「縁起賛」・「ラムツォ ナムスム(道の三要訣)」・「四つの捕われから離れる秘訣」






2010年09月07日(Tue)
「縁起賛」・「ラムツォ ナムスム(道の三要訣)」・「四つの捕われから離れる秘訣」
仏教最大の真理要諦である「深遠なる縁起の理法」・「空性」の理解は、チベット仏教の顕教における中観帰謬論証派の学びにおいて、ある程度、進めることができて参りましたように存じております。これから、私の理解につきましてじっくり慎重に検証して参りたいと存じております。

・・

「縁起賛」ツォンカパ大師

〈縁起を〉見て、〈それを〉説かれたため、〈釈尊は〉無上の智者であり、無上の師である。〈故に、〉縁起を見て、それを説かれた勝利者〈仏陀〉に礼拝いたします。

この世のいかなる堕落も、その源は無明である 。〈縁起を〉見ることにより、それ〈無明〉を滅することができるため、縁起〈の教え〉が説かれた。

故に、知性ある者が、縁起の道こそ、あなた(釈尊)の教えの心髄であることを、どうして理解しないことなどあろうか。

そうであるならば、守護者であるあなたを賞賛するために、縁起を説かれたことよりもすばらしい方法を、いったい誰が見つけられようか。

「条件に依存しているものは、みなその自性は空である」。これよりも驚くべきどんな善き教えがあると言うのか。

凡夫たちはそれ(縁起)にとらわれて、極端論への束縛を堅固にする。賢者にとっては、それ(縁起)が戯論の網をすべて断ち切る門戸となる。

この教えは他に見たことがないので、師と名づけられるのは、あなた〈だけ〉である。キツネを獅子〈と呼ぶ〉ように、非仏教徒たち〈の場合〉もへつらいの言葉〈に過ぎない〉。

すばらしい師よ、すばらしい帰依よ、すばらしい最高の説法者よ、すばらしい守護者よ。縁起を善く説かれた師に、私は礼拝いたします。

救済者であるあなたは、有情を利益するために、教えの心髄である空を確信できる比類なき理由を説かれた。

縁起のありようを、矛盾や不成立と見る人たちは、あなたの体系をいったいどうやって理解できるというのか。

あなたの説では、空が縁起の意味であることを見たならば、自性が空であることと、〈すべてが〉正しく機能することは矛盾しない。

しかし、その逆を見たならば、空には機能が成り立たず、機能を果たすものは空ではないため、危険な崖から落ちる、と言われている。

故にあなたの教えでは、縁起を見ることが讃えられている。それはまた、何もないことでも、その自性から存在することでもない。

〈因と条件に〉依存しないものは、虚空の華のようである。故に、〈因と条件に〉依存しないものは存在しない。その自性によって成立しているならば、 その成立が因と条件に依存することに矛盾する。

「故に、〈他に〉依存して生じたのではない現象は何もないので、自性が空でない現象は何も存在しない」と〈あなたは〉言われた。

「現象に少しでも自性がある限り、自性を否定することはできないので、涅槃〈に至ること〉はできず、戯論を滅することもできない」と、〈あなたは〉言われた。

故に、自性はないと、獅子の声で繰り返し、賢者たちの集まりで善く説かれていることに、いったい誰が対抗できるのか。

自性が何もないことと、これに依存してこれが生じたという、すべての規定は正しい。この二つが矛盾なく集まることは言うに及ばない。

「縁起を理由に、極端論に依存しない」というこの善き教えは、守護者であるあなたが、無上の説法者である理由である。

このすべては自性が空であるということと、これからこの結果が生じた、という二つの確信は、互いに障りなく助け合っている。

これよりも驚くべきもの〈があるだろうか〉、これよりもすばらしいもの〈があるだろうか〉。こうしてあなたを賞賛することは、〈本物の〉賞賛であり、他はそうではない。

無知の奴隷となり、あなたを敵視する者が、自性がないという言葉に耐えられないことは驚くに足りない。

しかし、貴重な宝である、縁起というあなたの教えを受け入れながら、空のとどろきに耐えられないことは、私にとって驚くべきことである。

無自性〈の見解〉に導く扉である、無上の縁起というその名によって、もし自性にとらわれるなら、今その人を、

聖者たちが善く旅した、比類なき門戸であり、あなたを喜ばせるこの善き道にいかなる手段で導けばよいのか。

自性〈があり〉、〈因と条件によって〉作り出されたのではなく、〈部分に〉依存しないものと縁起し、〈部分に〉依存して、〈因と条件によって〉作り出されたもの、この二つが、ひとつの土台において矛盾することなく集まることなどできようか。

