を睨んで、デフォルトをソフトランディングで処理するか、もしくはハードランディングで処理するかで犠牲の度合いが桁違いとなります。もちろん、犠牲が少なく済む内に行うか、先送りに先送りを繰り返し、ギリギリいっぱいまで引き延ばすかでも犠牲の度合いははるかに違うこととなります。<br>
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最悪の場合、太平洋戦争末期並みの苦しみに陥ってしまう可能性もあります。<br>
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破綻回避はもう無理にしても、何とか政府には、犠牲が少なく済む内でソフトランディングにて処理してほしいものであると考えております。<br>
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予想通りと申しますか・・残念ながら日本の現状下は非常に厳しくなってきております・・<br>
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経済コラムマガジン<br>
<a href="http://www.adpweb.com/eco/">http://www.adpweb.com/eco/</a><br>
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日本国財政破綻Safety Net<br>
<a href="http://wanderer.exblog.jp/">http://wanderer.exblog.jp/</a><br>
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国家破綻研究ブログ<br>
<a href="http://gijutsu.exblog.jp/">http://gijutsu.exblog.jp/</a><br>
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・・ここまで。<br>
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<a href="http://buddhism.sns.fc2.com/">仏教談話ネットワーク</a>・コミュニティ<a href="http://buddhism.sns.fc2.com/exec/community/view/community/2047/">「中観思想・学びのすすめ」</a>におきましては、管理人でもありコミュニティに参加されておられます<a href="http://kongou-koji.tea-nifty.com/blog/">金剛居士さん</a>とのやり取りが続いております。仏教哲理に深く精通されておられます金剛居士さんからはいつも色々と助けられて教えられることばかりでございます。<br>
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・・<br>
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『「A」と主張する者は、非「A」という前提において言えていることである。「A」と主張する者は、非「A」ということを認めていることになってしまう。「A」はない。』同様に、『「非A」と主張する者は、「A」という前提において言えていることである。「非A」と主張する者は、「A」ということを認めていることになってしまう。「非A」はない。』<br>
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とにかく、「A」には、名称・言語・文章のみならず、思考・観念・論理・認識などいくらでも代入していけますし、また無限に展開していく論にもなって参ります・・<br>
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また、この論は、あくまでも「A」が固定でき、決定していてこそ言えるものであり、そもそも「A」そのものが固定・決定できるものであるのかどうかが問題であります。一応は仮に「A」というものを固定・決定してという前提が必要となります。もちろん、仮は所詮、仮に過ぎません。<br>
<br>
また、もしも「A」というものが、止めれて、固定・決定できたとしても、結局は論そのもの自体が成り立たなくなってしまいます・・<br>
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「一秒前の私と今の（瞬間の）私は私なのか、違う私なのか」の問いも、あくまで仮に私と一瞬が止めれて、固定・決定してこそにおいて言えるものであり、また、そもそも私と一瞬が止めれて、固定・決定できるものであるのかどうかも問題であり、仮にもしも、止めれて、固定・決定できたとしても、結局は問い自体が成り立たなくなってしまいます・・<br>
<br>
しいて述べさせて頂くならば、上記の論の「A」には、もちろん、仏教思想全般にわたるいかなる論であっても代入でき、この論自体も例外ではなく、そうなります。論自体が論そのものを否定する論ということとなります。<br>
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上記の論は、改めて言語活動の虚妄性を示すという意義はあるかとは思いますが、しかし十分ではないとも考えております。<br>
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・・<br>
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仏教認識論理学は誠に難解でありますが、仏教思想を一から学び直す中で、しっかりと学ばねばならないと、ようやくに関係論著を読み進めている次第でございます。もちろんまだまだただ目で読み進めているだけでありますが・・<br>
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とにかく、「一秒前の私と今の（瞬間の）私は私なのか、違う私なのか」という基本的な疑問について法話にて確実に答えるために仏教認識論理学の論考は避けて通れないところでございます。<br>
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「不常不断・不一不異・非連続の連続・・刹那滅論証・・」<br>
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ダルマキールティ論師の瞬間的存在性論証（刹那滅論証）は、（あくまでも世俗諦としてではあるかと存じますが）上記の疑問に答えるための最大の論証であると考えております。<br>
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「ダルマキールティの瞬間的存在性論証（刹那滅論証）」において意図するところは、仏教認識論理学（主に唯識思想）と仏教思考論理学（主に中観思想）の統合的理解を目指したものであると存じますので、中観思想と唯識思想の論理、また中観思想における自立論証派・帰謬論証派、唯識思想における有形象唯識論、無形象唯識論の論理発展についても学ぶことができるため、非常に理解することには難解さを極めますが、「ダルマキールティの瞬間的存在性論証（刹那滅論証）」を学べば、仏教の論理学体系をほぼ学ぶことができるのではないであろうかと考えております。<br>
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・・<br>
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中観思想の論理について改めて学び直すために、『「空」の構造」-「中論」の論理』立川武蔵著・第三文明社を急遽再読を終えました。<br>
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縁起は、時空的因果関係と即非の論理（Ａと非Ａ）により表されるものであると改めて確認できました。論理的縁起は、即非の論理（Ａと非Ａ）にてもっとしっかりと論じる必要があったと反省致しております。<br>
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「龍樹造「方便心論」の研究」を読み終えました。いわゆるインド論理学・因明学の発展を知る上で重要な書の一つであると存じます。また詳しい感想は後日に。<br>
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石飛先生は、「縁起とは、因果関係ではなく相依相関を意味している」という解釈は誤解に基づくものであると考えておられます。現在の私の「縁起」の捉え方は、時間的縁起・空間的縁起・論理的縁起として、時空的縁起は因果関係を扱って説明するものですが、最終的には論理的縁起としての相依相関性の方を重視しております。石飛先生の説かれる「縁起」とは一体どういうものであるのか・・とにかくまだまだ考察して参りたい存じます。<br>
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石飛道子先生のインド論理学・インド哲学、龍樹論師・中観思想についての論考は実にいつも興味深いものがあります。目下注目の碩学でございます。<br>
<a href="http://homepage1.nifty.com/manikana/">http://homepage1.nifty.com/manikana/</a><br>
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一つには、唯識思想における「依他起性の仮有」・「真如の実有」と、ツォンカパ・ラマの中観思想における「言説有」との相似・相違点の整理を自分なりにして参りたいと存じております。<br>
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ツォンカパ・ラマは、チベット仏教・ゲルク派（黄帽派）の開祖であります。現在のゲルク派の（観音菩薩様）化身ラマは、ダライ・ラマ14世でございます。ツォンカパ・ラマは中観帰謬論証派の論師でもあり、チベット仏教教学を大成しました。龍樹論師以来の中観思想・空の思想をどのように発展させていったのかを更に詳しく学んで参りたいと存じます。<br>
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→△△△「講座・大乗仏教　認識論と論理学」<br>
　春秋社<br>
→「講座仏教思想〈第1巻〉存在論・時間論」<br>
 三枝充悳著・理想社<br>
→「講座仏教思想〈第2巻〉認識論・論理学」<br>
　三枝充悳著・理想社<br>
→○○『「無常」の哲学―ダルマキールティと刹那滅』<br>
　谷貞志著・春秋社<br>
○「「空」の構造」-「中論」の論理」<br>
　立川武蔵著・第三文明社<br>
○「龍樹造「方便心論」の研究」<br>
　石飛道子著・山喜房仏書林<br>
○「ブッダの優しい論理学―縁起で学ぶ上手なコミュニケーション法 」<br>
　石飛道子著・サンガ<br>
△○○「ブッダと龍樹の論理学―縁起と中道」<br>
　石飛道子著・サンガ<br>
○○「ブッダ論理学五つの難問」<br>
　石飛道子著・講談社<br>
○「龍樹と、語れ!―『方便心論』の言語戦略」<br>
　石飛道子著・大法輪閣<br>
○○△「ツォンカパの中観思想―ことばによることばの否定」<br>
　四津谷孝道著・大蔵出版<br>
○○△「チャンドラキールティの中観思想」<br>
　岸根敏幸著・大東出版社<br>
△△○「中観と唯識」<br>
　長尾雅人著・岩波書店<br>
○「チベット仏教哲学」<br>
　松本史朗著・大蔵出版<br>
▽「中観と空1・梶山雄一著作集4」<br>
　梶山雄一著・御牧克己編・春秋社<br>
▽「空と中観」<br>
　江島惠教著・春秋社<br>
<br>
いつも、<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/~sdaisin/">「現代仏教学を再生するためのホームページ」</a>の<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/cgi-bin/ezboard/sdaisin/1/">掲示板</a>にて議論させて頂いておりますＳ・イマムラ先生が<a href="http://www016.upp.so-net.ne.jp/jikuron/bukkyo/">「C点による仏教論」</a>を著されました。C点と仏教の真摯なるご論考でございますので、是非、皆様方もお読み頂けましたらと存じます。<br>
<br>
「C点による仏教論」<br>
<a href="http://www016.upp.so-net.ne.jp/jikuron/bukkyo/">http://www016.upp.so-net.ne.jp/jikuron/bukkyo/</a><br>
<br>
読書の進捗状況<br>
（→・進行中　○・読み終え　○の数・一通り読んだ回数　△・中途停止　▽・読み進める前　□・随時参照）<br>
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△○「中観と唯識」<br>
　長尾雅人著・岩波書店<br>
△「日本仏教の思想　受容と変容の千五百年史」(講談社現代新書)<br>
　立川武蔵著・講談社<br>
○「わかる仏教史」<br>
　宮元啓一著・春秋社<br>
▽「涅槃経―如来常住と悉有仏性」 (サーラ叢書 26)<br>
　横超慧日著・平楽寺書店<br>
▽「中観と空1・梶山雄一著作集4」<br>
　梶山雄一著・御牧克己編・春秋社<br>
▽「空と中観」<br>
　江島惠教著・春秋社<br>
▽「般若思想史」ワイド版版<br>
　山口益著・法蔵館<br>
▽「道元と仏教―十二巻本『正法眼蔵』の道元」<br>
　袴谷憲昭著・大蔵出版<br>
▽「道元思想論」<br>
　松本史朗著・大蔵出版<br>
▽「仏教への道」<br>
　松本史朗著・東京書籍<br>
▽「法然親鸞思想論」<br>
　松本史朗著・大蔵出版<br>
▽「法然と明恵―日本仏教思想史序説」<br>
　袴谷憲昭著・大蔵出版<br>
▽「仏性思想の展開」<br>
　奥野光賢著・大蔵出版<br>
▽「天台学―根本思想とその展開」<br>
　安藤俊雄著・平楽寺書店<br>
▽「台密教学の研究」<br>
　大久保良峻著・法蔵館<br>
▽「本覚思想の源流と展開」<br>
　浅井円道著・平楽寺書店<br>
▽「天台教学と本覚思想」<br>
　大久保良峻著・法蔵館<br>
▽「最澄と天台本覚思想―日本精神史序説」<br>
　栗田勇著・作品社<br>
▽「アーラヤ的世界とその神―仏教思想像の転回」<br>
　津田真一著・大蔵出版<br>
▽「反密教学」<br>
　改訂版・津田真一著・春秋社<br>
▽「禅思想の批判的研究」<br>
　松本史朗著・大蔵出版<br>
▽「インド哲学七つの難問 (講談社選書メチエ)」<br>
　 宮元啓一著・講談社<br>
▽「華厳五教章」<br>
　鎌田茂雄著・大蔵出版<br>
▽「「華厳経」を読む (仏典を読むシリーズ) 」<br>
　西本照真著・武蔵野大学編纂・角川学芸出版<br>
△「和訳 華厳経」<br>
　鎌田茂雄著・東京美術<br>
▽「華厳禅の思想史的研究」<br>
　吉津宜英著・大東出版社<br>
△「唯識説を中心とした初期華厳教学の研究―智儼・義湘から法蔵へ」<br>
　大竹晋著・大蔵出版<br>
▽「華厳思想 (講座・大乗仏教)」<br>
　平川彰編集・梶山雄一編集・春秋社<br>
▽「浄土思想 (講座・大乗仏教)」<br>
　梶山雄一編集・高崎直道編集・春秋社<br>
▽「法華経の七つの譬喩―初めて学ぶ『法華経』(レグルス文庫 (207))」<br>
　菅野博史著・第三文明社<br>
▽「図説 法華経大全―「妙法蓮華経全二十八品」現代語訳総解説 (エソテリカ・セレクション)」<br>
　大角修翻訳・学習研究社<br>
△「初期大乗と法華思想 (平川彰著作集)」<br>
　平川彰著・春秋社<br>
▽「法華経思想史から学ぶ仏教」<br>
　菅野博史著・大蔵出版<br>
▽「密教 (岩波新書)」<br>
　松長有慶著・岩波書店<br>
▽「観音経講話 (講談社学術文庫 ) 」<br>
　鎌田茂雄著・講談社<br>
▽「般若心経講話 (講談社学術文庫) 」<br>
　鎌田茂雄著・講談社<br>
▽「理趣経 (中公文庫BIBLIO)」<br>
　松長有慶著・中央公論新社<br>
▽「最澄と空海―日本仏教思想の誕生 (講談社選書メチエ) 」<br>
　立川武蔵著・講談社<br>
▽「密教概論」<br>
　高神覚昇著・大法輪閣<br>
▽「正法眼蔵随聞記講話」<br>
　鎌田茂雄著・講談社<br>
▽「古仏のまねび「道元」」<br>
　高崎直道著・梅原猛著・角川書店<br>
▽「生命の海「空海」」<br>
　宮坂宥勝著・梅原猛著・角川書店<br>
▽「絶望と歓喜「親鸞」」<br>
　増谷文雄著・梅原猛著・角川書店<br>
▽「密教の思想」<br>
　立川武蔵著・吉川弘文館<br>
▽「密教・自心の探求―『菩提心論』を読む」<br>
　生井智紹著・大法輪閣<br>
▽「『華厳経』『楞伽経』 (現代語訳大乗仏典)」<br>
　中村元著・東京書籍<br>
▽「「正法眼蔵」を読む―現代を生き抜く一二〇の知恵」<br>
　秋月龍&#33802;著・PHP研究所<br>
▽「『金剛頂経』入門―即身成仏への道 」<br>
　頼富本宏著・大法輪閣<br>
▽「『大日経』入門―慈悲のマンダラ世界」<br>
　頼富本宏著・大法輪閣<br>
▽「知の教科書 密教」<br>
　正木晃著・講談社<br>
▽「密教の哲学」<br>
　金岡秀友著・講談社<br>
▽「空海の思想的展開の研究」<br>
　藤井淳著・トランスビュー<br>
○「絶対無と場所―鈴木禅学と西田哲学」<br>
　秋月龍&#33802;著・青土社<br>
▽「西田哲学への導き―経験と自覚」<br>
　上田閑照著・岩波書店<br>
○「西田幾多郎の思想」<br>
　小坂国継著・講談社<br>
▽「西田哲学の根本問題」<br>
　滝沢克己著・小林孝吉編集・こぶし書房<br>
△「仏教的立場から西田哲学への理解」<br>
　増田鷹雄著・三崎堂<br>
○「西田幾多郎―生きることと哲学」<br>
　藤田正勝著・岩波書店<br>
▽「西田幾多郎とは誰か」<br>
　上田閑照著・岩波書店<br>
○「絶対無の哲学―西田哲学研究入門」<br>
　花岡永子著・世界思想社<br>
△「絶対無の哲学―西田哲学の継承と体系化」<br>
　根井康之著・農山漁村文化協会<br>
▽「西田哲学の世界―あるいは哲学の転回」<br>
　大橋良介著・筑摩書房<br>
▽「歴史的現実と西田哲学―絶対的論理主義とは何か」<br>
　板橋勇仁著・法政大学出版局<br>
○「西田哲学の再構築―その成立過程と比較思想」<br>
　平山洋著・ミネルヴァ書房<br>
▽「ホワイトヘッドと西田哲学の“あいだ”―仏教的キリスト教哲学の構想」<br>
　延原時行著・法蔵館<br>
○「時間幻想―西田哲学からの出発」<br>
　重久俊夫著・中央公論事業出版<br>
○「「自己」の哲学―ウィトゲンシュタイン・鈴木大拙・西田幾多郎」<br>
　黒崎宏著・春秋社<br>
△「西田哲学の論理と方法―徹底的批評主義とは何か」<br>
　板橋勇仁著・法政大学出版局<br>
○「西田幾多郎と仏教―禅と真宗の根底を究める」<br>
　竹村牧男著・大東出版社<br>
○「サクラは何色ですか?―西田幾多郎の思想」<br>
　大沢正人著・現代書館<br>
△「「自己と世界」の問題―絶対無の視点から」<br>
　花岡永子著・現代図書<br>
○「現代思想としての西田幾多郎」<br>
　藤田正勝著・講談社  <br>
▽「絶対無と神―京都学派の哲学」<br>
　小野寺功著・春風社<br>
▽「仏教とキリスト教」<br>
　滝沢克己著・法蔵館<br>
▽「場所論としての宗教哲学―仏教とキリスト教の交点に立って」<br>
　八木誠一著・法蔵館 <br>
△「時間と絶対と相対と ―運命論から何を読み取るべきか」<br>
　入不二基義著・勁草書房 <br>
▽「過程と実在〈1〉コスモロジーへの試論」<br>
　アルフレッド・ノース ホワイトヘッド (著), Alfred North Whitehead (原著), 平林 康之 (翻訳) ・みすず書房<br>
▽「過程と実在〈2〉コスモロジーへの試論」<br>
　アルフレッド・ノース ホワイトヘッド (著), Alfred North Whitehead (原著), 平林 康之 (翻訳) ・みすず書房<br>
▽「『正法眼蔵』を読む 存在するとはどういうことか」<br>
　南直哉著・講談社<br>
▽「道元入門」<br>
　秋月龍&#33802;著・講談社<br>
▽「鈴木大拙」<br>
　秋月龍&#33802;著・講談社<br>
▽「相対主義の極北」<br>
　入不二基義著・筑摩書房<br>
○「足の裏に影はあるか? ないか? 哲学随想」<br>
　入不二基義著・朝日出版社<br>
▽「時間は実在するか」<br>
　入不二基義著・講談社 <br>
○「ホワイトヘッドの哲学」<br>
　中村昇著・講談社<br>
▽「知の教科書 論理の哲学」<br>
　飯田隆編集・講談社<br>
○△「「無常」の哲学―ダルマキールティと刹那滅」<br>
　谷貞志著・春秋社<br>
▽「徳一と最澄―もう一つの正統仏教」<br>
　高橋富雄著・中央公論社<br>
▽「無の探求「中国禅」―仏教の思想〈7〉」<br>
　柳田聖山著・梅原猛著・角川書店<br>
▽「絶対の真理「天台」―仏教の思想〈5〉」<br>
　田村芳朗著・梅原猛著・角川書店<br>
▽「法然対明恵―鎌倉仏教の宗教対決」<br>
　町田宗鳳著・講談社<br>
▽「仏教講義―根本仏教と大乗仏教の会通を語る」<br>
　増谷文雄著・佼成出版社<br>
▽「中論」改訂版<br>
　ナーガールジュナ（竜樹尊者）著・西嶋（愚道）和夫訳・金沢文庫<br>
▽「根本的な中論の歌―釈尊の教えは実在論である」<br>
　ナーガールジュナ著・西嶋和夫翻訳・金沢文庫<br>
▽「大乗仏典」<br>
　長尾雅人責任編集・中央公論社<br>
▽「無心ということ」<br>
　鈴木大拙著・角川ソフィア文庫<br>
▽「禅とは何か」<br>
　鈴木大拙著・角川ソフィア文庫<br>
▽「禅」<br>
　鈴木大拙著・ちくま文庫<br>
▽「禅と唯識―悟りの構造」<br>
　竹村牧男著・大法輪閣<br>
▽「唯識思想論考」<br>
　袴谷憲昭著・大蔵出版<br>
▽「唯識とは何か―『法相二巻抄』を読む」<br>
　横山紘一著・春秋社<br>
▽「大智度論講述」<br>
　宇野順治著・永田文昌堂<br>
▽「大乗としての浄土―空・唯識から念仏へ」<br>
　山口益著・大法輪閣<br>
▽「唯識の探求 『唯識三十頌を読む』」<br>
　竹村牧男著・春秋社<br>
▽「講座・大乗仏教　大乗仏教とその周辺」<br>
　春秋社<br>
▽「門無き門より入れ―精読『無門関』」<br>
　山田史生著・大蔵出版<br>
○「唯識でよむ般若心経―空の実践」<br>
　横山紘一著・大法輪閣<br>
▽「入門 哲学としての仏教」<br>
　竹村牧男著・講談社<br>
○「僧侶と哲学者―チベット仏教をめぐる対話」<br>
　ジャン=フランソワルヴェル著、マチウリカール著・新評論<br>
○「掌の中の無限―チベット仏教と現代科学が出会う時」<br>
　マチウリカール著、チンスアン・トゥアン著・新評論<br>
▽「理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性」<br>
　高橋昌一郎著・講談社<br>
▽「ゲーデルの哲学―不完全性定理と神の存在論」<br>
　高橋昌一郎著・講談社 <br>
□大乗仏典・中公文庫　1<br>
　般若部経典・金剛般経<br>
□大乗仏典・中公文庫　2<br>
　八千頌般若経?<br>
□大乗仏典・中公文庫　3<br>
　八千頌般若経?<br>
□大乗仏典・中公文庫　7<br>
　維摩経・首楞厳経<br>
□大乗仏典・中公文庫　8<br>
　十地経<br>
□大乗仏典・中公文庫　12<br>
　如来蔵系経典<br>
□大乗仏典・中公文庫　14<br>
　龍樹論集<br>
□大乗仏典・中公文庫　15<br>
　世親論集<br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/oujyouin/archives/51552614.html">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第二弾</a><br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/2008-11.html#20081110">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第一弾</a>]]></content:encoded>
  </item>
  <item rdf:about="http://hide.noblog.net/blog/10867022.html">
