「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・4






2010年10月01日(Fri)
「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・4
「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・4

では、次に「仏性顕在論」における問題点につきまして考えて参りたいと存じます。

「仏性顕在論」は、現象的な個々の事物に仏性が全面的に現れている。現象的事物そのものを仏性と見る考え方であります。「仏性内在論」よりか、「発生論的一元論」・「生成流出論的根源論」・「絶対的一元論」な要素が濃くあります。

「仏性顕在論」における修行においては、あらゆる事物・事象・現象そのものが、「仏性」の顕現であるとして、そのままで顕在している「仏性」が「仏性」として顕現していることを証・覚・悟することによって、涅槃へと至ろうという考え方となりますが、前回にも少し触れましたように、「仏性顕在論」の問題は、「修行不要論」へと容易に傾斜しやすいのと、修行必要論を説いたとしても、修行の内容が、神秘的・密教的な自然観に基づいたものとなっていく傾向があります。それは、あらゆる事物・事象・現象そのものが、「仏性」の顕現であるとするならば、煩悩にまみれている「有情(人)」よりか「無情(山川草木・瓦礫・自然界の事物)」の方が悟っているとして、「無情」のあり方を目指して、例えば、禅定(坐禅)修行が、「不思不観・無念無想」・「戯論寂滅」・「言語道断」・「無分別」・「不二」といった「思考の停止」へと陥ったり、または、三昧修行(念仏・唱題などの専修行)の神秘化・密教化が目立ってしまうようになるなど、弊害が顕著となってしまうということであります。

また、「仏性顕在論」においては、「一切にことごとく仏性が有る」ということが、基本的な考え方でもあります。そのため、全てもう既に悟っているのであれば、「修行不要論」となるのは必然であり、また、「仏教不要論」にも至ってしまうものとなってしまいかねません。もちろん、「修行不要論」・「仏教不要論」を回避するために、如来蔵思想(仏性思想)において、何らかの修行体系を確立させて、「仏性」の顕れを修めるべくに「仏性修顕論」を説くことに苦心する場合もありますが、その論理一貫性を保つのは非常に難しいのも歴然としています。

とにかく、如来蔵思想(仏性思想)における根本的な問題は、究極的な真理としての基体(基本・基底・基盤・根本・根底・根源など本質体)というものが、「絶対的な存在・実在・実体・自性・自相」としてあるのだとするところにあります。何らとしてそのような絶対的存在、超絶的・超越的存在、究極的存在は見当たらないということを真に理解するためにも、深遠なる縁起の理法をしっかりと学ぶことが求められることとなります。

大乗仏教における各宗派の展開においては、如来蔵思想(仏性思想)を大なり小なり受容している場合が多く、少なからずも神秘的・密教的な修行や作法に基づいた法要・儀式・行事が伝統的に踏襲されていることはあるのではないかと存じます。それは、それらの基本となっている考え方として、「仏性顕在論」的な要素・性質が控えているものであるからということが考えられます。

さて、引き続きまして次回も「仏性顕在論」の問題点について考えて参りたいと存じます。

※現在進めております如来蔵思想(仏性思想)関連の考察は、あくまでも中観思想(帰謬論証派)の立場をいったん脇によけておいてのものでありまして、その点はあしからずにご了承の程を宜しくお願い申し上げます。

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「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・3

引き続きまして、「道元思想論」の内容に関しまして、著者の松本史朗氏は、論著の中で、如来蔵思想を「仏性内在論」と「仏性顕在論」との二つの定義を仮説されました。

では、「仏性内在論」と「仏性顕在論」、それぞれ一体、何が問題となっているのかにつきまして、今回は考えて参りたいと存じます。

まず、そもそも如来蔵思想(仏性思想)の抱えている最大の問題は、「如来蔵・仏性」(仏となる性質・本質・本性)というものの扱いにおいて、それらを「絶対的な存在・実在・実体・自性・自相」として立論してしまう懸念であります。

松本氏の根本的な視座は、「如来蔵思想(仏性思想)は、基体説である」として、その「基体説」から展開されている様々な仏教における教説を批判・否定されているところにあります。

