経典は、真なる「仏智」を顕しうるのかどうか・・






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2013年08月03日(Sat)
経典は、真なる「仏智」を顕しうるのかどうか・・
経典は、真なる「仏智」を顕しうるのかどうか・・

1・・

都河普鉦師より、先日のFB拙投稿におけるコメント欄にて経典に関しての課題を賜りました。

『・・お経に就いてはこちらから調べるのではなく、経典作者の真意、法の力用の真意を如何に正しく承け取らせて戴くべきかが問題であろうと思われます。最近では「大乗経典は偽経である」というようなことがいろいろな処で取り沙汰されています。・・』

http://hasunoha.jp/questions/186

こちらの拙回答にては少しお経のことにつきまして触れさせて頂いておりますが、「大乗経典は偽経である」という意見に対しては真剣に考えていかなければならないと存じております。

2・・

経典は、真なる「仏智」を顕しうるのかどうか・・

拙生の見解と致しましては、龍樹大師・中論・「観四諦品」(第二十四・第八偈〜第十偈)『二つの真理(二諦)にもとづいて、もろもろのブッダの法(教え)の説示〔がなされている〕。〔すなわち〕、世間の理解としての真理(世俗諦)と、また最高の意義としての真理(勝義諦)とである。』、『およそ、これら二つの真理(二諦)の区別を知らない人々は、何びとも、ブッダの教えにおける深遠な真実義を、知ることがない。』、『〔世間の〕言語慣習に依拠しなくては、最高の意義は、説き示されない。最高の意義に到達しなくては、ニルヴァーナ(涅槃)は、証得されない。』の内容を鑑みさせて頂きまして、「世間の言語慣習に依拠しなくては、最高の意義は、説き示されない」とありますように、経典は、勝義諦を示すための便宜的な「月を指す指」として、仏説と言われている経典は、偽経説や創作説の有力なものも含めて、一応、全て経典として受け入れて理解を進めさせて頂くという姿勢ではございますが、いずれしても勝義諦である「仏智」の内実は言語道断・戯論寂滅の域であり、到底言語表現では顕せないところのものであって、問題は、いかにして勝義諦の了解へ向けて各経典を活かしていくべきかということに重きを置かせて頂いている次第でございます。

例えば、教相判釈して各仏説経典の内容の高低・優劣を価値判別したり、空性の真理を説いているものを「了義」として、それ以外は「未了義」として区分する方法などもございますが、いずれにしましても、最終的には言語道断・戯論寂滅なる勝義諦としての「空性」了解により仏智の内実を「自内証」致すところが、最も重要になると存じております。

各経典は、山登りで喩えるところの頂上を目指すための道しるべ・地図であり、そのルートも一つではなくていくつかある中にて、シェルパ・先導者(師)や仲間(法友)も伴いつつ、その道しるべ・地図を頼りにしてルートを取捨選択しながら頂上を目指して精進努力して登り行き、やがて実際に自らの足にて頂上に立たない限りは、本当の頂上がいかなるかは当然に理解できないということでもあります。

あくまでも経典は言語表現を伴う以上、世俗諦の域として留まるものでしかなく、一つの道しるべ・地図にしか過ぎないものではございますが、勝義諦(頂上)へと向けては欠かかせないものであるとして、慎重に、丁重に吟味して扱っていく必要があるのではないかと存じております。

3・・

補足として、経典が如来により顕されていない以上、編者の境地次第によって表現・内容の相違があるのは、ある程度否めないことにはなるかと存じております。

山登りの例でも、3合目、5合目、8合目に達したところ、そこでの境地としての「道しるべ」である可能性もあれば、もちろん経典編者が頂上に辿り着いていて、そこから改めての3合目、5合目、8合目においての「道しるべ」であることも考えられます。

