『空と縁起と』〜仏教の存在論〜 川口英俊






2011年08月20日(Sat)
『空と縁起と』〜仏教の存在論〜 川口英俊
『空と縁起と』〜仏教の存在論〜 川口英俊
(平成23年度・秋季彼岸施餓鬼・配布資料)

 この度は、実際にこの「花瓶」を用いまして、仏教の存在論、仏教のモノの見方についてご説明致しましょう。この「花瓶」は突然に私の手元に現れたわけではありません。何も原因や条件を経ずにこの花瓶がここに存在するわけではなく、この花瓶が花瓶として存在するためには、様々な要素も集まり、また性質や属性、作用を備えなければならず、それらを無視してこの花瓶は成り立たないものであります。

 この花瓶の陶器は、当然に材料となる粘土があり、その粘土を捏ねて、轆轤(ろくろ)を回して形を整え、釉薬を用いて装飾し、窯で焼くなどの作業を経てできあがってきます。また、花瓶が花瓶として成り立つためには、胴は空洞の膨らみがあって、水を溜めることのできる性質・作用を持ち、花を生けるために先が細くなっての口ももちろん必要となります。

 そして、花瓶として実際に使われるためには、様々な流通過程に乗って、店頭に並び、そして、売る者と買う者の間での取引がある中で、この花瓶は私の手元にやってきたのであります。但し、私はリサイクルショップで210円にて購入してきたのですが(笑)。とにかく、この花瓶は色々な原因や条件、要素や性質、属性、作用などの集まりによってこのように存在することができています。このことを仏教では様々な依存関係、つまり「縁起」において存在は成り立っていると説明致します。依存関係には、三つの階層があり、第一に、「原因・条件と結果の依存関係」、第二に「部分と全体の依存関係」、第三に、私たちの「意識作用・概念作用・思惟分別作用によって仮名(けみょう)・仮説(けせつ)・仮設(けせつ)されるという依存関係」があります。第三の見解は中観帰謬(ちゅうがんきびゅう)論証派の見解で、少し難しいため、ここではあまり深くは踏み込まないでおきます。

 さて、少し話を戻しまして、この花瓶はこのまま花瓶として、固定して、独立して、単独で、一億年後も百億年後も永久永遠にあり得るモノと言えるでしょうか? そうではありませんね。また、様々な原因や条件によっては、もはや花瓶としては存在し得なくなってもゆきます。例えば、衝撃を与えてしまうという原因によって、結果として、粉々になってしまったものはもう花瓶とは言えません。また、物質は、長い時間の経過とともに劣化、風化(物理的風化・科学的風化)して分解されていく中において、いつまでも花瓶が花瓶として成り立つものでもないことも明らかであります。このように、様々な原因や条件により、事物が色々と変化していくことを「無常」と仏教では言います。「縁起」なるものは、「無常」でもあります。

 もしも、仮にこの花瓶が永久永遠にあり得る何らかの実体を持っているとすれば、この宇宙の始まる前からこの花瓶はこのままで私の手元にやってきて、そして、この宇宙が終わってもこの花瓶はこのまま存在し続けていなければいけませんが、そんなことがあり得ないのはもちろん言うまでもありません。それに、「花瓶」という存在は、人の手によって作られるもので、それも、花を生けるという慣習のある人間が作り出した造作物であり、もしも、高度な思考能力・知能を持っている人間のような生命が存在しなければ、当然に宇宙に存在するものでは無かったはずであります。

 また、先で例えば、もしも人間が絶滅すれば、人間の造作物であるモノは当然にも作られるものでなくなってしまうでしょう。人間が作り出して存在しているモノは、特に、人間の思考能力・知能に依存して成り立っているだけに過ぎないものとも言えます。もちろん、人間の作り出している存在だけではなく、全ての存在は、私たちの「意識作用・概念作用・思惟分別作用によって仮名(けみょう)・仮説(けせつ)・仮設(けせつ)によっての依存関係」で成り立っていると最終的に説明されるのですが、この見解の理解は難しいところもありますので、ひとまずここでは深くは踏み込まないままと致します。