基体説とは、究極的な真理としての基体(基本・基底・基盤・根本・根底・根源など本質体)というものが、「絶対的な存在・実在・実体・自性・自相」としてあるのだと想定・仮説した上で、それらから、あらゆる事物・事象・現象が生じていると説明する「発生論的一元論」・「生成流出論的根源論」・「絶対的一元論」であります。

そして、仏教の目指す涅槃へ向けて、上記のような基体としての「仏性」というものを証・覚・悟することに精進努力することが仏道修行となります。また、その基体としての「仏性」をどのようにして顕現させるべきかという考え方ついて、「仏性内在論」と「仏性顕在論」においての相違があります。

「仏性内在論」は、私たちは、それぞれにおいて「仏性」というものを本来持っているものとし、その「仏性」を覆い隠してしまっている「煩悩(妄想・妄心・妄念・執着)」によって、迷い苦しみを輪廻してしまうため、その「煩悩」を取り除き、もともと持っている「仏性」を顕現させることによって、輪廻からの解脱を図り、涅槃へと至ろうという考え方であります。

「仏性顕在論」は、あらゆる事物・事象・現象そのものが、「仏性」の顕現であるとして、そのままで顕在している「仏性」が「仏性」として顕現していることを証・覚・悟することによって、涅槃へと至ろうという考え方であります。

「仏性内在論」は、「仏性」と「煩悩」という二元論を扱います。簡単には、「きれい」と「きたない」と言えます。「きたない」に覆われて隠された「きれい」を「きたない」から取り除くことが大切となりますが、「仏性内在論」においては、そもそも相反するもの同士が混在していること自体に矛盾があり、また、「仏性」は「絶対的な存在・実在・実体・自性・自相」であるが、「煩悩」は、そうではなく、取り除くことができるもの、滅することができるものということでは、ご都合主義も良いところとなってしまいます。

また、「無常なるものは苦である」という仏教の基本的な考え方からすれば、「仏性」は「常」で、「煩悩」は「無常」となります。「煩悩」は「常」ではなく、なぜに「無常」であると説明するのかというのは、もしも「無常」でなければ、取り除くこと、滅することもできないこととなってしまうからであります。そして、「無常・苦」なるものを「悪」とすれば、「仏性=善」、「煩悩=悪」という図式として、「煩悩=悪」なるものを徹底的に排除していくということになります。

そうすると、常ではない無常なるものは迷い・苦しみをもたらす悪なるものだから無くせば良いとして、無常なるものは何かと、身体(肉体)・心(思慮・思考・概念・分別)だと、あれもこれもと徹底的に排除していくべきものを挙げていき、その結果として、身体(肉体)を極端にいじめ、更に心も極端にいじめてゆく修行へと至っていってしまったりする例が、重傷・瀕死となるような「難苦行」であったり、または、禅定における「不思不観・無念無想」であります。更に極端な例は、身体も心も無常は無常なるもので、なかなかどうにもならない、ならば、身体も心も捨ててしまえば、無常なるものは無くなるとして、「死ねば良い」という考えに至ることにもなってしまいかねません。あるいは、いずれ死ねば、自然と「仏性」が顕現してくれるだろう、「仏性」がもともとあるのであれば、「別に何もしなくても良い」・「好き勝手にしていれば良い」ということで、修行不要論・仏教不要論といった弊害も生み出してしまう危惧も控えています。これは、「仏性顕在論」においても言えることとなりますが、「仏性内在論」は基本的には、修行必要論を扱い、涅槃へ向けて、「仏性」を覆い隠してしまっているものを取り除こうとしていくことを目指していきます。

では、次に「仏性顕在論」における問題点につきまして考えて参りたいと存じます。

※現在進めております如来蔵思想(仏性思想)関連の考察は、あくまでも中観思想(帰謬論証派)の立場をいったん脇によけておいてのものでありまして、その点はあしからずにご了承の程を宜しくお願い申し上げます。

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「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・2
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51770045.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・1
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51769786.html