故に、〈他に〉依存して生じたものは、みな、無始の時より自性を離れているが、〈自性があるかの如く〉現れる。そこで〈釈尊は〉、これらはすべて幻
のようなものだと言われた。

あなたがこのように説かれたことに対して、反論者たちが論議をしかけても、法に基づいて論破することはできない、と言われたことも、これ (縁起の教え)によって〈私は〉よく理解した。

何故そうなのかと言うと、このように説明することで、見えるもの、見えないものなどの事物について、〈ないものを〉あるととらえたり、〈あるものを〉ないととらえたりすることを遠ざけておられるからである。

あなたの教えが比類なきものである、ということを見た理由は、縁起というこの道であり、〈あなたが〉説かれた他の教えも、正しい認識であるという確信が生じる。

あるがままに見て善く説かれた、あなたに従って修行する者たちに、すべての堕落は遠ざかっていく。すべての過失の源が退けられるからである。

あなたの教えに背を向ける者たちは、たとえ長い間苦労を重ねても、過失を呼び戻しているようである。〈それは〉我見が堅固なためである。

ああ、賢者たちが、この二者の違いを理解したならば、その時〈彼らが〉心の底から、あなたを尊敬しないことなどあろうか。

あなたの多くの教えについては言うまでもなく、その一部の意味だけから 大まかな確信を得る者たちにも、最高の幸せを与える。

ああ、私の心は無知に打ち負かされている。このようなすばらしい資質の集まり〈であるあなた〉に、長い間帰依をしたけれど、その資質の一部さえ得ることはなかった。

しかし、死に向かって近づいていく、命の流れが止まってしまうまでに、あなたへのわずかな確信を得られたなら、それだけでも恵まれたことだと考える。

世に現れた仏陀たちが、〈他の師よりも卓越していた〉ように、師の中でも、縁起を説いた師、智慧の中でも、縁起の智慧、この二つが卓越していることを、あなた〈だけ〉が善く知っておられ、他〈の師たち〉は知らない。