    <title>
			「日本財政破綻の足音・・」
		</title>
    <link>http://hide.noblog.net/blog/10867022.html</link>
    <description>施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」 http://oujyouin.com/enginorikai.html 施本「仏教・空の理解から学ぶ」 http://oujyouin.com/topengi.htm 施本「仏教・空の理解」 http://oujyouin.com/sunyatop.htm 施本「仏教　〜　一枚の紙から考える　〜」 http://ouj...</description>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2009-11-02T17:32:59+09:00</dc:date>
    <content:encoded><![CDATA[施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/enginorikai.html">http://oujyouin.com/enginorikai.html</a><br>
施本「仏教・空の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/topengi.htm">http://oujyouin.com/topengi.htm</a><br>
施本「仏教・空の理解」<br>
<a href="http://oujyouin.com/sunyatop.htm">http://oujyouin.com/sunyatop.htm</a><br>
施本「仏教　〜　一枚の紙から考える　〜」<br>
<a href="http://oujyouin.com/buddhism1p.html">http://oujyouin.com/buddhism1p.html</a><br>
施本「佛の道」<br>
<a href="http://oujyouin.com/hotokenomichi.html">http://oujyouin.com/hotokenomichi.html</a><br>
<br>
これから更に仏教の学びを進めるための文献・第三弾<br>
<br>
「講座仏教思想〈第2巻〉認識論・論理学」を読み進め中。<br>
<br>
<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/~sdaisin/">「現代仏教学を再生するためのホームページ」</a>の<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/cgi-bin/ezboard/sdaisin/1/">掲示板</a>の投稿内容抜粋。<br>
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「日本財政破綻の足音・・」2009年11月1日<br>
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・・しばらくの間、仏教論理学・認識論の考察を進めておりました。唯識・中観の思想発展について学ぶ上でも非常に有意義なものとなっております。以前より世俗諦と勝義諦の線引きがより明確化してきたという感じでございます。もちろんまだまだこれからでございます。<br>
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さて、日本を取り巻く状況下は、ここにきてかなり危機的であり、色々と懸念が深まっております。とにかく財政破綻はもはや時間の問題になってしまっているように思います。<br>
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あとはむしろデフォルト後を睨んで、デフォルトをソフトランディングで処理するか、もしくはハードランディングで処理するかで犠牲の度合いが桁違いとなります。もちろん、犠牲が少なく済む内に行うか、先送りに先送りを繰り返し、ギリギリいっぱいまで引き延ばすかでも犠牲の度合いははるかに違うこととなります。<br>
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最悪の場合、太平洋戦争末期並みの苦しみに陥ってしまう可能性もあります。<br>
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破綻回避はもう無理にしても、何とか政府には、犠牲が少なく済む内でソフトランディングにて処理してほしいものであると考えております。<br>
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予想通りと申しますか・・残念ながら日本の現状下は非常に厳しくなってきております・・<br>
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経済コラムマガジン<br>
<a href="http://www.adpweb.com/eco/">http://www.adpweb.com/eco/</a><br>
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日本国財政破綻Safety Net<br>
<a href="http://wanderer.exblog.jp/">http://wanderer.exblog.jp/</a><br>
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国家破綻研究ブログ<br>
<a href="http://gijutsu.exblog.jp/">http://gijutsu.exblog.jp/</a><br>
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・・ここまで。<br>
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<a href="http://buddhism.sns.fc2.com/">仏教談話ネットワーク</a>・コミュニティ<a href="http://buddhism.sns.fc2.com/exec/community/view/community/2047/">「中観思想・学びのすすめ」</a>におきましては、管理人でもありコミュニティに参加されておられます<a href="http://kongou-koji.tea-nifty.com/blog/">金剛居士さん</a>とのやり取りが続いております。仏教哲理に深く精通されておられます金剛居士さんからはいつも色々と助けられて教えられることばかりでございます。<br>
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・・<br>
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『「A」と主張する者は、非「A」という前提において言えていることである。「A」と主張する者は、非「A」ということを認めていることになってしまう。「A」はない。』同様に、『「非A」と主張する者は、「A」という前提において言えていることである。「非A」と主張する者は、「A」ということを認めていることになってしまう。「非A」はない。』<br>
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とにかく、「A」には、名称・言語・文章のみならず、思考・観念・論理・認識などいくらでも代入していけますし、また無限に展開していく論にもなって参ります・・<br>
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また、この論は、あくまでも「A」が固定でき、決定していてこそ言えるものであり、そもそも「A」そのものが固定・決定できるものであるのかどうかが問題であります。一応は仮に「A」というものを固定・決定してという前提が必要となります。もちろん、仮は所詮、仮に過ぎません。<br>
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また、もしも「A」というものが、止めれて、固定・決定できたとしても、結局は論そのもの自体が成り立たなくなってしまいます・・<br>
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「一秒前の私と今の（瞬間の）私は私なのか、違う私なのか」の問いも、あくまで仮に私と一瞬が止めれて、固定・決定してこそにおいて言えるものであり、また、そもそも私と一瞬が止めれて、固定・決定できるものであるのかどうかも問題であり、仮にもしも、止めれて、固定・決定できたとしても、結局は問い自体が成り立たなくなってしまいます・・<br>
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しいて述べさせて頂くならば、上記の論の「A」には、もちろん、仏教思想全般にわたるいかなる論であっても代入でき、この論自体も例外ではなく、そうなります。論自体が論そのものを否定する論ということとなります。<br>
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上記の論は、改めて言語活動の虚妄性を示すという意義はあるかとは思いますが、しかし十分ではないとも考えております。<br>
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・・<br>
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仏教認識論理学は誠に難解でありますが、仏教思想を一から学び直す中で、しっかりと学ばねばならないと、ようやくに関係論著を読み進めている次第でございます。もちろんまだまだただ目で読み進めているだけでありますが・・<br>
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とにかく、「一秒前の私と今の（瞬間の）私は私なのか、違う私なのか」という基本的な疑問について法話にて確実に答えるために仏教認識論理学の論考は避けて通れないところでございます。<br>
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「不常不断・不一不異・非連続の連続・・刹那滅論証・・」<br>
<br>
ダルマキールティ論師の瞬間的存在性論証（刹那滅論証）は、（あくまでも世俗諦としてではあるかと存じますが）上記の疑問に答えるための最大の論証であると考えております。<br>
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「ダルマキールティの瞬間的存在性論証（刹那滅論証）」において意図するところは、仏教認識論理学（主に唯識思想）と仏教思考論理学（主に中観思想）の統合的理解を目指したものであると存じますので、中観思想と唯識思想の論理、また中観思想における自立論証派・帰謬論証派、唯識思想における有形象唯識論、無形象唯識論の論理発展についても学ぶことができるため、非常に理解することには難解さを極めますが、「ダルマキールティの瞬間的存在性論証（刹那滅論証）」を学べば、仏教の論理学体系をほぼ学ぶことができるのではないであろうかと考えております。<br>
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・・<br>
<br>
中観思想の論理について改めて学び直すために、『「空」の構造」-「中論」の論理』立川武蔵著・第三文明社を急遽再読を終えました。<br>
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縁起は、時空的因果関係と即非の論理（Ａと非Ａ）により表されるものであると改めて確認できました。論理的縁起は、即非の論理（Ａと非Ａ）にてもっとしっかりと論じる必要があったと反省致しております。<br>
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「龍樹造「方便心論」の研究」を読み終えました。いわゆるインド論理学・因明学の発展を知る上で重要な書の一つであると存じます。また詳しい感想は後日に。<br>
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石飛先生は、「縁起とは、因果関係ではなく相依相関を意味している」という解釈は誤解に基づくものであると考えておられます。現在の私の「縁起」の捉え方は、時間的縁起・空間的縁起・論理的縁起として、時空的縁起は因果関係を扱って説明するものですが、最終的には論理的縁起としての相依相関性の方を重視しております。石飛先生の説かれる「縁起」とは一体どういうものであるのか・・とにかくまだまだ考察して参りたい存じます。<br>
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石飛道子先生のインド論理学・インド哲学、龍樹論師・中観思想についての論考は実にいつも興味深いものがあります。目下注目の碩学でございます。<br>
<a href="http://homepage1.nifty.com/manikana/">http://homepage1.nifty.com/manikana/</a><br>
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一つには、唯識思想における「依他起性の仮有」・「真如の実有」と、ツォンカパ・ラマの中観思想における「言説有」との相似・相違点の整理を自分なりにして参りたいと存じております。<br>
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ツォンカパ・ラマは、チベット仏教・ゲルク派（黄帽派）の開祖であります。現在のゲルク派の（観音菩薩様）化身ラマは、ダライ・ラマ14世でございます。ツォンカパ・ラマは中観帰謬論証派の論師でもあり、チベット仏教教学を大成しました。龍樹論師以来の中観思想・空の思想をどのように発展させていったのかを更に詳しく学んで参りたいと存じます。<br>
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△「講座仏教思想〈第1巻〉存在論・時間論」<br>
 三枝充悳著・理想社<br>
→「講座仏教思想〈第2巻〉認識論・論理学」<br>
　三枝充悳著・理想社<br>
○○『「無常」の哲学―ダルマキールティと刹那滅』<br>
　谷貞志著・春秋社<br>
○「「空」の構造」-「中論」の論理」<br>
　立川武蔵著・第三文明社<br>
○「龍樹造「方便心論」の研究」<br>
　石飛道子著・山喜房仏書林<br>
○「ブッダの優しい論理学―縁起で学ぶ上手なコミュニケーション法 」<br>
　石飛道子著・サンガ<br>
△○○「ブッダと龍樹の論理学―縁起と中道」<br>
　石飛道子著・サンガ<br>
○○「ブッダ論理学五つの難問」<br>
　石飛道子著・講談社<br>
○「龍樹と、語れ!―『方便心論』の言語戦略」<br>
　石飛道子著・大法輪閣<br>
○○△「ツォンカパの中観思想―ことばによることばの否定」<br>
　四津谷孝道著・大蔵出版<br>
○○△「チャンドラキールティの中観思想」<br>
　岸根敏幸著・大東出版社<br>
△△○「中観と唯識」<br>
　長尾雅人著・岩波書店<br>
○「チベット仏教哲学」<br>
　松本史朗著・大蔵出版<br>
▽「中観と空1・梶山雄一著作集4」<br>
　梶山雄一著・御牧克己編・春秋社<br>
▽「空と中観」<br>
　江島惠教著・春秋社<br>
<br>
いつも、<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/~sdaisin/">「現代仏教学を再生するためのホームページ」</a>の<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/cgi-bin/ezboard/sdaisin/1/">掲示板</a>にて議論させて頂いておりますＳ・イマムラ先生が<a href="http://www016.upp.so-net.ne.jp/jikuron/bukkyo/">「C点による仏教論」</a>を著されました。C点と仏教の真摯なるご論考でございますので、是非、皆様方もお読み頂けましたらと存じます。<br>
<br>
「C点による仏教論」<br>
<a href="http://www016.upp.so-net.ne.jp/jikuron/bukkyo/">http://www016.upp.so-net.ne.jp/jikuron/bukkyo/</a><br>
<br>
読書の進捗状況<br>
（→・進行中　○・読み終え　○の数・一通り読んだ回数　△・中途停止　▽・読み進める前　□・随時参照）<br>
<br>
△○「中観と唯識」<br>
　長尾雅人著・岩波書店<br>
△「日本仏教の思想　受容と変容の千五百年史」(講談社現代新書)<br>
　立川武蔵著・講談社<br>
○「わかる仏教史」<br>
　宮元啓一著・春秋社<br>
▽「涅槃経―如来常住と悉有仏性」 (サーラ叢書 26)<br>
　横超慧日著・平楽寺書店<br>
▽「中観と空1・梶山雄一著作集4」<br>
　梶山雄一著・御牧克己編・春秋社<br>
▽「空と中観」<br>
　江島惠教著・春秋社<br>
▽「般若思想史」ワイド版版<br>
　山口益著・法蔵館<br>
△△△「講座・大乗仏教　認識論と論理学」<br>
　春秋社<br>
▽「道元と仏教―十二巻本『正法眼蔵』の道元」<br>
　袴谷憲昭著・大蔵出版<br>
▽「道元思想論」<br>
　松本史朗著・大蔵出版<br>
▽「仏教への道」<br>
　松本史朗著・東京書籍<br>
▽「法然親鸞思想論」<br>
　松本史朗著・大蔵出版<br>
▽「法然と明恵―日本仏教思想史序説」<br>
　袴谷憲昭著・大蔵出版<br>
▽「仏性思想の展開」<br>
　奥野光賢著・大蔵出版<br>
▽「天台学―根本思想とその展開」<br>
　安藤俊雄著・平楽寺書店<br>
▽「台密教学の研究」<br>
　大久保良峻著・法蔵館<br>
▽「本覚思想の源流と展開」<br>
　浅井円道著・平楽寺書店<br>
▽「天台教学と本覚思想」<br>
　大久保良峻著・法蔵館<br>
▽「最澄と天台本覚思想―日本精神史序説」<br>
　栗田勇著・作品社<br>
▽「アーラヤ的世界とその神―仏教思想像の転回」<br>
　津田真一著・大蔵出版<br>
▽「反密教学」<br>
　改訂版・津田真一著・春秋社<br>
▽「禅思想の批判的研究」<br>
　松本史朗著・大蔵出版<br>
▽「インド哲学七つの難問 (講談社選書メチエ)」<br>
　 宮元啓一著・講談社<br>
▽「華厳五教章」<br>
　鎌田茂雄著・大蔵出版<br>
▽「「華厳経」を読む (仏典を読むシリーズ) 」<br>
　西本照真著・武蔵野大学編纂・角川学芸出版<br>
△「和訳 華厳経」<br>
　鎌田茂雄著・東京美術<br>
▽「華厳禅の思想史的研究」<br>
　吉津宜英著・大東出版社<br>
△「唯識説を中心とした初期華厳教学の研究―智儼・義湘から法蔵へ」<br>
　大竹晋著・大蔵出版<br>
▽「華厳思想 (講座・大乗仏教)」<br>
　平川彰編集・梶山雄一編集・春秋社<br>
▽「浄土思想 (講座・大乗仏教)」<br>
　梶山雄一編集・高崎直道編集・春秋社<br>
▽「法華経の七つの譬喩―初めて学ぶ『法華経』(レグルス文庫 (207))」<br>
　菅野博史著・第三文明社<br>
▽「図説 法華経大全―「妙法蓮華経全二十八品」現代語訳総解説 (エソテリカ・セレクション)」<br>
　大角修翻訳・学習研究社<br>
△「初期大乗と法華思想 (平川彰著作集)」<br>
　平川彰著・春秋社<br>
▽「法華経思想史から学ぶ仏教」<br>
　菅野博史著・大蔵出版<br>
▽「密教 (岩波新書)」<br>
　松長有慶著・岩波書店<br>
▽「観音経講話 (講談社学術文庫 ) 」<br>
　鎌田茂雄著・講談社<br>
▽「般若心経講話 (講談社学術文庫) 」<br>
　鎌田茂雄著・講談社<br>
▽「理趣経 (中公文庫BIBLIO)」<br>
　松長有慶著・中央公論新社<br>
▽「最澄と空海―日本仏教思想の誕生 (講談社選書メチエ) 」<br>
　立川武蔵著・講談社<br>
▽「密教概論」<br>
　高神覚昇著・大法輪閣<br>
▽「正法眼蔵随聞記講話」<br>
　鎌田茂雄著・講談社<br>
▽「古仏のまねび「道元」」<br>
　高崎直道著・梅原猛著・角川書店<br>
▽「生命の海「空海」」<br>
　宮坂宥勝著・梅原猛著・角川書店<br>
▽「絶望と歓喜「親鸞」」<br>
　増谷文雄著・梅原猛著・角川書店<br>
▽「密教の思想」<br>
　立川武蔵著・吉川弘文館<br>
▽「密教・自心の探求―『菩提心論』を読む」<br>
　生井智紹著・大法輪閣<br>
▽「『華厳経』『楞伽経』 (現代語訳大乗仏典)」<br>
　中村元著・東京書籍<br>
▽「「正法眼蔵」を読む―現代を生き抜く一二〇の知恵」<br>
　秋月龍&#33802;著・PHP研究所<br>
▽「『金剛頂経』入門―即身成仏への道 」<br>
　頼富本宏著・大法輪閣<br>
▽「『大日経』入門―慈悲のマンダラ世界」<br>
　頼富本宏著・大法輪閣<br>
▽「知の教科書 密教」<br>
　正木晃著・講談社<br>
▽「密教の哲学」<br>
　金岡秀友著・講談社<br>
▽「空海の思想的展開の研究」<br>
　藤井淳著・トランスビュー<br>
○「絶対無と場所―鈴木禅学と西田哲学」<br>
　秋月龍&#33802;著・青土社<br>
▽「西田哲学への導き―経験と自覚」<br>
　上田閑照著・岩波書店<br>
○「西田幾多郎の思想」<br>
　小坂国継著・講談社<br>
▽「西田哲学の根本問題」<br>
　滝沢克己著・小林孝吉編集・こぶし書房<br>
△「仏教的立場から西田哲学への理解」<br>
　増田鷹雄著・三崎堂<br>
○「西田幾多郎―生きることと哲学」<br>
　藤田正勝著・岩波書店<br>
▽「西田幾多郎とは誰か」<br>
　上田閑照著・岩波書店<br>
○「絶対無の哲学―西田哲学研究入門」<br>
　花岡永子著・世界思想社<br>
△「絶対無の哲学―西田哲学の継承と体系化」<br>
　根井康之著・農山漁村文化協会<br>
▽「西田哲学の世界―あるいは哲学の転回」<br>
　大橋良介著・筑摩書房<br>
▽「歴史的現実と西田哲学―絶対的論理主義とは何か」<br>
　板橋勇仁著・法政大学出版局<br>
○「西田哲学の再構築―その成立過程と比較思想」<br>
　平山洋著・ミネルヴァ書房<br>
▽「ホワイトヘッドと西田哲学の“あいだ”―仏教的キリスト教哲学の構想」<br>
　延原時行著・法蔵館<br>
○「時間幻想―西田哲学からの出発」<br>
　重久俊夫著・中央公論事業出版<br>
○「「自己」の哲学―ウィトゲンシュタイン・鈴木大拙・西田幾多郎」<br>
　黒崎宏著・春秋社<br>
△「西田哲学の論理と方法―徹底的批評主義とは何か」<br>
　板橋勇仁著・法政大学出版局<br>
○「西田幾多郎と仏教―禅と真宗の根底を究める」<br>
　竹村牧男著・大東出版社<br>
○「サクラは何色ですか?―西田幾多郎の思想」<br>
　大沢正人著・現代書館<br>
△「「自己と世界」の問題―絶対無の視点から」<br>
　花岡永子著・現代図書<br>
○「現代思想としての西田幾多郎」<br>
　藤田正勝著・講談社  <br>
▽「絶対無と神―京都学派の哲学」<br>
　小野寺功著・春風社<br>
▽「仏教とキリスト教」<br>
　滝沢克己著・法蔵館<br>
▽「場所論としての宗教哲学―仏教とキリスト教の交点に立って」<br>
　八木誠一著・法蔵館 <br>
△「時間と絶対と相対と ―運命論から何を読み取るべきか」<br>
　入不二基義著・勁草書房 <br>
▽「過程と実在〈1〉コスモロジーへの試論」<br>
　アルフレッド・ノース ホワイトヘッド (著), Alfred North Whitehead (原著), 平林 康之 (翻訳) ・みすず書房<br>
▽「過程と実在〈2〉コスモロジーへの試論」<br>
　アルフレッド・ノース ホワイトヘッド (著), Alfred North Whitehead (原著), 平林 康之 (翻訳) ・みすず書房<br>
▽「『正法眼蔵』を読む 存在するとはどういうことか」<br>
　南直哉著・講談社<br>
▽「道元入門」<br>
　秋月龍&#33802;著・講談社<br>
▽「鈴木大拙」<br>
　秋月龍&#33802;著・講談社<br>
▽「相対主義の極北」<br>
　入不二基義著・筑摩書房<br>
○「足の裏に影はあるか? ないか? 哲学随想」<br>
　入不二基義著・朝日出版社<br>
▽「時間は実在するか」<br>
　入不二基義著・講談社 <br>