経典編者が「如来」の境地に達した上にて示せているのか、そうでないのか、あるいは如来の境地を想像して示しているのか、これらは重大な差異のある問題であります。

正直なところ、経典編者が「如来」の境地に達した上にて、そこから示せているのかどうか・・実に難しいものであると言わざるを得ないとも存じております・・

顕せないものは、やはり顕せないですし、仮に顕せたとしても所詮は便宜的なものにならざるを得ないからでもあります・・

富士山の山頂に登ったことのない者に、富士山の山頂はああだ、こうだと表現して説明しても厳密に理解してもらうことは到底難しいように、正確に理解するには実際に山頂まで行ってもらうしかないのであります。

仏典・経典は、悟りという頂きへと目指すためのあくまでも便宜的なもの、「月を指す指」として扱うのがやはり妥当ではないだろうかと考えております。

4・・

悟ってもいないのに、悟ったつもりになり、経典の真偽を推し量ろうとするのは、確かに増上慢を免れないかとは存じます。ただ、明らかな間違いと誰もが思うような内容や、現代においてはどう考えてもおかしい内容があっても、全ての仏典・経典は、無批判に無謬説に立って受け入れなければならないのか、全ての仏典・経典は正しいとして批判も検証の議論の余地も認めないとするのかは、少し別なようにも思う次第ではございます。逆に全ては正しいのだから全て当たり前に受け入れなさいと押し付けするのも高慢になるのではないかと危惧致すところではございます。非常に難しい問題であるかと存じております。

5・・

仏典・経典無謬説・・

無謬説の弊害は、原理主義・排他主義・独善主義・権威主義に陥る可能性があることが挙げられます。

更には、仏典・経典は、全て仏・如来の慈悲の顕れであるとして、無際限・無限定に如来の慈悲を根拠として引用しての楽観的な救済論への堕落、仏教を不要化させかねない楽観的な現実全面肯定論への堕落、仏教の修道論(智慧開発・善徳行・利他行・菩薩行)を無用化させかねない考え方への堕落といった弊害も考えられます。

拙生は、安易に仏典・経典無謬説を主張することは逆に危険であるという認識を持っております。

もちろん、無謬性と無誤性の検討も必要とするため、更に複雑な議論を要しますので、慎重に考えて参りたいと存じております。

6・・

一切が空であるこの世界において、モノ・コトの実体は決して捉えられない以上は、それが本当は何ものであるのかは真なるところ「語り得ないもの」でしかないはずなのであります。

自分という実体は何かと聞かれても誰も「これが私という実体です」として示せるものはどこを探しても見あたらないことからでも、このことは少しくは理解できるはずであります。

言葉・言語活動はあくまでも世間の慣習、世間の常識を頼りに、便宜的・一時的に「仮」として実体を捉えたつもりのものとして成り立っているだけであり、単語など名称も同じく単なる一時の「仮」のラベルでしかないのであります。

言葉・言語活動においては、本来一切は無自性なる空であるということをできる限りに理解しておかないと、煩悩などによる様々な弊害が生じてしまうこととなります。

もちろんこの世の存在は、「無」ではなく、確かに存在は存在しています。でもそのありようは、「縁起」にて成り立っている「空・無自性」なるありようなのであります。

仏典・経典があくまでも言葉・言語活動により表現されている以上は、同じく便宜的・一時的に「仮」として顕されているものであることを理解しておかなくてはならないと存じております。決していかなる内容であろうとも実体視してしまうことは避けなければならないのであります。

もちろん、「空」の了解とは一体どういう事態であるのかは、仏典・経典における言葉・言語活動による表現においても一応は仮に説明はできるのかもしれません。しかし、真なる「空」そのものの了解とは本当にいかなるかは決して表すことはできないのではないかと存じております。

それは、「一切は空・無自性である」ということへの実体視、とらわれさえも許されないということでもあります。

「勝義諦」は離言・言語道断・戯論寂滅の域にあるというのもこのためであります。もちろん、「世俗諦」を手がかりとして、「世俗諦」の限界も十分に理解した上にて、その域を目指すことが肝要であるのではないかと存じております。