 話を戻しまして、「花瓶」は様々な条件や原因、要素や性質、属性、作用などが集まって成り立っており、それらを一つ一つ分析しても「花瓶」としての実体は見当たりません。このことを仏教では「空」として説明致します。「花瓶」の実体だとして言えるものが実は何もないことを「空」というわけであります。もし、実体が有るとすれば、永久永遠に「花瓶」は「花瓶」として成り立ち、また、条件や原因を抜きにしても成り立たなければならず、更には、各部分(要素や性質、属性、作用)と全体、それぞれにおいて「花瓶」と言える実体も見いださなくてはいけませんが、全体のみならず、例えば「粘土」だけで、または、「水を溜めるという作用」だけで、それぞれ花瓶と言えるような実体が無いのは当たり前でもあり、また、各部分に依拠して全体があり、全体は各部分に依拠してあるという依存関係性でも成り立っているものの、そのどちらにも実体は何も当然見いだせないのであります。もちろん、「空」だとしても、何もない、存在しないという「無」・「虚無」・「絶無」ではありません。確かに皆さんの目の前に「花瓶」は存在しています。しかし、それは、実体として存在しているというわけではなくて、あくまでも「縁起」として存在しているということであります。

 このように、この世界においては、確かに一切には何にも実体は無く、「空」であり「有に非(あら)ず」でありますが、一方においては、一切は「縁起」によって成り立っている世界でもあり、「無に非ず」であります。この「非有・非無」の『中道』を理解することが仏教の存在論においては非常に重要となります。

 仏教の存在論、仏教のモノの見方は、このように「空」と「縁起」により調えられることとなります。では、仏教は、私たちの存在の捉え方の何を問題とするのでしょうか? それは、私たちの存在に対する「とらわれ」を問題とします。

 例えば、この花瓶に対して、私たちは様々に認識・価値判断をします。生け花を親しむ者にとっては興味ある存在、この花瓶を気に入った者は、ほしいという存在となり、気に入らない者にとっては、いらない存在、または、どうでもいい存在、骨董としての価値があると思う者は、財産としての存在、亡くなったおじいちゃんの形見であれば、大切な思い出としての存在・・と同じ存在を認識していたとしても、それぞれ多様に人は恣意的に認識・価値判断もしてゆきます。もちろん、花瓶という概念を学習していない赤ちゃんであれば、目の前にある単なるモノでしかなく、もちろん、蟻から見れば、目の前をふさぐ邪魔なモノ、象であれば石ころと変わらない程度のモノでしかないでしょう。

 もちろん、私たちは、ある一定の世間一般社会の共通認識、共通概念、共通名称によってモノを判断するための定義付けを行いますが、時代や国、社会、文化、慣習、教育等によっても微妙に変わるものであり、個々人でももちろん微妙に異なってしまうものとなります。ここでも実体として存在が成り立っていないことが少し理解できるところであります。

 つまり、それは、もしも何らか実体として確定しうるものがあるならば、皆、誰も一様に同じように認識・価値判断して当然なのですが、そうでないことからも、存在のあやふや性が理解できるものであり、実体として存在しているものではないということが言えるのではないかと思います。また、私たちの恣意的な認識・価値判断次第においても存在のありようを理解しているということは、つまり、存在は、人間の「意識作用・概念作用・思惟分別作用によって仮名(けみょう)・仮説(けせつ)・仮設(けせつ)によっての依存関係」で成り立っているという「縁起」の理解にも少し繋がってくることにもなると言えるでしょう。

 さて、「とらわれ」の問題です。この花瓶は、本当はリサイクルショップで買ってきた210円の花瓶なのですが(笑)、例えば、皆さんがこの花瓶に一千万円の骨董価値があるとして購入したとしましょう。そうすると、この花瓶は一千万円の価値がある花瓶であるとしてのとらわれ、執着が生じてきます。そのような中で、もしも「これは偽物で100円の価値しかない」と言われたらどうでしょうか。とても、受け入れられず怒り狂ってしまうでしょう。ましてやそんなこと信じられるはずもなく、相手を殴ってしまうかもしれません。もしも本当だとしたら酷い悲しみ、嘆き、後悔など苦しみが生じてしまうでしょう。また、その花瓶を愛でていて、過ってすべり落として割ってしまったりしたら、どうでしょうか? 同じようにとんでもなく苦しんでしまうことでしょう。