○「ホワイトヘッドの哲学」<br>
　中村昇著・講談社<br>
▽「知の教科書 論理の哲学」<br>
　飯田隆編集・講談社<br>
○△「「無常」の哲学―ダルマキールティと刹那滅」<br>
　谷貞志著・春秋社<br>
▽「徳一と最澄―もう一つの正統仏教」<br>
　高橋富雄著・中央公論社<br>
▽「無の探求「中国禅」―仏教の思想〈7〉」<br>
　柳田聖山著・梅原猛著・角川書店<br>
▽「絶対の真理「天台」―仏教の思想〈5〉」<br>
　田村芳朗著・梅原猛著・角川書店<br>
▽「法然対明恵―鎌倉仏教の宗教対決」<br>
　町田宗鳳著・講談社<br>
▽「仏教講義―根本仏教と大乗仏教の会通を語る」<br>
　増谷文雄著・佼成出版社<br>
▽「中論」改訂版<br>
　ナーガールジュナ（竜樹尊者）著・西嶋（愚道）和夫訳・金沢文庫<br>
▽「根本的な中論の歌―釈尊の教えは実在論である」<br>
　ナーガールジュナ著・西嶋和夫翻訳・金沢文庫<br>
▽「大乗仏典」<br>
　長尾雅人責任編集・中央公論社<br>
▽「無心ということ」<br>
　鈴木大拙著・角川ソフィア文庫<br>
▽「禅とは何か」<br>
　鈴木大拙著・角川ソフィア文庫<br>
▽「禅」<br>
　鈴木大拙著・ちくま文庫<br>
▽「禅と唯識―悟りの構造」<br>
　竹村牧男著・大法輪閣<br>
▽「唯識思想論考」<br>
　袴谷憲昭著・大蔵出版<br>
▽「唯識とは何か―『法相二巻抄』を読む」<br>
　横山紘一著・春秋社<br>
▽「大智度論講述」<br>
　宇野順治著・永田文昌堂<br>
▽「大乗としての浄土―空・唯識から念仏へ」<br>
　山口益著・大法輪閣<br>
▽「唯識の探求 『唯識三十頌を読む』」<br>
　竹村牧男著・春秋社<br>
▽「講座・大乗仏教　大乗仏教とその周辺」<br>
　春秋社<br>
▽「門無き門より入れ―精読『無門関』」<br>
　山田史生著・大蔵出版<br>
○「唯識でよむ般若心経―空の実践」<br>
　横山紘一著・大法輪閣<br>
▽「入門 哲学としての仏教」<br>
　竹村牧男著・講談社<br>
○「僧侶と哲学者―チベット仏教をめぐる対話」<br>
　ジャン=フランソワルヴェル著、マチウリカール著・新評論<br>
○「掌の中の無限―チベット仏教と現代科学が出会う時」<br>
　マチウリカール著、チンスアン・トゥアン著・新評論<br>
▽「理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性」<br>
　高橋昌一郎著・講談社<br>
▽「ゲーデルの哲学―不完全性定理と神の存在論」<br>
　高橋昌一郎著・講談社 <br>
□大乗仏典・中公文庫　1<br>
　般若部経典・金剛般経<br>
□大乗仏典・中公文庫　2<br>
　八千頌般若経?<br>
□大乗仏典・中公文庫　3<br>
　八千頌般若経?<br>
□大乗仏典・中公文庫　7<br>
　維摩経・首楞厳経<br>
□大乗仏典・中公文庫　8<br>
　十地経<br>
□大乗仏典・中公文庫　12<br>
　如来蔵系経典<br>
□大乗仏典・中公文庫　14<br>
　龍樹論集<br>
□大乗仏典・中公文庫　15<br>
　世親論集<br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/oujyouin/archives/51552614.html">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第二弾</a><br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/2008-11.html#20081110">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第一弾</a>]]></content:encoded>
  </item>
  <item rdf:about="http://hide.noblog.net/blog/10862470.html">
    <title>
			日米関係
		</title>
    <link>http://hide.noblog.net/blog/10862470.html</link>
    <description>施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」 http://oujyouin.com/enginorikai.html 施本「仏教・空の理解から学ぶ」 http://oujyouin.com/topengi.htm 施本「仏教・空の理解」 http://oujyouin.com/sunyatop.htm 施本「仏教　〜　一枚の紙から考える　〜」 http://ouj...</description>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2009-10-25T17:17:59+09:00</dc:date>
    <content:encoded><![CDATA[施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/enginorikai.html">http://oujyouin.com/enginorikai.html</a><br>
施本「仏教・空の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/topengi.htm">http://oujyouin.com/topengi.htm</a><br>
施本「仏教・空の理解」<br>
<a href="http://oujyouin.com/sunyatop.htm">http://oujyouin.com/sunyatop.htm</a><br>
施本「仏教　〜　一枚の紙から考える　〜」<br>
<a href="http://oujyouin.com/buddhism1p.html">http://oujyouin.com/buddhism1p.html</a><br>
施本「佛の道」<br>
<a href="http://oujyouin.com/hotokenomichi.html">http://oujyouin.com/hotokenomichi.html</a><br>
<br>
これから更に仏教の学びを進めるための文献・第三弾<br>
<br>
「講座仏教思想〈第2巻〉認識論・論理学」を読み進め中。<br>
<br>
<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/~sdaisin/">「現代仏教学を再生するためのホームページ」</a>の<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/cgi-bin/ezboard/sdaisin/1/">掲示板</a>の投稿内容。<br>
<br>
「日米関係」2009年10月24日<br>
<br>
・・安保闘争・・戦後日本における重大な分岐点の一つであったものと存じます・・<br>
<br>
敗戦国日本の戦後はまだまだ終わってはいません・・良いも悪いも日米同盟・核の傘の下において、長年にわたる米追従路線から抜けることができないままとなっております・・自民政権（特に六十年安保時の首相・岸信介氏以来の清和会系の流れ）は、強いアメリカ支配下にあって、対日年次改革要望書通りの政策実現の実働に当たってきました・・最近においてその最たるが小泉政権の郵政民営化でもあったのですが、その内実は、結局アメリカへの利益誘導にあります・・一番の目的は、米国債、米資本・外資の株・金融証券を日本に買わせるというためでもあったわけです。（亀井静香郵政改革担当相による郵政民営化見直しで当初の目的は無実化することになりますが・・）<br>
<br>
また、ドルを支えるために2003-04年に行われた史上空前の為替介入（総額50兆円）もその一つであり、小泉政権・塩川財務大臣の下で、溝口善兵衛財務官（現・島根県知事）が行ったもので、買ったドルのほとんどは米国債として結局塩漬け状態になってしまっています。この介入の結果が、サブプライム問題の根源になったと経済コラムマガジンの著者荒井氏は述べておられます。<br>
<br>
経済コラムマガジン・07／12／17（509号）<br>
<a href="http://www.adpweb.com/eco/eco509.html">http://www.adpweb.com/eco/eco509.html</a><br>
<br>
政権交代により民主政権になっても、残念ながら対日年次改革要望の受け入れからは容易に逃れることはできないのが、敗戦国の敗戦国たる虚しさを現しています・・誠に寂しい限りでございます・・<br>
<br>
・・ここまで。<br>
<br>
<a href="http://buddhism.sns.fc2.com/">仏教談話ネットワーク</a>・コミュニティ<a href="http://buddhism.sns.fc2.com/exec/community/view/community/2047/">「中観思想・学びのすすめ」</a>におきましては、管理人でもありコミュニティに参加されておられます<a href="http://kongou-koji.tea-nifty.com/blog/">金剛居士さん</a>とのやり取りが続いております。仏教哲理に深く精通されておられます金剛居士さんからはいつも色々と助けられて教えられることばかりでございます。<br>
<br>
・・<br>
<br>
『「A」と主張する者は、非「A」という前提において言えていることである。「A」と主張する者は、非「A」ということを認めていることになってしまう。「A」はない。』同様に、『「非A」と主張する者は、「A」という前提において言えていることである。「非A」と主張する者は、「A」ということを認めていることになってしまう。「非A」はない。』<br>
<br>
とにかく、「A」には、名称・言語・文章のみならず、思考・観念・論理・認識などいくらでも代入していけますし、また無限に展開していく論にもなって参ります・・<br>
<br>
また、この論は、あくまでも「A」が固定でき、決定していてこそ言えるものであり、そもそも「A」そのものが固定・決定できるものであるのかどうかが問題であります。一応は仮に「A」というものを固定・決定してという前提が必要となります。もちろん、仮は所詮、仮に過ぎません。<br>
<br>
また、もしも「A」というものが、止めれて、固定・決定できたとしても、結局は論そのもの自体が成り立たなくなってしまいます・・<br>
<br>
「一秒前の私と今の（瞬間の）私は私なのか、違う私なのか」の問いも、あくまで仮に私と一瞬が止めれて、固定・決定してこそにおいて言えるものであり、また、そもそも私と一瞬が止めれて、固定・決定できるものであるのかどうかも問題であり、仮にもしも、止めれて、固定・決定できたとしても、結局は問い自体が成り立たなくなってしまいます・・<br>
<br>
しいて述べさせて頂くならば、上記の論の「A」には、もちろん、仏教思想全般にわたるいかなる論であっても代入でき、この論自体も例外ではなく、そうなります。論自体が論そのものを否定する論ということとなります。<br>
<br>
上記の論は、改めて言語活動の虚妄性を示すという意義はあるかとは思いますが、しかし十分ではないとも考えております。<br>
<br>
・・<br>
<br>
仏教認識論理学は誠に難解でありますが、仏教思想を一から学び直す中で、しっかりと学ばねばならないと、ようやくに関係論著を読み進めている次第でございます。もちろんまだまだただ目で読み進めているだけでありますが・・<br>
<br>
とにかく、「一秒前の私と今の（瞬間の）私は私なのか、違う私なのか」という基本的な疑問について法話にて確実に答えるために仏教認識論理学の論考は避けて通れないところでございます。<br>
<br>
「不常不断・不一不異・非連続の連続・・刹那滅論証・・」<br>
<br>
ダルマキールティ論師の瞬間的存在性論証（刹那滅論証）は、（あくまでも世俗諦としてではあるかと存じますが）上記の疑問に答えるための最大の論証であると考えております。<br>
<br>
「ダルマキールティの瞬間的存在性論証（刹那滅論証）」において意図するところは、仏教認識論理学（主に唯識思想）と仏教思考論理学（主に中観思想）の統合的理解を目指したものであると存じますので、中観思想と唯識思想の論理、また中観思想における自立論証派・帰謬論証派、唯識思想における有形象唯識論、無形象唯識論の論理発展についても学ぶことができるため、非常に理解することには難解さを極めますが、「ダルマキールティの瞬間的存在性論証（刹那滅論証）」を学べば、仏教の論理学体系をほぼ学ぶことができるのではないであろうかと考えております。<br>
<br>
・・<br>
<br>
中観思想の論理について改めて学び直すために、『「空」の構造」-「中論」の論理』立川武蔵著・第三文明社を急遽再読を終えました。<br>
<br>
縁起は、時空的因果関係と即非の論理（Ａと非Ａ）により表されるものであると改めて確認できました。論理的縁起は、即非の論理（Ａと非Ａ）にてもっとしっかりと論じる必要があったと反省致しております。<br>
<br>
「龍樹造「方便心論」の研究」を読み終えました。いわゆるインド論理学・因明学の発展を知る上で重要な書の一つであると存じます。また詳しい感想は後日に。<br>
<br>
石飛先生は、「縁起とは、因果関係ではなく相依相関を意味している」という解釈は誤解に基づくものであると考えておられます。現在の私の「縁起」の捉え方は、時間的縁起・空間的縁起・論理的縁起として、時空的縁起は因果関係を扱って説明するものですが、最終的には論理的縁起としての相依相関性の方を重視しております。石飛先生の説かれる「縁起」とは一体どういうものであるのか・・とにかくまだまだ考察して参りたい存じます。<br>
<br>
石飛道子先生のインド論理学・インド哲学、龍樹論師・中観思想についての論考は実にいつも興味深いものがあります。目下注目の碩学でございます。<br>
<a href="http://homepage1.nifty.com/manikana/">http://homepage1.nifty.com/manikana/</a><br>
<br>
一つには、唯識思想における「依他起性の仮有」・「真如の実有」と、ツォンカパ・ラマの中観思想における「言説有」との相似・相違点の整理を自分なりにして参りたいと存じております。<br>
<br>
ツォンカパ・ラマは、チベット仏教・ゲルク派（黄帽派）の開祖であります。現在のゲルク派の（観音菩薩様）化身ラマは、ダライ・ラマ14世でございます。ツォンカパ・ラマは中観帰謬論証派の論師でもあり、チベット仏教教学を大成しました。龍樹論師以来の中観思想・空の思想をどのように発展させていったのかを更に詳しく学んで参りたいと存じます。<br>
<br>
△「講座仏教思想〈第1巻〉存在論・時間論」<br>
 三枝充悳著・理想社<br>
→「講座仏教思想〈第2巻〉認識論・論理学」<br>
　三枝充悳著・理想社<br>
○○『「無常」の哲学―ダルマキールティと刹那滅』<br>
　谷貞志著・春秋社<br>
○「「空」の構造」-「中論」の論理」<br>
　立川武蔵著・第三文明社<br>
○「龍樹造「方便心論」の研究」<br>
　石飛道子著・山喜房仏書林<br>
○「ブッダの優しい論理学―縁起で学ぶ上手なコミュニケーション法 」<br>
　石飛道子著・サンガ<br>
△○○「ブッダと龍樹の論理学―縁起と中道」<br>
　石飛道子著・サンガ<br>
○○「ブッダ論理学五つの難問」<br>
　石飛道子著・講談社<br>
○「龍樹と、語れ!―『方便心論』の言語戦略」<br>
　石飛道子著・大法輪閣<br>
○○△「ツォンカパの中観思想―ことばによることばの否定」<br>
　四津谷孝道著・大蔵出版<br>
○○△「チャンドラキールティの中観思想」<br>
　岸根敏幸著・大東出版社<br>
△△○「中観と唯識」<br>
　長尾雅人著・岩波書店<br>
○「チベット仏教哲学」<br>
　松本史朗著・大蔵出版<br>
▽「中観と空1・梶山雄一著作集4」<br>
　梶山雄一著・御牧克己編・春秋社<br>
▽「空と中観」<br>
　江島惠教著・春秋社<br>
<br>
いつも、<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/~sdaisin/">「現代仏教学を再生するためのホームページ」</a>の<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/cgi-bin/ezboard/sdaisin/1/">掲示板</a>にて議論させて頂いておりますＳ・イマムラ先生が<a href="http://www016.upp.so-net.ne.jp/jikuron/bukkyo/">「C点による仏教論」</a>を著されました。C点と仏教の真摯なるご論考でございますので、是非、皆様方もお読み頂けましたらと存じます。<br>
<br>
「C点による仏教論」<br>
<a href="http://www016.upp.so-net.ne.jp/jikuron/bukkyo/">http://www016.upp.so-net.ne.jp/jikuron/bukkyo/</a><br>
<br>
読書の進捗状況<br>
（→・進行中　○・読み終え　○の数・一通り読んだ回数　△・中途停止　▽・読み進める前　□・随時参照）<br>
<br>
△○「中観と唯識」<br>
　長尾雅人著・岩波書店<br>
△「日本仏教の思想　受容と変容の千五百年史」(講談社現代新書)<br>
　立川武蔵著・講談社<br>
○「わかる仏教史」<br>
　宮元啓一著・春秋社<br>
▽「涅槃経―如来常住と悉有仏性」 (サーラ叢書 26)<br>
　横超慧日著・平楽寺書店<br>
▽「中観と空1・梶山雄一著作集4」<br>
　梶山雄一著・御牧克己編・春秋社<br>
▽「空と中観」<br>
　江島惠教著・春秋社<br>
▽「般若思想史」ワイド版版<br>
　山口益著・法蔵館<br>
△△△「講座・大乗仏教　認識論と論理学」<br>
　春秋社<br>
▽「道元と仏教―十二巻本『正法眼蔵』の道元」<br>
　袴谷憲昭著・大蔵出版<br>
▽「道元思想論」<br>
　松本史朗著・大蔵出版<br>
▽「仏教への道」<br>
　松本史朗著・東京書籍<br>
▽「法然親鸞思想論」<br>
　松本史朗著・大蔵出版<br>
▽「法然と明恵―日本仏教思想史序説」<br>
　袴谷憲昭著・大蔵出版<br>
▽「仏性思想の展開」<br>
　奥野光賢著・大蔵出版<br>
▽「天台学―根本思想とその展開」<br>
　安藤俊雄著・平楽寺書店<br>
▽「台密教学の研究」<br>
　大久保良峻著・法蔵館<br>
▽「本覚思想の源流と展開」<br>
　浅井円道著・平楽寺書店<br>
▽「天台教学と本覚思想」<br>
　大久保良峻著・法蔵館<br>
▽「最澄と天台本覚思想―日本精神史序説」<br>
　栗田勇著・作品社<br>
▽「アーラヤ的世界とその神―仏教思想像の転回」<br>
　津田真一著・大蔵出版<br>
▽「反密教学」<br>
　改訂版・津田真一著・春秋社<br>
▽「禅思想の批判的研究」<br>
　松本史朗著・大蔵出版<br>
▽「インド哲学七つの難問 (講談社選書メチエ)」<br>
　 宮元啓一著・講談社<br>
▽「華厳五教章」<br>
　鎌田茂雄著・大蔵出版<br>
▽「「華厳経」を読む (仏典を読むシリーズ) 」<br>
　西本照真著・武蔵野大学編纂・角川学芸出版<br>
△「和訳 華厳経」<br>
　鎌田茂雄著・東京美術<br>
▽「華厳禅の思想史的研究」<br>
　吉津宜英著・大東出版社<br>
△「唯識説を中心とした初期華厳教学の研究―智儼・義湘から法蔵へ」<br>
　大竹晋著・大蔵出版<br>
▽「華厳思想 (講座・大乗仏教)」<br>
　平川彰編集・梶山雄一編集・春秋社<br>
▽「浄土思想 (講座・大乗仏教)」<br>
　梶山雄一編集・高崎直道編集・春秋社<br>
▽「法華経の七つの譬喩―初めて学ぶ『法華経』(レグルス文庫 (207))」<br>
　菅野博史著・第三文明社<br>
▽「図説 法華経大全―「妙法蓮華経全二十八品」現代語訳総解説 (エソテリカ・セレクション)」<br>
　大角修翻訳・学習研究社<br>
△「初期大乗と法華思想 (平川彰著作集)」<br>
　平川彰著・春秋社<br>
▽「法華経思想史から学ぶ仏教」<br>
　菅野博史著・大蔵出版<br>
▽「密教 (岩波新書)」<br>
　松長有慶著・岩波書店<br>
▽「観音経講話 (講談社学術文庫 ) 」<br>
　鎌田茂雄著・講談社<br>
▽「般若心経講話 (講談社学術文庫) 」<br>
　鎌田茂雄著・講談社<br>
▽「理趣経 (中公文庫BIBLIO)」<br>
　松長有慶著・中央公論新社<br>
▽「最澄と空海―日本仏教思想の誕生 (講談社選書メチエ) 」<br>
　立川武蔵著・講談社<br>
▽「密教概論」<br>
　高神覚昇著・大法輪閣<br>
▽「正法眼蔵随聞記講話」<br>
　鎌田茂雄著・講談社<br>
▽「古仏のまねび「道元」」<br>
　高崎直道著・梅原猛著・角川書店<br>
▽「生命の海「空海」」<br>
　宮坂宥勝著・梅原猛著・角川書店<br>
▽「絶望と歓喜「親鸞」」<br>
　増谷文雄著・梅原猛著・角川書店<br>
▽「密教の思想」<br>
　立川武蔵著・吉川弘文館<br>
▽「密教・自心の探求―『菩提心論』を読む」<br>
　生井智紹著・大法輪閣<br>
▽「『華厳経』『楞伽経』 (現代語訳大乗仏典)」<br>
　中村元著・東京書籍<br>
▽「「正法眼蔵」を読む―現代を生き抜く一二〇の知恵」<br>
　秋月龍&#33802;著・PHP研究所<br>
▽「『金剛頂経』入門―即身成仏への道 」<br>
　頼富本宏著・大法輪閣<br>
▽「『大日経』入門―慈悲のマンダラ世界」<br>
　頼富本宏著・大法輪閣<br>
▽「知の教科書 密教」<br>
　正木晃著・講談社<br>
▽「密教の哲学」<br>
　金岡秀友著・講談社<br>
▽「空海の思想的展開の研究」<br>
　藤井淳著・トランスビュー<br>
○「絶対無と場所―鈴木禅学と西田哲学」<br>
　秋月龍&#33802;著・青土社<br>
▽「西田哲学への導き―経験と自覚」<br>
　上田閑照著・岩波書店<br>
○「西田幾多郎の思想」<br>
　小坂国継著・講談社<br>
▽「西田哲学の根本問題」<br>
　滝沢克己著・小林孝吉編集・こぶし書房<br>
△「仏教的立場から西田哲学への理解」<br>
　増田鷹雄著・三崎堂<br>
○「西田幾多郎―生きることと哲学」<br>
　藤田正勝著・岩波書店<br>
▽「西田幾多郎とは誰か」<br>
　上田閑照著・岩波書店<br>
○「絶対無の哲学―西田哲学研究入門」<br>
　花岡永子著・世界思想社<br>
△「絶対無の哲学―西田哲学の継承と体系化」<br>
　根井康之著・農山漁村文化協会<br>
▽「西田哲学の世界―あるいは哲学の転回」<br>
　大橋良介著・筑摩書房<br>
▽「歴史的現実と西田哲学―絶対的論理主義とは何か」<br>
　板橋勇仁著・法政大学出版局<br>
○「西田哲学の再構築―その成立過程と比較思想」<br>
　平山洋著・ミネルヴァ書房<br>
▽「ホワイトヘッドと西田哲学の“あいだ”―仏教的キリスト教哲学の構想」<br>
　延原時行著・法蔵館<br>
○「時間幻想―西田哲学からの出発」<br>
　重久俊夫著・中央公論事業出版<br>
○「「自己」の哲学―ウィトゲンシュタイン・鈴木大拙・西田幾多郎」<br>
　黒崎宏著・春秋社<br>
△「西田哲学の論理と方法―徹底的批評主義とは何か」<br>
　板橋勇仁著・法政大学出版局<br>
○「西田幾多郎と仏教―禅と真宗の根底を究める」<br>
　竹村牧男著・大東出版社<br>
○「サクラは何色ですか?―西田幾多郎の思想」<br>
　大沢正人著・現代書館<br>
△「「自己と世界」の問題―絶対無の視点から」<br>
　花岡永子著・現代図書<br>
○「現代思想としての西田幾多郎」<br>
　藤田正勝著・講談社  <br>
▽「絶対無と神―京都学派の哲学」<br>
　小野寺功著・春風社<br>
▽「仏教とキリスト教」<br>
　滝沢克己著・法蔵館<br>
▽「場所論としての宗教哲学―仏教とキリスト教の交点に立って」<br>
　八木誠一著・法蔵館 <br>
△「時間と絶対と相対と ―運命論から何を読み取るべきか」<br>
　入不二基義著・勁草書房 <br>
▽「過程と実在〈1〉コスモロジーへの試論」<br>
　アルフレッド・ノース ホワイトヘッド (著), Alfred North Whitehead (原著), 平林 康之 (翻訳) ・みすず書房<br>
▽「過程と実在〈2〉コスモロジーへの試論」<br>
　アルフレッド・ノース ホワイトヘッド (著), Alfred North Whitehead (原著), 平林 康之 (翻訳) ・みすず書房<br>
▽「『正法眼蔵』を読む 存在するとはどういうことか」<br>
　南直哉著・講談社<br>
▽「道元入門」<br>
　秋月龍&#33802;著・講談社<br>
▽「鈴木大拙」<br>
　秋月龍&#33802;著・講談社<br>
▽「相対主義の極北」<br>
　入不二基義著・筑摩書房<br>