あなたが説かれたすべての教えは、縁起から始めて入るものである。それもまた、涅槃のためであり、〈有情の堕落を〉鎮めない行ないは、あなたにはない。

ああ、あなたの教えは、誰の耳に届いても、すべての人が静寂を得るため、あなたの教えを維持することを光栄に思わない者などあろうか。

すべての反論者たちを克服し、前後に矛盾がなく、有情に二つの目的を与えるこの体系に、わたしの喜びは増していく。

このために、あなたは、ある時はからだを、別の時は命を、そして愛しい者や所有物なども、〈三〉阿僧祗劫にわたって何度も繰り返し与えられた。

その〈教えの〉すぐれた資質を見て、釣り針が魚を〈引きあげる〉ように、〈釈尊の〉お心が〈強く〉引かれて説かれた教えを、あなたから聞けなかったのは残念なことである。

その嘆きの激しさは、母の心が、愛しい子供のこと〈だけ〉を追いかけるように、私の心をとらえて離さない。

この〈嘆き〉もまた、あなたのお言葉を思い出して、「〈三十二〉相〈八十〉種好の栄えある〈仏陀の〉しるしで輝き、光の網に完全に包まれ、師の清らかなお声で、

これをこのように説かれた」と思うと、そのような釈尊のお姿が心に浮かぶだけで、月の光が熱の苦痛〈を癒すように〉〈私の心は〉癒される。

このようなすばらしい善き体系にも、賢くない人たちは、〈もつれた〉つる草のように、どの面からも完全に混乱してしまう。

これを見て、私は多くの努力を積み、賢者たちのあとに従って、あなたの真意を繰り返し求めた。

そのような時、中観派と実在論者たちの多くのテキストを学んだが、再び疑問の網に〈とらわれて〉、私の心は絶え間なく苦しめられた。

有と無の極端を滅した、あなたの無上の乗り物を、あるがままに解説すると予言されたナーガールジュナのテキストは、夜咲く睡蓮の庭のようである。

汚れなき智慧のマンダラは満ち、教えはさえぎられることなく虚空を飛び、極端論者の心の闇を晴らし、誤った説法者たちの星座群より強く輝く。

〈そのような〉チャンドラキールティの善説という、一連の白い光によって明らかにされたことを、ラマの恩によって見た時、私の心は休息を得た。

すべての行ないの中で、お言葉の行ないが最もすぐれたものである。その中でもまた、このお言葉であるため、賢者たちはこれ(縁起の教え)によって仏陀を思い起こすべきである。

その師に従って出家して、勝利者の教えを劣らず学び、ヨガ行に精進する比丘である〈私は〉、その偉大な修行者をこのように尊敬いたします。

無上なる師の教えにこのように出会えたのは、ラマの恩によるものなので、この功徳もまた、すべての有情たちが、聖なる精神の導師によって守られる因となるように廻向いたします。

この救済者の教えが、この世の終わりまで、悪い考えの風で動じることなく教えの本質を理解して、師に対する信頼を得た者たちで、常に満たされますように。

縁起のありようを明らかにされた、釈尊の善き体系を、すべての生を通してからだや命を捧げてでも維持し、一瞬たりとも手放すことがありませんように。

「この最高の指導者が、はかり知れない困難な〈行を実践され〉、精力的な努力によって達成されたこの〈教え〉を、いったいどのような手段によって高めていけるだろうか」と熟考することで、昼も夜も過ごすことができますように。

清らかですぐれた決意により、このように努力しているので、梵天、帝釈天など世俗の守護神や、大黒天などの護法尊もまた、絶え間なく常に助けてくれますように。

・・

「ラムツォ ナムスム(道の三要訣)」ツォンカパ大師

至尊の諸上師に頂礼し奉る。

勝者(仏陀)のあらゆるお言葉の心髄の義、
正しき仏子(菩薩)らが賛嘆する道、
解脱(迷いと苦しみから完全に解放されること)を欲する有縁の者たちが
船出する波止場に喩うべき
それ(「道の三要訣」)を、私ができるだけ説き明かそう。

輪廻(迷いと苦しみの世界)の幸福に執着せず、
有暇具足(仏道修行に適した境遇)を無駄にせぬよう
精進(努力)することによって、
勝者のお喜びになる道を信奉する
有縁の者たちは、清らかな心をもって聴聞せよ。

清浄なる出離がなければ、
輪廻の苦海に幸福の果実を追い続け、
それを鎮める方便(手段)はない。
輪廻に愛着する煩悩で、
有情(あらゆる生き物)らは悉く束縛されているため、
最初に出離を追求すべきだ。

有暇具足は得難く、
しかも一生は瞬く間に過ぎ去ると
心で習熟することにより、
今生の些事への執着はなくなるだろう。

因果が偽らずに応報する輪廻のさまざまな苦しみを
再三にわたって思うならば、
後生(来世)の些事への執着もなくなるだろう。

そのように習熟することで、
輪廻の栄華を願う心など一刹那たりとも起こらず、
昼夜を通じていつも解脱を追求する智慧の生じたそのときこそ、
出離が起きたのである。

その出離も、
清浄な発心(菩提心)で支えなければ、
無上菩提(仏陀の覚り)の円満な楽を得る因とならぬゆえ、
智慧者らは優れた菩提心を発するのだ。

恐るべき四暴流(欲望や無知などの煩悩)に押し流されて、
避け難い業の堅固な束縛に身動きもならず、
我執という鉄の網に囲まれて、
無明(無知)の闇の果てしなき暗黒に覆い尽くされている・・

無辺の輪廻に生まれかわりを繰り返し、
三苦(普通の苦しみ、変化する苦しみ、普遍的苦しみ)に絶え間なく苛まれ、
今なおこのようになっている母〔なる一切衆生(生きとし生けるものすべて)〕の
ありさまを思いやり、
それから最勝心(菩提心)を発し給え。