「禅思想の批判的研究・松本史朗著・大蔵出版 」を一読して
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51769465.html

ツォンカパ論師の中観思想を学ぶ意義4-5
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51768858.html

ツォンカパ論師の中観思想を学ぶ意義1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51766505.html

「非有・非無の中道」について
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51764526.html

「縁起賛」・「ラムツォ ナムスム(道の三要訣)」・「四つの捕われから離れる秘訣」
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/m/197611

「蟻の瓶と象の瓶」齋藤保高氏
http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%9F%BB%E3%81%AE%E7%93%B6%E3%81%A8%E8%B1%A1%E3%81%AE%E7%93%B6

教理の考察「蟻の瓶と象の瓶」(齋藤保高氏)・感想1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51749171.html

チベット仏教ゲルク派 宗学研究所
http://rdor-sems.jp/
ポタラ・カレッジ 齋藤保高氏の個人サイト

「苦楽中道説について」
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51739221.html

「苦楽中道説について」補足
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51746333.html

中観帰謬論証派の学びのススメ
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51597159.html

mixiコミュニティ「仏教・中観思想・空思想を学ぶ」
http://mixi.jp/view_community.pl?id=4629752

仏教・学びの進捗状況全般参照
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/

集中的に再読していく論著集

「中論―縁起・空・中の思想(上・中・下)」三枝充悳著 レグルス文庫
「大乗仏典14 龍樹論集」 中央公論新社
「講座 大乗仏教7 中観思想」春秋社
「講座 大乗仏教9 認識論と論理学」春秋社
「講座 仏教思想1 存在論・時間論」理想社
「講座 仏教思想2 認識論・論理学」理想社
「チベット仏教哲学」松本史朗著・大蔵出版
「チャンドラキールティの中観思想」岸根敏幸著・大東出版社
「ツォンカパの中観思想―ことばによることばの否定」四津谷孝道著・大蔵出版
「ツォンカパ 中観哲学の研究1」
「ツォンカパ 中観哲学の研究2」
「ツォンカパ 中観哲学の研究3」
「ツォンカパ 中観哲学の研究4」
「ツォンカパ 中観哲学の研究5」
「般若経釈 現観荘厳論の研究」兵藤一夫著 文栄堂
「ダライ・ラマ 般若心経入門」ダライ・ラマ14世著、宮坂宥洪翻訳・春秋社
「ダライ・ラマの仏教哲学講義―苦しみから菩提へ」
 テンジンギャツォ著・TenzinGyatso原著・福田洋一翻訳・大東出版社
「チベット仏教成就者たちの聖典『道次第・解脱荘厳』解脱の宝飾」
 ガムポパ著・ツルティム・ケサン、藤仲 孝司共訳 UNIO
「心の迷妄を断つ智慧―チベット密教の真髄」
 チュギャム トゥルンパ著・宮坂宥洪訳
「チベット密教 修行の設計図」
 斎藤保高著・春秋社
「チベット密教 心の修行」
 ゲシェー・ソナム・ギャルツェン ゴンタ著、藤田省吾著 法蔵館
「チベット仏教 文殊菩薩(マンジュシュリ)の秘訣」
 ソナム・ギャルツェン・ゴンタ著 法蔵館
『ダライ・ラマの「中論」講義―第18・24・26章 』
 ダライラマ14世テンジンギャツォ著・マリアリンチェン翻訳 大蔵出版
「悟りへの階梯―チベット仏教の原典『菩提道次第論』」
 ツォンカパ著・ツルティムケサン翻訳・藤仲孝司翻訳 UNIO
『「空」の構造 -「中論」の論理』立川武蔵著・第三文明社

施本シリーズ

施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」
http://oujyouin.com/enginorikai.html
施本・「仏教・空の理解から学ぶ」
http://oujyouin.com/topengi.htm
施本「仏教・空の理解」
http://oujyouin.com/sunyatop.htm
施本「仏教 〜 一枚の紙から考える 〜」
http://oujyouin.com/buddhism1p.html
施本「佛の道」
http://oujyouin.com/hotokenomichi.html


   





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