○「足の裏に影はあるか? ないか? 哲学随想」<br>
　入不二基義著・朝日出版社<br>
▽「時間は実在するか」<br>
　入不二基義著・講談社 <br>
○「ホワイトヘッドの哲学」<br>
　中村昇著・講談社<br>
▽「知の教科書 論理の哲学」<br>
　飯田隆編集・講談社<br>
○△「「無常」の哲学―ダルマキールティと刹那滅」<br>
　谷貞志著・春秋社<br>
▽「徳一と最澄―もう一つの正統仏教」<br>
　高橋富雄著・中央公論社<br>
▽「無の探求「中国禅」―仏教の思想〈7〉」<br>
　柳田聖山著・梅原猛著・角川書店<br>
▽「絶対の真理「天台」―仏教の思想〈5〉」<br>
　田村芳朗著・梅原猛著・角川書店<br>
▽「法然対明恵―鎌倉仏教の宗教対決」<br>
　町田宗鳳著・講談社<br>
▽「仏教講義―根本仏教と大乗仏教の会通を語る」<br>
　増谷文雄著・佼成出版社<br>
▽「中論」改訂版<br>
　ナーガールジュナ（竜樹尊者）著・西嶋（愚道）和夫訳・金沢文庫<br>
▽「根本的な中論の歌―釈尊の教えは実在論である」<br>
　ナーガールジュナ著・西嶋和夫翻訳・金沢文庫<br>
▽「大乗仏典」<br>
　長尾雅人責任編集・中央公論社<br>
▽「無心ということ」<br>
　鈴木大拙著・角川ソフィア文庫<br>
▽「禅とは何か」<br>
　鈴木大拙著・角川ソフィア文庫<br>
▽「禅」<br>
　鈴木大拙著・ちくま文庫<br>
▽「禅と唯識―悟りの構造」<br>
　竹村牧男著・大法輪閣<br>
▽「唯識思想論考」<br>
　袴谷憲昭著・大蔵出版<br>
▽「唯識とは何か―『法相二巻抄』を読む」<br>
　横山紘一著・春秋社<br>
▽「大智度論講述」<br>
　宇野順治著・永田文昌堂<br>
▽「大乗としての浄土―空・唯識から念仏へ」<br>
　山口益著・大法輪閣<br>
▽「唯識の探求 『唯識三十頌を読む』」<br>
　竹村牧男著・春秋社<br>
▽「講座・大乗仏教　大乗仏教とその周辺」<br>
　春秋社<br>
▽「門無き門より入れ―精読『無門関』」<br>
　山田史生著・大蔵出版<br>
○「唯識でよむ般若心経―空の実践」<br>
　横山紘一著・大法輪閣<br>
▽「入門 哲学としての仏教」<br>
　竹村牧男著・講談社<br>
○「僧侶と哲学者―チベット仏教をめぐる対話」<br>
　ジャン=フランソワルヴェル著、マチウリカール著・新評論<br>
○「掌の中の無限―チベット仏教と現代科学が出会う時」<br>
　マチウリカール著、チンスアン・トゥアン著・新評論<br>
▽「理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性」<br>
　高橋昌一郎著・講談社<br>
▽「ゲーデルの哲学―不完全性定理と神の存在論」<br>
　高橋昌一郎著・講談社 <br>
□大乗仏典・中公文庫　1<br>
　般若部経典・金剛般経<br>
□大乗仏典・中公文庫　2<br>
　八千頌般若経?<br>
□大乗仏典・中公文庫　3<br>
　八千頌般若経?<br>
□大乗仏典・中公文庫　7<br>
　維摩経・首楞厳経<br>
□大乗仏典・中公文庫　8<br>
　十地経<br>
□大乗仏典・中公文庫　12<br>
　如来蔵系経典<br>
□大乗仏典・中公文庫　14<br>
　龍樹論集<br>
□大乗仏典・中公文庫　15<br>
　世親論集<br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/oujyouin/archives/51552614.html">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第二弾</a><br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/2008-11.html#20081110">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第一弾</a>]]></content:encoded>
  </item>
  <item rdf:about="http://hide.noblog.net/blog/10861891.html">
    <title>
			個人金融資産1400兆円
		</title>
    <link>http://hide.noblog.net/blog/10861891.html</link>
    <description>施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」 http://oujyouin.com/enginorikai.html 施本「仏教・空の理解から学ぶ」 http://oujyouin.com/topengi.htm 施本「仏教・空の理解」 http://oujyouin.com/sunyatop.htm 施本「仏教　〜　一枚の紙から考える　〜」 http://ouj...</description>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2009-10-24T17:43:59+09:00</dc:date>
    <content:encoded><![CDATA[施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/enginorikai.html">http://oujyouin.com/enginorikai.html</a><br>
施本「仏教・空の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/topengi.htm">http://oujyouin.com/topengi.htm</a><br>
施本「仏教・空の理解」<br>
<a href="http://oujyouin.com/sunyatop.htm">http://oujyouin.com/sunyatop.htm</a><br>
施本「仏教　〜　一枚の紙から考える　〜」<br>
<a href="http://oujyouin.com/buddhism1p.html">http://oujyouin.com/buddhism1p.html</a><br>
施本「佛の道」<br>
<a href="http://oujyouin.com/hotokenomichi.html">http://oujyouin.com/hotokenomichi.html</a><br>
<br>
これから更に仏教の学びを進めるための文献・第三弾<br>
<br>
「講座仏教思想〈第2巻〉認識論・論理学」を読み進め中。<br>
<br>
<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/~sdaisin/">「現代仏教学を再生するためのホームページ」</a>の<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/cgi-bin/ezboard/sdaisin/1/">掲示板</a>の投稿内容。<br>
<br>
「個人金融資産1400兆円」2009年10月23日<br>
<br>
・・確かに日本国の個人金融資産は、1400兆円超（リーマンショックからかなり目減り傾向にありますが）有るからまだ大丈夫というのは良く聞く話でございます。<br>
<br>
先日にお亡くなりになられた中川昭一元財務相のあの酩酊会見の席に座っていた篠原尚之氏・前財務官がＩＭＦ（国際通貨基金）・副専務理事に就任したのは正直驚きですが、そのことと合わせて、ＩＭＦが「日本の政府債務残高が2019年に個人金融資産 （約1400兆円）を上回るとの試算」を出したことで、ＩＭＦは日本財政破綻精算整理を視野に入れて動き出している公算は高まっているという感じであると存じております。<br>
<br>
確かに分岐点は 1400兆円ですが、現在の国の借金は、大本営発表であり、一応08年度末で850兆円ほどですが、財政融資資金特別会計国債残高など特別会計の債務、地方債も合わせると既にゆうに1000兆円を超えてしまっています。2019年どころか、実際はあと数年もつかどうかというところであります。<br>
<br>
もちろん、まだ問題はあり、あくまでも個人金融資産1400兆円が日本の純粋な資産とは言えないということであります。円以外の外貨や外債なども含まれており、純粋に日本の資産と言えるかどうかも疑問であります。<br>
<br>
よって、個人金融資産を担保として債務残高の限界値を考えるのは正直意味のないことであると考えております。<br>
<br>
むしろ、1400兆円の個人金融資産がどれだけ実体をもって捉えられるかということも疑問視しています。金融は、所詮人間の信用創造の賜物に過ぎず、ある意味で大いなる虚構を含んでいます。仏教的には、「お金も空（＝無自性）」というところであります。そのため扱いには十分に気を付けなければならないと存じております。<br>
<br>
それと、確かに『「外国」への借金』はありませんが、実質塩漬け状態となっております日本の資産として、外貨準備残高・米国債は多くございます・・<br>
<br>
しかし、ドルの信用は正直もうかなり危なくなっています。<br>
<br>
・・ここまで。<br>
<br>
<a href="http://buddhism.sns.fc2.com/">仏教談話ネットワーク</a>・コミュニティ<a href="http://buddhism.sns.fc2.com/exec/community/view/community/2047/">「中観思想・学びのすすめ」</a>におきましては、管理人でもありコミュニティに参加されておられます<a href="http://kongou-koji.tea-nifty.com/blog/">金剛居士さん</a>とのやり取りが続いております。仏教哲理に深く精通されておられます金剛居士さんからはいつも色々と助けられて教えられることばかりでございます。<br>
<br>
・・<br>
<br>
『「A」と主張する者は、非「A」という前提において言えていることである。「A」と主張する者は、非「A」ということを認めていることになってしまう。「A」はない。』同様に、『「非A」と主張する者は、「A」という前提において言えていることである。「非A」と主張する者は、「A」ということを認めていることになってしまう。「非A」はない。』<br>
<br>
とにかく、「A」には、名称・言語・文章のみならず、思考・観念・論理・認識などいくらでも代入していけますし、また無限に展開していく論にもなって参ります・・<br>
<br>
また、この論は、あくまでも「A」が固定でき、決定していてこそ言えるものであり、そもそも「A」そのものが固定・決定できるものであるのかどうかが問題であります。一応は仮に「A」というものを固定・決定してという前提が必要となります。もちろん、仮は所詮、仮に過ぎません。<br>
<br>
また、もしも「A」というものが、止めれて、固定・決定できたとしても、結局は論そのもの自体が成り立たなくなってしまいます・・<br>
<br>
「一秒前の私と今の（瞬間の）私は私なのか、違う私なのか」の問いも、あくまで仮に私と一瞬が止めれて、固定・決定してこそにおいて言えるものであり、また、そもそも私と一瞬が止めれて、固定・決定できるものであるのかどうかも問題であり、仮にもしも、止めれて、固定・決定できたとしても、結局は問い自体が成り立たなくなってしまいます・・<br>
<br>
しいて述べさせて頂くならば、上記の論の「A」には、もちろん、仏教思想全般にわたるいかなる論であっても代入でき、この論自体も例外ではなく、そうなります。論自体が論そのものを否定する論ということとなります。<br>
<br>
上記の論は、改めて言語活動の虚妄性を示すという意義はあるかとは思いますが、しかし十分ではないとも考えております。<br>
<br>
・・<br>
<br>
仏教認識論理学は誠に難解でありますが、仏教思想を一から学び直す中で、しっかりと学ばねばならないと、ようやくに関係論著を読み進めている次第でございます。もちろんまだまだただ目で読み進めているだけでありますが・・<br>
<br>
とにかく、「一秒前の私と今の（瞬間の）私は私なのか、違う私なのか」という基本的な疑問について法話にて確実に答えるために仏教認識論理学の論考は避けて通れないところでございます。<br>
<br>
「不常不断・不一不異・非連続の連続・・刹那滅論証・・」<br>
<br>
ダルマキールティ論師の瞬間的存在性論証（刹那滅論証）は、（あくまでも世俗諦としてではあるかと存じますが）上記の疑問に答えるための最大の論証であると考えております。<br>
<br>
「ダルマキールティの瞬間的存在性論証（刹那滅論証）」において意図するところは、仏教認識論理学（主に唯識思想）と仏教思考論理学（主に中観思想）の統合的理解を目指したものであると存じますので、中観思想と唯識思想の論理、また中観思想における自立論証派・帰謬論証派、唯識思想における有形象唯識論、無形象唯識論の論理発展についても学ぶことができるため、非常に理解することには難解さを極めますが、「ダルマキールティの瞬間的存在性論証（刹那滅論証）」を学べば、仏教の論理学体系をほぼ学ぶことができるのではないであろうかと考えております。<br>
<br>
・・<br>
<br>
中観思想の論理について改めて学び直すために、『「空」の構造」-「中論」の論理』立川武蔵著・第三文明社を急遽再読を終えました。<br>
<br>
縁起は、時空的因果関係と即非の論理（Ａと非Ａ）により表されるものであると改めて確認できました。論理的縁起は、即非の論理（Ａと非Ａ）にてもっとしっかりと論じる必要があったと反省致しております。<br>
<br>
「龍樹造「方便心論」の研究」を読み終えました。いわゆるインド論理学・因明学の発展を知る上で重要な書の一つであると存じます。また詳しい感想は後日に。<br>
<br>
石飛先生は、「縁起とは、因果関係ではなく相依相関を意味している」という解釈は誤解に基づくものであると考えておられます。現在の私の「縁起」の捉え方は、時間的縁起・空間的縁起・論理的縁起として、時空的縁起は因果関係を扱って説明するものですが、最終的には論理的縁起としての相依相関性の方を重視しております。石飛先生の説かれる「縁起」とは一体どういうものであるのか・・とにかくまだまだ考察して参りたい存じます。<br>
<br>
石飛道子先生のインド論理学・インド哲学、龍樹論師・中観思想についての論考は実にいつも興味深いものがあります。目下注目の碩学でございます。<br>
<a href="http://homepage1.nifty.com/manikana/">http://homepage1.nifty.com/manikana/</a><br>
<br>
一つには、唯識思想における「依他起性の仮有」・「真如の実有」と、ツォンカパ・ラマの中観思想における「言説有」との相似・相違点の整理を自分なりにして参りたいと存じております。<br>
<br>
ツォンカパ・ラマは、チベット仏教・ゲルク派（黄帽派）の開祖であります。現在のゲルク派の（観音菩薩様）化身ラマは、ダライ・ラマ14世でございます。ツォンカパ・ラマは中観帰謬論証派の論師でもあり、チベット仏教教学を大成しました。龍樹論師以来の中観思想・空の思想をどのように発展させていったのかを更に詳しく学んで参りたいと存じます。<br>
<br>
△「講座仏教思想〈第1巻〉存在論・時間論」<br>
 三枝充悳著・理想社<br>
→「講座仏教思想〈第2巻〉認識論・論理学」<br>
　三枝充悳著・理想社<br>
○○『「無常」の哲学―ダルマキールティと刹那滅』<br>
　谷貞志著・春秋社<br>
○「「空」の構造」-「中論」の論理」<br>
　立川武蔵著・第三文明社<br>
○「龍樹造「方便心論」の研究」<br>
　石飛道子著・山喜房仏書林<br>
○「ブッダの優しい論理学―縁起で学ぶ上手なコミュニケーション法 」<br>
　石飛道子著・サンガ<br>
△○○「ブッダと龍樹の論理学―縁起と中道」<br>
　石飛道子著・サンガ<br>
○○「ブッダ論理学五つの難問」<br>
　石飛道子著・講談社<br>
○「龍樹と、語れ!―『方便心論』の言語戦略」<br>
　石飛道子著・大法輪閣<br>
○○△「ツォンカパの中観思想―ことばによることばの否定」<br>
　四津谷孝道著・大蔵出版<br>
○○△「チャンドラキールティの中観思想」<br>
　岸根敏幸著・大東出版社<br>
△△○「中観と唯識」<br>
　長尾雅人著・岩波書店<br>
○「チベット仏教哲学」<br>
　松本史朗著・大蔵出版<br>
▽「中観と空1・梶山雄一著作集4」<br>
　梶山雄一著・御牧克己編・春秋社<br>
▽「空と中観」<br>
　江島惠教著・春秋社<br>
<br>
いつも、<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/~sdaisin/">「現代仏教学を再生するためのホームページ」</a>の<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/cgi-bin/ezboard/sdaisin/1/">掲示板</a>にて議論させて頂いておりますＳ・イマムラ先生が<a href="http://www016.upp.so-net.ne.jp/jikuron/bukkyo/">「C点による仏教論」</a>を著されました。C点と仏教の真摯なるご論考でございますので、是非、皆様方もお読み頂けましたらと存じます。<br>
<br>
「C点による仏教論」<br>
<a href="http://www016.upp.so-net.ne.jp/jikuron/bukkyo/">http://www016.upp.so-net.ne.jp/jikuron/bukkyo/</a><br>
<br>
読書の進捗状況<br>
（→・進行中　○・読み終え　○の数・一通り読んだ回数　△・中途停止　▽・読み進める前　□・随時参照）<br>
<br>
△○「中観と唯識」<br>
　長尾雅人著・岩波書店<br>
△「日本仏教の思想　受容と変容の千五百年史」(講談社現代新書)<br>
　立川武蔵著・講談社<br>
○「わかる仏教史」<br>
　宮元啓一著・春秋社<br>
▽「涅槃経―如来常住と悉有仏性」 (サーラ叢書 26)<br>
　横超慧日著・平楽寺書店<br>
▽「中観と空1・梶山雄一著作集4」<br>
　梶山雄一著・御牧克己編・春秋社<br>
▽「空と中観」<br>
　江島惠教著・春秋社<br>
▽「般若思想史」ワイド版版<br>
　山口益著・法蔵館<br>
△△△「講座・大乗仏教　認識論と論理学」<br>
　春秋社<br>
▽「道元と仏教―十二巻本『正法眼蔵』の道元」<br>
　袴谷憲昭著・大蔵出版<br>
▽「道元思想論」<br>
　松本史朗著・大蔵出版<br>
▽「仏教への道」<br>
　松本史朗著・東京書籍<br>
▽「法然親鸞思想論」<br>
　松本史朗著・大蔵出版<br>
▽「法然と明恵―日本仏教思想史序説」<br>
　袴谷憲昭著・大蔵出版<br>
▽「仏性思想の展開」<br>
　奥野光賢著・大蔵出版<br>
▽「天台学―根本思想とその展開」<br>
　安藤俊雄著・平楽寺書店<br>
▽「台密教学の研究」<br>
　大久保良峻著・法蔵館<br>
▽「本覚思想の源流と展開」<br>
　浅井円道著・平楽寺書店<br>
▽「天台教学と本覚思想」<br>
　大久保良峻著・法蔵館<br>
▽「最澄と天台本覚思想―日本精神史序説」<br>
　栗田勇著・作品社<br>
▽「アーラヤ的世界とその神―仏教思想像の転回」<br>
　津田真一著・大蔵出版<br>
▽「反密教学」<br>
　改訂版・津田真一著・春秋社<br>
▽「禅思想の批判的研究」<br>
　松本史朗著・大蔵出版<br>
▽「インド哲学七つの難問 (講談社選書メチエ)」<br>
　 宮元啓一著・講談社<br>
▽「華厳五教章」<br>
　鎌田茂雄著・大蔵出版<br>
▽「「華厳経」を読む (仏典を読むシリーズ) 」<br>
　西本照真著・武蔵野大学編纂・角川学芸出版<br>
△「和訳 華厳経」<br>
　鎌田茂雄著・東京美術<br>
▽「華厳禅の思想史的研究」<br>
　吉津宜英著・大東出版社<br>
△「唯識説を中心とした初期華厳教学の研究―智儼・義湘から法蔵へ」<br>
　大竹晋著・大蔵出版<br>
▽「華厳思想 (講座・大乗仏教)」<br>
　平川彰編集・梶山雄一編集・春秋社<br>
▽「浄土思想 (講座・大乗仏教)」<br>
　梶山雄一編集・高崎直道編集・春秋社<br>
▽「法華経の七つの譬喩―初めて学ぶ『法華経』(レグルス文庫 (207))」<br>
　菅野博史著・第三文明社<br>
▽「図説 法華経大全―「妙法蓮華経全二十八品」現代語訳総解説 (エソテリカ・セレクション)」<br>
　大角修翻訳・学習研究社<br>
△「初期大乗と法華思想 (平川彰著作集)」<br>
　平川彰著・春秋社<br>
▽「法華経思想史から学ぶ仏教」<br>
　菅野博史著・大蔵出版<br>
▽「密教 (岩波新書)」<br>
　松長有慶著・岩波書店<br>
▽「観音経講話 (講談社学術文庫 ) 」<br>
　鎌田茂雄著・講談社<br>
▽「般若心経講話 (講談社学術文庫) 」<br>
　鎌田茂雄著・講談社<br>
▽「理趣経 (中公文庫BIBLIO)」<br>
　松長有慶著・中央公論新社<br>
▽「最澄と空海―日本仏教思想の誕生 (講談社選書メチエ) 」<br>
　立川武蔵著・講談社<br>
▽「密教概論」<br>
　高神覚昇著・大法輪閣<br>
▽「正法眼蔵随聞記講話」<br>
　鎌田茂雄著・講談社<br>
▽「古仏のまねび「道元」」<br>
　高崎直道著・梅原猛著・角川書店<br>
▽「生命の海「空海」」<br>
　宮坂宥勝著・梅原猛著・角川書店<br>
▽「絶望と歓喜「親鸞」」<br>
　増谷文雄著・梅原猛著・角川書店<br>
▽「密教の思想」<br>
　立川武蔵著・吉川弘文館<br>
▽「密教・自心の探求―『菩提心論』を読む」<br>
　生井智紹著・大法輪閣<br>
▽「『華厳経』『楞伽経』 (現代語訳大乗仏典)」<br>
　中村元著・東京書籍<br>
▽「「正法眼蔵」を読む―現代を生き抜く一二〇の知恵」<br>
　秋月龍&#33802;著・PHP研究所<br>
▽「『金剛頂経』入門―即身成仏への道 」<br>
　頼富本宏著・大法輪閣<br>
▽「『大日経』入門―慈悲のマンダラ世界」<br>
　頼富本宏著・大法輪閣<br>
▽「知の教科書 密教」<br>
　正木晃著・講談社<br>
▽「密教の哲学」<br>
　金岡秀友著・講談社<br>
▽「空海の思想的展開の研究」<br>
　藤井淳著・トランスビュー<br>
○「絶対無と場所―鈴木禅学と西田哲学」<br>
　秋月龍&#33802;著・青土社<br>
▽「西田哲学への導き―経験と自覚」<br>
　上田閑照著・岩波書店<br>
○「西田幾多郎の思想」<br>
　小坂国継著・講談社<br>
▽「西田哲学の根本問題」<br>
　滝沢克己著・小林孝吉編集・こぶし書房<br>
△「仏教的立場から西田哲学への理解」<br>
　増田鷹雄著・三崎堂<br>
○「西田幾多郎―生きることと哲学」<br>
　藤田正勝著・岩波書店<br>
▽「西田幾多郎とは誰か」<br>
　上田閑照著・岩波書店<br>
○「絶対無の哲学―西田哲学研究入門」<br>
　花岡永子著・世界思想社<br>
△「絶対無の哲学―西田哲学の継承と体系化」<br>
　根井康之著・農山漁村文化協会<br>
▽「西田哲学の世界―あるいは哲学の転回」<br>
　大橋良介著・筑摩書房<br>
▽「歴史的現実と西田哲学―絶対的論理主義とは何か」<br>
　板橋勇仁著・法政大学出版局<br>
○「西田哲学の再構築―その成立過程と比較思想」<br>
　平山洋著・ミネルヴァ書房<br>
▽「ホワイトヘッドと西田哲学の“あいだ”―仏教的キリスト教哲学の構想」<br>
　延原時行著・法蔵館<br>
○「時間幻想―西田哲学からの出発」<br>
　重久俊夫著・中央公論事業出版<br>
○「「自己」の哲学―ウィトゲンシュタイン・鈴木大拙・西田幾多郎」<br>
　黒崎宏著・春秋社<br>
△「西田哲学の論理と方法―徹底的批評主義とは何か」<br>
　板橋勇仁著・法政大学出版局<br>
○「西田幾多郎と仏教―禅と真宗の根底を究める」<br>
　竹村牧男著・大東出版社<br>
○「サクラは何色ですか?―西田幾多郎の思想」<br>
　大沢正人著・現代書館<br>
△「「自己と世界」の問題―絶対無の視点から」<br>
　花岡永子著・現代図書<br>
○「現代思想としての西田幾多郎」<br>
　藤田正勝著・講談社  <br>
▽「絶対無と神―京都学派の哲学」<br>
　小野寺功著・春風社<br>
▽「仏教とキリスト教」<br>
　滝沢克己著・法蔵館<br>
▽「場所論としての宗教哲学―仏教とキリスト教の交点に立って」<br>
　八木誠一著・法蔵館 <br>
△「時間と絶対と相対と ―運命論から何を読み取るべきか」<br>
　入不二基義著・勁草書房 <br>
▽「過程と実在〈1〉コスモロジーへの試論」<br>
　アルフレッド・ノース ホワイトヘッド (著), Alfred North Whitehead (原著), 平林 康之 (翻訳) ・みすず書房<br>
▽「過程と実在〈2〉コスモロジーへの試論」<br>