真理を了解する般若(智慧)を具えなければ、
出離や菩提心に習熟したとて
輪廻の根を断ち切ることはできないので、
そのために縁起(あらゆる存在が他に依存して成立すること)を了解する方便を
尽くすよう努めるべきだ。

輪廻と涅槃(迷いと苦しみから解放された世界)の
諸法(さまざまな存在)一切の因果は常に偽らぬと観じつつ、
縁ずる依処(実体として認識される対象)は何であれすべて滅したとき、
それこそ仏陀がお喜びになる道へ入ったのである。

顕現(現われたこと)の因果に偽りがないことと、
空(あらわる実在に実体がないこと)を認めるという、
これら二つの離れた理解が個別に現われている間は、
未だ牟尼(釈尊)の密意(真意)を了解していない。

いつか交互にではなく同時に、
縁起に偽りのないことを観じるのみで
信念をもって境の執し方(対象を実体として把握する習慣)をすべて滅するなら、そのときこそ見解の伺察(分析)は究竟するのである。

さらに、顕現(に実体がないこと)をもって
有の辺(存在に実体性を認めるという極端論)を排し、
空〔であるものが幻のごとく現われること〕をもって
無の辺(存在が全くの無だという極端論)を排し、
このように空性が因や果として現われる道理を知るならば、
辺執見(極端論に執着する見解)に捕われなくなるだろう。

そのように
「道の三要訣」の諸要点を自ら如実に了解したときは、
寂静処へ身を寄せて精進の力を発揮し、
究極のめざす境地を速やかに成就せよ。

我が子(弟子)へ・・

この教誡は、多聞の比丘ロサン・タクペー・ペル(ツォンカパ大師)が、ツァコ・プンポ・ガワン・タクパに授けたものである。

(和訳 齋藤保高氏 参照「チベット仏教 文殊菩薩の秘訣 ゲシュー・ソナム・ギャルツェン・ゴンタ解説 法蔵館 2004」p5-10)

・・

「四つの捕われから離れる秘訣」サパン大師

聖なる師の御足に礼拝致します。

世間的には有暇具足の身体を得た。宝なる仏陀の教えに出会い、作意ではない心を起こし、今、錯誤のない修行をしなければならない。それにおいては、「四つの捕われ」から離れるための実践をすべきである。

それが何であるかと言えば、「第一に」今生に捕われないこと。「第二は」三界の輪廻に捕われないこと。「第三に」自身の利益に捕われないこと。「第四に」事物や相(現象、あるいは状況)に捕われないこと。

これらについて述べるなら、

今生は水の泡のようなもの
いつ死が訪れないとも限らず
永続するものと捉えてはならない

この三界の輪廻は
毒をもつ果実のようなもの
一時的には美味であるが
将来的には害をもたらす
それに捕われる誰もが誤りを犯す

自身の利益に捕われるのは
敵対者の息子を育てるようなもの
一時的には歓びであっても
究極(将来)的に自身に害をもたらすことが決定している

それゆえ、自身の利益に対して捕われたとしても
一時的に幸せでも、究極(将来)的には三悪趣に墜ちる

事物と相(現象、あるいは状況)に捕われるのは
蜃気楼の水(逃げ水)に捕われたようなもの
それゆえ、一時的には出現するが
口にすることはできない

誤った意識に、この輪廻が現われても
智慧によって分析すれば
実体は一つとしてない

それゆえ、過去には心がなく、未来にも心はない
現在においても、心はないというように理解し
一切法(すべての存在)に対しては分別から離れることを知るべきである

そのようにすれば、今生に対して捕われることがなく
三悪趣に生まれることがない
三界の輪廻に捕われることがなく
輪廻に生まれることがない

自身の利益に捕われることがなく
声聞や縁覚に生まれることがない
事物や相(現象、あるいは状況)に捕われることがなく
素早く確実に正等覚(覚り)を得る。

(和訳 藤田省吾氏 参照「チベット仏教 文殊菩薩の秘訣 ゲシュー・ソナム・ギャルツェン・ゴンタ解説 法蔵館 2004」p153-156)