 では、一方で、この花瓶という存在を「空と縁起」の観点からしっかりと理解している者は、どうでしょうか? この花瓶は永久永遠なるものではなく、いつまでもこのままで固定して、独立して、単独であり続けるようなものでなく、原因や条件によっては、やがて割れたりして壊れてしまうものだと理解している者が、例え過って花瓶を落として割ってしまったとしても、「ああ、割れてしまったな」で終わり、そこに前者のような悲しみ、嘆き、後悔など生じることはなく、ただその有りようを受け入れて、淡々と掃除して、次を用意したりして対応するだけで、何らとして苦しみは生じないのであります。ここの違いが重要なのであります。一方ではかなり苦しみ、一方ではほとんど苦しまない、その差は、その存在への「とらわれ」から生じるのであります。

 本来、実体の無い「空」なるモノの実体を捉えようとしても捉えることはできないのですが、実は、私たちには、存在に対して誤って実体があるかのごとくに認識して捉えてしまうという性向が生まれながらに具わってしまっており、そのように実体があるかのごとくに存在を捉えて執着してしまうことで、実は迷い苦しみが生じてしまうことになるのであります。私たち仏教の目指すところは、もちろん、とらわれのない、迷い苦しみの生じないような存在の見方を調えることであります。

 さて、このように簡単ながらも、この花瓶を用いて、ここまでお話をして参りましたが、「空」と「縁起」の理解はなかなか容易ではありません。花瓶のことなら理解できたとしても、おおよそ私たちは自分・己のこととなるとなかなかそうはいかない程に、強烈なとらわれが生じてしまっています。特に我が身における老いや病気、死への迷い苦しみは、相当なものがあるでしょう。もちろん、生老病死の四苦と、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦の四苦と併せて八苦するのも、その元となる根本原因は、「空」と「縁起」によっての「存在」の真なるありようを認識、理解できていないという無明(根本的な無知)によるものであります。様々な悪い行い(代表的な十悪、殺生・偸盗・邪淫・妄語・綺語・粗悪語・離間語・妄貪・瞋恚・邪見)の根本原因も「無明」から生じるものであって、そして、「無明」による煩悩によって、私たちは悪い行い(業・カルマ)を重ねてしまい、輪廻(迷い苦しみ続ける世界を廻り続ける)することとなってしまっているのであります。

 何とか「空」と「縁起」を観じて存在を理解する中において、その無明(根本的な無知)を排撃し、悪行を成さず、善行(不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不綺語・不粗悪語・不離間語・不妄貪・不瞋恚・不邪見)を成すことによって、輪廻からの解脱を目指すことが仏教の目的なのであります。

 常日頃から「空」と「縁起」をしっかりと観じる中において、善行の実践を継続して進めていくことによって、輪廻の根本原因である無明を打ち破って、迷い苦しみを超えていけるように調えることができていければ、悟り、涅槃へと達する道を歩むことも可能となっていくことでありますでしょう。

「深遠なる空・縁起の理法を真に了解(りょうげ)せし者は、悟り・涅槃への道を歩む」。

平成23年8月21日 川口英俊 合掌九拝

※この本文の内容は、岩瀧山往生院六萬寺のご本堂における平成23年度・お盆施餓鬼法要(8/12-16)の際の法話の内容をまとめて、改めて加筆したものであります。

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27 A RT @amanowako ..(@から続く・・)設立公告して、必要書類を揃え所轄庁に申請(4)法人化されたら(1)の施設のある土地建物を法人に寄付する。 以上です。

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他、これまでの考察シリーズは下記をご参照下さいませ。
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