　アルフレッド・ノース ホワイトヘッド (著), Alfred North Whitehead (原著), 平林 康之 (翻訳) ・みすず書房<br>
▽「『正法眼蔵』を読む 存在するとはどういうことか」<br>
　南直哉著・講談社<br>
▽「道元入門」<br>
　秋月龍&#33802;著・講談社<br>
▽「鈴木大拙」<br>
　秋月龍&#33802;著・講談社<br>
▽「相対主義の極北」<br>
　入不二基義著・筑摩書房<br>
○「足の裏に影はあるか? ないか? 哲学随想」<br>
　入不二基義著・朝日出版社<br>
▽「時間は実在するか」<br>
　入不二基義著・講談社 <br>
○「ホワイトヘッドの哲学」<br>
　中村昇著・講談社<br>
▽「知の教科書 論理の哲学」<br>
　飯田隆編集・講談社<br>
○△「「無常」の哲学―ダルマキールティと刹那滅」<br>
　谷貞志著・春秋社<br>
▽「徳一と最澄―もう一つの正統仏教」<br>
　高橋富雄著・中央公論社<br>
▽「無の探求「中国禅」―仏教の思想〈7〉」<br>
　柳田聖山著・梅原猛著・角川書店<br>
▽「絶対の真理「天台」―仏教の思想〈5〉」<br>
　田村芳朗著・梅原猛著・角川書店<br>
▽「法然対明恵―鎌倉仏教の宗教対決」<br>
　町田宗鳳著・講談社<br>
▽「仏教講義―根本仏教と大乗仏教の会通を語る」<br>
　増谷文雄著・佼成出版社<br>
▽「中論」改訂版<br>
　ナーガールジュナ（竜樹尊者）著・西嶋（愚道）和夫訳・金沢文庫<br>
▽「根本的な中論の歌―釈尊の教えは実在論である」<br>
　ナーガールジュナ著・西嶋和夫翻訳・金沢文庫<br>
▽「大乗仏典」<br>
　長尾雅人責任編集・中央公論社<br>
▽「無心ということ」<br>
　鈴木大拙著・角川ソフィア文庫<br>
▽「禅とは何か」<br>
　鈴木大拙著・角川ソフィア文庫<br>
▽「禅」<br>
　鈴木大拙著・ちくま文庫<br>
▽「禅と唯識―悟りの構造」<br>
　竹村牧男著・大法輪閣<br>
▽「唯識思想論考」<br>
　袴谷憲昭著・大蔵出版<br>
▽「唯識とは何か―『法相二巻抄』を読む」<br>
　横山紘一著・春秋社<br>
▽「大智度論講述」<br>
　宇野順治著・永田文昌堂<br>
▽「大乗としての浄土―空・唯識から念仏へ」<br>
　山口益著・大法輪閣<br>
▽「唯識の探求 『唯識三十頌を読む』」<br>
　竹村牧男著・春秋社<br>
▽「講座・大乗仏教　大乗仏教とその周辺」<br>
　春秋社<br>
▽「門無き門より入れ―精読『無門関』」<br>
　山田史生著・大蔵出版<br>
○「唯識でよむ般若心経―空の実践」<br>
　横山紘一著・大法輪閣<br>
▽「入門 哲学としての仏教」<br>
　竹村牧男著・講談社<br>
○「僧侶と哲学者―チベット仏教をめぐる対話」<br>
　ジャン=フランソワルヴェル著、マチウリカール著・新評論<br>
○「掌の中の無限―チベット仏教と現代科学が出会う時」<br>
　マチウリカール著、チンスアン・トゥアン著・新評論<br>
▽「理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性」<br>
　高橋昌一郎著・講談社<br>
▽「ゲーデルの哲学―不完全性定理と神の存在論」<br>
　高橋昌一郎著・講談社 <br>
□大乗仏典・中公文庫　1<br>
　般若部経典・金剛般経<br>
□大乗仏典・中公文庫　2<br>
　八千頌般若経?<br>
□大乗仏典・中公文庫　3<br>
　八千頌般若経?<br>
□大乗仏典・中公文庫　7<br>
　維摩経・首楞厳経<br>
□大乗仏典・中公文庫　8<br>
　十地経<br>
□大乗仏典・中公文庫　12<br>
　如来蔵系経典<br>
□大乗仏典・中公文庫　14<br>
　龍樹論集<br>
□大乗仏典・中公文庫　15<br>
　世親論集<br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/oujyouin/archives/51552614.html">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第二弾</a><br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/2008-11.html#20081110">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第一弾</a>]]></content:encoded>
  </item>
  <item rdf:about="http://hide.noblog.net/blog/10860676.html">
    <title>
			「アポーハ論」
		</title>
    <link>http://hide.noblog.net/blog/10860676.html</link>
    <description>施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」 http://oujyouin.com/enginorikai.html 施本「仏教・空の理解から学ぶ」 http://oujyouin.com/topengi.htm 施本「仏教・空の理解」 http://oujyouin.com/sunyatop.htm 施本「仏教　〜　一枚の紙から考える　〜」 http://ouj...</description>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2009-10-22T16:52:59+09:00</dc:date>
    <content:encoded><![CDATA[施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/enginorikai.html">http://oujyouin.com/enginorikai.html</a><br>
施本「仏教・空の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/topengi.htm">http://oujyouin.com/topengi.htm</a><br>
施本「仏教・空の理解」<br>
<a href="http://oujyouin.com/sunyatop.htm">http://oujyouin.com/sunyatop.htm</a><br>
施本「仏教　〜　一枚の紙から考える　〜」<br>
<a href="http://oujyouin.com/buddhism1p.html">http://oujyouin.com/buddhism1p.html</a><br>
施本「佛の道」<br>
<a href="http://oujyouin.com/hotokenomichi.html">http://oujyouin.com/hotokenomichi.html</a><br>
<br>
これから更に仏教の学びを進めるための文献・第三弾<br>
<br>
「講座仏教思想〈第2巻〉認識論・論理学」を読み進め中。<br>
<br>
<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/~sdaisin/">「現代仏教学を再生するためのホームページ」</a>の<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/cgi-bin/ezboard/sdaisin/1/">掲示板</a>の投稿内容。<br>
<br>
「アポーハ論」2009年10月21日<br>
<br>
・・やはり、ここにきまして累積赤字国債の問題は、税収の落ち込みも重なり、民主政権の政策を金縛りにしてしまっているのがより顕著となって参りましたね・・<br>
<br>
財務省は国債の発行処理についてかなり懸念している様子が、西川善文氏の後に日本郵政社長にミスター大蔵省・斎藤次郎氏が就任したことによって、より明らかになって参りました。合わせて将来の増税懸念も高まってきたという感じでもありますが・・<br>
<br>
一連の傾向は正直まずいと考えております・・どうやらもう最悪の事態を迎えることになる日も残念ながら近づきつつあるように存じます・・<br>
<br>
いよいよとなれば・・政治的犠牲により苦しみ、亡くなる方は甚大となる危惧が高まって参ります・・やがて襲うこの国の苦しみは太平洋戦争末期並に陥るかもしれません・・とにかく動向に注視でございます。<br>
<br>
さて、以前、「中観思想・基本的な議論の流れの復習」におきましての私の四句分別の混乱は何とか一応の収束をみたように存じております。<br>
<br>
仏教談話ネットワーク<br>
<a href="http://buddhism.sns.fc2.com/exec/">http://buddhism.sns.fc2.com/exec/</a><br>
中観思想・学びのすすめ<br>
<a href="http://buddhism.sns.fc2.com/exec/community/view/community/2047/">http://buddhism.sns.fc2.com/exec/community/view/community/2047/</a><br>
トピック・中観思想と唯識思想<br>
<a href="http://buddhism.sns.fc2.com/exec/community/forum/view/16208/">http://buddhism.sns.fc2.com/exec/community/forum/view/16208/</a><br>
<br>
におきまして、参加者でSNSの管理人でもある金剛居士さんに補足・補完を頂きました。<br>
<br>
また、どうも私の「アポーハ論」についての学びが中途半端なために出てきてしまった混乱であったのかもしれませんので、「アポーハ論」の展開についてもじっくりと学びを進めようと存じます。<br>
<br>
・・ここまで。<br>
<br>
<a href="http://buddhism.sns.fc2.com/">仏教談話ネットワーク</a>・コミュニティ<a href="http://buddhism.sns.fc2.com/exec/community/view/community/2047/">「中観思想・学びのすすめ」</a>におきましては、管理人でもありコミュニティに参加されておられます<a href="http://kongou-koji.tea-nifty.com/blog/">金剛居士さん</a>とのやり取りが続いております。仏教哲理に深く精通されておられます金剛居士さんからはいつも色々と助けられて教えられることばかりでございます。<br>
<br>
・・<br>
<br>
『「A」と主張する者は、非「A」という前提において言えていることである。「A」と主張する者は、非「A」ということを認めていることになってしまう。「A」はない。』同様に、『「非A」と主張する者は、「A」という前提において言えていることである。「非A」と主張する者は、「A」ということを認めていることになってしまう。「非A」はない。』<br>
<br>
とにかく、「A」には、名称・言語・文章のみならず、思考・観念・論理・認識などいくらでも代入していけますし、また無限に展開していく論にもなって参ります・・<br>
<br>
また、この論は、あくまでも「A」が固定でき、決定していてこそ言えるものであり、そもそも「A」そのものが固定・決定できるものであるのかどうかが問題であります。一応は仮に「A」というものを固定・決定してという前提が必要となります。もちろん、仮は所詮、仮に過ぎません。<br>
<br>
また、もしも「A」というものが、止めれて、固定・決定できたとしても、結局は論そのもの自体が成り立たなくなってしまいます・・<br>
<br>
「一秒前の私と今の（瞬間の）私は私なのか、違う私なのか」の問いも、あくまで仮に私と一瞬が止めれて、固定・決定してこそにおいて言えるものであり、また、そもそも私と一瞬が止めれて、固定・決定できるものであるのかどうかも問題であり、仮にもしも、止めれて、固定・決定できたとしても、結局は問い自体が成り立たなくなってしまいます・・<br>
<br>
しいて述べさせて頂くならば、上記の論の「A」には、もちろん、仏教思想全般にわたるいかなる論であっても代入でき、この論自体も例外ではなく、そうなります。論自体が論そのものを否定する論ということとなります。<br>
<br>
上記の論は、改めて言語活動の虚妄性を示すという意義はあるかとは思いますが、しかし十分ではないとも考えております。<br>
<br>
・・<br>
<br>
仏教認識論理学は誠に難解でありますが、仏教思想を一から学び直す中で、しっかりと学ばねばならないと、ようやくに関係論著を読み進めている次第でございます。もちろんまだまだただ目で読み進めているだけでありますが・・<br>
<br>
とにかく、「一秒前の私と今の（瞬間の）私は私なのか、違う私なのか」という基本的な疑問について法話にて確実に答えるために仏教認識論理学の論考は避けて通れないところでございます。<br>
<br>
「不常不断・不一不異・非連続の連続・・刹那滅論証・・」<br>
<br>
ダルマキールティ論師の瞬間的存在性論証（刹那滅論証）は、（あくまでも世俗諦としてではあるかと存じますが）上記の疑問に答えるための最大の論証であると考えております。<br>
<br>
「ダルマキールティの瞬間的存在性論証（刹那滅論証）」において意図するところは、仏教認識論理学（主に唯識思想）と仏教思考論理学（主に中観思想）の統合的理解を目指したものであると存じますので、中観思想と唯識思想の論理、また中観思想における自立論証派・帰謬論証派、唯識思想における有形象唯識論、無形象唯識論の論理発展についても学ぶことができるため、非常に理解することには難解さを極めますが、「ダルマキールティの瞬間的存在性論証（刹那滅論証）」を学べば、仏教の論理学体系をほぼ学ぶことができるのではないであろうかと考えております。<br>
<br>
・・<br>
<br>
中観思想の論理について改めて学び直すために、『「空」の構造」-「中論」の論理』立川武蔵著・第三文明社を急遽再読を終えました。<br>
<br>
縁起は、時空的因果関係と即非の論理（Ａと非Ａ）により表されるものであると改めて確認できました。論理的縁起は、即非の論理（Ａと非Ａ）にてもっとしっかりと論じる必要があったと反省致しております。<br>
<br>
「龍樹造「方便心論」の研究」を読み終えました。いわゆるインド論理学・因明学の発展を知る上で重要な書の一つであると存じます。また詳しい感想は後日に。<br>
<br>
石飛先生は、「縁起とは、因果関係ではなく相依相関を意味している」という解釈は誤解に基づくものであると考えておられます。現在の私の「縁起」の捉え方は、時間的縁起・空間的縁起・論理的縁起として、時空的縁起は因果関係を扱って説明するものですが、最終的には論理的縁起としての相依相関性の方を重視しております。石飛先生の説かれる「縁起」とは一体どういうものであるのか・・とにかくまだまだ考察して参りたい存じます。<br>
<br>
石飛道子先生のインド論理学・インド哲学、龍樹論師・中観思想についての論考は実にいつも興味深いものがあります。目下注目の碩学でございます。<br>
<a href="http://homepage1.nifty.com/manikana/">http://homepage1.nifty.com/manikana/</a><br>
<br>
一つには、唯識思想における「依他起性の仮有」・「真如の実有」と、ツォンカパ・ラマの中観思想における「言説有」との相似・相違点の整理を自分なりにして参りたいと存じております。<br>
<br>
ツォンカパ・ラマは、チベット仏教・ゲルク派（黄帽派）の開祖であります。現在のゲルク派の（観音菩薩様）化身ラマは、ダライ・ラマ14世でございます。ツォンカパ・ラマは中観帰謬論証派の論師でもあり、チベット仏教教学を大成しました。龍樹論師以来の中観思想・空の思想をどのように発展させていったのかを更に詳しく学んで参りたいと存じます。<br>
<br>
△「講座仏教思想〈第1巻〉存在論・時間論」<br>
 三枝充悳著・理想社<br>
→「講座仏教思想〈第2巻〉認識論・論理学」<br>
　三枝充悳著・理想社<br>
○○『「無常」の哲学―ダルマキールティと刹那滅』<br>
　谷貞志著・春秋社<br>
○「「空」の構造」-「中論」の論理」<br>
　立川武蔵著・第三文明社<br>
○「龍樹造「方便心論」の研究」<br>
　石飛道子著・山喜房仏書林<br>
○「ブッダの優しい論理学―縁起で学ぶ上手なコミュニケーション法 」<br>
　石飛道子著・サンガ<br>
△○○「ブッダと龍樹の論理学―縁起と中道」<br>
　石飛道子著・サンガ<br>
○○「ブッダ論理学五つの難問」<br>
　石飛道子著・講談社<br>
○「龍樹と、語れ!―『方便心論』の言語戦略」<br>
　石飛道子著・大法輪閣<br>
○○△「ツォンカパの中観思想―ことばによることばの否定」<br>
　四津谷孝道著・大蔵出版<br>
○○△「チャンドラキールティの中観思想」<br>
　岸根敏幸著・大東出版社<br>
△△○「中観と唯識」<br>
　長尾雅人著・岩波書店<br>
○「チベット仏教哲学」<br>
　松本史朗著・大蔵出版<br>
▽「中観と空1・梶山雄一著作集4」<br>
　梶山雄一著・御牧克己編・春秋社<br>
▽「空と中観」<br>
　江島惠教著・春秋社<br>
<br>
いつも、<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/~sdaisin/">「現代仏教学を再生するためのホームページ」</a>の<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/cgi-bin/ezboard/sdaisin/1/">掲示板</a>にて議論させて頂いておりますＳ・イマムラ先生が<a href="http://www016.upp.so-net.ne.jp/jikuron/bukkyo/">「C点による仏教論」</a>を著されました。C点と仏教の真摯なるご論考でございますので、是非、皆様方もお読み頂けましたらと存じます。<br>
<br>
「C点による仏教論」<br>
<a href="http://www016.upp.so-net.ne.jp/jikuron/bukkyo/">http://www016.upp.so-net.ne.jp/jikuron/bukkyo/</a><br>
<br>
読書の進捗状況<br>
（→・進行中　○・読み終え　○の数・一通り読んだ回数　△・中途停止　▽・読み進める前　□・随時参照）<br>
<br>
△○「中観と唯識」<br>
　長尾雅人著・岩波書店<br>
△「日本仏教の思想　受容と変容の千五百年史」(講談社現代新書)<br>
　立川武蔵著・講談社<br>
○「わかる仏教史」<br>
　宮元啓一著・春秋社<br>
▽「涅槃経―如来常住と悉有仏性」 (サーラ叢書 26)<br>
　横超慧日著・平楽寺書店<br>
▽「中観と空1・梶山雄一著作集4」<br>
　梶山雄一著・御牧克己編・春秋社<br>
▽「空と中観」<br>
　江島惠教著・春秋社<br>
▽「般若思想史」ワイド版版<br>
　山口益著・法蔵館<br>
△△△「講座・大乗仏教　認識論と論理学」<br>
　春秋社<br>
▽「道元と仏教―十二巻本『正法眼蔵』の道元」<br>
　袴谷憲昭著・大蔵出版<br>
▽「道元思想論」<br>
　松本史朗著・大蔵出版<br>
▽「仏教への道」<br>
　松本史朗著・東京書籍<br>
▽「法然親鸞思想論」<br>
　松本史朗著・大蔵出版<br>
▽「法然と明恵―日本仏教思想史序説」<br>
　袴谷憲昭著・大蔵出版<br>
▽「仏性思想の展開」<br>
　奥野光賢著・大蔵出版<br>
▽「天台学―根本思想とその展開」<br>
　安藤俊雄著・平楽寺書店<br>
▽「台密教学の研究」<br>
　大久保良峻著・法蔵館<br>
▽「本覚思想の源流と展開」<br>
　浅井円道著・平楽寺書店<br>
▽「天台教学と本覚思想」<br>
　大久保良峻著・法蔵館<br>
▽「最澄と天台本覚思想―日本精神史序説」<br>
　栗田勇著・作品社<br>
▽「アーラヤ的世界とその神―仏教思想像の転回」<br>
　津田真一著・大蔵出版<br>
▽「反密教学」<br>
　改訂版・津田真一著・春秋社<br>
▽「禅思想の批判的研究」<br>
　松本史朗著・大蔵出版<br>
▽「インド哲学七つの難問 (講談社選書メチエ)」<br>
　 宮元啓一著・講談社<br>
▽「華厳五教章」<br>
　鎌田茂雄著・大蔵出版<br>
▽「「華厳経」を読む (仏典を読むシリーズ) 」<br>
　西本照真著・武蔵野大学編纂・角川学芸出版<br>
△「和訳 華厳経」<br>
　鎌田茂雄著・東京美術<br>
▽「華厳禅の思想史的研究」<br>
　吉津宜英著・大東出版社<br>
△「唯識説を中心とした初期華厳教学の研究―智儼・義湘から法蔵へ」<br>
　大竹晋著・大蔵出版<br>
▽「華厳思想 (講座・大乗仏教)」<br>
　平川彰編集・梶山雄一編集・春秋社<br>
▽「浄土思想 (講座・大乗仏教)」<br>
　梶山雄一編集・高崎直道編集・春秋社<br>
▽「法華経の七つの譬喩―初めて学ぶ『法華経』(レグルス文庫 (207))」<br>
　菅野博史著・第三文明社<br>
▽「図説 法華経大全―「妙法蓮華経全二十八品」現代語訳総解説 (エソテリカ・セレクション)」<br>
　大角修翻訳・学習研究社<br>
△「初期大乗と法華思想 (平川彰著作集)」<br>
　平川彰著・春秋社<br>
▽「法華経思想史から学ぶ仏教」<br>
　菅野博史著・大蔵出版<br>
▽「密教 (岩波新書)」<br>
　松長有慶著・岩波書店<br>
▽「観音経講話 (講談社学術文庫 ) 」<br>
　鎌田茂雄著・講談社<br>
▽「般若心経講話 (講談社学術文庫) 」<br>
　鎌田茂雄著・講談社<br>
▽「理趣経 (中公文庫BIBLIO)」<br>
　松長有慶著・中央公論新社<br>
▽「最澄と空海―日本仏教思想の誕生 (講談社選書メチエ) 」<br>
　立川武蔵著・講談社<br>
▽「密教概論」<br>
　高神覚昇著・大法輪閣<br>
▽「正法眼蔵随聞記講話」<br>
　鎌田茂雄著・講談社<br>
▽「古仏のまねび「道元」」<br>
　高崎直道著・梅原猛著・角川書店<br>
▽「生命の海「空海」」<br>
　宮坂宥勝著・梅原猛著・角川書店<br>
▽「絶望と歓喜「親鸞」」<br>
　増谷文雄著・梅原猛著・角川書店<br>
▽「密教の思想」<br>
　立川武蔵著・吉川弘文館<br>
▽「密教・自心の探求―『菩提心論』を読む」<br>
　生井智紹著・大法輪閣<br>
▽「『華厳経』『楞伽経』 (現代語訳大乗仏典)」<br>
　中村元著・東京書籍<br>
▽「「正法眼蔵」を読む―現代を生き抜く一二〇の知恵」<br>
　秋月龍&#33802;著・PHP研究所<br>
▽「『金剛頂経』入門―即身成仏への道 」<br>
　頼富本宏著・大法輪閣<br>
▽「『大日経』入門―慈悲のマンダラ世界」<br>
　頼富本宏著・大法輪閣<br>
▽「知の教科書 密教」<br>
　正木晃著・講談社<br>
▽「密教の哲学」<br>
　金岡秀友著・講談社<br>
▽「空海の思想的展開の研究」<br>
　藤井淳著・トランスビュー<br>
○「絶対無と場所―鈴木禅学と西田哲学」<br>
　秋月龍&#33802;著・青土社<br>
▽「西田哲学への導き―経験と自覚」<br>
　上田閑照著・岩波書店<br>
○「西田幾多郎の思想」<br>
　小坂国継著・講談社<br>
▽「西田哲学の根本問題」<br>
　滝沢克己著・小林孝吉編集・こぶし書房<br>
△「仏教的立場から西田哲学への理解」<br>
　増田鷹雄著・三崎堂<br>
○「西田幾多郎―生きることと哲学」<br>
　藤田正勝著・岩波書店<br>
▽「西田幾多郎とは誰か」<br>
　上田閑照著・岩波書店<br>
○「絶対無の哲学―西田哲学研究入門」<br>
　花岡永子著・世界思想社<br>
△「絶対無の哲学―西田哲学の継承と体系化」<br>
　根井康之著・農山漁村文化協会<br>
▽「西田哲学の世界―あるいは哲学の転回」<br>
　大橋良介著・筑摩書房<br>
▽「歴史的現実と西田哲学―絶対的論理主義とは何か」<br>
　板橋勇仁著・法政大学出版局<br>
○「西田哲学の再構築―その成立過程と比較思想」<br>
　平山洋著・ミネルヴァ書房<br>
▽「ホワイトヘッドと西田哲学の“あいだ”―仏教的キリスト教哲学の構想」<br>
　延原時行著・法蔵館<br>
○「時間幻想―西田哲学からの出発」<br>
　重久俊夫著・中央公論事業出版<br>
○「「自己」の哲学―ウィトゲンシュタイン・鈴木大拙・西田幾多郎」<br>
　黒崎宏著・春秋社<br>
△「西田哲学の論理と方法―徹底的批評主義とは何か」<br>
　板橋勇仁著・法政大学出版局<br>
○「西田幾多郎と仏教―禅と真宗の根底を究める」<br>
　竹村牧男著・大東出版社<br>
○「サクラは何色ですか?―西田幾多郎の思想」<br>
　大沢正人著・現代書館<br>
△「「自己と世界」の問題―絶対無の視点から」<br>