・・

教理の考察「蟻の瓶と象の瓶」(齋藤保高氏)・感想1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51749171.html

チベット仏教ゲルク派 宗学研究所
http://rdor-sems.jp/
ポタラ・カレッジ 齋藤保高氏の個人サイト

「蟻の瓶と象の瓶」齋藤保高氏
http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%9F%BB%E3%81%AE%E7%93%B6%E3%81%A8%E8%B1%A1%E3%81%AE%E7%93%B6

「縁起賛」・「ラムツォ ナムスム(道の三要訣)」・「四つの捕われから離れる秘訣」
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/m/197611

「苦楽中道説について」
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51739221.html

「苦楽中道説について」補足
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51746333.html

中観帰謬論証派の学びのススメ
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51597159.html

mixi「仏教・中観思想・空思想を学ぶ」のコミュニティでは、かなり熱く深い議論が展開されておりまして、少しずつですが有意義なコミュニティへとなりつつあります。私は忙しさにかまけてしまい、論考コメントが少なくなってしまっていますが、何とか盛り返していければと考えています。

現在、mixiにて「仏教・中観思想・空思想を学ぶ」のコミュニティを運用させて頂いております。現在、mixiは、既に招待制度を廃止し、誰でも自由に加入できるようになっています。

「仏教・中観思想・空思想を学ぶ」
http://mixi.jp/view_community.pl?id=4629752

・・

集中的に再読していく論著集

「講座 大乗仏教7 中観思想」春秋社
「講座 大乗仏教9 認識論と論理学」春秋社
「講座 仏教思想1 存在論・時間論」理想社
「講座 仏教思想2 認識論・論理学」理想社
「大乗仏典14 龍樹論集」 中央公論新社
「チベット仏教哲学」松本史朗著・大蔵出版
「チャンドラキールティの中観思想」岸根敏幸著・大東出版社
「ツォンカパの中観思想―ことばによることばの否定」四津谷孝道著・大蔵出版
「ツォンカパ 中観哲学の研究1」
「ツォンカパ 中観哲学の研究2」
「ツォンカパ 中観哲学の研究3」
「ツォンカパ 中観哲学の研究4」
「ツォンカパ 中観哲学の研究5」
「般若経釈 現観荘厳論の研究」兵藤一夫著 文栄堂
「ダライ・ラマ 般若心経入門」ダライ・ラマ14世著、宮坂宥洪翻訳・春秋社
「ダライ・ラマの仏教哲学講義―苦しみから菩提へ」
 テンジンギャツォ著・TenzinGyatso原著・福田洋一翻訳・大東出版社
「チベット仏教成就者たちの聖典『道次第・解脱荘厳』解脱の宝飾」
 ガムポパ著・ツルティム・ケサン、藤仲 孝司共訳 UNIO
「心の迷妄を断つ智慧―チベット密教の真髄」
 チュギャム トゥルンパ著・宮坂宥洪訳
「チベット密教 修行の設計図」
 斎藤保高著・春秋社
「チベット密教 心の修行」
 ゲシェー・ソナム・ギャルツェン ゴンタ著、藤田省吾著 法蔵館
「チベット仏教 文殊菩薩(マンジュシュリ)の秘訣」
 ソナム・ギャルツェン・ゴンタ著 法蔵館
『ダライ・ラマの「中論」講義―第18・24・26章 』
 ダライラマ14世テンジンギャツォ著・マリアリンチェン翻訳 大蔵出版
「悟りへの階梯―チベット仏教の原典『菩提道次第論』」
 ツォンカパ著・ツルティムケサン翻訳・藤仲孝司翻訳 UNIO
『「空」の構造 -「中論」の論理』立川武蔵著・第三文明社

施本シリーズ

施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」
http://oujyouin.com/enginorikai.html
施本・「仏教・空の理解から学ぶ」
http://oujyouin.com/topengi.htm
施本「仏教・空の理解」
http://oujyouin.com/sunyatop.htm
施本「仏教 〜 一枚の紙から考える 〜」
http://oujyouin.com/buddhism1p.html
施本「佛の道」
http://oujyouin.com/hotokenomichi.html

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第三弾

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第二弾

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第一弾


   





カレンダ
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