「月を指す指」は指として「月」を指し示すことができたとしても、決して「月」そのものではないことには十分に注意しなければなりません。

そして、「指」の喩えが出てきましたので、「指」繋がりの追記として、「指」はあれやこれやと色々なモノを指し示せるとは言えども、決してその指自体を指し示すことはできない。自分自体を指せないものがどうして他のものを指すことができようか。「指すものは、指さない」。

川口英俊拝

・・

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/

お盆月に入り、忙しくなって参りますので、回答のペースはしばらく落ちることをご容赦下さいませ。

最新は下記問いに回答させて頂きました。

問い「退職理由について」
http://hasunoha.jp/questions/187

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

「拙回答の基本的な前提となる考え方について」
http://www.hide.vc/h1.html

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス・参加感想まとめ
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52127331.html

女性僧侶の方の登録も増えており、これから更に登録僧侶が増えることで、超宗派50名以上の僧侶での回答体制となれば、まさに解決できない問題など無いほどとなるのではないだろうかと存じております。

なぜならば、「三人寄れば文殊の知恵」と言うならば、「僧侶が五十人寄れば、如来の智慧」と言っても過言ではないでしょう(笑)

是非、また僧侶の皆様方におかれましては、ご登録のご検討を頂けましたらと存じております。どうか宜しくお願い申し上げます。

・・

「ボーズ・ビー・アンビシャス!!」開講10年・読売新聞記事
https://www.dropbox.com/s/0tcztsp5ms2fzzo/BBA読売.pdf

「ボーズ・ビー・アンビシャス!!」発足10周年 - ニュース:中外日報
http://www.chugainippoh.co.jp/religion/news/20130613-005.html

・・

全訳「入中論」再読開始。


仏教拙理解図式No.5

修正・補足・追記後のNo.6提示を予定しております。

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「勝義方便メモNo.8」82まで追記。

http://togetter.com/li/456916

No.7
http://togetter.com/li/442609

【チベット問題】

「自らを灯明と化した菩薩たちの願い」〜チベット問題・焼身抗議を考える〜
http://t.co/PwVvYWck

チベット問題・焼身抗議等の詳細情報は、チベットNOW@ルンタ・ダラムサラ通信・中原一博氏のブログが参照となります。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/

【チベット問題】(2013.6.21までまとめ)
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52131696.html

チベットが直面する問題 (2012年)
http://t.co/lavJOBR9

「偉大なる第十四世(ダライ・ラマ法王猊下)の長寿を祈願する如意自在王〔経〕」
http://t.co/BKpRZFZ6

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齋藤保高先生『ツォンカパのチベット密教』(大蔵出版)
http://rdor-sems.jp/index.php?ツォンカパのチベット密教

ツォンカパの中観思想研究の第一人者の碩学福田洋一教授
ツォンカパの中観思想研究ブログ
http://tsongkhapastudies.blogspot.jp/

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平成25年・春季彼岸施餓鬼法要 法話内容「供養について」
Ustreamにて録画・公開
http://www.ustream.tv/recorded/30149099

平成25年3月・春季彼岸施餓鬼法要配布用施本
「十三仏 追善供養を司る如来・菩薩たち」ネット公開
http://oujyouin.com/13butu.html

コラム「追善供養・功徳回向の考え方について」 1〜5
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52108201.html

2013.3.11 東日本大震災・犠牲者諸群各霊位・三回忌追善供養
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52120839.html

最近の仏教思想関係の主な考察についてのまとめ集
http://t.co/RZJudE4f

「お通夜式、お葬儀式の導師についての自省と自戒のために」(川口英俊拝)
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/ef5f6cca53cff32fb5fd1def4d9492e6

川口英俊の自動配信・デイリー自動情報収集ネット新聞
http://paper.li/hide1125/1307742529

「拙対外活動に関しましてのお知らせ(川口英俊拝)2013.1.26」
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/575ba7b05497e7ee3d893a2ab0c39bc3

・・

他、これまでの考察シリーズは下記をご参照下さいませ。
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51997575.html


   





カレンダ
2013年8月
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