　花岡永子著・現代図書<br>
○「現代思想としての西田幾多郎」<br>
　藤田正勝著・講談社  <br>
▽「絶対無と神―京都学派の哲学」<br>
　小野寺功著・春風社<br>
▽「仏教とキリスト教」<br>
　滝沢克己著・法蔵館<br>
▽「場所論としての宗教哲学―仏教とキリスト教の交点に立って」<br>
　八木誠一著・法蔵館 <br>
△「時間と絶対と相対と ―運命論から何を読み取るべきか」<br>
　入不二基義著・勁草書房 <br>
▽「過程と実在〈1〉コスモロジーへの試論」<br>
　アルフレッド・ノース ホワイトヘッド (著), Alfred North Whitehead (原著), 平林 康之 (翻訳) ・みすず書房<br>
▽「過程と実在〈2〉コスモロジーへの試論」<br>
　アルフレッド・ノース ホワイトヘッド (著), Alfred North Whitehead (原著), 平林 康之 (翻訳) ・みすず書房<br>
▽「『正法眼蔵』を読む 存在するとはどういうことか」<br>
　南直哉著・講談社<br>
▽「道元入門」<br>
　秋月龍&#33802;著・講談社<br>
▽「鈴木大拙」<br>
　秋月龍&#33802;著・講談社<br>
▽「相対主義の極北」<br>
　入不二基義著・筑摩書房<br>
○「足の裏に影はあるか? ないか? 哲学随想」<br>
　入不二基義著・朝日出版社<br>
▽「時間は実在するか」<br>
　入不二基義著・講談社 <br>
○「ホワイトヘッドの哲学」<br>
　中村昇著・講談社<br>
▽「知の教科書 論理の哲学」<br>
　飯田隆編集・講談社<br>
○△「「無常」の哲学―ダルマキールティと刹那滅」<br>
　谷貞志著・春秋社<br>
▽「徳一と最澄―もう一つの正統仏教」<br>
　高橋富雄著・中央公論社<br>
▽「無の探求「中国禅」―仏教の思想〈7〉」<br>
　柳田聖山著・梅原猛著・角川書店<br>
▽「絶対の真理「天台」―仏教の思想〈5〉」<br>
　田村芳朗著・梅原猛著・角川書店<br>
▽「法然対明恵―鎌倉仏教の宗教対決」<br>
　町田宗鳳著・講談社<br>
▽「仏教講義―根本仏教と大乗仏教の会通を語る」<br>
　増谷文雄著・佼成出版社<br>
▽「中論」改訂版<br>
　ナーガールジュナ（竜樹尊者）著・西嶋（愚道）和夫訳・金沢文庫<br>
▽「根本的な中論の歌―釈尊の教えは実在論である」<br>
　ナーガールジュナ著・西嶋和夫翻訳・金沢文庫<br>
▽「大乗仏典」<br>
　長尾雅人責任編集・中央公論社<br>
▽「無心ということ」<br>
　鈴木大拙著・角川ソフィア文庫<br>
▽「禅とは何か」<br>
　鈴木大拙著・角川ソフィア文庫<br>
▽「禅」<br>
　鈴木大拙著・ちくま文庫<br>
▽「禅と唯識―悟りの構造」<br>
　竹村牧男著・大法輪閣<br>
▽「唯識思想論考」<br>
　袴谷憲昭著・大蔵出版<br>
▽「唯識とは何か―『法相二巻抄』を読む」<br>
　横山紘一著・春秋社<br>
▽「大智度論講述」<br>
　宇野順治著・永田文昌堂<br>
▽「大乗としての浄土―空・唯識から念仏へ」<br>
　山口益著・大法輪閣<br>
▽「唯識の探求 『唯識三十頌を読む』」<br>
　竹村牧男著・春秋社<br>
▽「講座・大乗仏教　大乗仏教とその周辺」<br>
　春秋社<br>
▽「門無き門より入れ―精読『無門関』」<br>
　山田史生著・大蔵出版<br>
○「唯識でよむ般若心経―空の実践」<br>
　横山紘一著・大法輪閣<br>
▽「入門 哲学としての仏教」<br>
　竹村牧男著・講談社<br>
○「僧侶と哲学者―チベット仏教をめぐる対話」<br>
　ジャン=フランソワルヴェル著、マチウリカール著・新評論<br>
○「掌の中の無限―チベット仏教と現代科学が出会う時」<br>
　マチウリカール著、チンスアン・トゥアン著・新評論<br>
▽「理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性」<br>
　高橋昌一郎著・講談社<br>
▽「ゲーデルの哲学―不完全性定理と神の存在論」<br>
　高橋昌一郎著・講談社 <br>
□大乗仏典・中公文庫　1<br>
　般若部経典・金剛般経<br>
□大乗仏典・中公文庫　2<br>
　八千頌般若経?<br>
□大乗仏典・中公文庫　3<br>
　八千頌般若経?<br>
□大乗仏典・中公文庫　7<br>
　維摩経・首楞厳経<br>
□大乗仏典・中公文庫　8<br>
　十地経<br>
□大乗仏典・中公文庫　12<br>
　如来蔵系経典<br>
□大乗仏典・中公文庫　14<br>
　龍樹論集<br>
□大乗仏典・中公文庫　15<br>
　世親論集<br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/oujyouin/archives/51552614.html">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第二弾</a><br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/2008-11.html#20081110">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第一弾</a>]]></content:encoded>
  </item>
  <item rdf:about="http://hide.noblog.net/blog/10859624.html">
    <title>
			「出世欲の餓鬼道について」
		</title>
    <link>http://hide.noblog.net/blog/10859624.html</link>
    <description>施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」 http://oujyouin.com/enginorikai.html 施本「仏教・空の理解から学ぶ」 http://oujyouin.com/topengi.htm 施本「仏教・空の理解」 http://oujyouin.com/sunyatop.htm 施本「仏教　〜　一枚の紙から考える　〜」 http://ouj...</description>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2009-10-20T22:06:59+09:00</dc:date>
    <content:encoded><![CDATA[施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/enginorikai.html">http://oujyouin.com/enginorikai.html</a><br>
施本「仏教・空の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/topengi.htm">http://oujyouin.com/topengi.htm</a><br>
施本「仏教・空の理解」<br>
<a href="http://oujyouin.com/sunyatop.htm">http://oujyouin.com/sunyatop.htm</a><br>
施本「仏教　〜　一枚の紙から考える　〜」<br>
<a href="http://oujyouin.com/buddhism1p.html">http://oujyouin.com/buddhism1p.html</a><br>
施本「佛の道」<br>
<a href="http://oujyouin.com/hotokenomichi.html">http://oujyouin.com/hotokenomichi.html</a><br>
<br>
これから更に仏教の学びを進めるための文献・第三弾<br>
<br>
下記文献を新たに追加しました。<br>
<img src="http://stat.ameba.jp/user_images/20091020/10/hidetoshi-k/99/30/j/t02200293_0240032010281513942.jpg"><br>
「講座仏教思想〈第1巻〉存在論・時間論」三枝充悳著・理想社 <br>
<br>
<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/~sdaisin/">「現代仏教学を再生するためのホームページ」</a>の<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/cgi-bin/ezboard/sdaisin/1/">掲示板</a>の投稿内容。<br>
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 「出世欲の餓鬼道について」2009年10月19日<br>
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・・さて、実は私のサイト読者の方から「サンデー毎日」10.25号で、佐高信氏のコラム「政経外科」に島村大心師のことが載っていますよ、と教えて頂きまして、普段は全く読むことのない週刊誌を急ぎ書店へ買いに行きました。何とか一冊残っておりまして、すぐに読みました。<br>
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内容は詳しく述べることはできませんが、同じ都市銀行において役員として肩を並べられました西川善文氏（現・日本郵政社長）と島村大心先生との相違、「出世欲の餓鬼道について」と題してのコラムでございました。<br>
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僅か一ページに過ぎませんが、読み終わった感想としましては、改めまして島村先生の清々しいまでのご仏道ご精進への尊敬の思いを新たに致しまして、一方、「かんぽの宿」問題などで醜態をさらすことになってしまっている西川善文氏には、もはや世間も嫌忌しているところではありますが、西川善文氏は西川善文氏で誠に哀れで可哀想な方であり、その様々に抱えている執着の苦しみから早く脱して頂いて、自らで辞任し、残りの人生を社会貢献や慈善活動に取り組んで頂ければと思うところでもございますね・・<br>
<br>
とにかく、今の日本では、戦争による銃や爆弾で理不尽にも犠牲となり亡くなる人はいないものの、政治による犠牲にて苦しみ、また亡くなる人が多くなってしまっています・・誠に税金の使い道の正常化が望まれるところでございます。<br>
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・・ここまで。<br>
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「講座仏教思想〈第2巻〉認識論・論理学」を読み進め中。<br>
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<a href="http://buddhism.sns.fc2.com/">仏教談話ネットワーク</a>・コミュニティ<a href="http://buddhism.sns.fc2.com/exec/community/view/community/2047/">「中観思想・学びのすすめ」</a>におきましては、管理人でもありコミュニティに参加されておられます<a href="http://kongou-koji.tea-nifty.com/blog/">金剛居士さん</a>とのやり取りが続いております。仏教哲理に深く精通されておられます金剛居士さんからはいつも色々と助けられて教えられることばかりでございます。<br>
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・・<br>
<br>
『「A」と主張する者は、非「A」という前提において言えていることである。「A」と主張する者は、非「A」ということを認めていることになってしまう。「A」はない。』同様に、『「非A」と主張する者は、「A」という前提において言えていることである。「非A」と主張する者は、「A」ということを認めていることになってしまう。「非A」はない。』<br>
<br>
とにかく、「A」には、名称・言語・文章のみならず、思考・観念・論理・認識などいくらでも代入していけますし、また無限に展開していく論にもなって参ります・・<br>
<br>
また、この論は、あくまでも「A」が固定でき、決定していてこそ言えるものであり、そもそも「A」そのものが固定・決定できるものであるのかどうかが問題であります。一応は仮に「A」というものを固定・決定してという前提が必要となります。もちろん、仮は所詮、仮に過ぎません。<br>
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また、もしも「A」というものが、止めれて、固定・決定できたとしても、結局は論そのもの自体が成り立たなくなってしまいます・・<br>
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「一秒前の私と今の（瞬間の）私は私なのか、違う私なのか」の問いも、あくまで仮に私と一瞬が止めれて、固定・決定してこそにおいて言えるものであり、また、そもそも私と一瞬が止めれて、固定・決定できるものであるのかどうかも問題であり、仮にもしも、止めれて、固定・決定できたとしても、結局は問い自体が成り立たなくなってしまいます・・<br>
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しいて述べさせて頂くならば、上記の論の「A」には、もちろん、仏教思想全般にわたるいかなる論であっても代入でき、この論自体も例外ではなく、そうなります。論自体が論そのものを否定する論ということとなります。<br>
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上記の論は、改めて言語活動の虚妄性を示すという意義はあるかとは思いますが、しかし十分ではないとも考えております。<br>
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・・<br>
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仏教認識論理学は誠に難解でありますが、仏教思想を一から学び直す中で、しっかりと学ばねばならないと、ようやくに関係論著を読み進めている次第でございます。もちろんまだまだただ目で読み進めているだけでありますが・・<br>
<br>
とにかく、「一秒前の私と今の（瞬間の）私は私なのか、違う私なのか」という基本的な疑問について法話にて確実に答えるために仏教認識論理学の論考は避けて通れないところでございます。<br>
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「不常不断・不一不異・非連続の連続・・刹那滅論証・・」<br>
<br>
ダルマキールティ論師の瞬間的存在性論証（刹那滅論証）は、（あくまでも世俗諦としてではあるかと存じますが）上記の疑問に答えるための最大の論証であると考えております。<br>
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「ダルマキールティの瞬間的存在性論証（刹那滅論証）」において意図するところは、仏教認識論理学（主に唯識思想）と仏教思考論理学（主に中観思想）の統合的理解を目指したものであると存じますので、中観思想と唯識思想の論理、また中観思想における自立論証派・帰謬論証派、唯識思想における有形象唯識論、無形象唯識論の論理発展についても学ぶことができるため、非常に理解することには難解さを極めますが、「ダルマキールティの瞬間的存在性論証（刹那滅論証）」を学べば、仏教の論理学体系をほぼ学ぶことができるのではないであろうかと考えております。<br>
<br>
・・<br>
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中観思想の論理について改めて学び直すために、『「空」の構造」-「中論」の論理』立川武蔵著・第三文明社を急遽再読を終えました。<br>
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縁起は、時空的因果関係と即非の論理（Ａと非Ａ）により表されるものであると改めて確認できました。論理的縁起は、即非の論理（Ａと非Ａ）にてもっとしっかりと論じる必要があったと反省致しております。<br>
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「龍樹造「方便心論」の研究」を読み終えました。いわゆるインド論理学・因明学の発展を知る上で重要な書の一つであると存じます。また詳しい感想は後日に。<br>
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石飛先生は、「縁起とは、因果関係ではなく相依相関を意味している」という解釈は誤解に基づくものであると考えておられます。現在の私の「縁起」の捉え方は、時間的縁起・空間的縁起・論理的縁起として、時空的縁起は因果関係を扱って説明するものですが、最終的には論理的縁起としての相依相関性の方を重視しております。石飛先生の説かれる「縁起」とは一体どういうものであるのか・・とにかくまだまだ考察して参りたい存じます。<br>
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石飛道子先生のインド論理学・インド哲学、龍樹論師・中観思想についての論考は実にいつも興味深いものがあります。目下注目の碩学でございます。<br>
<a href="http://homepage1.nifty.com/manikana/">http://homepage1.nifty.com/manikana/</a><br>
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一つには、唯識思想における「依他起性の仮有」・「真如の実有」と、ツォンカパ・ラマの中観思想における「言説有」との相似・相違点の整理を自分なりにして参りたいと存じております。<br>
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ツォンカパ・ラマは、チベット仏教・ゲルク派（黄帽派）の開祖であります。現在のゲルク派の（観音菩薩様）化身ラマは、ダライ・ラマ14世でございます。ツォンカパ・ラマは中観帰謬論証派の論師でもあり、チベット仏教教学を大成しました。龍樹論師以来の中観思想・空の思想をどのように発展させていったのかを更に詳しく学んで参りたいと存じます。<br>
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△「講座仏教思想〈第1巻〉存在論・時間論」<br>
 三枝充悳著・理想社<br>
→「講座仏教思想〈第2巻〉認識論・論理学」<br>
　三枝充悳著・理想社<br>
○○『「無常」の哲学―ダルマキールティと刹那滅』<br>
　谷貞志著・春秋社<br>
○「「空」の構造」-「中論」の論理」<br>
　立川武蔵著・第三文明社<br>
○「龍樹造「方便心論」の研究」<br>
　石飛道子著・山喜房仏書林<br>
○「ブッダの優しい論理学―縁起で学ぶ上手なコミュニケーション法 」<br>
　石飛道子著・サンガ<br>
△○○「ブッダと龍樹の論理学―縁起と中道」<br>
　石飛道子著・サンガ<br>
○○「ブッダ論理学五つの難問」<br>
　石飛道子著・講談社<br>
○「龍樹と、語れ!―『方便心論』の言語戦略」<br>
　石飛道子著・大法輪閣<br>
○○△「ツォンカパの中観思想―ことばによることばの否定」<br>
　四津谷孝道著・大蔵出版<br>
○○△「チャンドラキールティの中観思想」<br>
　岸根敏幸著・大東出版社<br>
△△○「中観と唯識」<br>
　長尾雅人著・岩波書店<br>
○「チベット仏教哲学」<br>
　松本史朗著・大蔵出版<br>
▽「中観と空1・梶山雄一著作集4」<br>
　梶山雄一著・御牧克己編・春秋社<br>
▽「空と中観」<br>
　江島惠教著・春秋社<br>
<br>
いつも、<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/~sdaisin/">「現代仏教学を再生するためのホームページ」</a>の<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/cgi-bin/ezboard/sdaisin/1/">掲示板</a>にて議論させて頂いておりますＳ・イマムラ先生が<a href="http://www016.upp.so-net.ne.jp/jikuron/bukkyo/">「C点による仏教論」</a>を著されました。C点と仏教の真摯なるご論考でございますので、是非、皆様方もお読み頂けましたらと存じます。<br>
<br>
「C点による仏教論」<br>
<a href="http://www016.upp.so-net.ne.jp/jikuron/bukkyo/">http://www016.upp.so-net.ne.jp/jikuron/bukkyo/</a><br>
<br>
読書の進捗状況<br>
（→・進行中　○・読み終え　○の数・一通り読んだ回数　△・中途停止　▽・読み進める前　□・随時参照）<br>
<br>
△○「中観と唯識」<br>
　長尾雅人著・岩波書店<br>
△「日本仏教の思想　受容と変容の千五百年史」(講談社現代新書)<br>
　立川武蔵著・講談社<br>
○「わかる仏教史」<br>
　宮元啓一著・春秋社<br>
▽「涅槃経―如来常住と悉有仏性」 (サーラ叢書 26)<br>
　横超慧日著・平楽寺書店<br>
▽「中観と空1・梶山雄一著作集4」<br>
　梶山雄一著・御牧克己編・春秋社<br>
▽「空と中観」<br>
　江島惠教著・春秋社<br>
▽「般若思想史」ワイド版版<br>
　山口益著・法蔵館<br>
△△△「講座・大乗仏教　認識論と論理学」<br>
　春秋社<br>
▽「道元と仏教―十二巻本『正法眼蔵』の道元」<br>
　袴谷憲昭著・大蔵出版<br>
▽「道元思想論」<br>
　松本史朗著・大蔵出版<br>
▽「仏教への道」<br>
　松本史朗著・東京書籍<br>
▽「法然親鸞思想論」<br>
　松本史朗著・大蔵出版<br>
▽「法然と明恵―日本仏教思想史序説」<br>
　袴谷憲昭著・大蔵出版<br>
▽「仏性思想の展開」<br>
　奥野光賢著・大蔵出版<br>
▽「天台学―根本思想とその展開」<br>
　安藤俊雄著・平楽寺書店<br>
▽「台密教学の研究」<br>
　大久保良峻著・法蔵館<br>
▽「本覚思想の源流と展開」<br>
　浅井円道著・平楽寺書店<br>
▽「天台教学と本覚思想」<br>
　大久保良峻著・法蔵館<br>
▽「最澄と天台本覚思想―日本精神史序説」<br>
　栗田勇著・作品社<br>
▽「アーラヤ的世界とその神―仏教思想像の転回」<br>
　津田真一著・大蔵出版<br>
▽「反密教学」<br>
　改訂版・津田真一著・春秋社<br>
▽「禅思想の批判的研究」<br>
　松本史朗著・大蔵出版<br>
▽「インド哲学七つの難問 (講談社選書メチエ)」<br>
　 宮元啓一著・講談社<br>
▽「華厳五教章」<br>
　鎌田茂雄著・大蔵出版<br>
▽「「華厳経」を読む (仏典を読むシリーズ) 」<br>
　西本照真著・武蔵野大学編纂・角川学芸出版<br>
△「和訳 華厳経」<br>
　鎌田茂雄著・東京美術<br>
▽「華厳禅の思想史的研究」<br>
　吉津宜英著・大東出版社<br>
△「唯識説を中心とした初期華厳教学の研究―智儼・義湘から法蔵へ」<br>
　大竹晋著・大蔵出版<br>
▽「華厳思想 (講座・大乗仏教)」<br>
　平川彰編集・梶山雄一編集・春秋社<br>
▽「浄土思想 (講座・大乗仏教)」<br>
　梶山雄一編集・高崎直道編集・春秋社<br>
▽「法華経の七つの譬喩―初めて学ぶ『法華経』(レグルス文庫 (207))」<br>
　菅野博史著・第三文明社<br>
▽「図説 法華経大全―「妙法蓮華経全二十八品」現代語訳総解説 (エソテリカ・セレクション)」<br>
　大角修翻訳・学習研究社<br>
△「初期大乗と法華思想 (平川彰著作集)」<br>
　平川彰著・春秋社<br>
▽「法華経思想史から学ぶ仏教」<br>
　菅野博史著・大蔵出版<br>
▽「密教 (岩波新書)」<br>
　松長有慶著・岩波書店<br>
▽「観音経講話 (講談社学術文庫 ) 」<br>
　鎌田茂雄著・講談社<br>
▽「般若心経講話 (講談社学術文庫) 」<br>
　鎌田茂雄著・講談社<br>
▽「理趣経 (中公文庫BIBLIO)」<br>
　松長有慶著・中央公論新社<br>
▽「最澄と空海―日本仏教思想の誕生 (講談社選書メチエ) 」<br>
　立川武蔵著・講談社<br>
▽「密教概論」<br>
　高神覚昇著・大法輪閣<br>
▽「正法眼蔵随聞記講話」<br>
　鎌田茂雄著・講談社<br>
▽「古仏のまねび「道元」」<br>
　高崎直道著・梅原猛著・角川書店<br>
▽「生命の海「空海」」<br>
　宮坂宥勝著・梅原猛著・角川書店<br>
▽「絶望と歓喜「親鸞」」<br>
　増谷文雄著・梅原猛著・角川書店<br>
▽「密教の思想」<br>
　立川武蔵著・吉川弘文館<br>
▽「密教・自心の探求―『菩提心論』を読む」<br>
　生井智紹著・大法輪閣<br>
▽「『華厳経』『楞伽経』 (現代語訳大乗仏典)」<br>
　中村元著・東京書籍<br>
▽「「正法眼蔵」を読む―現代を生き抜く一二〇の知恵」<br>
　秋月龍&#33802;著・PHP研究所<br>
▽「『金剛頂経』入門―即身成仏への道 」<br>
　頼富本宏著・大法輪閣<br>
▽「『大日経』入門―慈悲のマンダラ世界」<br>
　頼富本宏著・大法輪閣<br>
▽「知の教科書 密教」<br>
　正木晃著・講談社<br>
▽「密教の哲学」<br>
　金岡秀友著・講談社<br>
▽「空海の思想的展開の研究」<br>
　藤井淳著・トランスビュー<br>
○「絶対無と場所―鈴木禅学と西田哲学」<br>
　秋月龍&#33802;著・青土社<br>
▽「西田哲学への導き―経験と自覚」<br>
　上田閑照著・岩波書店<br>
○「西田幾多郎の思想」<br>
　小坂国継著・講談社<br>
▽「西田哲学の根本問題」<br>
　滝沢克己著・小林孝吉編集・こぶし書房<br>
△「仏教的立場から西田哲学への理解」<br>
　増田鷹雄著・三崎堂<br>
○「西田幾多郎―生きることと哲学」<br>
　藤田正勝著・岩波書店<br>
▽「西田幾多郎とは誰か」<br>
　上田閑照著・岩波書店<br>
○「絶対無の哲学―西田哲学研究入門」<br>
　花岡永子著・世界思想社<br>
△「絶対無の哲学―西田哲学の継承と体系化」<br>
　根井康之著・農山漁村文化協会<br>
▽「西田哲学の世界―あるいは哲学の転回」<br>
　大橋良介著・筑摩書房<br>
▽「歴史的現実と西田哲学―絶対的論理主義とは何か」<br>
　板橋勇仁著・法政大学出版局<br>
○「西田哲学の再構築―その成立過程と比較思想」<br>
　平山洋著・ミネルヴァ書房<br>
▽「ホワイトヘッドと西田哲学の“あいだ”―仏教的キリスト教哲学の構想」<br>
　延原時行著・法蔵館<br>
○「時間幻想―西田哲学からの出発」<br>
　重久俊夫著・中央公論事業出版<br>
○「「自己」の哲学―ウィトゲンシュタイン・鈴木大拙・西田幾多郎」<br>
　黒崎宏著・春秋社<br>
△「西田哲学の論理と方法―徹底的批評主義とは何か」<br>
　板橋勇仁著・法政大学出版局<br>
○「西田幾多郎と仏教―禅と真宗の根底を究める」<br>
　竹村牧男著・大東出版社<br>
○「サクラは何色ですか?―西田幾多郎の思想」<br>
　大沢正人著・現代書館<br>
△「「自己と世界」の問題―絶対無の視点から」<br>
　花岡永子著・現代図書<br>
○「現代思想としての西田幾多郎」<br>
　藤田正勝著・講談社  <br>
▽「絶対無と神―京都学派の哲学」<br>
　小野寺功著・春風社<br>
▽「仏教とキリスト教」<br>
　滝沢克己著・法蔵館<br>
▽「場所論としての宗教哲学―仏教とキリスト教の交点に立って」<br>
　八木誠一著・法蔵館 <br>
△「時間と絶対と相対と ―運命論から何を読み取るべきか」<br>
　入不二基義著・勁草書房 <br>
▽「過程と実在〈1〉コスモロジーへの試論」<br>
　アルフレッド・ノース ホワイトヘッド (著), Alfred North Whitehead (原著), 平林 康之 (翻訳) ・みすず書房<br>
▽「過程と実在〈2〉コスモロジーへの試論」<br>
　アルフレッド・ノース ホワイトヘッド (著), Alfred North Whitehead (原著), 平林 康之 (翻訳) ・みすず書房<br>
▽「『正法眼蔵』を読む 存在するとはどういうことか」<br>
　南直哉著・講談社<br>
▽「道元入門」<br>
　秋月龍&#33802;著・講談社<br>
▽「鈴木大拙」<br>
　秋月龍&#33802;著・講談社<br>
▽「相対主義の極北」<br>
　入不二基義著・筑摩書房<br>
○「足の裏に影はあるか? ないか? 哲学随想」<br>
　入不二基義著・朝日出版社<br>
▽「時間は実在するか」<br>
　入不二基義著・講談社 <br>
○「ホワイトヘッドの哲学」<br>
　中村昇著・講談社<br>
▽「知の教科書 論理の哲学」<br>
　飯田隆編集・講談社<br>
○△「「無常」の哲学―ダルマキールティと刹那滅」<br>
　谷貞志著・春秋社<br>
▽「徳一と最澄―もう一つの正統仏教」<br>
　高橋富雄著・中央公論社<br>
▽「無の探求「中国禅」―仏教の思想〈7〉」<br>
　柳田聖山著・梅原猛著・角川書店<br>
▽「絶対の真理「天台」―仏教の思想〈5〉」<br>
　田村芳朗著・梅原猛著・角川書店<br>
▽「法然対明恵―鎌倉仏教の宗教対決」<br>
　町田宗鳳著・講談社<br>
▽「仏教講義―根本仏教と大乗仏教の会通を語る」<br>
　増谷文雄著・佼成出版社<br>
▽「中論」改訂版<br>
　ナーガールジュナ（竜樹尊者）著・西嶋（愚道）和夫訳・金沢文庫<br>
▽「根本的な中論の歌―釈尊の教えは実在論である」<br>
　ナーガールジュナ著・西嶋和夫翻訳・金沢文庫<br>
▽「大乗仏典」<br>
　長尾雅人責任編集・中央公論社<br>
▽「無心ということ」<br>
　鈴木大拙著・角川ソフィア文庫<br>
▽「禅とは何か」<br>
　鈴木大拙著・角川ソフィア文庫<br>
▽「禅」<br>
　鈴木大拙著・ちくま文庫<br>
▽「禅と唯識―悟りの構造」<br>
　竹村牧男著・大法輪閣<br>
▽「唯識思想論考」<br>
　袴谷憲昭著・大蔵出版<br>
▽「唯識とは何か―『法相二巻抄』を読む」<br>
　横山紘一著・春秋社<br>
▽「大智度論講述」<br>
　宇野順治著・永田文昌堂<br>
▽「大乗としての浄土―空・唯識から念仏へ」<br>
　山口益著・大法輪閣<br>
▽「唯識の探求 『唯識三十頌を読む』」<br>
　竹村牧男著・春秋社<br>
▽「講座・大乗仏教　大乗仏教とその周辺」<br>
　春秋社<br>
▽「門無き門より入れ―精読『無門関』」<br>
　山田史生著・大蔵出版<br>
○「唯識でよむ般若心経―空の実践」<br>
　横山紘一著・大法輪閣<br>
▽「入門 哲学としての仏教」<br>
　竹村牧男著・講談社<br>
○「僧侶と哲学者―チベット仏教をめぐる対話」<br>
　ジャン=フランソワルヴェル著、マチウリカール著・新評論<br>
○「掌の中の無限―チベット仏教と現代科学が出会う時」<br>
　マチウリカール著、チンスアン・トゥアン著・新評論<br>
▽「理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性」<br>
　高橋昌一郎著・講談社<br>
▽「ゲーデルの哲学―不完全性定理と神の存在論」<br>
　高橋昌一郎著・講談社 <br>
□大乗仏典・中公文庫　1<br>
　般若部経典・金剛般経<br>
□大乗仏典・中公文庫　2<br>
　八千頌般若経?<br>
□大乗仏典・中公文庫　3<br>
　八千頌般若経?<br>
□大乗仏典・中公文庫　7<br>
　維摩経・首楞厳経<br>
□大乗仏典・中公文庫　8<br>
　十地経<br>
□大乗仏典・中公文庫　12<br>
　如来蔵系経典<br>
□大乗仏典・中公文庫　14<br>
　龍樹論集<br>
□大乗仏典・中公文庫　15<br>
　世親論集<br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/oujyouin/archives/51552614.html">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第二弾</a><br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/2008-11.html#20081110">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第一弾</a>]]></content:encoded>
  </item>
  <item rdf:about="http://hide.noblog.net/blog/10858824.html">
    <title>
			「民主党の政権が抱える難問についての苦悩につきまして」
		</title>
    <link>http://hide.noblog.net/blog/10858824.html</link>
    <description>施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」 http://oujyouin.com/enginorikai.html 施本「仏教・空の理解から学ぶ」 http://oujyouin.com/topengi.htm 施本「仏教・空の理解」 http://oujyouin.com/sunyatop.htm 施本「仏教　〜　一枚の紙から考える　〜」 http://ouj...</description>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2009-10-19T18:13:59+09:00</dc:date>
    <content:encoded><![CDATA[施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/enginorikai.html">http://oujyouin.com/enginorikai.html</a><br>
施本「仏教・空の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/topengi.htm">http://oujyouin.com/topengi.htm</a><br>
施本「仏教・空の理解」<br>
<a href="http://oujyouin.com/sunyatop.htm">http://oujyouin.com/sunyatop.htm</a><br>
施本「仏教　〜　一枚の紙から考える　〜」<br>
<a href="http://oujyouin.com/buddhism1p.html">http://oujyouin.com/buddhism1p.html</a><br>
施本「佛の道」<br>
<a href="http://oujyouin.com/hotokenomichi.html">http://oujyouin.com/hotokenomichi.html</a><br>
<br>
これから更に仏教の学びを進めるための文献・第三弾<br>
<br>
<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/~sdaisin/">「現代仏教学を再生するためのホームページ」</a>の<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/cgi-bin/ezboard/sdaisin/1/">掲示板</a>の投稿内容。<br>
<br>
「民主党の政権が抱える難問についての苦悩につきまして」2009年10月18日<br>
<br>
・・少し以前に改めまして述べさせて頂きますとしながら、そのままになっておりました「民主党政権が抱える難問についての苦悩」につきましてでございます。既に2010年度・予算概算要求の段階にて壁にぶつかって混迷を来しているところでもありますが・・<br>
<br>
とにかく、政治の問題はすべからく「お金（税金）の使い道」に通じるところでございます。私たちの「税金」は公共サービス（防衛・司法・消防、公共事業など）の確保、所得格差是正の措置（福祉・社会保障制度）、経済景気の調整の三つのために使われるべきですが、結局は政治権力により、一部の者の利益のために歪められて使われることが多くあるのが現実でございます・・<br>
<br>
税金の使い道について、公共性・平等性を担保させるために国民ができることは「選挙」によっての是正であり、今回はようやく政権交代により、その是正効果が望める結果となった次第ではありますが・・<br>
<br>
しかし、時既に遅く、戦後五十五年体制の自民政権下で大きく歪められた税金の使い道の公共性・平等性の担保を正常に戻すことは非常に難しくなってしまっています。<br>
<br>
その要因は色々とありますが、一番はあまりに膨れあがってしまった借金（赤字国債）問題であります。これによって民主政権の政策も誠に金縛りにあってしまったように身動きが取れなくなってしまっています・・<br>
<br>
このあたりのことは拙著「誇れる社会のために」において「為替介入」を題材として主に取り上げて述べさせて頂いていることでもありますが、奥に控えているモラル低下の問題の根本を解決させずに（一部の者を救うための）公的資金という名の麻酔薬を打ち続けて（更にモラルの低下を招き）、一時しのぎの対策に終始することから離れない限り、いずれ国債の発行がうまくいかず、やがて著しい（入札の）未達が起これば、国債の信用は一気に低下し、最悪の事態を迎えることになる日は近いかと思われます。<br>
<br>
経済・金融のことにつきましては、私よりもかつて都市銀行の取締役までお務めになられました島村大心師様の方がはるかにお詳しいことであるかとは存じますので、この掲示板にて私が経済・金融について触れさせて頂くことも実におこがましいことではございますが・・<br>
<br>
主に私は経済・金融の学びにつきましては、<br>
<br>
経済コラムマガジン・荒井彰氏<br>
http://www.adpweb.com/eco/<br>
<br>
にて進めさせて頂いております。数少ない良識ある民間経済論者ではないかと存じております。<br>
<br>
もう少し掘り下げて学ぶ場合は、やや全体的に右よりの懸念もございますが、<br>
<br>
日本経済再生政策提言フォーラム<br>
http://homepage2.nifty.com/niwaharuki/<br>
<br>
におけます各論考、更に少し世界の金融の裏側を深く学びたい場合は、<br>
<br>
「反ロスチャイルド同盟」<br>
http://www.anti-rothschild.net/<br>
<br>
そして、少し過激な言論活動が展開されているところがございますが、真偽の程の扱いは注意しなければならないところですが、情報収集の参考の一つとして、<br>
<br>
「東海アマチュア無線地震予知研究会」<br>
http://www1.odn.ne.jp/~cam22440/<br>
<br>
が参考になるかと存じます。<br>
<br>
・・ここまで。<br>
<br>
「講座仏教思想〈第2巻〉認識論・論理学」を読み進め中。<br>
<br>
<a href="http://buddhism.sns.fc2.com/">仏教談話ネットワーク</a>・コミュニティ<a href="http://buddhism.sns.fc2.com/exec/community/view/community/2047/">「中観思想・学びのすすめ」</a>におきましては、管理人でもありコミュニティに参加されておられます<a href="http://kongou-koji.tea-nifty.com/blog/">金剛居士さん</a>とのやり取りが続いております。仏教哲理に深く精通されておられます金剛居士さんからはいつも色々と助けられて教えられることばかりでございます。<br>
<br>
・・<br>
<br>
『「A」と主張する者は、非「A」という前提において言えていることである。「A」と主張する者は、非「A」ということを認めていることになってしまう。「A」はない。』同様に、『「非A」と主張する者は、「A」という前提において言えていることである。「非A」と主張する者は、「A」ということを認めていることになってしまう。「非A」はない。』<br>
<br>
とにかく、「A」には、名称・言語・文章のみならず、思考・観念・論理・認識などいくらでも代入していけますし、また無限に展開していく論にもなって参ります・・<br>
<br>
また、この論は、あくまでも「A」が固定でき、決定していてこそ言えるものであり、そもそも「A」そのものが固定・決定できるものであるのかどうかが問題であります。一応は仮に「A」というものを固定・決定してという前提が必要となります。もちろん、仮は所詮、仮に過ぎません。<br>
<br>
また、もしも「A」というものが、止めれて、固定・決定できたとしても、結局は論そのもの自体が成り立たなくなってしまいます・・<br>
<br>
「一秒前の私と今の（瞬間の）私は私なのか、違う私なのか」の問いも、あくまで仮に私と一瞬が止めれて、固定・決定してこそにおいて言えるものであり、また、そもそも私と一瞬が止めれて、固定・決定できるものであるのかどうかも問題であり、仮にもしも、止めれて、固定・決定できたとしても、結局は問い自体が成り立たなくなってしまいます・・<br>
<br>
しいて述べさせて頂くならば、上記の論の「A」には、もちろん、仏教思想全般にわたるいかなる論であっても代入でき、この論自体も例外ではなく、そうなります。論自体が論そのものを否定する論ということとなります。<br>
<br>
上記の論は、改めて言語活動の虚妄性を示すという意義はあるかとは思いますが、しかし十分ではないとも考えております。<br>
<br>
・・<br>
<br>
仏教認識論理学は誠に難解でありますが、仏教思想を一から学び直す中で、しっかりと学ばねばならないと、ようやくに関係論著を読み進めている次第でございます。もちろんまだまだただ目で読み進めているだけでありますが・・<br>
<br>
とにかく、「一秒前の私と今の（瞬間の）私は私なのか、違う私なのか」という基本的な疑問について法話にて確実に答えるために仏教認識論理学の論考は避けて通れないところでございます。<br>
<br>
「不常不断・不一不異・非連続の連続・・刹那滅論証・・」<br>
<br>
ダルマキールティ論師の瞬間的存在性論証（刹那滅論証）は、（あくまでも世俗諦としてではあるかと存じますが）上記の疑問に答えるための最大の論証であると考えております。<br>
<br>
「ダルマキールティの瞬間的存在性論証（刹那滅論証）」において意図するところは、仏教認識論理学（主に唯識思想）と仏教思考論理学（主に中観思想）の統合的理解を目指したものであると存じますので、中観思想と唯識思想の論理、また中観思想における自立論証派・帰謬論証派、唯識思想における有形象唯識論、無形象唯識論の論理発展についても学ぶことができるため、非常に理解することには難解さを極めますが、「ダルマキールティの瞬間的存在性論証（刹那滅論証）」を学べば、仏教の論理学体系をほぼ学ぶことができるのではないであろうかと考えております。<br>
<br>
・・<br>
<br>
中観思想の論理について改めて学び直すために、『「空」の構造」-「中論」の論理』立川武蔵著・第三文明社を急遽再読を終えました。<br>
<br>
縁起は、時空的因果関係と即非の論理（Ａと非Ａ）により表されるものであると改めて確認できました。論理的縁起は、即非の論理（Ａと非Ａ）にてもっとしっかりと論じる必要があったと反省致しております。<br>
<br>
「龍樹造「方便心論」の研究」を読み終えました。いわゆるインド論理学・因明学の発展を知る上で重要な書の一つであると存じます。また詳しい感想は後日に。<br>
<br>
石飛先生は、「縁起とは、因果関係ではなく相依相関を意味している」という解釈は誤解に基づくものであると考えておられます。現在の私の「縁起」の捉え方は、時間的縁起・空間的縁起・論理的縁起として、時空的縁起は因果関係を扱って説明するものですが、最終的には論理的縁起としての相依相関性の方を重視しております。石飛先生の説かれる「縁起」とは一体どういうものであるのか・・とにかくまだまだ考察して参りたい存じます。<br>
<br>
石飛道子先生のインド論理学・インド哲学、龍樹論師・中観思想についての論考は実にいつも興味深いものがあります。目下注目の碩学でございます。<br>
<a href="http://homepage1.nifty.com/manikana/">http://homepage1.nifty.com/manikana/</a><br>
<br>
一つには、唯識思想における「依他起性の仮有」・「真如の実有」と、ツォンカパ・ラマの中観思想における「言説有」との相似・相違点の整理を自分なりにして参りたいと存じております。<br>
<br>
ツォンカパ・ラマは、チベット仏教・ゲルク派（黄帽派）の開祖であります。現在のゲルク派の（観音菩薩様）化身ラマは、ダライ・ラマ14世でございます。ツォンカパ・ラマは中観帰謬論証派の論師でもあり、チベット仏教教学を大成しました。龍樹論師以来の中観思想・空の思想をどのように発展させていったのかを更に詳しく学んで参りたいと存じます。<br>
<br>
→「講座仏教思想〈第2巻〉認識論・論理学」<br>
　三枝充悳著・理想社<br>
○○『「無常」の哲学―ダルマキールティと刹那滅』<br>
　谷貞志著・春秋社<br>
○「「空」の構造」-「中論」の論理」<br>
　立川武蔵著・第三文明社<br>
○「龍樹造「方便心論」の研究」<br>
　石飛道子著・山喜房仏書林<br>
○「ブッダの優しい論理学―縁起で学ぶ上手なコミュニケーション法 」<br>
　石飛道子著・サンガ<br>
△○○「ブッダと龍樹の論理学―縁起と中道」<br>
　石飛道子著・サンガ<br>
○○「ブッダ論理学五つの難問」<br>
　石飛道子著・講談社<br>
○「龍樹と、語れ!―『方便心論』の言語戦略」<br>
　石飛道子著・大法輪閣<br>
○○△「ツォンカパの中観思想―ことばによることばの否定」<br>
　四津谷孝道著・大蔵出版<br>
○○△「チャンドラキールティの中観思想」<br>
　岸根敏幸著・大東出版社<br>
△△○「中観と唯識」<br>
　長尾雅人著・岩波書店<br>
○「チベット仏教哲学」<br>
　松本史朗著・大蔵出版<br>
▽「中観と空1・梶山雄一著作集4」<br>
　梶山雄一著・御牧克己編・春秋社<br>
▽「空と中観」<br>
　江島惠教著・春秋社<br>
<br>
いつも、<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/~sdaisin/">「現代仏教学を再生するためのホームページ」</a>の<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/cgi-bin/ezboard/sdaisin/1/">掲示板</a>にて議論させて頂いておりますＳ・イマムラ先生が<a href="http://www016.upp.so-net.ne.jp/jikuron/bukkyo/">「C点による仏教論」</a>を著されました。C点と仏教の真摯なるご論考でございますので、是非、皆様方もお読み頂けましたらと存じます。<br>
<br>
「C点による仏教論」<br>
<a href="http://www016.upp.so-net.ne.jp/jikuron/bukkyo/">http://www016.upp.so-net.ne.jp/jikuron/bukkyo/</a><br>
<br>
読書の進捗状況<br>
（→・進行中　○・読み終え　○の数・一通り読んだ回数　△・中途停止　▽・読み進める前　□・随時参照）<br>
<br>
△○「中観と唯識」<br>
　長尾雅人著・岩波書店<br>
△「日本仏教の思想　受容と変容の千五百年史」(講談社現代新書)<br>
　立川武蔵著・講談社<br>
○「わかる仏教史」<br>
　宮元啓一著・春秋社<br>
▽「涅槃経―如来常住と悉有仏性」 (サーラ叢書 26)<br>
　横超慧日著・平楽寺書店<br>
▽「中観と空1・梶山雄一著作集4」<br>
　梶山雄一著・御牧克己編・春秋社<br>
▽「空と中観」<br>
　江島惠教著・春秋社<br>
▽「般若思想史」ワイド版版<br>
　山口益著・法蔵館<br>
△△△「講座・大乗仏教　認識論と論理学」<br>
　春秋社<br>
▽「道元と仏教―十二巻本『正法眼蔵』の道元」<br>
　袴谷憲昭著・大蔵出版<br>
▽「道元思想論」<br>
　松本史朗著・大蔵出版<br>
▽「仏教への道」<br>
　松本史朗著・東京書籍<br>
▽「法然親鸞思想論」<br>
　松本史朗著・大蔵出版<br>
▽「法然と明恵―日本仏教思想史序説」<br>
　袴谷憲昭著・大蔵出版<br>
▽「仏性思想の展開」<br>
　奥野光賢著・大蔵出版<br>
▽「天台学―根本思想とその展開」<br>
　安藤俊雄著・平楽寺書店<br>
▽「台密教学の研究」<br>
　大久保良峻著・法蔵館<br>
▽「本覚思想の源流と展開」<br>
　浅井円道著・平楽寺書店<br>
▽「天台教学と本覚思想」<br>
　大久保良峻著・法蔵館<br>
▽「最澄と天台本覚思想―日本精神史序説」<br>
　栗田勇著・作品社<br>
▽「アーラヤ的世界とその神―仏教思想像の転回」<br>
　津田真一著・大蔵出版<br>
▽「反密教学」<br>
　改訂版・津田真一著・春秋社<br>
▽「禅思想の批判的研究」<br>
　松本史朗著・大蔵出版<br>
▽「インド哲学七つの難問 (講談社選書メチエ)」<br>
　 宮元啓一著・講談社<br>
▽「華厳五教章」<br>
　鎌田茂雄著・大蔵出版<br>
▽「「華厳経」を読む (仏典を読むシリーズ) 」<br>
　西本照真著・武蔵野大学編纂・角川学芸出版<br>
△「和訳 華厳経」<br>
　鎌田茂雄著・東京美術<br>
▽「華厳禅の思想史的研究」<br>
　吉津宜英著・大東出版社<br>
△「唯識説を中心とした初期華厳教学の研究―智儼・義湘から法蔵へ」<br>
　大竹晋著・大蔵出版<br>
▽「華厳思想 (講座・大乗仏教)」<br>
　平川彰編集・梶山雄一編集・春秋社<br>
▽「浄土思想 (講座・大乗仏教)」<br>
　梶山雄一編集・高崎直道編集・春秋社<br>
▽「法華経の七つの譬喩―初めて学ぶ『法華経』(レグルス文庫 (207))」<br>
　菅野博史著・第三文明社<br>
▽「図説 法華経大全―「妙法蓮華経全二十八品」現代語訳総解説 (エソテリカ・セレクション)」<br>
　大角修翻訳・学習研究社<br>
△「初期大乗と法華思想 (平川彰著作集)」<br>
　平川彰著・春秋社<br>
▽「法華経思想史から学ぶ仏教」<br>
　菅野博史著・大蔵出版<br>
▽「密教 (岩波新書)」<br>
　松長有慶著・岩波書店<br>
▽「観音経講話 (講談社学術文庫 ) 」<br>
　鎌田茂雄著・講談社<br>
▽「般若心経講話 (講談社学術文庫) 」<br>
　鎌田茂雄著・講談社<br>
▽「理趣経 (中公文庫BIBLIO)」<br>
　松長有慶著・中央公論新社<br>
▽「最澄と空海―日本仏教思想の誕生 (講談社選書メチエ) 」<br>
　立川武蔵著・講談社<br>
▽「密教概論」<br>
　高神覚昇著・大法輪閣<br>
▽「正法眼蔵随聞記講話」<br>
　鎌田茂雄著・講談社<br>
▽「古仏のまねび「道元」」<br>
　高崎直道著・梅原猛著・角川書店<br>
▽「生命の海「空海」」<br>
　宮坂宥勝著・梅原猛著・角川書店<br>
▽「絶望と歓喜「親鸞」」<br>
　増谷文雄著・梅原猛著・角川書店<br>
▽「密教の思想」<br>
　立川武蔵著・吉川弘文館<br>
▽「密教・自心の探求―『菩提心論』を読む」<br>
　生井智紹著・大法輪閣<br>
▽「『華厳経』『楞伽経』 (現代語訳大乗仏典)」<br>
　中村元著・東京書籍<br>
▽「「正法眼蔵」を読む―現代を生き抜く一二〇の知恵」<br>
　秋月龍&#33802;著・PHP研究所<br>
▽「『金剛頂経』入門―即身成仏への道 」<br>
　頼富本宏著・大法輪閣<br>
▽「『大日経』入門―慈悲のマンダラ世界」<br>
　頼富本宏著・大法輪閣<br>
▽「知の教科書 密教」<br>
　正木晃著・講談社<br>
▽「密教の哲学」<br>
　金岡秀友著・講談社<br>
▽「空海の思想的展開の研究」<br>
　藤井淳著・トランスビュー<br>
○「絶対無と場所―鈴木禅学と西田哲学」<br>
　秋月龍&#33802;著・青土社<br>
▽「西田哲学への導き―経験と自覚」<br>
　上田閑照著・岩波書店<br>
○「西田幾多郎の思想」<br>
　小坂国継著・講談社<br>
▽「西田哲学の根本問題」<br>
　滝沢克己著・小林孝吉編集・こぶし書房<br>
△「仏教的立場から西田哲学への理解」<br>
　増田鷹雄著・三崎堂<br>
○「西田幾多郎―生きることと哲学」<br>
　藤田正勝著・岩波書店<br>
▽「西田幾多郎とは誰か」<br>
　上田閑照著・岩波書店<br>
○「絶対無の哲学―西田哲学研究入門」<br>
　花岡永子著・世界思想社<br>
△「絶対無の哲学―西田哲学の継承と体系化」<br>
　根井康之著・農山漁村文化協会<br>
▽「西田哲学の世界―あるいは哲学の転回」<br>
　大橋良介著・筑摩書房<br>
▽「歴史的現実と西田哲学―絶対的論理主義とは何か」<br>
　板橋勇仁著・法政大学出版局<br>
○「西田哲学の再構築―その成立過程と比較思想」<br>
　平山洋著・ミネルヴァ書房<br>
▽「ホワイトヘッドと西田哲学の“あいだ”―仏教的キリスト教哲学の構想」<br>
　延原時行著・法蔵館<br>
○「時間幻想―西田哲学からの出発」<br>
　重久俊夫著・中央公論事業出版<br>
○「「自己」の哲学―ウィトゲンシュタイン・鈴木大拙・西田幾多郎」<br>
　黒崎宏著・春秋社<br>
△「西田哲学の論理と方法―徹底的批評主義とは何か」<br>
　板橋勇仁著・法政大学出版局<br>
○「西田幾多郎と仏教―禅と真宗の根底を究める」<br>
　竹村牧男著・大東出版社<br>
○「サクラは何色ですか?―西田幾多郎の思想」<br>
　大沢正人著・現代書館<br>
△「「自己と世界」の問題―絶対無の視点から」<br>
　花岡永子著・現代図書<br>
○「現代思想としての西田幾多郎」<br>
　藤田正勝著・講談社  <br>
▽「絶対無と神―京都学派の哲学」<br>
　小野寺功著・春風社<br>
▽「仏教とキリスト教」<br>
　滝沢克己著・法蔵館<br>
▽「場所論としての宗教哲学―仏教とキリスト教の交点に立って」<br>
　八木誠一著・法蔵館 <br>
△「時間と絶対と相対と ―運命論から何を読み取るべきか」<br>
　入不二基義著・勁草書房 <br>
▽「過程と実在〈1〉コスモロジーへの試論」<br>
　アルフレッド・ノース ホワイトヘッド (著), Alfred North Whitehead (原著), 平林 康之 (翻訳) ・みすず書房<br>
▽「過程と実在〈2〉コスモロジーへの試論」<br>
　アルフレッド・ノース ホワイトヘッド (著), Alfred North Whitehead (原著), 平林 康之 (翻訳) ・みすず書房<br>
▽「『正法眼蔵』を読む 存在するとはどういうことか」<br>
　南直哉著・講談社<br>
▽「道元入門」<br>
　秋月龍&#33802;著・講談社<br>
▽「鈴木大拙」<br>
　秋月龍&#33802;著・講談社<br>
▽「相対主義の極北」<br>
　入不二基義著・筑摩書房<br>
○「足の裏に影はあるか? ないか? 哲学随想」<br>
　入不二基義著・朝日出版社<br>
▽「時間は実在するか」<br>
　入不二基義著・講談社 <br>
○「ホワイトヘッドの哲学」<br>
　中村昇著・講談社<br>
▽「知の教科書 論理の哲学」<br>
　飯田隆編集・講談社<br>
○△「「無常」の哲学―ダルマキールティと刹那滅」<br>
　谷貞志著・春秋社<br>
▽「徳一と最澄―もう一つの正統仏教」<br>
　高橋富雄著・中央公論社<br>
▽「無の探求「中国禅」―仏教の思想〈7〉」<br>
　柳田聖山著・梅原猛著・角川書店<br>
▽「絶対の真理「天台」―仏教の思想〈5〉」<br>
　田村芳朗著・梅原猛著・角川書店<br>
▽「法然対明恵―鎌倉仏教の宗教対決」<br>
　町田宗鳳著・講談社<br>
▽「仏教講義―根本仏教と大乗仏教の会通を語る」<br>
　増谷文雄著・佼成出版社<br>
▽「中論」改訂版<br>
　ナーガールジュナ（竜樹尊者）著・西嶋（愚道）和夫訳・金沢文庫<br>
▽「根本的な中論の歌―釈尊の教えは実在論である」<br>
　ナーガールジュナ著・西嶋和夫翻訳・金沢文庫<br>
▽「大乗仏典」<br>
　長尾雅人責任編集・中央公論社<br>
▽「無心ということ」<br>
　鈴木大拙著・角川ソフィア文庫<br>
▽「禅とは何か」<br>
　鈴木大拙著・角川ソフィア文庫<br>
▽「禅」<br>
　鈴木大拙著・ちくま文庫<br>
▽「禅と唯識―悟りの構造」<br>
　竹村牧男著・大法輪閣<br>
▽「唯識思想論考」<br>
　袴谷憲昭著・大蔵出版<br>
▽「唯識とは何か―『法相二巻抄』を読む」<br>
　横山紘一著・春秋社<br>
▽「大智度論講述」<br>
　宇野順治著・永田文昌堂<br>
▽「大乗としての浄土―空・唯識から念仏へ」<br>
　山口益著・大法輪閣<br>
▽「唯識の探求 『唯識三十頌を読む』」<br>
　竹村牧男著・春秋社<br>
▽「講座・大乗仏教　大乗仏教とその周辺」<br>
　春秋社<br>
▽「門無き門より入れ―精読『無門関』」<br>
　山田史生著・大蔵出版<br>
○「唯識でよむ般若心経―空の実践」<br>
　横山紘一著・大法輪閣<br>
▽「入門 哲学としての仏教」<br>
　竹村牧男著・講談社<br>
○「僧侶と哲学者―チベット仏教をめぐる対話」<br>
　ジャン=フランソワルヴェル著、マチウリカール著・新評論<br>
○「掌の中の無限―チベット仏教と現代科学が出会う時」<br>
　マチウリカール著、チンスアン・トゥアン著・新評論<br>
▽「理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性」<br>
　高橋昌一郎著・講談社<br>
▽「ゲーデルの哲学―不完全性定理と神の存在論」<br>
　高橋昌一郎著・講談社 <br>
□大乗仏典・中公文庫　1<br>
　般若部経典・金剛般経<br>
□大乗仏典・中公文庫　2<br>
　八千頌般若経?<br>
□大乗仏典・中公文庫　3<br>
　八千頌般若経?<br>
□大乗仏典・中公文庫　7<br>
　維摩経・首楞厳経<br>
□大乗仏典・中公文庫　8<br>
　十地経<br>
□大乗仏典・中公文庫　12<br>
　如来蔵系経典<br>
□大乗仏典・中公文庫　14<br>
　龍樹論集<br>
□大乗仏典・中公文庫　15<br>
　世親論集<br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/oujyouin/archives/51552614.html">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第二弾</a><br>
<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/2008-11.html#20081110">これから更に仏教の学びを進めるための文献・第一弾</a>]]></content:encoded>
  </item>
  <item rdf:about="http://hide.noblog.net/blog/10858165.html">
    <title>
			「講座仏教思想〈第2巻〉認識論・論理学」を読み進め中
		</title>
    <link>http://hide.noblog.net/blog/10858165.html</link>
    <description>施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」 http://oujyouin.com/enginorikai.html 施本「仏教・空の理解から学ぶ」 http://oujyouin.com/topengi.htm 施本「仏教・空の理解」 http://oujyouin.com/sunyatop.htm 施本「仏教　〜　一枚の紙から考える　〜」 http://ouj...</description>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2009-10-18T17:37:59+09:00</dc:date>
    <content:encoded><![CDATA[施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/enginorikai.html">http://oujyouin.com/enginorikai.html</a><br>
施本「仏教・空の理解から学ぶ」<br>
<a href="http://oujyouin.com/topengi.htm">http://oujyouin.com/topengi.htm</a><br>
施本「仏教・空の理解」<br>
<a href="http://oujyouin.com/sunyatop.htm">http://oujyouin.com/sunyatop.htm</a><br>
施本「仏教　〜　一枚の紙から考える　〜」<br>
<a href="http://oujyouin.com/buddhism1p.html">http://oujyouin.com/buddhism1p.html</a><br>
施本「佛の道」<br>
<a href="http://oujyouin.com/hotokenomichi.html">http://oujyouin.com/hotokenomichi.html</a><br>
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これから更に仏教の学びを進めるための文献・第三弾<br>
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「講座仏教思想〈第2巻〉認識論・論理学」を読み進め中。<br>
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<a href="http://buddhism.sns.fc2.com/">仏教談話ネットワーク</a>・コミュニティ<a href="http://buddhism.sns.fc2.com/exec/community/view/community/2047/">「中観思想・学びのすすめ」</a>におきましては、管理人でもありコミュニティに参加されておられます<a href="http://kongou-koji.tea-nifty.com/blog/">金剛居士さん</a>とのやり取りが続いております。仏教哲理に深く精通されておられます金剛居士さんからはいつも色々と助けられて教えられることばかりでございます。<br>
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『「A」と主張する者は、非「A」という前提において言えていることである。「A」と主張する者は、非「A」ということを認めていることになってしまう。「A」はない。』同様に、『「非A」と主張する者は、「A」という前提において言えていることである。「非A」と主張する者は、「A」ということを認めていることになってしまう。「非A」はない。』<br>
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とにかく、「A」には、名称・言語・文章のみならず、思考・観念・論理・認識などいくらでも代入していけますし、また無限に展開していく論にもなって参ります・・<br>
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また、この論は、あくまでも「A」が固定でき、決定していてこそ言えるものであり、そもそも「A」そのものが固定・決定できるものであるのかどうかが問題であります。一応は仮に「A」というものを固定・決定してという前提が必要となります。もちろん、仮は所詮、仮に過ぎません。<br>
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また、もしも「A」というものが、止めれて、固定・決定できたとしても、結局は論そのもの自体が成り立たなくなってしまいます・・<br>
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「一秒前の私と今の（瞬間の）私は私なのか、違う私なのか」の問いも、あくまで仮に私と一瞬が止めれて、固定・決定してこそにおいて言えるものであり、また、そもそも私と一瞬が止めれて、固定・決定できるものであるのかどうかも問題であり、仮にもしも、止めれて、固定・決定できたとしても、結局は問い自体が成り立たなくなってしまいます・・<br>
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しいて述べさせて頂くならば、上記の論の「A」には、もちろん、仏教思想全般にわたるいかなる論であっても代入でき、この論自体も例外ではなく、そうなります。論自体が論そのものを否定する論ということとなります。<br>
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上記の論は、改めて言語活動の虚妄性を示すという意義はあるかとは思いますが、しかし十分ではないとも考えております。<br>
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仏教認識論理学は誠に難解でありますが、仏教思想を一から学び直す中で、しっかりと学ばねばならないと、ようやくに関係論著を読み進めている次第でございます。もちろんまだまだただ目で読み進めているだけでありますが・・<br>
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とにかく、「一秒前の私と今の（瞬間の）私は私なのか、違う私なのか」という基本的な疑問について法話にて確実に答えるために仏教認識論理学の論考は避けて通れないところでございます。<br>
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「不常不断・不一不異・非連続の連続・・刹那滅論証・・」<br>
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ダルマキールティ論師の瞬間的存在性論証（刹那滅論証）は、（あくまでも世俗諦としてではあるかと存じますが）上記の疑問に答えるための最大の論証であると考えております。<br>
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「ダルマキールティの瞬間的存在性論証（刹那滅論証）」において意図するところは、仏教認識論理学（主に唯識思想）と仏教思考論理学（主に中観思想）の統合的理解を目指したものであると存じますので、中観思想と唯識思想の論理、また中観思想における自立論証派・帰謬論証派、唯識思想における有形象唯識論、無形象唯識論の論理発展についても学ぶことができるため、非常に理解することには難解さを極めますが、「ダルマキールティの瞬間的存在性論証（刹那滅論証）」を学べば、仏教の論理学体系をほぼ学ぶことができるのではないであろうかと考えております。<br>
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中観思想の論理について改めて学び直すために、『「空」の構造」-「中論」の論理』立川武蔵著・第三文明社を急遽再読を終えました。<br>
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縁起は、時空的因果関係と即非の論理（Ａと非Ａ）により表されるものであると改めて確認できました。論理的縁起は、即非の論理（Ａと非Ａ）にてもっとしっかりと論じる必要があったと反省致しております。<br>
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「龍樹造「方便心論」の研究」を読み終えました。いわゆるインド論理学・因明学の発展を知る上で重要な書の一つであると存じます。また詳しい感想は後日に。<br>
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石飛先生は、「縁起とは、因果関係ではなく相依相関を意味している」という解釈は誤解に基づくものであると考えておられます。現在の私の「縁起」の捉え方は、時間的縁起・空間的縁起・論理的縁起として、時空的縁起は因果関係を扱って説明するものですが、最終的には論理的縁起としての相依相関性の方を重視しております。石飛先生の説かれる「縁起」とは一体どういうものであるのか・・とにかくまだまだ考察して参りたい存じます。<br>
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石飛道子先生のインド論理学・インド哲学、龍樹論師・中観思想についての論考は実にいつも興味深いものがあります。目下注目の碩学でございます。<br>
<a href="http://homepage1.nifty.com/manikana/">http://homepage1.nifty.com/manikana/</a><br>
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一つには、唯識思想における「依他起性の仮有」・「真如の実有」と、ツォンカパ・ラマの中観思想における「言説有」との相似・相違点の整理を自分なりにして参りたいと存じております。<br>
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ツォンカパ・ラマは、チベット仏教・ゲルク派（黄帽派）の開祖であります。現在のゲルク派の（観音菩薩様）化身ラマは、ダライ・ラマ14世でございます。ツォンカパ・ラマは中観帰謬論証派の論師でもあり、チベット仏教教学を大成しました。龍樹論師以来の中観思想・空の思想をどのように発展させていったのかを更に詳しく学んで参りたいと存じます。<br>
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→「講座仏教思想〈第2巻〉認識論・論理学」<br>
　三枝充悳著・理想社<br>
○○『「無常」の哲学―ダルマキールティと刹那滅』<br>
　谷貞志著・春秋社<br>
○「「空」の構造」-「中論」の論理」<br>
　立川武蔵著・第三文明社<br>
○「龍樹造「方便心論」の研究」<br>
　石飛道子著・山喜房仏書林<br>
○「ブッダの優しい論理学―縁起で学ぶ上手なコミュニケーション法 」<br>
　石飛道子著・サンガ<br>
△○○「ブッダと龍樹の論理学―縁起と中道」<br>
　石飛道子著・サンガ<br>
○○「ブッダ論理学五つの難問」<br>
　石飛道子著・講談社<br>
○「龍樹と、語れ!―『方便心論』の言語戦略」<br>
　石飛道子著・大法輪閣<br>
○○△「ツォンカパの中観思想―ことばによることばの否定」<br>
　四津谷孝道著・大蔵出版<br>
○○△「チャンドラキールティの中観思想」<br>
　岸根敏幸著・大東出版社<br>
△△○「中観と唯識」<br>
　長尾雅人著・岩波書店<br>
○「チベット仏教哲学」<br>
　松本史朗著・大蔵出版<br>
▽「中観と空1・梶山雄一著作集4」<br>
　梶山雄一著・御牧克己編・春秋社<br>
▽「空と中観」<br>
　江島惠教著・春秋社<br>
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いつも、<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/~sdaisin/">「現代仏教学を再生するためのホームページ」</a>の<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/cgi-bin/ezboard/sdaisin/1/">掲示板</a>にて議論させて頂いておりますＳ・イマムラ先生が<a href="http://www016.upp.so-net.ne.jp/jikuron/bukkyo/">「C点による仏教論」</a>を著されました。C点と仏教の真摯なるご論考でございますので、是非、皆様方もお読み頂けましたらと存じます。<br>
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「C点による仏教論」<br>
<a href="http://www016.upp.so-net.ne.jp/jikuron/bukkyo/">http://www016.upp.so-net.ne.jp/jikuron/bukkyo/</a><br>
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読書の進捗状況<br>
（→・進行中　○・読み終え　○の数・一通り読んだ回数　△・中途停止　▽・読み進める前　□・随時参照）<br>
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△○「中観と唯識」<br>
　長尾雅人著・岩波書店<br>
△「日本仏教の思想　受容と変容の千五百年史」(講談社現代新書)<br>
　立川武蔵著・講談社<br>
○「わかる仏教史」<br>
　宮元啓一著・春秋社<br>
▽「涅槃経―如来常住と悉有仏性」 (サーラ叢書 26)<br>
　横超慧日著・平楽寺書店<br>
▽「中観と空1・梶山雄一著作集4」<br>
　梶山雄一著・御牧克己編・春秋社<br>
▽「空と中観」<br>
　江島惠教著・春秋社<br>
▽「般若思想史」ワイド版版<br>
　山口益著・法蔵館<br>
△△△「講座・大乗仏教　認識論と論理学」<br>
　春秋社<br>
▽「道元と仏教―十二巻本『正法眼蔵』の道元」<br>
　袴谷憲昭著・大蔵出版<br>
▽「道元思想論」<br>
　松本史朗著・大蔵出版<br>
▽「仏教への道」<br>
　松本史朗著・東京書籍<br>
▽「法然親鸞思想論」<br>
　松本史朗著・大蔵出版<br>
▽「法然と明恵―日本仏教思想史序説」<br>
　袴谷憲昭著・大蔵出版<br>
▽「仏性思想の展開」<br>
　奥